3-8 手の温度
閉城日。
朝の掃除を終えたセティが回廊を歩いていると、向こうからアウレリウスが歩いて来るのが見えた。
窓の下を通るたび、光と影が交差し、ほんのわずかに、外の香りに湖の気配が混ざっていた。
金の髪が柔らかく朝陽を返し、その白い肌さえ、光を帯びて見える。
窓の方を見ていた視線が、ふと、セティを見つけると、目元がわずかに柔らいだ。
セティは立ち止まってアウレリウスを迎える。
「掃除、終わった?」
「はい」
アウレリウスは小さく頷くと、セティの肘にそっと触れただけで立ち止まらず歩き去ろうとして、青いカーディガンの裾だけが揺れた。
それを、セティはただ見送った。
緑がかった灰の瞳で、彼の横顔を見つめる。
離れていく背中。
セティは一度うつむいて、また顔をあげた。
声をかけようとして、やっぱりやめる。
その時、アウレリウスの足が止まった。彼は振り返る。
「セティ、どうしたの?」
「え……」
――どうして、アウルはいつも、わかるんだろう。
アウレリウスが首を傾げると、光の粒が舞った。
「一緒に……。庭園に……」
「庭園?」
セティのところまでアウレリウスは戻ってくると、知らずに握りしめていた拳をそっと取った。
「いいよ。行こう」
そのアクアブルーの瞳が優しくセティを見る。
セティが誘えば、彼は穏やかに笑って、興味のない庭園にだって一緒に行ってくれるのだ。
二人は並んで、緑だけの静かな庭園を歩いた。
アウレリウスは手を繋ぎたがった。セティが応えると、指が握り込まれる。
暖かい風に乗って、緑と土と、今はない花の匂い。
鳥が空を渡っていく。
セティは背の高い木を指さした。
「あれ、ライラックの木らしいです」
花のつかないライラック。調べたら紫以外にも、白や桃色の花もあるという。
「そうなんだ」
アウレリウスが嬉しそうに笑った。
「セティは植物が好きなの?」
「……わかりません」
「そっか」
アウレリウスはセティを否定しないし、拒絶しない。
境界を絶対に越えないし、嫌がることはしない。
だからこそ、時々思う。
“アウルは本当はどう思ってるのかな”って。
ベンチに並んで腰掛ける。
周りに並んだ低木の小さな緑の葉が、キラキラと輝いていた。
アウレリウスは、雲一つない空を見あげている。
しばらく、どちらも何も言わずに座っていた。
「……セーターは作るのに時間がかかるから、気持ちが伝わったのかな」
「……違うと思います」
「これから夏なのに、プレゼントはセーターなんだね」
「気持ちが伝わればいいんです」
「そっか」
セティはアウレリウスの横顔を見つめた。
アウレリウスはセティの言いたいことにすぐ気づいてくれる。
言葉もたくさんくれる。
だけど、アウレリウスも肝心なことは、多分わかっていないし、言葉を持っていない。
きっと、セティと同じだ。
マーサもエミリーも、きっと、彼らと同じだった。
言葉にしなくても、伝わることはある。
全てを言葉にするのは、きっと難しい。
繋いだままの手を、セティは少しだけ、キュッと握りしめた。
アウレリウスは何も言わない。
彼が今何を考えているのかは、セティには分からない。
だけど、それでいい。
手が温かいのは、確かなのだから。




