変節10-5 重たいキス
夜。
ローテーブルに置かれた燭台の火が、ゆらゆらと揺れている。
ソファの端で、セティは膝のうえに本を置いて読んでいた。アウレリウスは、彼に背を預けるようにして座っている。
アウレリウスの金の髪がセティの腕にかかると、セティはそれを指先で弄り、アウレリウスは天井をぼんやりと眺めていた。
ふと、アウレリウスが起き上がり、セティの方を向く。
「ねぇ、セティ。
錬金術にも“選ばれし血”が必要なんだ。
僕の勘だけど、君には多分、錬金術の素養がある。
……やってみる?」
セティの灰の瞳が、アウレリウスを見た。
本を閉じて、テーブルに置く。
「アウルがこれまで僕に、錬金術に触れさせなかったのは、なぜですか?」
アウレリウスの視線が、わずかに下がった。
「……錬金術は便利だけど。
……僕にとっては、罪の術でもあるから。
僕は、これ以上君を巻き込みたくない。
そう、思ってたんだ……」
セティは頷くと、座り直してアウレリウスの方を向く。
「……じゃあ、僕はやりません。
アウルは僕が錬金術をやっても、嬉しくないんですよね?」
「セティ……。僕に気を使う必要はないんだよ」
「気を使っているわけでは……」
セティは俯くと、ローテーブルの端に置かれたままの新聞をちらと見た。
「僕は……錬金術より、投資の勉強をしたいです。
アウルがいつも新聞を読んでるのは投資のためですよね」
「……投資?」
「この先もアルストリア王国で生きていくために……」
アウレリウスも小さく頷いた。
「そっか。
まぁ、僕もちゃんと教わったのは昔のことで、今はかなり事情が変わってるよ。僕のやり方が正しいかどうかは、正直わからない」
「それでもいいです」
「わかった」
アウレリウスは、セティの指先を取る。
「結局、僕が王性を失っても、僕は錬金術を使えるんだよね。
なんだかいろいろあったけど、この先も、何も変わらないのかな」
セティがアウレリウスの指に自分の指を絡めた。
「創造神が創ったこの世界に閉じ込められたまま、ずっと、変わらず生きていくのかな」
「アウル」
アウレリウスが視線を上げると、青と灰がまっすぐに交わる。
「……本当に、変わらないですか?」
「え?」
セティは一度視線を下げて、唇を湿らせた。
そしてまた、意を決したように顔を上げる。
「アウル、僕が街に住みたいって言ったらどうしますか?」
「……え」
アウレリウスの呼吸が止まる。
「僕が……街にいる他の女の子を選んで、その娘と暮らしたいって言ったら……どうしますか?」
喉が熱い。
「……セティは……そうしたいの?
……本気で、そう思ってるの?」
声が震えた。
「僕がそうだって言ったら、アウルは、
――どうしますか?」
視界が滲む。
胸の奥が、ひどく痛んだ。
それでも、手を伸ばせなかった。
アウレリウスは、セティから視線を外した。
「……セティがそれを選ぶなら……いいんじゃないかな……」
涙が落ちて、夜着を濡らしてシミを作る。
いくつも、いくつも、頬から涙が伝い落ちた。
蝋燭の火が、大きく揺れる。
セティは、短く息を吐き出した。
腰を浮かせ、アウレリウスの頭を胸に搔き抱く。
強く、強く彼を抱きしめた。
「アウルは不器用すぎます……。
嫌なら嫌って、ちゃんと言って」
アウレリウスの涙がセティのシャツを濡らす。
「僕は、多分もう“守護者”ではなくなりました。
僕たちは、変わったんです」
セティはアウレリウスの髪をくしゃくしゃにしながら、頬を寄せた。
アウレリウスは、セティの背の夜着を強く掴む。
「でも、僕は、絶対にアウルのそばにいます。
それで、アウルをちゃんと看取ってあげます。
僕は、逃げません。
最期のその時まで……そばにいます」
セティは両手で、アウレリウスの頬を挟んだ。
親指で彼の涙を拭い、額と額を当てる。
「アウル……それでいいよね?」
セティの声も、震えていた。
アウレリウスはセティの瞳を見つめながら、ただ静かに泣いている。
「アウル、それで良かったら、僕にキスをして」
「……セティ」
セティが顔を寄せる。
「僕からしますよ。
僕のキスは、きっと重たいです。
……いいんですか?」
アウレリウスは、本当に小さく、小さく頷いた。
セティはアウレリウスの涙を吸い、彼の唇にキスをした。
触れるだけのキスから、深く、ゆっくりと落ちていく。
嗚咽が、静かな夜に溶けた。




