変節10-6 『選びし者たち』最終話
いくつかの月日が流れた。
その日も、アウレリウスとセティは並んで、霧の街オルドンの石畳を歩いていた。
アウレリウスの髪は、短くなった。
頬にかかる前髪と、首筋を撫でる後ろ髪。
整えられているはずなのに、どこか自由に流れるその髪は、以前よりも軽やかに見えた。
一方で、隣を歩くセティは背が伸び、アウレリウスよりもわずかに高い。
ジャケットの丈は太腿半ばと、少しだけ以前より長いものに替えた。
二人は時折目を合わせ、互いにふわりと微笑み合う。
彼らの足が向かったのは、王立自然公園。
花のアーチ。
整然と並ぶ花壇。
思い思いに過ごす王都の人々。
いまだに持ち方のわからない杖を持ったままのアウレリウスの視線が、ふと惹きつけられた。
「エドガーさん!」
アウレリウスが手をあげると、噴水の前にいたエドガーとルシアンが振り返った。
彼らは柔らかく笑っている。
アウレリウスがエドガーに抱きつくと、慣れた手つきで受け止めたエドガーが彼の背をポンポンと優しく叩いた。
ルシアンは笑っているが、セティは複雑な表情で見つめている。
二人と挨拶を交わして別れたあとは、アウレリウスとセティは西区に向かった。
アウレリウスの左の中指には、細い金の指輪。これはかつて、彼自身で選んだものだ。
今、セティの右人差し指には、銀の細い指輪が嵌められている。
装身具をつけたがらなかったセティが、唯一選んだもの。
セティは少しだけ指輪を見つめた後で、隣のアウレリウスの横顔を見た。
歩く度に、少しだけ金の髪が揺れる。
黙っていると、どこかアンニュイな雰囲気を纏うようになった。
視線に気づき、アウレリウスがセティの方を向いた。
「なぁに?」
優しく細められる瞳。
「なんでもないです」
「……そっか」
リンデンの並木道。
少しだけ甘い匂い。
セティはアウレリウスの髪に手を伸ばしかけて、やっぱりやめる。
「ふふ……。なぁに? セティ」
「……なんでもないです」
「僕に触りたいの?」
「言い方……」
アウレリウスは声を上げて笑い、セティは小さくため息を吐いた。
やがて、白っぽい縦長の一軒家が見えてくる。深緑に塗られた木の扉の前には、今日も大きな黒猫がどっしりと座っていた。
アウレリウスが腰をかがめて手を伸ばすと、黒猫のウンブラは素直に腕の中に入る。
セティがノッカーを叩いてから扉を開き、二人は中へと入っていった。
変わらぬ深緑の壁と、深色の腰壁。飾られている絵が、少しだけ増えた気がする。
「ごめんください」
木床を踏む音。
紅茶の香り。
台所のある扉から顔をのぞかせたのは、まっすぐの黒髪の女性、モルガナ。
「いらっしゃい。アウレリウス、セティちゃん」
黒衣の彼女は、ふわりと笑った。
「ちょうどアップルパイが焼けたの。
一緒に食べましょ」
セティが歩いて台所に入っていく。
「手伝う?」
「パイを切り分けてくれる?」
「いいよ」
アウレリウスはウンブラを抱いたまま、その光景を静かに眺め、先に部屋に入っていった。
「ねぇ、セティちゃん……その指輪」
「……自分で買った」
「アウレリウスも左手につけているものね」
「髪を切ったら、アウルの雰囲気が前より大人っぽくて……」
「追いつきたくなったのね。
でも、アウレリウスの髪を切ったのはあなたでしょう?」
「……まさかあんなに色っぽくなるとは思わなくて……」
「……後悔してるの?」
「誰にも見せたくない」
モルガナは声を立てて笑った。
盆に紅茶とパイをのせると、二人はアウレリウスのいる部屋へと向かう。
美味しいアップルパイ。
笑い声。
ティータイムの穏やかな時間。
たくさん話をして、また会う約束をした。
変わらない関係。
変わらずにいられることが、変わった証。
帰りの馬車。
アウレリウスは手綱を持ちながら、空を眺めていた。
風が彼の髪を撫でる。
「髪を切ったら軽くなった。
湯浴みの後も楽になったし。切って良かった」
セティはその横顔をじっと見つめている。
アウレリウスはちらとセティを見た。
「……もしかして似合ってない?」
「……似合ってます。とても。
似合いすぎるくらい」
「あはは。それなら良かった」
草原の向こうに、汽車が走っている。
灰色の煙が、藍色に染まり始めた空に溶けていった。
「セティには、いつの間にか身長も越されちゃったね。あっという間だった」
「でも……アウルは雰囲気が大人です」
「……長生きしてるから、落ちついてるのかな」
「そういうのではないような……」
「セティは少年から青年になって、格好よくなったね」
空には白い月が、ぽっかりと浮かんでいる。
アウレリウスはそれを静かに見上げた。
「うわっ」
セティがアウレリウスの首筋にキスを落とした。
アウレリウスは驚いて、触れられた場所を手で押さえる。
遅れて、彼は笑った。
「あはは。今はやめてよ」
アウレリウスが横のセティを見ると、視線がしっかりと交わる。
セティがもう一度顔を寄せ、唇に短くキスをした。
「“今は”ってことは、帰ったらいいってことですか?」
アウレリウスは苦く笑う。
「……セティ」
「アウル。僕がどれだけ長い間君に片思いしてたと思ってますか?
……最近のアウルの色気は、卑怯です」
「何言ってるのさ」
アウレリウスが声を立てて笑い、セティはそれを目を細めて見つめた。
「笑ってるアウルが一番好きです」
アウレリウスも、柔らかくセティを見る。
「僕も、セティが世界で一番好き」
セティは小さく息を吐き、アウレリウスの腰に自分の腕を回した。
「……アウルの“好き”ってよく分からないです。
どうせ、僕と違うんですよね」
夜空には、星が瞬き始める。
アウレリウスは、目を細めて、いたずらっ子のように笑った。
「僕の“好き”はね、
セティだったら、抱いても、抱かれてもいいかなって意味だよ」
セティは息を飲む。
「キスしてもいいですか?」
「今はだめ」
二人の笑い声が、月光に銀に染められた草原に淡く溶けていった。
◇
――世界は、何も答えない。
だが、彼らは、
選ばれるのではなく、自ら選んだ。
――世界は、何も変わらない。
ただ一つ、
立つ場所だけを、少しずらしただけ。
王都オルドンからほど近い、湖のほとりに建つ――グレイブハル城。
いま、城にいるのは、二人の青年たち。
この城は、いつしか観光名所として知られるようになった。
美しく、
静かで、
それでいて、どこか不思議な場所として。
この美しい世界のどこかに、
グレイブハル城は、
今日もひっそりと建っている。
誰かが、選び続けた痕跡だけを残して。
最後までご来城いただき、ありがとうございました。
『グレイブハル城の観測者』は、これにて完結です。




