変節10-2 二人の歩幅で
オルドン中央駅。
セティは巨大なドーム屋根を見上げた。
鉄骨のアーチが支えるガラス。その向こうには霧に霞んだ鈍い青空が見えている。
アウレリウスとセティは並んで、金属の匂いと蒸気の匂いが混ざり合う構内を進み、ホームを歩いた。
停車中の鉄道車輌が並び、白い蒸気が足元を這う。
行き交う旅客たちの話し声。
並んだガス灯のガラスが、霧の小さな水滴を纏い、それが鈍く光を弾いていた。
彼らは、ステップを踏んで車内に入る。
煤の染み付いた木板を歩いて、葡萄色の四人席に向かい合って座った。
セティは相変わらずほとんど無表情だったが、わずかにずっと口角が上がっている。
彼は駅構内の喫茶室には来たことはあるが、汽車に乗るのは初めてだ。
アウレリウスは、楽しそうなセティの様子に、つい、頬が緩んだ。
「僕も、セント・アシュウェル修道院に行くのは初めてなんだ。
楽しみだね。セティ」
「はい」
汽車が動き出す。
次第に、車輪がレールを刻む音が規則正しく響くようになった。
アウレリウスが立ち上がって窓を開けると、セティは窓枠に手をついて、外を眺める。
霧に包まれた王都の街並み。
その尖塔が徐々に遠ざかり、草原と丘陵が広がっていく。
「……アウル!
グレイブハル城が見えます!」
「ふふ。そうだね」
遠くに見えるグレイブハル城は、湖面が弾いた光を浴びて、白く浮かび上がるように静かに佇んでいた。
「……きれいだね」
「はい」
セティの前髪が風に遊ばれている。
アウレリウスは手を伸ばしてそっと彼の髪に触れると、視線が絡み、二人は小さく微笑みあった。
しばらくして、汽車は速度を落とした。
草原に小さく建つセイブル原駅に、二人は降りたつ。
外には、若い司祭が手綱を握る一台の二輪馬車。
「お待ちしておりました」
司祭が小さく頭を下げ、アウレリウスたちもお辞儀をする。馬車に乗り込むと、のんびりと音を立ててそれは動き出した。
とこまでも続くような草原。
土と草の匂い。
それは次第に、匂いを変えていった。
蒼くもえる森と霧。
その向こうには、煉瓦造りの塔が霞んで見える。
鐘の音。
それは、森を渡っていく。
二人は顔を見合わせた。
「王都で聞こえる鐘楼の音は、ここの音だったんだ……」
「ずいぶん遠くから聞こえていたんですね」
やがて、セント・アシュウェル修道院の門が見えてくる。
二人は馬車を降り、司祭とともに中へと入っていった。
古い煉瓦造りの建物が、いくつも並んでいる。
案内されながら回廊を歩く。
ブーツが石床を叩く音が心地よく響き、アーチの間から淡い光が差し込んでいた。
中央の庭にはコスモスや、アメジストセージの淡い紫の花が、風に揃って揺れている。
そこに置かれた古いベンチ。
赤い髪の少女、イリスがその近くに立って、穏やかに笑んでいた。
「アウレリウスさん! セティさん!
こちらです!」
「イリス!」
司祭が頭を下げると二人は礼を言い、イリスに駆け寄る。
彼女は手を大きく広げて二人を迎え、それぞれの手を取った。
「会えて嬉しいです!」
花が咲くように、イリスは笑っている。
頭の高い位置で一つに結んだ癖のある髪は、彼女が笑う度にふわふわと揺れた。
「イリス……、なんだか明るくなったね」
アウレリウスが微笑みながら言うと、イリスはきょとんとその瞳を見上げた。
遅れて、少しだけ頬を緩める。
「……はい。
兄様にも言われました」
「カイウスも、ここに来たんだ」
彼女は、苦く笑った。
「私が会いたいって言ったら、エドガーさんとルシアンさんが連れてきてくれました」
「そっか……」
水色の瞳が、アウレリウスの瞳をじっと見つめる。
「私はやっぱり兄様が好きです。
……でも、ここの生活が心地よくて、このままここにいたいと思ってしまって……」
アウレリウスは小さく頷いた。
「イリス。もう少し落ち着いたら、お兄さんとよく話してみるといいよ」
「……はい!」
イリスはセティを見ると、にっこりと笑った。
ポケットから一枚の栞を取り出す。
「セティさん! ……あげます」
セティはそれを受け取る。
桃色と紫の間の色をした、小さな花がたくさん集まった押し花の栞。
「……これは?」
「ライラックです」
セティは顔を上げた。
「え」
「ライラックは、今の季節は咲いていないんです。
修道女の方にライラックについて尋ねたら、この栞をくれました。
セント・アシュウェル修道院に咲くライラックの花だそうです」
「僕の話、覚えていてくれたの……?」
イリスは、柔らかく笑う。
「はい。ライラックの花、見てみたかったんですよね?」
「……うん。ありがとう」
風が柔らかく吹き、花の香りが舞う。
セティは栞の花を見つめると、わずかに口角を上げた。
しばらく話をしてから、二人はイリスと別れ、帰る前に礼拝堂を覗いた。
セント・アシュウェル修道院の礼拝堂は、手焼き煉瓦が風雨に晒されてところどころ削られ、蔦が褪せた赤煉瓦を覆っている。
古い木の扉を押し開けると、磨かれた木床に、ステンドグラス越しの光が淡く散っていた。
ステンドグラスには、月と輪を持つ星。
創造神と太陽神の二柱が語り合いながら、この星を創っている様子が描かれていた。
アウレリウスは、それを見上げた。
「セティ……」
「はい」
「……ここにも、創造神の気配がする」
光の粒が、静かに舞っている。
「ここにいる創造神は、壊れない箱を作る神ではない気がする。
創った後は、人々を信じて、ただ、そっと見守っている……そんな感じだ」
声が、礼拝堂の中に透き通ってよく響いた。
「人がすることを、良いとも悪いとも決めずに、ただそばにいる。
そういう風に感じるんだ」
セティはアウレリウスのそばに寄ると、そっと彼の手を取る。
「ここの気配は……静かでとても優しい」
「……はい」
二人はそれ以上は言葉を交わさずに、ステンドグラスを見つめた。
風が鳴る。
鐘楼の音。
それは森を越え、草原を越えて、どこまでも澄んで渡っていく。




