変節9-3 確かめるように
書斎。
窓の向こうでは、光の中に静けさが柔らかく溶けていた。青い空が遠くまで澄み渡っているのが、カーテンの隙間から覗いている。
部屋には、白い蒸気が立ち上っていた。
クツクツと音を立てて、ビーカーの中の溶液が沸騰している。黒壇の作業台の上で燃える青白いアルコールランプの微かな燃焼音。その小さな音が、柔らかくアウレリウスの耳をくすぐる。
彼は試料の結晶化が終わるのを待ちながら、椅子にゆったりと腰掛け、本の頁をめくった。
ふと、指先を見る。
以前と変わらぬ白い手。
「……そういえば、王性ってどうなったんだろう?」
モルガナの仮説が正しいなら、本当の意味でセティを受け入れ、境界を幾度も越えれば王性は失われるはずだ。
ビーカーを覗き込む。
火を消し、淡々と片付けをはじめた。
まっさらになった机上を布巾で拭く。
棚から保存瓶の一つを取り出して蓋を開けた。
中に入っていたのは、乾燥レモンバームの葉。
指先で持ち上げ、しばらく眺めてから、ほんの軽く、唇を触れさせた。
静かにガラス皿に乗せる。
黒壇の机の上に、黒鉛の棒を使って陣を描いた。乾燥レモンバームを置き、それから、水を上から垂らす。
陣を描いた燭台に触れると、白い火が生まれ、それを静かに陣へ落とした。
最後に、錬金術陣の端を、トン――と軽く叩く。
彼は、火をしばらく眺めた。
アウレリウスの瞳に青白く映り込み、それは静かに収束していく。
陣の上に残されたのは、一枚だけのレモンバームの新芽。
指先で持ち上げ、香りを嗅いだ。
「……いい香り」
葉をガラス皿にいれて作業用キャビネットの上にのせる。作業台の上に、光沢のある青い粉を撒いて、濡れ布巾でよく拭いた。
丁寧に仕上げ、布巾をキャビネットに置く。
椅子に腰を下ろすと、葉をつまみ上げた。
窓にかざして、指先でくるりと回す。
「……普通に出来た」
――モルの言うように、一から作られた僕と、魂が“観察者”であるモルに関しては、死ぬまで力は失わないのかもしれないな……。
「そもそも、錬金術と王性が関係ない可能性もあるし」
葉を唇に当て、ぼんやりと窓の向こうを眺めた。
――王性が自分に残っているのかどうかは、自分ではわからない。
「モルなら分かるかもしれない。
……でも、いいか」
葉を作業台に乗せると、先程まで読んでいた本をまた手に取った。
「イリスの問題もじきに解決できるし。
このまま日常が戻るだけなんじゃないかな」
頁をめくる。
「……いや。“戻る”わけじゃないか」
指先で、ゆっくりと自分の首元をなぞった。
「“両思い”なんだよね……」
本を閉じて、胸に抱く。
「だから……変わる」
頬が緩むのが、抑えられない。
「セティはそばにいてくれるって言ってた。
――この先ずっと一緒にいられるんだ」
椅子の上で、本を抱えたまま片膝を抱く。
――気持ちが満たされるって、こんなに心地が良いのか。
アウレリウスは瞳を閉じて、風にカーテンが揺らされる音を、静かに聞いていた。




