変節9-2 並ぶ鼓動
アウレリウスは、受付室の小窓の前でぼんやりと空を眺めていた。
窓の形に切り取られた淡い光が、その金の髪を透かしている。
ふと、彼の青い瞳が何かを追った。遊ぶように飛ぶ鳥を見つけ、口角がふわりと上がる。
セティはその様子を、ソファから静かに見つめていた。
――今朝も、アウルは僕を抱き寄せて額にキスをした。
――あのルーチンを復活させるつもりなのかな。
(どういう心境の変化で?)
アウレリウスが振り返る。目が合うと、彼は笑った。そして席を移動してセティの横に座る。クッションがわずかに沈み、足がかすかに触れた。
「座ると、ほとんど目線が変わらないよね」
声が少しだけ弾み、青い瞳はまっすぐにセティを見つめる。
セティの身長を測ってみたところ、以前より一インチも伸びていたのだ。測定した際、アウレリウスは宣言通りに少し泣いていた。
アウレリウスは腰をかがめてセティの腰に腕を回し、胸に耳を当てた。
ふわりと立ち上がる彼の澄んだ甘い香り。セティはつい、息を詰める。
「成長してるんだね。生きてるんだ。
――セティの心臓の音って落ち着く」
セティが、アウレリウスの頭を抱くようにして髪を撫でると、アウレリウスは心地よさそうに目を閉じた。
――僕の鼓動、早くなってるんじゃないかな。
長いまつげが揺れ、瞳が開く。
ゆっくりと起き上がると、彼は呼吸が触れ合う程に顔を寄せた。
セティの喉の奥が、焼けるように締め付けられる。
「セティに出会えて、良かった」
「……アウル」
アウレリウスの視線が唇に落ちる。
だが、ふと彼は離れ、窓の方を向いた。
――馬車の音。
「見学者だ」
彼は立ち上がって、小窓の方へ戻っていった。
衣擦れの音と鳥の鳴き声が、部屋にそっと落ちる。
セティは胸元を押さえ、浅くなった呼吸を整えた。
「こんにちは。見学かな?」
小窓の方で、アウレリウスのいつもの穏やかな声。
――キスをされるのかと思った。
――でも、僕は……。してたら、もう、抑えられなかったかもしれない。
銀貨のこすれるかすかな音がした。
セティは小さく息を吐く。
夕刻になり、アウレリウスが内門の錠を閉め、戻ってくる。
セティはいつものように燭台を持って、彼を待っていた。
丸い月が夜空に浮かんでいる。
アウレリウスは昨日と同じように燭台をセティから受け取ると、地面に置いて、セティに顔を寄せた。
「アウル……!」
「……ん?」
「なんで?」
「何が?」
「なぜキスをしようと……」
アウレリウスはきょとんとセティを見つめた後、くすっと笑う。
「セティが……ここで僕をじっと待っていてくれる姿を見ると、どうしても愛しくなっちゃうんだ。
――だから、キスしたいなって思う」
セティが俯くと、アウレリウスは彼の唇を指先でなぞった。
「セティ……。夜寝るのは好きな場所で寝たらいい。
だけど、寝る前にソファに並んで本を読む静かな時間が、僕は好きなんだ。
あの時間だけ、一緒にいてくれないかな」
――アウルは、僕より長く生きてるけど、甘えん坊だ。
――いろいろあって、彼は今、甘えたいだけかな。
「……いいですよ」
アウレリウスがふわりと笑うと、セティも小さく笑った。
二人は手を繋いで、城に入っていく。
夜。
二人はソファに並んで座った。
ローテーブルに置いた燭台の火が、ゆらゆらと揺れ、壁を柔らかい橙に染めている。
セティは腕を伸ばすとアウレリウスの肩を掴んで引き寄せた。膝の上に彼の頭を乗せさせる。
アウレリウスは、きょとんとセティの灰の瞳を見上げた。
「……膝枕?」
「アウルは、甘えたいのかと思って……」
アウレリウスは笑う。
「甘えたい。とっても」
彼はぐるりと身体の向きを変えると、セティの腹に顔を埋めるようにした。腕を伸ばして背中を擦ったり、セティの顎をくすぐったりして遊んでいる。
「ふふ。アウル、くすぐったい。やめてください」
二人で声を上げて笑う。
そのうち、アウレリウスの手がセティの夜着のボタンにかかる。外されそうになって、セティは慌てて彼の手を掴んだ。
「それはだめです」
「……なんで?」
まっすぐに見つめられ、セティは視線を外す。
「アウル……、そういう触れ方はだめです。僕は君が好きなんです。
――耐えられない」
「……それは、僕を“壊したくなる”ってこと?」
「そ……そうです」
アウレリウスは起き上がると、おもむろに自分の夜着のボタンを外し始めた。
そして、軽く両手を広げる。
「セティ、ほら……おいで」
セティの喉の奥が締まる。
「え」
アウレリウスはセティの手首を掴むと、手を自分の胸に当てさせた。
「ほら」
セティは手を引くが、離れたアウレリウスの手は、頬を包んだ。
甘い香りが、立ちのぼる。
「……セティは、僕のそばにずっといてくれる?」
顔を寄せられ、呼吸が触れた。
耳の奥で、鼓動が酷く鳴る。
「……それは、もちろんです」
「……良かった」
甘い微笑み。
呼吸が止まる。
「セティ、来て」
――もう、こんなの、抑えられるわけがない。
衣擦れの音が、夜に淡く、溶けていった。




