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グレイブハル城の観測者  作者: かも ねぎ
変節 第九章『割れぬ月の朝』
202/215

変節9-1 名づけたあとで


 王都オルドンのほど近く、湖のほとりに、古い城がある。


 世界の理から、わずかに外れた場所。

 神々の沈黙が、届かぬ距離。


 城は変わらない。

 湖も、森も、静けさも。


 変わるのは、そこに立つ者の位置だけだ。


 境界は、守られるものではなく、交わされるものとなった。


 これは、世界に抗う物語ではない。

 世界の中で、誰を選ぶかを問う章である。


 ◇


 “壊してしまいたいくらい好きすぎる!”


 と、つい言ってしまった。


 アウルはその時、とても驚いた顔をしていた。そして、呆然としたまま部屋を出ていき、戻ってこなかった。


 ――それが、昨晩のこと。


 今朝、僕が目覚めたら、アウルはいつも通りに自分のベッドで寝ていた。

 

 シーツに散る綺麗な金の髪。

 触りたいな。

 触れて、キスがしたい。


 首を振る。


 (だめだ。前より欲張りになってる)


「自制。自制」


 ベッドを降りて、朝の支度を始めた。

 

 水を用意し、服を着る。今日は開城日だから、きちんとした服を。


 窓辺に寄り、窓を開けた。

 冷たい風。

 空気が澄んで、遠くまで見渡せる。


 (もうすぐ、冬が来るのかな)


 ――あれは、言い過ぎたかもしれない……。

 さすがにアウルを驚かせてしまった。

 また、距離が開くのかな……。


 衣擦れの音。

 振り返ると、ベッドから起き上がったアウルが伸びをしている。


 目が合うと、彼は、にっこりと笑った。


 ――境界を壊すまでは、いつも、朝起きたらアウルは僕を抱きしめて、額にキスをして“大好きだよ”って言ってくれた。

 

 ――境界を壊して喧嘩した後は、それはやらなくなった。


 ――今日も、そのまま着替え始めるのかな。アウルの肌を見るのはつらい。僕は部屋を出ないと。


 アウルはまっすぐ僕に向かって歩いてくると、腕を伸ばして抱き寄せた。


 (え!?)


 アウルは少し上を向いて、僕の額に短くキスを落とす。

 そして、僕の目を覗き込んで、優しい瞳で微笑んだ。


「おはよう、セティ」

「……おはようございます、アウル」

「セティ、大好き」


 柔らかく、笑った。

 

 (なぜ!?)


 アウルは僕から離れると、「今日もいい天気だね」とつぶやいて朝の支度を始める。

 ガウンを脱ぎ、シャツワンピース型の夜着を脱ぎ始めた。


 アウルは、僕に肌を見られることに抵抗はないようだ。それは、境界破壊前後で変わらない。もともと人目を引く見目の人だ。見られることに関して、何かを思ったことがないのかもしれない。


 ――だけど、僕には目に毒だ。


 僕は、部屋を出た。




 城に見学者が来た。


「セティ、案内に行ってくるね」

「……はい」


 案内に行くときも、境界破壊前は額にキスをしてから行ってた。

 最近は声をかけるだけ。

 以前やっていたルーチンの類いは、最近は失われていた。


 本を読んでいた手元に、影が落ちる。


 顔を上げると、アウルがソファに座る僕の前に立っていた。


「……え?」


 彼は腰をかがめて、僕の額にキスをした。

 離れると、甘やかな笑みを残して、部屋を出ていく。


 その背を見送った。


 境界を壊した後だって、髪を切った時には、アウルは額にキスをした。僕が泣いたときは、口にキスだってしてきた。

 全く触れ合わないわけじゃない。

 

 だけど……これは……。


 ――以前のアウルに戻ったみたいだ。


 (なぜだろう?)


 触れられた額が、少し熱い。




 見学者を見送り、日も落ちた頃。

 アウルが内門の錠をかけに行った。

 

 頬に当たる風が、痛いくらい冷たい。

 空にはもう月が浮かび、星が点々と瞬いている。

 

 僕は燭台を持って、アウルが戻って来るのを玄関扉で待っていた。


 鉄門が閉まる音。

 アウルが振り返り、僕のもとに駆けてくる。


「寒くなってきたね」

「はい」


 アウルが燭台を僕から受け取ると、彼はそれを地面に置いた。


 ――何するんだろう。


 アウルは僕の目を見つめた。

 僕の顎に手を添えると、僕の唇にキスを落とす。


 ――なぜ?

 ――ルーチンでも、僕が感情を爆発させたわけでもないのに。


 唇が離れる。


「……セティ、口を開けて」

「……え?」


 また、唇が塞がれる。

 

 よろけそうになった僕の腰をアウルが支える。

 深くて、甘いキス。


 ――これは、耐えられない。


 アウルの胸を強く押した。


 温もりが、離れる。

 僕の呼吸だけ、浅い。


「……嫌だった?」

「そ……そうでは……」

「セティ、愛してるよ」

「……え?」


 アウルは燭台を拾い上げると、僕の手を取って城の中へとゆっくり歩き出した。


 いつもの柔らかい笑み。

 アクアブルーの瞳に、蝋燭の火が映り込んで、ゆらゆらと揺れている。


 胸が、強く締め付けられる。

 



 夜。


 寝支度を整えて部屋に入ろうとして、僕は扉の前で躊躇した。


 最近、アウルは確かに甘くはなってた。

 

 でも、アウルの“愛してる”は僕のとは違うんだよね?

 僕が“愛してる”って言っても、応えてくれなくなっていたのに……。


 ――今日のアウルは、変だ。


 扉を開ける。

 アウルはソファで本を読んでいた。

 目が合うと、彼はふわりと笑んだ。


 喉の奥が閉まる。


 今すぐ抱きついて、キスをして、押し倒してしまいたい。


「……アウル。僕はしばらく客室で寝ます……」


 アウルが目を見開く。


「え……なんで」

「その……怒ってるとかではないので……。そういう気分というか……」


 目を見れない。

 

「そっか……」


 寂しそうな声。

 僕は部屋を出て、廊下を駆けた。


 ――アウルが甘すぎて、

 これ以上は僕が、自分を抑えられそうに、ない。


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