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グレイブハル城の観測者  作者: かも ねぎ
正編 第二章『境界に触れる』
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2-8 触れない手


 青い空に、綿雲がいくつも浮かんでいた。

 風に吹かれては、溶けるように形を変え、静かに流れていく。


 アウレリウスはそれを小窓からぼんやりと眺めていた。

 ふと気づいて手元に視線を落とすと、羊皮紙にインクが滲んでいる。

 青みがかった黒が、じわりと広がっていた。

 小さく息を吐き、ペン先を拭う。

 汚れてしまった紙を、彼は静かにたたんだ。


 ――馬車の音。

 まだ遠いが、この音は、もう覚えてしまっている。


 席を立ち、いつものようにソファで本を読んでいるセティの後ろに立つ。

 背もたれ越しに、そっと少年を抱きしめた。


「セティ」

「はい」

「行ってくる」


 セティは本を閉じ、アウレリウスの手に自分の手を添える。

 それ以上、何も言わない。


 アウレリウスは静かに離れ、受付室を出ていった。

 その背を、セティは見送った。




 受付室の前にアウレリウスが立つと、エリザと侍女がちょうど馬車を降りたところだった。


「こんにちは、エリザ」


 穏やかな声に、彼女の頬がわずかに赤く染まる。


「……こんにちは。アウレリウスさん」


 アウレリウスは小さく頷き、侍女の方を見た。

 胸元のオレンジサファイアが、淡く光る。


「今日は銀貨はいらないよ。もう何度も来ているし……それに」


 一瞬、言葉を選んでから、首を振る。


「受け取れない」


「ですが……」

「受け取れない」


 侍女は、それ以上何も言わずに頭を下げた。

 その向こうで、雲が割れ、形を失い、静かに消えていく。


「エリザ、ついてきてくれる?」

「……はい」


 アウレリウスは微笑んで歩き出し、途中で一度だけ振り返る。


「おいで」


 エリザは戸惑いながら、その背を追った。


 音を吸い込む石の階段を、ゆっくりと上る。

 踊り場で彼女が追いつくのを待ち、また歩き出す。


 向かう先は、迷いなくバルコニーだった。

 扉を開け、そのまま外へ出る。


 鉄柵に身を預けるようにして立つと、振り返る。


 エリザは彼の前で立ち止まった。


 アウレリウスは一度、瞳を伏せる。

 そして顔を上げたとき、青い瞳には、柔らかくて寂しげな光が宿っていた。


「エリザ。

 もう、ここに来ちゃだめだよ」


「……え……?」


 エリザは胸の前で、両手を強く握りしめる。

 彼の金の髪が陽を透かし、白金のように輝いていた。


「指輪は見つかる。

 ちゃんと、心から探してみて」


 彼は、彼女に手を差し出す。


「僕が君の手を握るのは、これが最後」


 震える指が、その手に重なる。

 アウレリウスは瞳を伏せ、両手でそっと包み込んだ。


「どうか、君のもとに

 大切な指輪が戻りますように」


 優しい声だった。

 風が吹く。

 二人の髪が、同時に揺れた。


 アウレリウスが目を開けると、エリザの瞳から、涙が静かにこぼれ落ちていた。


 彼はそれを拭おうとして――やめる。


 代わりに、ポケットから白いハンカチを取り出し、彼女の手にそっと握らせた。


 雲は流れ、

 湖の水が、――ちゃぷん、と小さく音を立てた。



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