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グレイブハル城の観測者  作者: かも ねぎ
正編 第二章『境界に触れる』
13/62

2-5 濡れて重くなるもの


 白い鳩が羽ばたいた。


 その音に驚いて、エリザは思わず足を止める。


 王立自然公園。

 噴水池へ続く石畳、その木漏れ日の道で、エリザは空を見上げた。


 王都オルドンの空は、いつものように灰色で、霧に包まれている。

 グレイブハル城から見るような澄んだ青空は、ここでは滅多に姿を見せない。


 ゆっくりと視線を戻すと、黒いフロックコートが目に入った。

 エリザの婚約者――ノア。


 彼は数歩先を歩いていたが、足を止めたエリザに気づくと、静かに戻り、何も言わず隣に並ぶ。


「驚いてしまったわ」


 ノアは微笑み、一度だけ頷いた。


 そしてまた、ゆったりと歩き出す。

 並んで歩く。

 その距離は、いつもと変わらない。


 エリザは自分の手元を見下ろした。

 何もない指先を、そっと握りしめてから、ゆっくりと力を抜く。


「噴水を……見るの?」


 問いかけると、ノアがちらりとこちらを見る。 


 きちんと撫でつけられた黒髪。

 ボウラーハット。

 黒のフロックコートに、ぶどう色のウエストコートとクラヴァット。

 品の良い、きちんとした“貴族の青年”。


「流れる水を見るのが、貴女は好きでしょう?」


 言葉少なに、ノアは微笑んだ。


 エリザは思わず顔を上げ、すぐに視線を逸らす。

 彼の横顔は、いつもと変わらず穏やかだった。

 それなのに、胸の奥が、わずかにざわつく。


 芝を駆ける子どもたちの声が、風に乗って届く。

 揺れる木々を見て、エリザはふと、金色の髪を思い出していた。


 彼女は小さく首を振り、前を向く。


 甘い水の匂い。

 自然公園の噴水。

 ノアと、これまでにも何度も並んで見た景色。


 揺れる水面に光が弾かれ、弧を描いて落ちる水の合間に、小さな虹が生まれている。


 二人は言葉を交わさず、ただ水音に耳を澄ませていた。


 遠くで、鐘の音が鳴る。


「カフェに移動しよう」

「……はい」 


 ノアが踵を返して数歩歩き、立ち止まる。

 エリザが隣に並んだのを確かめてから、また歩き出した。


―――


「指輪を、なくしてしまったの……ごめんなさい」


 カフェで、エリザはカップをテーブルに置き、そう切り出した。


 ノアがわずかに眉を上げる。


「……指輪?」


 窓際の席。

 淡い光が二人を包んでいる。


 食器の触れ合う音。

 控えめな話し声。


 絶え間ないざわめきが、エリザのカップに小さな波紋を作っていた。


「幼い頃に、あなたがくれたでしょう?」


 ノアは一瞬目を瞬かせてから、穏やかに笑った。


「あぁ……おもちゃの指輪だね。まだ持っていてくれたんだ」

「ごめんなさい」 


 切れ長の黒い瞳が、優しく細められる。


「気にしなくていい。

 むしろ、今度はちゃんとしたものを贈らせて欲しい」


 エリザが顔を上げると、ノアは小さく頷いた。


「本当に、気にしなくていいよ。

 ――それより、グレイブハル城に見学に行くって、手紙に書いてくれていただろう?

 どうだった?」


「……素敵だったわ。どこか、不思議で……」


 晴れているはずなのに、雨音が耳をかすめる。


 胸が、きゅっと締め付けられる。


 ――私、どうしてしまったのかしら。


 音が遠のいていく。


 何か大切なものを、水の中に落としてしまったような感覚。


 それはゆっくりと沈み、濡れて、重みを増していく。



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