2-4 雨の日の城
雨が降っている。
グレイブハル城の石壁に雨粒が当たり、ぽつぽつと音を立てていた。
音を生まないこの城も、雨の日だけは、少しだけ賑やかになる。
アウレリウスは受付室の机に肘をつき、小窓の外を眺めていた。
背後では、セティがいつものようにソファに座り、本を読んでいる。
「雨の音、僕は好きだな」
灰色の空から落ちてくる鈍い匂いの雨粒が、石畳に弾かれ、白い靄を生んでいく。
時折、小窓の縁に当たった雫が跳ね、アウレリウスの頬をかすめた。
絶え間ない雨音と霧は、世界と自分の境界を曖昧にする。
セティからの返事はなかったが、アウレリウスは気にしなかった。
やがて、遠くから雨を切り裂くように走る馬車の影が見える。
「珍しいな。雨の日にお客さんなんて」
馬車が馬車置き場に姿を消し、ほどなくして、侍女に傘を差しかけられたエリザが小窓の前に現れた。
「こんにちは」
声をかけると、エリザは頬を染め、控えめに微笑んだ。
「こんにちは、アウレリウスさん」
彼女が先に玄関ホールへ入ると、侍女が小窓を覗き込む。
「お嬢様お一人です。案内も、お願いいたします」
侍女は銀貨を数え、十六枚に、ためらいなく二枚を添えて、そっとアウレリウスの手に乗せた。
「……よろしくお願いいたします」
そう言って一礼すると、彼女は踵を返し、馬車へ戻っていった。
アウレリウスは銀貨を丁寧に数えて金庫へ収めると、立ち上がり、セティのそばにしゃがみ込む。
本を持つセティの手を、きゅっと握った。
それだけして、立ち上がる。
「セティ、案内に行ってくるね」
「……はい」
セティは本から目を上げなかった。
回廊、大ホール、正餐室、ライブラリー、主人の部屋。
静かな順路をゆっくりと辿り、最後に夫人の部屋へ辿り着く。
「雨だから、湖は見えないけど……どうしようかな」
アウレリウスは繋いでいた手をふいに離し、バルコニーへの扉を開けた。
開け放した扉のそばにもたれかかり、エリザを振り返る。
湖から立ち上る霧に、世界は白く滲んでいた。
先日見えた王都の輪郭も、今日はどこにもない。
雨音が石に当たり、低く、一定の音を刻んでいた。
ここだけが世界から切り離されたような、心細さが胸に広がる。
「……幻想的ですわ」
エリザの言葉に、アウレリウスは小さく笑った。
「僕もそう思う。
この城は、いつも静かだけど……雨の日だけ、少しお話してくれる気がするんだ」
エリザの視線が、敷居に溜まった水滴に落ちる。
彼のブーツの先も、わずかに濡れていた。
視線を上げると、金の髪が雨を含み、ほんの少し色を深めている。
――濡れてしまっているわ。
エリザは、ためらいながら手を伸ばし、垂れたままの彼の指先にそっと触れた。
気づいたアウレリウスは視線を落とし、その手をやさしく包み込む。
「手が冷たいね」
一歩、エリザは近づく。
「ここは……不思議な城だから、“超能力者がいる”なんて噂もあるんですの」
アウレリウスはきょとんと目を瞬かせ、それから笑った。
「超能力者? 僕とセティのこと?」
「さぁ……。誰も、本気にはしていませんけれど」
「ふふ。おもしろいね」
「だけど、もし、そんな不思議なことがあるなら、相談してみたいですわ」
そして、彼は楽しそうに続ける。
「お話なら、僕でも聞けるよ?」
エリザは視線を下げ、もう一度、彼を見る。
「指輪を、なくしてしまったんです。
幼い頃、婚約者からもらった……おもちゃの指輪ですけれど」
握られた手は冷たいのに、胸の奥だけが熱い。
鼓動は、雨音にも紛れない。
「見つかるよ。大丈夫」
雨粒だけが、彼の髪に触れ、頬を濡らす。
「一枚ずつ、エリザの記憶をめくってみて。
本のページをめくるみたいに。
焦らなくていいんだ」
澄んだ青の瞳に、自分が映っている。
それが、どうしてか、とても不思議だった。
エリザは、空いた方の手を伸ばしかけて――やめる。
「……はい。探してみますわ」
雨音だけが、静かに、心に触れていた。
「うん」
やさしく微笑むその姿は、目の前にいるのに、
ひどく遠くにあるもののように感じられた。




