2-2 夢のような手
彼女は侍女を伴って城に見学に訪れた。
伯爵家の令嬢、エリザ。
ふわりとした栗色の髪は丁寧に結われ、指先まで磨き上げられている。
そんな彼女でさえ、受付室から出てきた青年の姿に、思わず目を見開いた。
「……美しい方……」
思わずこぼれた言葉に、アウレリウスはにっこりと笑った。
「ありがとう」
そして、ごく自然に手を差し出す。
エリザが戸惑いながらもその手に自分の指先を乗せると、彼はきゅっと握った。
エリザの肩が、びくりと揺れる。
幼い頃からの婚約者はいる。
だが、その手はいつも、そっと添えられるだけだった。
握られることはない。
顔を上げると、穏やかに微笑むアウレリウスと視線が合う。
ステンドグラスから差し込む、複雑で柔らかな光が二人を包み込んでいた。
エリザの頬が、ゆっくりと熱を帯びていく。
「行こっか」
「……はい」
手を引かれ、歩き出す。
足取りは軽く、夢の中を進んでいるようだった。
侍女は音も立てず、一定の距離を保ったまま後をついてくる。
三人は回廊へと足を踏み入れた。
装飾のない長い回廊。
規則正しく並ぶのは、光と影だけ。
歩いているうちに、自分自身が展示物になったような錯覚を覚える。
高窓を見上げると、光を受けた金の髪がふわりと揺れた。
アウレリウスが振り返り、微笑んでいる。
「昔は、花や陶器、代々の当主の肖像画も飾ってあったんだ。
でもね、どれも古くなってしまって……。
ここは日当たりがいいから、しまっちゃった」
「そう……なのですね」
「僕はアウレリウス。君の名前は?」
「……エリザと申します」
彼はやさしく目を細め、エリザの後ろにも視線を向けた。
「侍女さんは?」
侍女は答えず、静かに頭を下げるだけだった。
アウレリウスは小さく息を吐き、再びエリザへと向き直る。
「エリザは、貴族のお姫様なのかな。
指先まで、とてもきれいだね」
そっと、指先に触れられる。
なぞるようなその感触に、エリザの視線は自然と自分の手へ落ちた。
「家は……伯爵家です」
「そっか。大切にされているんだね」
顔を上げる。
彼は、高窓を静かに見つめていた。
「もうすぐ、いい時間だ」
そう呟き、歩き出す。
ゆるやかな石の階段を、二人は上る。
ふいに、誰かに呼ばれたような気がして、エリザは足を止めた。
手が離れる。
振り返っても、侍女がいるだけ。
他には、誰もいない。
窓から差し込む光が、細いリボンのように宙を漂っていた。
音はない。
気配もない。
首を傾げ、再び前を見ると、アウレリウスは静かに待っていた。
「おいで。
夫人の部屋は、夕陽がとても綺麗なんだ」
今度は迷わず、その手を取る。
握られ、導かれる。
静かで、音のない城。
高鳴る鼓動だけが、耳の奥で響いていた。
夫人の部屋は、落ち着いた色調の植物文様の壁紙に包まれていた。
小さな書き物机、化粧台。
裁縫箱、聖書、香水瓶。
すべてが剥き出しのまま、そこにある。
けれど、触れてはいけないと、どうしてか分かる。
エリザは無意識に、アウレリウスの手を強く握り返した。
確かな温もりがある。
それでも、どうしようもない心細さが胸に残り、手を離すのが怖かった。
彼に導かれ、バルコニーへ出た。
湖は金色に染まり、遠くに王都の影が滲んでいる。
水の揺れる音と匂いを含んだ風が、頬を撫でた。
アウレリウスは柵に手をつき、振り返る。
「きれいでしょ。
この城の、自慢なんだ」
屈託のない、無垢な笑顔。
夕陽を透かす金の髪。
澄んだアクアブルーの瞳。
見つめられ、エリザは息を忘れた。
この日、彼女の心は――
静かに、けれど確かに、彼へと堕ちていった。




