間を置かずに
記念祭まで、あと五十日。日付の線は、書き足すたびに右へ寄っていく。
封鎖前の世帯台帳は、正規の請求で届いた。ドルン女史が「避難完了記録の整合性の確認」という一行を申請書に足してくれた。それがあれば、これは私の家の話ではなく、館の仕事になる。
台帳は、平時の記録だった。配給と徴税のために、何年かごとに作られる。世帯主だけでなく、同じ屋根の下にいる者は全員、名前で、名前がなければ人数で載っている。赤斑病の前の、静区がまだ普通の一地区だったころのものだ。非公開区画に綴じられている対応表とは、棚も扱いも別だった。
私は、静区に属する世帯を、台帳の中から拾い出した。三十二世帯。給水申請に書かれていた数と、同じだった。
住人を数えると、二百六人。
ただし、それは台帳が作られた日の人数だ。そこから封鎖までのあいだの、転出入や、病や年での死、実際に避難できた人を、まだ反映していない。二百六人は、人数の変動を照らす前の数字にすぎない。私は紙に、そう但し書きを添えて書いた。
次に、対照表の列を決めた。
元の世帯。元の名。避難先とされた地区。後年の生存記録。確認の根拠。
この五つがあれば、私がいなくなっても、次の人が一行ずつ確かめ直せる。ドルン女史に見せると、列の順を一つ入れ替えて、返してきた。
「これでいい。根拠の欄を、空のまま埋めた気にならないこと」
それから、彼女は原本の出し方の決まりを教えた。後年の人頭記録は、地区ごと、年ごとに冊子が分かれている。一度に机へ出せる原本は三冊まで。頼む年を間違えれば、返却と再請求で半刻は潰れる。これは非公開資料だからではない。多数の原本を一度に出さないための、台帳共通の決まりだった。
「全部を一度に広げられると思わないこと」ドルン女史は言った。「急ぐなら、読む順番を先に決めなさい」
二百六人を、机に三冊ずつ。入れ替えながら追うしかなかった。私は、どの年から読むかを決めて、請求票を書いた。
最初の一件は、テオ・ハルダーの世帯にした。避難完了の翌日に、封鎖区から水を求めた井戸番だ。
台帳には、テオ・ハルダー。妻のマレン。子が二人、名前つき。それから、「助手一名」とだけあった。井戸の世話をする若い者がいたらしい。名前は、書かれていない。
避難者名簿を繰った。テオも、マレンも、子どもたちも、南のはずれの区へ「避難済み」として書き込まれていた。四人ぶん、同じ日付で。先祖の対応表にも、その一行があった。ハルダーの世帯、南のはずれへ。
その区の、翌年の人頭記録を引いた。ハルダーの名はない。マレンもない。子どもたちもない。納税の記録にも、教区の記録にも、出てこない。
避難したことにされて、そのあとどこにも現れない。名前を追う線が、四人とも、翌年で途切れていた。
助手だけ、埋められなかった。台帳には、名前も年齢もない。避難者名簿には、ハルダー家の四人しか続けて記されていなかった。名前がなければ、別の記録で追うこともできない。
今の資料では、候補を一人に絞れない。私は「未照合」と書いた。
途切れた線の数を数えているうちに、私は、別のものを数えている気がしてきた。何を、とは言えなかった。
アーベルは、そのあいだ、自分にできることをやっていた。重い帳簿を運び、私が古い地名で迷うと今の街路に置き直し、台の上の資料から目を離さなかった。
ただ、眠れていないようだった。
「次は、十二頁をお願いします」
返事がなかった。
アーベルの指が、机の縁を二度、叩いていた。
「レント様」
「……すみません。十二頁ですね」
彼は頁をめくった。手つきは、いつもどおりだった。ただ、私の声が届くまでに、一拍、余分にかかった。
調べたことの重さだろう、と私は思った。実家から届いた、あの命令書を、私と同じに読んだ人だ。眠れないのは、無理もない。
その後も、同じ拍子を何度か聞いた。
とん、とん。二つ続けて、ひと呼吸。また、とん、とん。
机の縁だったり、閉じた台帳の表紙だったりした。アーベルは、打っていることに気づいていないようだった。私が見ると、しばらくして止まる。何も言わない。
人は、手持ち無沙汰に何かを叩く。最初はそう思った。二度目も、そう思おうとした。
三度目に、私は、間の取り方を数え始めていた。
原本を返し、その日の照合結果を普通紙の対照表へ書き移してからも、アーベルは残っていた。
閲覧室は静かだった。ドルン女史はもう帰り、灯りは私たちの台の一つだけだった。
とん、とん。ひと呼吸。とん、とん。
机の向こうで、アーベルの指が動いていた。
夢と同じ拍子だった。
壁と机では、音は違う。それでも、二つ続けて、ひと呼吸だけ空いて、また二つ。王都へ来る前から、眠りのなかで数えてきた拍子だ。目が覚めるたびに、指でその数を追っている。今、机の向こうで、起きているアーベルが、それを打っていた。知らずに。
「レント様」私は言った。
彼が顔を上げた。
「その拍子を、どこで知ったんですか」
彼の指が、止まった。




