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私の明日を、知らないあなたへ  作者: ぽんちょ。


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9/29

間を置かずに

記念祭まで、あと五十日。日付の線は、書き足すたびに右へ寄っていく。


 封鎖前の世帯台帳は、正規の請求で届いた。ドルン女史が「避難完了記録の整合性の確認」という一行を申請書に足してくれた。それがあれば、これは私の家の話ではなく、館の仕事になる。


 台帳は、平時の記録だった。配給と徴税のために、何年かごとに作られる。世帯主だけでなく、同じ屋根の下にいる者は全員、名前で、名前がなければ人数で載っている。赤斑病の前の、静区がまだ普通の一地区だったころのものだ。非公開区画に綴じられている対応表とは、棚も扱いも別だった。


 私は、静区に属する世帯を、台帳の中から拾い出した。三十二世帯。給水申請に書かれていた数と、同じだった。


 住人を数えると、二百六人。


 ただし、それは台帳が作られた日の人数だ。そこから封鎖までのあいだの、転出入や、病や年での死、実際に避難できた人を、まだ反映していない。二百六人は、人数の変動を照らす前の数字にすぎない。私は紙に、そう但し書きを添えて書いた。


 次に、対照表の列を決めた。


 元の世帯。元の名。避難先とされた地区。後年の生存記録。確認の根拠。


 この五つがあれば、私がいなくなっても、次の人が一行ずつ確かめ直せる。ドルン女史に見せると、列の順を一つ入れ替えて、返してきた。


「これでいい。根拠の欄を、空のまま埋めた気にならないこと」


 それから、彼女は原本の出し方の決まりを教えた。後年の人頭記録は、地区ごと、年ごとに冊子が分かれている。一度に机へ出せる原本は三冊まで。頼む年を間違えれば、返却と再請求で半刻は潰れる。これは非公開資料だからではない。多数の原本を一度に出さないための、台帳共通の決まりだった。


「全部を一度に広げられると思わないこと」ドルン女史は言った。「急ぐなら、読む順番を先に決めなさい」


 二百六人を、机に三冊ずつ。入れ替えながら追うしかなかった。私は、どの年から読むかを決めて、請求票を書いた。


 最初の一件は、テオ・ハルダーの世帯にした。避難完了の翌日に、封鎖区から水を求めた井戸番だ。


 台帳には、テオ・ハルダー。妻のマレン。子が二人、名前つき。それから、「助手一名」とだけあった。井戸の世話をする若い者がいたらしい。名前は、書かれていない。


 避難者名簿を繰った。テオも、マレンも、子どもたちも、南のはずれの区へ「避難済み」として書き込まれていた。四人ぶん、同じ日付で。先祖の対応表にも、その一行があった。ハルダーの世帯、南のはずれへ。


 その区の、翌年の人頭記録を引いた。ハルダーの名はない。マレンもない。子どもたちもない。納税の記録にも、教区の記録にも、出てこない。


 避難したことにされて、そのあとどこにも現れない。名前を追う線が、四人とも、翌年で途切れていた。


 助手だけ、埋められなかった。台帳には、名前も年齢もない。避難者名簿には、ハルダー家の四人しか続けて記されていなかった。名前がなければ、別の記録で追うこともできない。


 今の資料では、候補を一人に絞れない。私は「未照合」と書いた。


 途切れた線の数を数えているうちに、私は、別のものを数えている気がしてきた。何を、とは言えなかった。


 アーベルは、そのあいだ、自分にできることをやっていた。重い帳簿を運び、私が古い地名で迷うと今の街路に置き直し、台の上の資料から目を離さなかった。


 ただ、眠れていないようだった。


「次は、十二頁をお願いします」


 返事がなかった。


 アーベルの指が、机の縁を二度、叩いていた。


「レント様」


「……すみません。十二頁ですね」


 彼は頁をめくった。手つきは、いつもどおりだった。ただ、私の声が届くまでに、一拍、余分にかかった。


 調べたことの重さだろう、と私は思った。実家から届いた、あの命令書を、私と同じに読んだ人だ。眠れないのは、無理もない。


 その後も、同じ拍子を何度か聞いた。


 とん、とん。二つ続けて、ひと呼吸。また、とん、とん。


 机の縁だったり、閉じた台帳の表紙だったりした。アーベルは、打っていることに気づいていないようだった。私が見ると、しばらくして止まる。何も言わない。


 人は、手持ち無沙汰に何かを叩く。最初はそう思った。二度目も、そう思おうとした。


 三度目に、私は、間の取り方を数え始めていた。


 原本を返し、その日の照合結果を普通紙の対照表へ書き移してからも、アーベルは残っていた。


 閲覧室は静かだった。ドルン女史はもう帰り、灯りは私たちの台の一つだけだった。


 とん、とん。ひと呼吸。とん、とん。


 机の向こうで、アーベルの指が動いていた。


 夢と同じ拍子だった。


 壁と机では、音は違う。それでも、二つ続けて、ひと呼吸だけ空いて、また二つ。王都へ来る前から、眠りのなかで数えてきた拍子だ。目が覚めるたびに、指でその数を追っている。今、机の向こうで、起きているアーベルが、それを打っていた。知らずに。


「レント様」私は言った。


 彼が顔を上げた。


「その拍子を、どこで知ったんですか」


 彼の指が、止まった。

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