避難完了の翌日
次の日の終業後、彼は約束どおり閲覧室に来た。手に、折りたたんだ紙が一枚あった。
「調べて、助けにならなかったことです」彼は紙を置いた。
箇条書きだった。私は端から読んだ。
――薬師に診せた。体には、悪いところが見つからない。
――治癒師の祈祷と施術。変化なし。
――王都から離れる。遠い土地へ移る。
「これは、実際に試したんですか。それとも、試さなくてもわかる、ですか」
「実際に試した結果です」
「誰が治療を受けたんですか」
彼は、そこで口を閉じた。
「……そこは、まだ話せません」
「わかりました」私は紙の余白に「出所・保留」と書いた。「では、こう受け取ります。あなたが試した方法では、解決しなかった。そこまでは。ほかの方法も無駄かどうかは、別の話です」
彼は少しのあいだ、私を見た。それから、うなずいた。
「終わっていない線は」私は訊いた。
「静区で、九十年前に何が起きたか」彼は言った。「公式の記録では、避難はきれいに終わっています。私は、そうは思っていません。封鎖前の街路を知りたかったのも、非公開区画に入りたいのも、そのためです」
「そこは、私も歩いています。別の理由で」私は言った。「同じところを二度調べたくありません。あなたが確かめた範囲と、そこで何が出たかを、教えてください」
彼は一つずつ挙げた。旧市街図は、封鎖前の街区の形まで。道路と水路の修繕簿は、旧い地区名で引ける分だと、五十年前の区割り改めのところで記録が途切れていること。公開の避難者数の集計は、区ごとの合計はあるが、封鎖区にあたる地区の避難元名簿と、移送先との対応表は非公開に回されていること。
私は聞きながら、自分の手控えから、重なる範囲を消した。残ったもののほうが、多かった。彼がまだ読んでいない年代。まだ突き合わせていない帳簿。
かわりに、私は自分の紙を出した。実家から持ってきた控えの束、旅程、体調の覚え書き。
控えは、冬のあいだに私が写したものだった。虫食いの原本は持ち出せない。写しながら、退屈な書類だと思っていた。役の任免、台帳の訂正指示、物の受け渡し。祖父の代より前の、どんな人だったかも知らない先祖の仕事の記録。
「夢が始まった正確な日は、出せません」私は言った。「はっきり見たと言えるのは、王都へ発つ十日ほど前から。それより前も、見ていた気はします。でも『気がする』は、日付になりません」
「確かな日と、記憶頼みの日を、分けて書いてください」
私は分けた。左に、旅程や手紙で裏の取れる日。右に、記憶だけの日。右のほうが、ずっと多かった。
控えには、私にしか読めない箇所があった。写すときに、決まった言い回しを略記にしてある。
「先祖の書類は、頭に用件、次に地区、最後に処理、と並ぶ形式でした」私は説明した。「だからこの『糧・東・了』は、戻すと『糧食の件、東区、処理済み』です」
「戻せるのは、あなただけだ」
「様式を知っていれば、誰でも。知っている人が、たまたま今ここにいるだけです」
彼は略記の一覧を書き取った。
いつ写したかを思い出そうと、控えを一枚ずつめくった。冬のどの頃だったか。書き込みや紙の質の違いを頼りにしているうちに、ある一枚の、本文の日付が目に留まった。
私が写した日ではない。九十年前、その紙に書かれた日付だ。
「『封鎖区内よりの給水申請、却下』」私は略記を戻して読み上げた。「先祖の職務記録です」
王都の公式の記録では、赤斑病の避難は、ある日に「完了」と告示されている。記念祭が祝っている、その日だ。
先祖の記録に「却下」とあるその日付は、告示の翌日だった。先祖が決めたのか、決まったことを書き写しただけなのかは、この一枚からはわからない。
彼は動かなかった。私が読み上げても、日付を言っても。
「決めつけないでください」私は先に言った。自分に言ったのかもしれない。「日付の書き損じかもしれない。『封鎖区』が別の地区の古い呼び名かもしれない。申請が遅れて回ってきて、処理はずっと後日、ということも役所ならあります」
「調べ方は」
「控えの元の原本を、いつか確かめます。今は家の櫃の中なので、すぐには無理です」私は紙の端をそろえた。「あなたのほうは、公開されている給水の記録と照らせますか。井戸の管理簿、水路の修繕簿。壁の内側へ、いつまで水が入っていたか」
「照らせる。明日、目録を引く」
その晩、宿の部屋で、私は長いこと眠れなかった。
避難は完了した、と公式の記録は言う。それなら、その翌日に「却下」と書かれたこの給水申請は、誰が、どこから出したものなのだろう。




