十二の空欄
正式な指定を受けた翌朝も、机も、賃金も、何も変わらなかった。変わったのは、請求票の担当者欄に「本件照合担当」と書けるようになったことだけだった。
ドルン女史は、館員を二人、作業の一部へ回した。世帯台帳からの抜き出しと、後年記録の突き合わせを分担させる、という割り振りだった。
私は、これまでどおり一人で続けようとした。人手が増えれば、確かめ方が揃わなくなる、と思っていた。
「担当者というのは」ドルン女史は言った。「全部を一人でやる人ではないわ。誰がどこを確かめたか、最後まで追えるようにする人よ」
言われて、統一した照合票を作り直した。元の世帯。記載された名前。名前なしで数だけ載る者。避難先とされた地区。後年記録。照合者。照合結果。根拠資料。同じ書式なら、誰が調べても、あとから追える。二人には、判断がつかない箇所は埋めず、根拠とともに戻すよう伝えた。
初日の午後、館員の一人が、照合者の欄を空けたまま持ってきた。「後年記録に、それらしい名がありましたが、綴りが一文字違います」。私が代わりに判断することもできたが、そうしなかった。「照合者の欄は、あなたの名で。判断は保留。照合結果の欄に、その一文字の違いを書いてください。根拠資料の欄には、確認した記録の番号を」。空欄のまま渡されるより、誰の判断で止まっているかがわかるほうが、あとで追いやすい。
四日かけて、三十二世帯の全記載を、あらためて抜き出した。二人が確かめた分と、私が確かめた分を、同じ照合票の上で突き合わせる。
名前が記録されている者、百九十四人。人数だけ記録されている者、十二人。
合計は、二百六人。世帯台帳から最初に出した数と、変わらない。ただ、あのときは一つの数として見ていたものが、今は、百九十四と十二に分かれていた。
助手一名。奉公人一名。引取児二名。住み込みの職人一名。ほかにも数人、身分は書かれていても、名は載っていなかった。世帯ごとに散らばっていて、これまでは目立たなかった。一世帯につき一人か二人だから、個別に見ているうちは気づかない。並べて、初めて見える数だった。
助手一名は、テオ・ハルダーの世帯にいた者だった。名も年齢も追えず、「未照合」で止めたままの一行が、今日、十二人のうちの一人として、あらためて並んだ。止めていた場所が、単発の行き止まりではなく、同じ形の行き止まりの一つだったとわかった。
一人ずつなら、当時の記載のしかたで済ませていたかもしれない。十二人を並べたことで、同じ理由で名前を追えない者たちがいるとわかった。別の資料を使って、一人ずつ拾い直す必要があった。
「十二人は、静区にいた人数には含まれています」私は言った。「ただ、名前がないので、避難後の記録へ、線をつなげられません」
死んだ、とは書かなかった。人数として数えられても、個人として追えない。今、言えるのは、そこまでだった。
昔の台帳では、テオの世帯は「四人、助手一名、合計五人」で済んでいた。総人数を数えるだけなら、それで足りた。一人ずつ後年へつなごうとして、初めて、その一人が浮かび上がった。数える枠と、記録される相手は、別のものだった。
私は、照合票の、記載された名前の欄に、「名前なし」と書きかけて、手を止めた。ドルン女史に見せると、彼女はその字を指で示した。
「名前がない、ではなく」ドルン女史は言った。「この台帳には名前がない、と書きなさい。別の資料に残っている可能性を、閉じないために」
書き直した。この台帳には、名前の記載がない。
十二行、空欄を作った。それぞれに、「氏名未確認、人数のみ確認済み」と書いた。次に見るべき資料も、種類ごとに決めた。奉公人と助手は、雇用届と組合の登録。引取児は、教区の洗礼簿と扶養記録。住み込みの者は、配給受領簿と、寝具や冬季燃料の割当簿。どれも、請求先を決めただけで、まだ何も読んでいない。
十二人が、そのまま十二人の犠牲者だとは、まだ言えなかった。避難先で名を変えて登録された可能性も、単に記録が抜けているだけの可能性も、残っている。ただ、空欄が十二あるという事実だけは、もう動かなかった。
重い台帳を返しに行く途中、アーベルの足が止まった。
「寒い」彼は、少し遅れて言った。「遠くで、二つずつ鳴っています」
夢の中でではない。起きたまま、そう言った。廊下に、そんな音はしていなかった。
「以前の私も、そう言ったんですね」
「俺がそばにいた周では」
断定はしなかった。推測の欄に、一行足した。アーベルの寒気と拍子は、過去周でリーゼに現れた前触れと、一致する可能性が高い。それが何を意味するのかは、まだ書かなかった。
彼は、症状記録に自分で書き足した。強。覚醒中。遠くで二拍。継続時間、不明。
彼は、私に言われる前に、書いて渡した。渡す手つきに、迷いはなかった。
症状記録を取るため、台帳はいったん閲覧室へ戻した。
その日の終わり、中央神殿から回答が届いた。
立会申請を受理する。中央祭務官を一名、指名する。閲覧日時は、二日後。原本の持ち出しは不可。翻刻には当日交付する指定用紙を用い、使用枚数を記録する。閲覧者は、申請書に記載された三者のみ。
枚数まで記録される、というくだりを、私は二度読んだ。読めることと、好きなだけ書き写せることは、別のようだった。
三者。ヨナス。まだ会っていない祭務官。そして、私。
私は、反射的にアーベルを見た。
「三者に、俺は入っていません」彼は、それだけ言った。同行を、押し通そうとはしなかった。
二十二回、私を失ってきた人が、次の一歩には入れない。彼は、それ以上、何も言わなかった。
回答を読み終えたあと、返せずにいた台帳を持って、館内の書庫へ下りる石段へ向かった。石段を下りるとき、アーベルの足元が一度、揺れた。
「支えは要りますか」
「……今度は、お願いします」
私は、腕を貸した。台帳を持っているのは、私のほうだった。
台帳を返して閲覧室へ戻り、机の上に、二種類の紙を並べた。
閲覧許可には、入れる者の名が三人ぶん、書かれていた。日時と、場所と、持ち出しの禁止事項まで、すべて確定している紙だった。
対照表には、まだ入れられない名が、十二人ぶん残っていた。行だけがあって、埋まる日の見当はついていない紙だった。
同じ日に増えた紙が、こんなに違う形をしているとは、朝には思っていなかった。
記念祭まで、あと二十六日。




