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私の明日を、知らないあなたへ  作者: ぽんちょ。


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15/29

完了していません

照会を出してからの十日を、待つだけでは過ごさなかった。


 対照表は、まだ数世帯ぶんしか埋まっていない。一度に机へ出せる原本は三冊まで、という制限は変わらないままだ。急いでも、置ける冊数は増えない。その日に確定できるのは、多くて一世帯だった。三日目に、テオ・ハルダーの隣の世帯が一つ確定した。その世帯の者の名は、確認できた範囲の後年記録には、一度も出てこなかった。確認の根拠の欄に、そう書いた。喜ぶような数字ではなかった。


 アーベルは、自分の症状を、自分で記録するようになっていた。日付。寒気の強さ。夢に出た場所。拍子があったかどうか。私が用紙を渡すと、次の日には、私が書き足すより先に、彼の字で埋まっていることがあった。「弱・井戸のまわり・拍子なし」「強・道の分かれ目・二つずつ」。短く、余計な言葉のない書き方だった。


 以前の彼なら、これを見せずに済ませたかもしれない。今は、渡された紙を、私がそのまま三欄の控えへ挟むところまで、黙って見ている。


 夜、宿の前に彼がいないことを、私は毎晩確かめたわけではない。ただ、朝、眠そうな様子を見なかった。取り決めは、守られているようだった。


 症状は、少しずつ重くなっていた。寒気の続く時間が長くなった、と彼は書いていた。倒れるところまでは、まだいっていない。それでも、紙の余白が、日を追うごとに埋まっていくのを見るのは、心地のよいことではなかった。


 十日後の朝、アーベルは日付の欄を見て言った。


「今日が、回答期限ですね」


「はい」


 同じ期限を、二人とも数えていた。それだけのことに、少し安心した。


 その日の午後、回答が届いた。


 宛先は、私ではなかった。文書館長、とあった。館の名で出した照会には、館の名で返ってくる。当然のことのはずなのに、封を切る前から、少し息苦しかった。


 開封には、館長と、ドルン女史と、私が立ち会った。アーベルは、正式な照会の担当者ではない、という理由で、部屋には入れなかった。扉の外で待つ彼の姿を、私は開ける前に一度だけ見た。


 回答は、三段に分かれていた。


 一つ。静区封鎖時に、『防疫境界規定』に基づく聖別が実施された事実を確認した。


 二つ。記録の目録と、儀式の一般的な手順書は、閲覧を認める。


 三つ。静区で実際に行われた儀式の記録、および付属書は、閲覧を認めない。


 理由には、こう書かれていた。


 ――当該区域は弔籍(ちょうせき)未確定、終祭(しゅうさい)未了につき、個別祭儀記録の閲覧を認めない。


 三段とも、印と署名があった。急いで書かれたものにも、体裁を整えるためだけの文にも見えなかった。それが、かえって落ち着かなかった。決まりに沿って断られるほうが、恣意で断られるより、次の手がかりになる。


 弔籍。誰の弔籍か。終祭未了。何が終わっていないのか。


 言葉を、まず分けた。弔籍(ちょうじ)とは何か。誰が未確定なのか。終祭未了は、九十年前の儀式が、いまだに終わっていない、という意味なのか。それとも、別の何かなのか。


「神殿の用語までは、私にもわからないわ」ドルン女史は言った。「ただ、書き方は事務的よ。断るための飾りには見えない」


「閲覧は認められなかった」館長が言った。「実施の有無は確認できた。目録も手に入る。これで、照会は終わりだ」


「いいえ」私は言った。「認められた目録と手順書は請求します。そのうえで、不許可理由に使われた言葉も確かめます」


「それは、この照会の範囲を超えている」


「今回の照会には、含まれません」私は言った。「新しく、必要なところだけを申請します」


 館長は、何か言いかけて、やめた。反対はしなかった。ただ、賛成もしなかった。処理簿には、まだ何も書かれていない欄が残っていた。


「続けるなら」ドルン女史が言った。「所有者へ、借用延長を申し入れる必要があるわ。原本も、対照表も、まだ手放せないでしょう」


 実家宛の依頼状が、また一通、増えることになる。父の返事に、今度は何が書き足されているだろうか。それは、まだ考えないことにした。


 回答書の原本は、照会の処理簿へ綴じられた。ドルン女史の許可を得て、私は全文の写しを取り、写しであることと受付番号を末尾に記した。目録と手順書は、あらためて請求票を書いた。


 部屋を出ると、アーベルが待っていた。写しを見せた。


「以前は」彼は、しばらく読んでから言った。「理由を書かせるところまで、行けませんでした」


 それだけだった。だから無駄だ、とは言わなかった。閲覧を拒まれたことより、拒まれ方が前と違うことのほうに、彼は重きを置いているようだった。


「借用の延長がいります」私は言った。「実家に、また一通、頼むことになります」


「父上への添え状は、俺から書きましょうか」


「駄目です。借用を頼むのは文書館です。父への添え状は、私が書きます」


 彼は、それ以上は言わなかった。


「弔籍未確定」私は言った。「これを、ヨナスに見せに行きます」


「俺も、行っていいですか」


「いいです」


 予定を決められる前に、先に訊かれるのは、初めてのことだった気がした。


 教会で、ヨナスは写しを読んで、しばらく黙っていた。


「弔籍というのは」やがて彼は言った。「弔った死者を、名と、所属する家か教区へ、結びつける記録です。身元不明者が一人いるだけで、区画ごと未了になるわけではありません」


「区画単位で、未確定とされているなら」


「誰を弔ったのか、という土台そのものが、定まっていない、ということです」ヨナスは言った。「ただし、それが夢や死の原因だとは、まだ言えません」


 私は、それを書いた。断定と、そうでないものの境を、また一本引いた。


「教区簿に名前を書くのと、同じことですか」


「近いです」ヨナスは言った。「私が書くのは、あとから捜す人のため。神殿の弔籍は、弔う側のための記録です。どちらも、名がなければ、始まりません」


「その記録を、見る方法は」


「弔籍未確定のまま閉じられた個別祭儀記録は、中央の祭務官の監督のもとで、現在の担当教区の司祭と、公的機関の照合担当者が立ち会わなければ、動かせません」彼は言った。「三者がそろって、初めて開きます」


「文書館が私を照合担当者として指定すれば、公的機関の側は満たせます」私は言った。「今回の照会に欠けていたのは、担当教区の司祭です」


「静区は、封鎖後の境界変更で、いまの担当が形式上、私の教区になっています」ヨナスは言った。「私一人で自由に読めるわけではありませんが、立会申請なら、出せます。あとは、中央の祭務官です」


 ヨナスは、少しためらった。


「教区簿に、規則にない名前を書いてきたのは、私です」彼は言った。「名を残す必要を知っていながら、ここだけ知らないふりはできません」


 ヨナスは棚から、立会申請の用紙を出した。名と、教区名と、日付を書き、署名した。


「これは」ヨナスは、写しの一行を指で押さえた。「閲覧を拒んでいるだけの文言ではありません。九十年前の弔いが、記録の上では、まだ終わっていないということです」


 教会を出ると、日はまだ高かった。残りの日数を、短いとも長いとも思えなかった。ただ、対照表の名前を、一人ずつ結び直さなければならない理由だけは、前より重くなっていた。


 記念祭まで、あと三十四日。

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