第五章 被害者
視界が反転した。
世界が崩れる。
雨の匂い。
薬品臭。
女の泣き声。
無数の映像が、頭の中へ雪崩れ込んでくる。
俺はその場に膝をついた。
「っぁぁぁぁ……!!」
頭が裂けそうだった。
思い出す。
いや。
“戻されている”。
暗い部屋。
椅子に拘束された俺。
目の前にはモニター。
白衣姿のカナメ。
『人格誘導、開始』
ノイズ。
点滅する光。
女の悲鳴。
『お前は殺した』
『お前は快感を覚えた』
『お前は人間じゃない』
何度も。
何百回も。
耳に流し込まれる声。
眠れない部屋。
注射。
薬。
吐き気。
絶叫。
そして。
死。
「……は……」
呼吸が壊れる。
俺は思い出した。
連続殺人犯なんかじゃない。
俺は——実験体だ。
カナメが静かに拍手する。
「さすがだ、レン」
その笑顔に、殺意が湧いた。
「思い出す速度が早くなった」
「……お前……」
「八回目にしては優秀だ」
俺はユキを抱き締める。
彼女の身体は冷え始めていた。
「ユキ……」
ユキは弱々しく笑った。
「やっと……戻ってきた」
「喋るな」
「レン……聞いて」
血が止まらない。
だが彼女は、無理やり言葉を続けた。
「あなたは……最初、記者だったの」
記者。
その言葉で、新しい記憶が開く。
パソコン。
夜の編集部。
暴力団絡みの失踪事件。
そして。
“蘇生実験”。
「お前……記事を書こうとしてた」
カナメが肩をすくめる。
「余計なことを嗅ぎ回るからだ」
俺は思い出す。
失踪した女たち。
戸籍を消された人間。
地下施設。
違法な人体実験。
全部、
カナメに繋がっていた。
「お前は俺を拉致した……」
「正確には、“協力してもらった”」
「ふざけるな!!」
俺は立ち上がる。
怒りで視界が赤い。
カナメは楽しそうに笑った。
「最初のお前は、正義感が強かった」
ゆっくり歩み寄る。
「だから壊しがいがあった」
殺したい。
本気でそう思った。
その瞬間。
俺の頭に、別の感情が流れ込む。
快感。
首を絞める感触。
苦しむ顔。
温かい血。
俺は凍りつく。
カナメが笑う。
「感じただろ?」
「……っ」
「それ、六回目のお前の感情だ」
呼吸が乱れる。
「人間は面白い。
何度も壊すと、
痛みと快楽の境界が溶ける」
カナメの目は、本当に研究者の目だった。
「お前は最高傑作なんだよ、レン」
「黙れ……」
「死を繰り返しながら、
人格を書き換え、
殺人衝動を植え付けても、
核だけは残る」
カナメは俺の胸を指差した。
「お前は、毎回ユキを守ろうとした」
俺は息を呑む。
ユキを見る。
彼女は泣いていた。
「だから私は……何回でもあなたを探した」
胸が痛い。
どうしてだ。
どうして俺なんかを。
ユキは震える声で言った。
「八回目なら、変えられると思った」
カナメがため息をつく。
「感動的だな」
その瞬間。
俺の中で、何かが切れた。
気づけば身体が動いていた。
地面を蹴る。
一気に距離を詰める。
カナメの目がわずかに開く。
「ほう」
拳。
顔面へ。
カナメは避ける。
だが遅い。
俺はそのまま腹へ膝を叩き込んだ。
鈍い音。
カナメが初めて後退する。
俺自身が驚いた。
身体が勝手に戦っている。
どこを殴れば効くのか、
どう動けば殺せるのか、
分かってしまう。
カナメが笑う。
「やっぱり才能あるな」
「殺す」
低い声が出た。
自分の声じゃないみたいだった。
カナメは口元の血を拭う。
「それだ」
嬉しそうに言う。
「その顔が見たかった」
直後。
サイレン。
赤色灯が路地を染める。
警察。
カナメは舌打ちした。
「今日はここまでか」
「待て!!」
俺が踏み込む。
だが。
パンッ!!
閃光。
爆音。
視界が白煙に包まれる。
「っ……!」
煙幕。
視界が戻った時には、
カナメの姿は消えていた。
静寂。
遠くで警察の怒号が聞こえる。
俺は崩れるようにユキの元へ戻る。
「ユキ!!」
彼女は薄く笑った。
「……レン」
「死ぬな」
「今回のあなた……優しい顔してる」
「喋るな!!」
涙が出ていた。
自分でも驚くほど。
ユキは俺の頬に触れる。
「今度こそ……終わらせて」
その手が、ゆっくり落ちた。
「ユキ?」
返事はない。
雨が降り始める。
俺は動けなかった。
パトカーの赤色灯が、
まるで血みたいに路地を染めていた。
その時。
背後で、誰かが言った。
「その女、本当に死んでると思うか?」
俺は振り返る。
そこに立っていた人物を見て、
全身の血が凍った。
俺だった。




