第四章 殺した記憶
男を見た瞬間、胃の奥が捻じれた。
知っている。
絶対に。
だが名前が出てこない。
黒いコートの男は、静かに銃を下ろした。
「安心しろ」
低い声。
「今日は殺しに来たわけじゃない」
「……誰だ、お前」
男は少し困ったように笑った。
「毎回それを聞くな」
毎回。
その言葉に、ユキの肩が震えた。
彼女は傷口を押さえながら、俺の腕を掴む。
「逃げて……」
「でも」
「早く!!」
直後。
パンッ!!
再び銃声。
弾丸がコンテナを穿つ。
火花。
俺は反射的に身を伏せた。
男はため息をつく。
「お前、昔はもっと勘が良かったぞ」
その声音は、敵というより教師みたいだった。
「レン」
男がゆっくり近づいてくる。
「お前は、もう六人殺してる」
「……」
「七人目も、もうすぐだ」
「違う……」
だが否定に力が入らない。
頭の奥で、
何かが軋んでいる。
赤い部屋。
濡れた床。
泣き声。
ナイフ。
『やめ——』
「っぁ……!」
激痛。
俺は頭を抱えた。
映像が一瞬だけ鮮明になる。
俺の手。
血まみれの刃物。
床に倒れる女。
そして。
笑っている俺。
「……うそだろ」
呼吸が乱れる。
男は静かに俺を見ていた。
「思い出したか?」
「違う……違う……!」
俺は後ずさる。
だが記憶は止まらない。
女の首。
白い肌。
赤。
俺の声。
『綺麗だ』
「やめろ……!」
頭がおかしくなりそうだった。
ユキが叫ぶ。
「レン!! 騙されないで!!」
男は薄く笑う。
「騙してるのはどっちだ?」
その瞬間。
俺の脳裏に、別の映像が流れ込んだ。
暗い部屋。
椅子に縛られた俺。
目の前には、この男。
男は笑いながら言う。
『人は、何回壊せば別人になると思う?』
ゾッとした。
俺は息を呑む。
男の顔を見た瞬間、
名前が浮かぶ。
「……カナメ」
男が目を細める。
「正解」
思い出した。
全部じゃない。
でも。
こいつは危険だ。
本能が警告している。
カナメは昔から、壊れていた。
「お前……何をした」
「実験だよ」
平然と言う。
「人間は、死を繰り返すとどうなるのか」
「……は?」
「記憶は摩耗するのか。
人格は変質するのか。
罪悪感は消えるのか」
狂ってる。
ユキが苦しそうに言った。
「レン……こいつの話、聞いちゃ駄目」
「ユキ」
「カナメは、人間を玩具みたいに——」
パンッ!!
ユキのすぐ横を弾丸が掠めた。
カナメの顔から笑みが消える。
「余計なことを喋るな」
空気が凍った。
こいつ、
本当に撃つ。
いや。
もう何人も撃ってきた目だ。
カナメは俺を見つめる。
「レン、お前は特別なんだ」
「……」
「普通の人間は、一回死ねば壊れる」
街灯の光が、男の横顔を照らす。
「でもお前は戻ってくる」
背筋が寒い。
「しかも毎回、“殺人鬼”に近づいていく」
「違う……」
「最初のお前は優しかった」
カナメは懐かしそうに笑った。
「泣いてる女を放っておけないような男だった」
俺の胸がざわつく。
「でも死ぬたびに変わった」
「やめろ……」
「恐怖が削れ、
倫理が摩耗し、
人間じゃなくなっていった」
やめろ。
「六回目のお前は、最高だった」
「黙れ!!」
俺は叫んだ。
その瞬間。
頭の奥で、何かが繋がる。
白い部屋。
血。
女。
笑う俺。
そして。
俺は確かに、
女の首を締めていた。
「……ぁ」
膝が崩れる。
本当に、
俺が殺したのか。
ユキが涙声で叫ぶ。
「違う!!」
俺は顔を上げる。
ユキは震えながら首を振った。
「それ、植え付けられた記憶だから!!」
カナメの目が細くなる。
「まだ気づかせてなかったのか」
ユキは叫ぶ。
「レンは誰も殺してない!!」
沈黙。
俺の思考が止まる。
「……え」
ユキは涙を流しながら言った。
「あなたは、ずっと——」
次の言葉が出る前に。
パンッ!!
銃声。
ユキの身体が大きく揺れた。
胸から赤が広がる。
「ユキ!!」
彼女は俺の腕の中へ倒れ込む。
温かい血。
カナメは静かに銃を下ろした。
「思い出されると困る」
ユキは震える指で、俺の服を掴む。
「レン……逃げて……」
「喋るな!」
「あなたは……」
彼女の瞳から涙が零れる。
「被害者なの……」
その言葉と同時に。
俺の記憶が、爆発した。




