平民という家畜
「それは置いていく。よかったら気を紛らわすために読むといい……」
そういって魔法使いは聖書を勧めて出かけていった。
残ったヒストリアは特にやることもなく、部屋の中を改めて見渡した。
小さな空間で最低限の物しかなく、がらんとした場所は気にしてみれば砂や埃が目立ち、むかむかとして溜息が零れる。埃臭いとは気づいていたが、しっかりと不快に感じるほどで、これは活力が戻ってきたという証拠でもあるのだろうが、感覚が戻るというのは厄介だ。
不快は即時に取り除きたい性分であるが、考えた末に魔法使いの言う通りヒストリアは聖書を読み気を逸らすことにした。
初めは朝食を取った椅子に座っていたが早々に尻が痛くなったためベッドへ腰を掛けなおす。こちらは布切れがある分少しはマシになった。
『Luminous 聖女の起原』第二章に続くのは祝福の歌だ。
起源の聖女が天に捧げたという歌が載っている。歌詞を指でなぞりヒストリアは思い出したように口ずさむ。すると周囲が淡い銀色に輝いた。
「本当に印が消えても力はあるのね……」
王城で手当てを受けた時、傷口のむごたらしさから、ヒストリアは大聖女の印を奪われたと同時に力も消滅したものと思い込んでいたが、魔法使いのいう通り力とは無関係だったようだ。
手の甲を見ると火傷痕が残っている。魔法使いの治癒魔法でも傷跡は綺麗にならないらしい。おそらく今のヒストリアの手を見て大聖女だと信じる人は居ないだろう。
魔法使いは治癒したと言っていたが火傷痕を見ると、やはり内部に熱がこもっている感覚がある。意識すると感じる痛みのため指摘された通り神経の記憶によるものなのだろうが、いつまで続くのか少し不安になった。
ヒストリアは聖書を閉じると背を倒しベッドへ寝転がった。
祝福の歌をもう一度口ずさむ。なんとなく今度は最後まで歌ってみたが、再び淡く輝き始めた光は灯火のようにゆらゆらと揺れ、しかしそれ以上にはならなかった。
結界は聖女の歌によって展開される。
大聖女は祝福の歌を通じて結界を張り、それを維持するために定期的に歌で聖力を供給する。各地の神殿の聖女も同様にして共鳴させ、結界に綻びがないよう厳重に管理されているのだ。
ゆくゆくはヒストリアも大聖女としてその任につき、王宮の神殿で歌を捧げるはずだった。
しかしそれも叶ったかどうかは怪しい。内包されている聖力に反して放出される聖力が芳しくなかったのだ。大聖女の印が顕現してから今まで以上に大きく輝いたことはない。
今代の大聖女である王妃の光はもっと大きく輝いていた。何度か見たことはあるが、王城内に作られた天井の高い神殿一体をいつも眩く照らしたものだ。
当然、大聖女教育でヒストリアに求められていたのは聖力の解放である。
聖力は年齢に応じて安定してくる。莫大な聖力を持っていたとしても幼少期は出力が安定しないといった事例は過去にも多々あり、成長し教義を深めていけば安定してゆくものだと云われていたが、ヒストリアにその兆しはなかった。
さらに十八にもなれば現大聖女の補佐役を務めてもおかしくない年頃なのだが、補佐役などとても出来るような状況ではなく追放される最近まで、王妃教育と並行して聖女教育を受けていた。
そのため王宮の中枢で働く神職者達からは何度も渋い顔をされたものだ。
相変わらずの淡い光を見て、ヒストリアは王妃の言葉を思い出した。
「祝福の歌は、献身の歌です。困難に立ち向かい民の幸せと豊穣を願う、献身の心が必要なのです」
思えば王城で大聖女教育を受けていた時に指摘され、それが原因で余計に祝福の歌への抵抗感は強まったのだ。
祝福の歌はシルドバーニュでは”聖歌”と呼ばれているが、もともとは平民の子守歌というルーツがあるため、ヒストリアはこの歌があまり好きではなく、特に平民出身の王妃の直接の指導ともあって身が入っていなかった。
当時、七歳。
父親から惜しみない愛を享受し、ヒストリアの世界の中心は姉から父へと完全に移り舞い上がっていた頃だ。
「王妃様。平民に対して献身の心を向けろとおっしゃるのですか?」
平民など家畜だと豪語する父と異なる発言に対し、王妃が平民の間に生まれた子供だからだと推測したヒストリアは鼻で笑ったが相手は曲がりなりにも王族。
感情の読めない表情で、冷静に、そして威厳を持って叱りつけられた。
「そうです。あなたはまだ未熟。国を守ることは民を守ることと同義です。その行為に見返りを求めず安寧を願い、無色透明の澄んだ心で歌うことが献身だと思いなさい」
「赤子をあやすように平民をあやせということでしょうか」
「ヒストリア。私達にある力は周りよりも特別です。大聖女の使命を全うするためにも民を慈しむ気持ちを学びなさい」
「私達だなんて、一緒にしないでください。王妃様と私は格が違います」
言い返せどまったく相手にされない事に腹を立て、切り札を見つけ得意げに攻撃すれば、傍に控えていた神官の一人が顔を真っ赤にして怒鳴った。
「ヒストリア様!無礼ですぞ!」
あまりの気迫に肩が跳ねる。
「なっ、なによ。王妃様のように私は力を上手く使えないから、違うと言っただけよ!」
怒鳴られるなど今まで一度も経験したことのなかったため、流石に動揺したヒストリアは慌てて言い訳を並べ立てたがその場は気まずく視線を彷徨わせる。
王妃は怒鳴った神官をやんわりと窘め、ヒストリアに向き直ったが完全にやる気を削がれてしまい、嘘の体調不良を理由に予定より早く家に帰ることにした。この苦い記憶は今もしっかりと残っている。
連想するかのように、持て余す時間はヒストリアの過去の記憶を次々に思い出させていた。
怒鳴られたことで羞恥にまみれ城を出たその日、神官の態度について言いつけようと息巻いていたが、父が拳銃で肩を打たれるという事件が起きていた。
いつもならば玄関先で父とウィラー夫人が共に出迎えてくれるはずが、小汚い恰好をした壮年の大男がタウンハウスの邸の扉前で父の補佐を務める家令のリュートスと揉めているようだった。
門の手前で止まった馬車を訝しみ小窓を覗くとその様子が見え、ヒストリアは興味本位から従者を連れて馬車を降りた。
近くから様子を窺うと、どうやら男の方が一方的に過熱しているらしい。大声で怒鳴りつけているかと思えば縋るように情に訴える言葉に対し、リュートスは冷静に宥めようと試みているが諦めない男に対し苦々しい顔をしていた。
リュートスはフランドール家一番の古株である。数年前に書記官や会計官までも刷新されたなか、唯一残った人物で、片眼鏡を掛けた白髪の老齢の男性で冷たくいつも難しい表情をしている。
父曰く有能だから残しているということだったが、リュートスには珍しく男の対応に手間取っている様子だった。
「まだ居たのか」
痺れを切らしたのか、父が扉から出てくる。
その事に一段と声を大きくして押しかけてきた男が縋るように言った。
「お願いします、領主様!私は侯爵領のエール地区で養鶏所を営むジルと申します!うちが潰れればフランドール侯爵領の供給にも影響が出るはずです!どうかうちの養鶏所を救ってください。再建資金のための貸与を!どうかっ!」
「エール地区の養鶏所……あぁ、あの中規模の養鶏所か。何度か嘆願書を送ってきていたな」
「そうです!読んでくださっていたのですね、ありがとうございます!領主様のご命令通り、一部の鶏だけでなくすべて殺処分いたしました!そんな状況ですので、再建のための貸与をいただきたくはるばる王都まで来ましたっ……どうかお願いします!」
「公衆衛生と治安のために必要な選択だった。他の農場に被害が出る前に対処できてよかったよ。だが再建に関しては私は関わらない。君がまた養鶏所をやりたいなら、自分で頑張ればいい」
「そんな……全て殺処分しろと領主様が命令したから、うちは困っているんですよ!」
「領民や他の農場に影響が出ては税収に関わるから命令したまでだ。それに供給への対策はもう考えてある。別の養鶏所に投資をすることにした。感染があった場所を再建するよりも影響のなかった養鶏所に金を回す方がいい。これ以上門前にいると邪魔だ。即刻立ち去れ」
「……問題のない鶏まで殺させて、納税も厳しい今、私の一家や雇人に死ねと言うのかあんたはっ!!」
激しい怒声と共に、ジルと名乗る男はいきなり拳銃を取り出しヒストリアの父に向って打った。
銃声が響き、父が倒れる。
近習騎士が制止する間もない一瞬の出来事にヒストリアは身体が凍り付き、邸からはウィラー夫人と姉のエリザベートが駆けつけた。ジルは銃を持って震えており、ウィラー夫人が「早く医者を!」と叫ぶ。
どこに当たったのだろうか、ヒストリアのところからは見えない。
一方、エリザベートは銃を持ったまま再び身構える男の姿を見て瞠目していた。
「……あなた、ジル?」震える声のエリザベートに対し、ジルは再び父へ拳銃を向ける。
「エリザベートお嬢様……私は、俺は……すみませんっ!こいつを殺さなきゃやってられねぇ、奥様が亡くなってからうちの領は課税が増えて、俺は養鶏所も失って、もう、もう無理なんだ!!」
「だめよ!!こんなことをしても変わらないわ!ねぇ、マーサとベリルは?」
エリザベートが叫ぶとジルは一瞬怯み、その隙に盾を持った護衛の兵士たちがぶつかるように取り押さえた。
結局、父は肩を打たれたが致命傷には至らなかった。
包帯を巻いた痛々しい姿にヒストリアは心を痛め、父の寝室を訪ねては花を飾り見舞うとヒストリアを片腕で抱きしめてくれる。
「お父様……まだ傷は痛みますか?」
「心配をかけてすまないね、ヒストリア。お前はなんて良い子なんだ……それに比べて、あれは……」
父を襲ったジルはすぐに王都の拘束施設へ移送されることになり、父の回復を待って後日裁判が行われることとなったがエリザベートの手引きによって逃げられてしまっていた。
そのことが明らかになった日、エリザベートは父に頬を叩かれ理由を問い詰められていたが何も言わなかった。
エリザベートはジルを知っているようだった。だから平民なのに助けようとしたのだろうか。エリザベートは事件のあと、さらに物静かになり、たびたび上の空になっては何かを考えるように窓の外を眺めていた。
結果的に、姉の努力は無駄だった。
ジルは事件から二か月ほど経ったあと侯爵領内で捕らえられ、改めて裁判にかけられることとなったたのだ。最終的にジルをはじめ一家三人が連座して罪に問われ王都まで連行された。
供述によると、どうやらジルはエリザベートに手助けしてもらい逃亡したあと、フランドール侯爵領内の家へ一度戻り、家族に別れを告げ逃亡しようとしたらしい。家族に迷惑をかけないためだったそうだが、妻のマーサと息子のベリルは父親を強く引き留め、近くの森に匿っていた。
重刑としてジルは片手を切り落とされることになり、妻のマーサと息子のベリルは父親のジルを匿った罪で別々の場所で労役という判決がくだり一家離散となった。当然、養鶏所は完全に廃業し、雇われていた数名の従業員も職を失った。
「ベリル……ごめんなさい、ごめんなさい…」
父に連れられて赴いた法廷で判決を聞き、ヒストリアの隣では何故かエリザベートが泣き崩れていた。
可哀想なのは被害者の父であるにも関わらず、野蛮な男の息子に対し謝罪の言葉を繰り返す姿に不快なものを感じ、ヒストリアは姉を冷めた目で見つめた。
「わざわざ王都までやってきて、無様な平民なものだ……よく見ておくがいい、あれが家畜だ」
判決に満足した様子の父は、引き裂かれる家族の姿をに目を細め呟くと口角を持ち上げる。
「……私はここが好きだ。侯爵領は貴重な収入源だが、如何せん学のない野蛮な連中が多くてかなわない……王都こそ我々に相応しい。まさかこの地に来てまで下民の顔を見ることになるとは思わなかったが、きっともう同じことはないだろう」
きっとフランドール侯爵領でこの事件は大きく取り扱われるのだろう。歯向かえばどうなるか、一種の見せしめのような判決だった。しかしこれぐらいしなければ学のない平民には理解できないとヒストリアは納得した。
父は領内の畜産業を軽視している傾向があるようで、貿易が盛んでガラス細工などの芸術品が有名な都心部には予算を渋らないが、他の事業に対しての捻出は財布の紐が固い。さらに母の死後から税率を上げ続けていることを家令のリュートスが苦言している姿を何度か見たことがあった。
貿易拠点の一部の人間が富み中心地から離れるほど荒れてきていると進言するリュートスの言葉を、父がどこまで取り合っていたかは分からないが、フランドール侯爵領は貿易が盛んで東の国境近くの防衛地点を中心とした広大な地は環境が良く潤っていると教師が教えてくれたのをヒストリアは信じることにした。
実際のところ領地の実態がどういうものか分からないが、今回の養鶏所の件も言いがかりだと思いたい。なにせ平民が野蛮であることだけは事実なのだから。この目ではっきりと捉えたので間違いない。野蛮な平民がいくら不満を訴えようが自分たちには関係ない。
「お父様は本当に平民がお嫌いなのですね。私も嫌いです」父の思想に賛同するように言う。
すると父はヒストリアを一瞥したあと亡き啜るエリザベートを傍目に苦々しく告げた。
「あいつらは何をするか分かったものじゃない。私の母は身分に分け隔てのない人だったが、かつて施しを与えた平民に辱められ精神がおかしくなった後に自害した。子供ながらに憐れに思ったものだ……平民は家畜でしかない。お前もよく覚えておくように。大切な宝に傷がついては溜まったもんじゃない……」
その言葉にヒストリアははっとした。平民嫌いの父は傷ついているのだ。家族に酷い仕打ちをされ傷つき、悲しんでいる父の言葉は平民が野蛮であることの裏付けになった。
初めて祖母について語られ、打ち明けられた父の過去にヒストリアの胸はきゅっと締め付けられ、隣で項垂れる姉を見遣る。エリザベートに父の言葉が届いていたか分からなかったが、ヒストリアはジルを逃した愚行を恥じて欲しいと心の底から願った。
邸に帰ってもまだ物陰で泣いていたエリザベートにヒストリアは声をかけた。
領主の屋敷に押しかけ逆上して発砲するような人間を助けようなどと理解し難かったが、一応は血を分けた姉だ。父がヒストリアにも愛を与えるようになってから今まで、嫉妬なのかヒストリアの親切を退け、そのくせ家の中でヒストリアの使用人への態度などを窘めるなど小言が多く折り合いが悪かったエリザベートにもう一度歩み寄ろうと思ったのだ。
「ねぇ……お姉さまはあの家族を知っていたのよね。裁判所で名前を呼んでた」
エリザベートは静かにハンカチで涙を拭きヒストリアを振り返る。いつ見てもさらりと真っ直ぐに落ちる細い銀髪がはらりと揺れた。
「領地に戻っていた時に出会ったわ。エール地方は別邸があるでしょう。ベリルは外出注意に怪我をした私を介抱してくれたの……それから、マーサやジルとも親しくなって、領地に戻ったときは時々会ってていたのよ……いい人たちだった。最近は王都から出ることもなくて会えなかったけど、覚えていたわ……」
エリザベートがポツポツと続ける。滅多と帰らない領地だったが、ヒストリアの王太子妃教育が本格化するまでは観光を目的に別邸に赴くこともあった。
その時なのだろうか、ヒストリアの知らないところでエリザベートはいつの間にか平民と交流していたらしい。
「まぁ……そんな……」
エリザベートが危害を加えられなかったことに安堵する一方で、無防備な姉の行動に眉根を寄せた。
「危険だわ!平民と関わるなんて、もう二度と止めてちょうだい。お父様が嫌がるわ」
姉を心配して云うと何故かエリザベートは絶句した。しかし、ややあって重々しく口を開く。
「……ヒストリア。平民が危険なんて、そんなの偏見よ……」
エリザベートは切れ長の瞳をキツくし声を潜めた。敵意のような鋭さを感じヒストリアは動揺して声を張り上げる。
「だって平民は家畜でしょう?私達のような貴族とは違うもの。お父様を傷つけるような男も、その家族も、きっと乱暴よ!」
「乱暴じゃないわ。それにベリルは優しくて物知りで、将来は書記官になりたいって努力家だった……」
「間違いよ。油断したら何をされるか分かったもんじゃないわ……」
「ヒストリア!!」
ついにエリザベートが声に荒げ反射的にびくりと肩を揺らす。
「わ、私が間違ってるの……?」
せっかく心配してあげたのに。内心ではそう思ったが、その言葉は口にはできなかった。
「大きな声を出してごめんなさいね……」
怯えた顔を見てエリザベートはすぐに優しい声音で謝ったあとなにかを呟いた。
「……もうこの家には期待しないわ」
「お姉様……?」
何を言ったのかよく聞き取れなかったため疑問を向けたが、エリザベートは品の良い笑みを浮かべるとヒストリアを抱きしめた。
「ごめんなさい。もう彼らに会うことはないから……安心してちょうだい。お父様のことも傷つけないわ」
久しぶりにエリザベートの腕の中に抱き掬われ懐かしい温かさに安堵し頷く。どうやら姉はわかってくれたらしい。
あの時はそう信じていた。二人の関係もきっとこれから良くなっていくのだと期待さえしたものだ。
しかし思えばあの出来事からエリザベートは何かにつけてヒストリアを悪者に仕立てるようになった気がする。
手持ち無沙汰に聖書を何度もパラパラと捲りながら体勢を変えてベッドに突っ伏したまま、ヒストリアは長い溜め息を零した。




