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掃き溜めのディート地区

話し声が聞こえる。

魔法使いが村人を連れ戻ってきたのだ。ヒストリアしかいない静かな木造の建物の中は外の声をよく拾い、家を建てる場所から資材の調達時期など話し合いが行われているのが分かった。

声の大きさからして窓から覗けば二人の姿が見えたのだろうが、こちらまで見つけられたくはなかったので興味こそ覚えどベッドに身を倒したまま聖書を抱きしめ目を閉じていた。


しばらくすると話し声は止み、ややあって扉がノックされる。

魔法使いを見送る際に平民に会うのは嫌だと伝えていたが、はたして記憶に残っているのだろうか。不確かなために肩を強張らせていると「俺だ」と短い言葉のあと魔法使いが現れた。

「おかえりなさい……」

既に村人とは別れた後のようで、ほっとすると同時に魔法使いの名前を聞いてなかったことに気づく。

呼ぶ必要がなかったため訊ねることをしなかったが、さきほど扉越しに「俺だ」と言われて少し困ったのだ。

「あんたの名前、そういえば聞いてなかったわね……なんて呼べばいいの?」

改めて問うと魔法使いはヒストリアをまじまじと見据えたのち言った。

「……ルーメンと呼んでくれ。少しは俺に興味が沸いたか」

その言葉に、まさか今までわざと名乗らなかったのではないかと疑念が湧き、ヒストリアの頬は羞恥に染まった。

ルーメンは相変わらず表情が薄いが、どこか楽し気な雰囲気を滲ませテーブルに紙とバスケットを置いている。


「これは君宛てのものだ」

ルーメンはバスケットを指した。

さきほどの村人がヒストリアのためにラモーナという果実をいくつか差し入れてくれたのだと言う。

ラモーナは疲れている時によく口にしたことがあった。酸味が強いためそのまま食べることはなく、大抵がハチミツ漬けにしたりワインに漬けてサングリアなどにする。ラモーナは余すことなく使える万能な果実で、食す以外にも皮は害虫を寄せ付けないのでポプリにも使われるなどヒストリにとって身近な食べ物だ。

バスケットの中には、ハチミツが入った瓶とワインも一本、一緒に入っていた。

「どうして私に……?あなた、私のことなんて話しているの?」

「なにも。ただ、噂は否定していない」

余計に村人の意図がヒストリアには分からなかった。

なぜこんなことするのだろうか。

見返りを要求する気かと動揺し、手を付けるのは不味いのではないかと警戒したヒストリアはバスケットを受け取ってきたルーメンを非難がましく見遣ったが「ただの親切だろう。素直に受け取ればいい」とだけ言って改めて紙を手に取り読み返している。

「……それはなに?」

「資材の搬入予定や雇人の人件費などが書かれているものだ。気の利いた男で、口約束よりこの方がいいと言ってその場でしたためてくれた。おかげで手間が省けた」

「平民なのに、字が書けるのね……」

「たしかに平民の識字率は高くはないが、こういう人間もいる。学びの機会と意欲があったんだろう」

ルーメンは独自の見解を示すと、協力を依頼した村人は建築の知識を持っており口は悪いがいい人間だったと感想を述べた。

それから近隣の村から資材を集めるために一週間はかかることや、今日会った村人の他にも数人が協力してくれることなど大まかな流れを知らされる。

ルーメンはすでに少額の金銭を支払い資材の手配を任せたらしく、その決断の早さにヒストリアは呆気にとられた。

「家の建て方なんて初めて知ったわ……」

「関係性にもよるが、よそ者が村で新しく家を建てる場合はだいたいがこういったかたちになる。排他的な場所だと揉める場合もあるが……この土地は良い。治安のわりに話はすぐにまとまった。あの男のおかげだろう」


ルーメン曰く、ディート地区は流れものの集まりになっている。ここは掃き溜めだと自虐的に村人は語っていたらしい。

過去に罪を犯した者や行き場のない人間が最終的に流れ着くのがルキリュ領の最北部であるディート地区なのだという。


もともとあった村の近くに神殿が置かれ、その地に着任した聖女と地区内の治安維持のために神殿所属の兵士が集う防衛拠点が置かれているが聞くところによれば彼らはあまり仕事をしないようだ。昼間から酒に酔う兵士が目立つのも日常だという。

兵士がまともに警備の仕事をしないので、流れ者が居つくには都合のいい土地であるもという。

ルーメンに協力した村人も元々は流れ者の身らしく、家の建築に関わる雇人数名も村出身の人間ではない。ルキリュ領のような無法の地が生まれる原因となった王弟のラキュウス辺境伯には感謝していると村人は笑っていたそうだ。


ラキュウス辺境伯といえばヒストリアも知っている。

『齢四十を迎える気難しい男』『瘴気の研究に没頭するあまり婚期を逃した』『ずっと城に引き籠っている』などいい噂はない。王弟であるにも関わらず、瘴気溜まりと隣接する地区の多いルキリュ領を自ら望んで得たぐらいなのでやはり噂通り変わり者なのだろう。


村人曰く、彼が興味を持っているのは瘴気溜まりの方で領地の運営はもっぱら側近任せ、その側近もあまり仕事が出来る人間ではないらしく、不正や横領も蔓延っている。仕事をしない人間が集まり税収だけ無駄に高く釣り上げる一方、管理は甘く流れ者を容認する。それがルキリュ領なのだ。

特に中心地から遠く離れたディート地区などは顕著で、流れ着いてそのまま居つく訳ありの者が多い。


「ひとまず、家が完成するまで俺は村に泊まる。君の元には通うことにした」

一通り話すとルーメンが宣言した。

同室で寝るのは嫌だと言ったのはヒストリアだったが、矛盾した感情が生まれ戸惑いの色を浮かべた。送還された時に見た村とヒストリアの住まいは随分離れていた気がして少し心細くなったのだ。それはディート地区の治安の悪さを知ったせいでもあるのだろうが、ルーメンを味方だと認識しつつあることが原因かもしれない。


あれだけ強く嫌がってみせたが、もしも再び一緒に住むと強引に言われればヒストリアは渋々受け入れただろう。しかしルーメンにはその気がまったくなかった。当然ヒストリアの気持ちを汲んでの行動なのだろうが、無遠慮に近づかれたかと思えばあっさりと引き下がられ、まるで意図的に距離を測られているように見受けられる。

手早く手配をすませてしまうルーメンの行動力には考えさせられるものがあった。


不思議と迷いが生まれ「やっぱりここに居たらいい」と伝えるべきか、ヒストリアは悩んだが、その一言が言えなかった。今ならまだ引き留められるのに素直に口にすることが出来ないのだ。

言い淀んでいるうちに話を終えられてしまい、そのあとも切り出すタイミングを失ったヒストリアは夕食を用意するルーメンの背を見つめる。共同生活などあり得ないが、しかし離れるとなるとやはり妙に心許ない気分にさせる。

ルーメンが家を出ていた時間、実のところヒストリアは人の気配のない完全な静寂に追放当初の空気に似たものを感じていた。けれども撤回を正当化するうまい言い訳も浮かばず、結局「また明日くる」とルーメンは言い残し出て行ってしまった。


翌朝、ルーメンは現れるとその手には二人分のバケツと箒があった。村に寝泊まりしているからだろう、今日も髪色は燃えるように赤い。


「自分で出来ることを増やすため今日は掃除をしよう」

村から借りてきたという道具をヒストリアに押し付け、手にしたことのない道具に困惑していると床を指す。

「気になるだろう。君のような元ご令嬢なら余計に我慢ならないはずだ。雑巾もあるし、どうせなら徹底的にしよう」

「はぁ…?」と思わず声が出る。確かに昨日も気にしていたほどだが自分でやらなければならないとなると話は別物だ。これまでのヒストリアは使用人に掃除を指示する立場で、入浴以外で手を濡らしたことはない。

しかもバケツには錆が入っており、いつから使っているのか分からないような痛み方をしていて、箒は見た目以上に重く感じる。雑巾は端切れを使ったもののようだが、しゃがみ込んで床を拭くなど想像するだけで眉間に皺が集まった。

「抵抗感があるだろうが、やらなければ衛生面で支障が出てくる」

「誰か雇えば良いんじゃないかしら……」

「君は人を雇う金を持っているのか?」

痛いところをさされヒストリアは現実逃避するように視線を逸らし呟く。

「……ない。けれどあんたは持ってるでしょう?」

「俺は自分の目的のために使うが、君のためにならない浪費するつもりはない」

「魔法は?」

「駄目だ。自立にならない。自分の住まいを自分で整えるのは普通のことだ。そのことは理解してくれ」

思いついた言葉の真意を拒否されて、余計に重たい気持ちになった。

ルーメンと出会ってたった数日。しかしその言動に一喜一憂させられ、世話を焼くことと甘やかされることが同義でないのだと理解させられる。

「まずは掃除の基本を教えるからバケツは置いてていい。こっちに来てくれ」

「朝食が先じゃないの?」

「それは後だ。気持ちのいい空間で食事をしよう」

ルーメンは部屋の隅の方へ行き天井を仰いだ。大きな蜘蛛の巣が張っており、ところどころにも大きさの異なるものがあった。壁の木板もよく見ればうっすらと埃をかぶっている。

ルーメンはまず上から下へ埃を落とすように言った。けして窓は開けないこと、床は最後に磨くこと、要点だけを述べて実際に箒を揺すりながら蜘蛛の巣を落とし始める。鼻をむずむずとさせる不快な感覚に思わず声を上げた。

「ちょっ、止めてよ!気持ち悪い、窓を開けた方がいいわ!」

「風で余計に舞い上がるから止めておけ。換気は掃除を終えたあとにするべきだ」



朝一番の大掃除は結局、日が真上に登るまで続いた。

この地に追放されてから着替えもなく、同じ服を着続けて汚れたドレスは大掃除でさらに汚れることになった。そのことにもはや苦言を示すほどの気力はなく、ルーメンに言われるがまま掃除を続け、くたびれたヒストリアは真っ黒になった雑巾を絞る。

「最悪……なんで私がこんなこと……」

「感想はそれだけか?」

大きな溜息を零すヒストリアにルーメンが問う。意地の悪い質問だ。

「一応住めるようになったから、マシになって嬉しいわ……最悪だけど」

人生ではじめて床を磨き、自分が手入れした家は相変わらず古びた小屋でしかなかったが、ヒストリアは妙な達成感を覚えていた。疲労と服の汚れの不快感は鳴りを潜め、気分が和らいでゆくのを確かに感じていたのだ。

「あとはこれだ。頑張った君に」

そういうと青々とした葉を数枚取り出しルーメンが何か呟く。

するとたちまち空気に溶けるように輝いたあと一枚の麻布が窓に取りつけられ、ヒストリアのドレスは平民が着るようなワンピースに変化した。

一瞬のうちに出来上がった物を差し出されヒストリアの肩からは力が抜ける。

「なんでもっと魔法を使ってくれないのよ、って言いたくなるわ……でも、自立のためなんでしょう」

眇めた目でルーメンを忌々しく見遣ると端正な口許が僅かに上がっていた。

「そうだ。君には自分で生活できるようになってもらう。さぁ、バケツの水を片付けたら食事にしよう」

「分かってるわよ。こんな水、ずっとこの家に置いておきたくないわ……」

ヒストリアはバケツの取っ手を掴むと扉に手を掛けた。


そこでふと気づく。外に出るのは二度目だ。

一度目は悲壮感に満ち死ぬために、二度目の今回は汚い水を捨てるために。取っ手を引けば、眩しい光がヒストリアに降り注いだ。

「私、本当に追放されたのね……」

思わず笑みが零れた。独り言ちたあと、ヒストリアは外に出てバケツから勢いよく水を投げ捨てる。それに続きルーメンまでもが清々しいほどの勢いで泥水を投げた。

似つかわしくない行動に顔を見遣れば、濁りのない黄金色の瞳がヒストリアの視線を捉える。


「食事にしよう。食べれば活力がわくからな」


――――日が傾き、ルーメンが村に戻ると言い出した頃、扉を開けようとする音が聞こえた。

ルーメンは口元に指を立てる。二人は黙って様子を見ていれば、音は乱暴に扉をノックするものに変わり、その荒々しさからヒストリアはたじろぎ身を強張らせた。

「きっと君が生きているか確認しにきたんだろう。俺が代わりに相手をする。君は出てこないように。前にも言ったが、この扉は君が許可しない限り外からは開かない」

ルーメンから自分が賭けの対象にされていると教えられたのを思い出したヒストリアは顔を歪め静かに頷いた。平民は家畜……少なくとも扉を勝手に開けようとする者とは絶対に関わりたくない。

まだ立ち去る気配がない様子にルーメンは薄く扉を開いた。そして内側から相手を確認したあと、立ち塞がるように外に出ていく。その姿にヒストリアは扉の傍へ駆け寄ると耳を当てた。


「なぁーんだ男かよ。話と違うじゃねぇか」

「こいつぁアレだ、新入りだろ。なぁ女はどこだ?てめぇはお嬢様の騎士か?」

二人の男の声がする。

柄の悪い態度に臆することなくルーメンは淡々としていた。

「そんなところだが、なにか用か?」

「生存確認ってやつさ。酒場で噂になっててよ、都会のお嬢さんが追放されたんだろ?こんなとこで生きてられんのかってさ、賭けてんだ。元気ならついでにちょいと貸してくれねぇかなぁ?」

男達は卑下た笑い声をあげる。

ヒストリアは大きな眼を一層見開いた。

「んな硬い顔すんなよ。てめぇだって楽しんでんだろ?でなきゃ罪人の女なんかについてくるわけねぇよな?独り占めすんなって」

ひっ、と喉の奥が鳴った。

辱めの言葉に怒りを覚えるよりも先に頼れる相手が一人しかいない状況では恐怖の方が勝る。

ルーメンは魔法使いだが、その正体は隠したいはずだ。体格は手練れの騎士と違わぬほど立派ものだが、それはヒストリアの勝手なイメージで実際のところは分からない。この数日、一貫して冷静沈着なルーメンだったが何か考えがあるのだろうか、言葉遣いからして性根の悪さを感じさせる二人の野蛮な相手にどう対処するつもりなのか、耳をそば立てた。


「会わせられない」

ルーメンは静かに言った。

「はぁ?」

「てめぇ、新参者の立場ってのを分かってねぇなっ!」

苛々とした口調のあと、扉にドンっと大きな衝撃があった。

ヒストリアは驚いてその場に尻もちをつき、外にいるルーメンがどうなったのか気になるも声が出ない。


そこへ突如、唐突に怒声が響いた。

「おい!てめぇらっ!!」

低く、猛烈な怒気を孕んだその声に怯んだヒストリアだったが、どうやらそれはルーメンに絡んでいた二人も同じだったらしい。

「ベリルさんっ!?」

ひとりが名を呼び、乱入してきたのがベリルという人間であると分かる。どこかで聞いたことのある名が出てドキリとしたが、きっと偶然に決まってる。ヒストリアはそう思うことにした。

「な……なんだよ、ベリルさんか……別にいいじゃないですかぁ!」

途端に腰の低い態度を露わにした声が響き安堵する。ヒストリアは知っている。これは権力者に媚びを売る者の声音だ。ベリルは男達よりも格上の人間らしい、そのことが扉越しでも分かった。


「手ぇ出すなって言っただろうが、その耳は何のためについてんだ?あ?」

「いや、だって罪人の女だぜ?いつもなら何も言わねぇじゃないっすか……」

「おぉい!俺は、手ぇ出すなって言ったんだ。いつもと同じでいいかどうかは俺が判断する。そしててめぇらが納得したかどうかは関係ねぇ、俺が決めたことを守れ。簡単なことだろ?違うか?分かったらさっさと帰れ。溜まってるならボラフ亭にでも行ってこい!」

凄みを聞かせ紡がれる言葉に男二人はどうやら立ち去る気になったらしい。


ややあってからルーメンとベリルの声が聞こえた。

「……悪かった。怪我させちまったな。ここは娯楽が少ねえからいつもこうなる」

「いつもか……だがお前は助けた」

「そうだな。ヤり回されて死なれちゃ後味悪ぃだろ。それに俺はあんたに貸しを作っておきたい」

「貸し?逆じゃないか。お前の手下の所業はなかったことにしてやる」

「……なるほど。面白ぇ、いいぜ。そういう事にしておくか。あんたは他とは違った匂いがするからな……そこのお嬢さまによろしく、せいぜいラモーナでも食って元気になってくれ」

云って立ち去ってゆくであろう足音が聞こえた。

一体なんだったのだ。

まさか差し入れをしたのはベリルだったのか。はっとしてヒストリアは扉に視線を上げた。

応戦する気配のなかったルーメンも、ベリルの思惑もヒストリアには理解できなかった。


「……分からない、なんなの…なんなのよ……」


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