静かな反逆、結界の揺らぎ
『結界を利用して一斉浄化する』
アリアの探知によるとロイドはまだ王宮の一室に居た。
さらにそこには大司教らの名も浮かび上がっている。
ヒストリア達は数刻後に始まる婚礼の儀に向け、可能な限り神殿と王宮内に居る者の名前を探知にかけていた。
「殿下もオリハルト公爵も無事だな」
「はい。イクシス様もシェリル王女も……エリザベートはこちらへ向かっています」
「この状況を打開するにも優先すべきは最上階を目指すことだ……ヒストリア譲、君の力が頼りだ」
言って、ラキュウスは牢の扉を見遣る。
ラキュウス曰く、外には牢の見張りには聖騎士が二名付いているという。
エリザベートのおかげでラキュウスはここまでの侵入に成功したが、今度は外に出なければならず、また、神殿の警備は状況が変わっているだろうと予測していた。
それを聞いたヒストリアは表情を渋らせながらアリアが展開する探知魔法を眺める。
この国の結界の根幹となる聖力の渦のようなものが神殿最上階にある。
シルドバーニュの初代聖女が作り上げたもので、これをその時代の大聖女が引き継ぎ、広域展開を維持し続けている。
ヒストリアは今まで一度もそれをまともに操作したことなどなかったが、今は成し遂げられると確信していた。
「――分かったわ……賭けみたいなものだけど、託すしかないわね」
牢を訪れたエリザベートは意外にもヒストリア達の策に頷いた。
しかし一方で、新たな情報にヒストリア達は息を呑んだ。
「けれど幻覚の魔法使いが帰ってきているの。慎重に行動しなければ」
ついに王宮に戻ってきたのだ。
洗脳されたルーメンだけでなく幻覚の魔法使いまで警戒しなければならないという状況は、その場に居る全員の表情を硬くさせる。
なかでもラキュウスは苦悶の表情を浮かべ真っ先にアリアに訊ねた。
「あの魔法使いはユリアンを追っていたはずだが……まさか二人は……無事なのか?」
表面上は冷酷な人物だという印象が強く残っているが、実際のところは違うのだろう。
「大丈夫、二人とも生きています」
アリアは瞼を閉じ地図に手を翳しつつ静かに答えた。
「ただ……彷徨っています。追われているのか、追っているのかは分かりませんが……」
「そうか……――術にかかっているのは間違いないな。おそらく上空に居た怪物の方は消えているはずだ」
ラキュウスは眉間の皺を深めると考えをまとめ口にした。
「なぜ分かるのですか?」ヒストリアが問う。
「実際に見た。大型の怪物は本人が近くにいなければ操作出来ない。しかし幻覚を見せるなら離れていても可能……ただし力は消費する。回復には時間を要するだろう」
幸か不幸か大型の怪物は消滅し、その心配は払拭されたというわけだ。
しかし幻覚に捕らわれ森を回遊しているユリアン達は無防備な状態でもある。
いつ不意を突かれ襲撃されてもおかしくない。
「早く、実行しなければならないわ……貴族らが集まり始める前に、終わらせる」
ヒストリアは左手を握り締めた。
するとエリザベートが拳銃をラキュウスへ差し出し告げた。
足首を痛めているラキュウスへの配慮だろう。
「これを。……この神殿の警備の騎士らは私が対処します。変わらず牢の見張りは二名ですが、神殿内は婚礼の準備が殆ど終わっており、今は十数名ほどの聖騎士達が警備をしていますので」
「どうするつもりだ?」
受け取りながらラキュウスは訊いた。
「ワインを使って睡眠薬を飲ませます。祝いの日ですもの、彼らも少しは気が緩んでいるはずですわ」
エリザベートの申し出は、危険な駆け引きのように思えた。
たとえロイドの目を誤魔化せたとして、この王宮にはロイドの配下に下った聖騎士らもいる。
大きな動きを見せれば、その違和感は瞬く間にロイドに伝えられるのではないだろうか。
「……そんなことをしたら誰かに不審に思われるんじゃ……最上階を目指すなら、このまま見張りを制圧して、あとは振りきっていくことは……」
エリザベートの策が成功することを前提にしたものより、リスクが低いように感じヒストリアは訴える。
しかしラキュウスは首を短く横に振った。
「それこそ、我々だけで正面突破は難しいだろう。権威と金に目が眩んだ連中の集まりだが、曲がりなりにも彼らは聖騎士だ。勢い任せに振りきれる相手ではない」
宥めるように制されてしまい、ヒストリアは眉尻を下げ押し黙った。
「辺境伯の仰る通りよ。もしここの騎士達を眠らせて無力化できれば、あなたたちが最上階へ辿り着く可能性が格段に上がる。必ず成功させるわ」
エリザベートの声には静かな決意が秘められている。
「もしもその後ロイドにバレたとしても、可能な限り引き留めるつもりよ。時間は稼ぐわ……」
エリザベートはワインを振る舞ったあとはヒストリア達を逃がし、王宮に戻ると言う。
物申したい気持ちが芽生えたが、ヒストリアは言葉を飲み込み頷いた。
「ならばエリザベート嬢。もしも殿下に会えたらこれを渡して欲しい。証拠と言えば伝わるはずだ」
ラキュウスはエリザベートに丸められた書類を手渡す。
「……承知いたしました」
――――ロイドは憤っていた。
それは先ほど幻覚の魔法使いがもたらした情報を元に大司教を問い詰めたからでなく、もっとも身近な脅威に対してだ。
神殿の裏切りなど些末なこと。初めからロイドは信用していない。
それよりも、己につかず離れずつき纏い続けたこの老齢の男に対する疑念である。
信用に値するのか値踏みしていた相手は、肝心なことを後から吐き出した。
「ユリアンから逃げてきただと!?なぜ先に言わない」
「いやはや……変身の魔法を使う者は擬態に止まらず、その能力まで扱える非常に厄介な存在でしてな……私の幻覚魔法は応用したところであくまで思い込ませるもので、いうなれば所詮は下位互換。ドラゴン相手にまともにやりあうのは……ちと厳しいもので」
悪びれもせず至極楽観的な調子で紡がれる言葉に沸々と苛立ちが沸き上がる。
「言い訳は聞きたくない……くそ、ドラゴンが王都に来てみろ……婚礼の儀どころじゃなくなるだろうが!」
滞りなく儀式を済ませ、シェリル王女に立太させる。
王配という立場も子を成しシェリル王女を脅せば、実権は自分のものだ。
おそらく他の貴族からは、父ガスト・フランドールの人生を踏襲するかのような権威の握り方に似ていると言われるだろうが、実態は違う。女に迎合するのではなく、跪かせるのだ。
だというのに……――――あの時、殺しておくべきだったとロイドは悔やんだ。
逃亡したユリアンに罰を下したつもりだったが、洗脳が解かれている。
魔法使いは何がおかしいのかにやついた表情で両手を上げると宥めるように言った。
「森を彷徨わせることに成功しましたのでご安心を。暫くは森から抜けられないかと」
「は……それを聞いて僕が喜ぶとでも?遊んでるのかお前は……」
眇めた視線をやりながら、ロイドはふと思いついた。
今まで行き当らなかったその可能性に。
「……――いや、待てよ。そうか….あぁ、そうか…お前、……散々、人をその気にさせておいて……遊んでるな?本当のところは僕が破滅するのを見たいんだろう。お膳立てした奴が分不相応な夢を掴みかけて失敗する、違うか?」
ロイド自身には到底理解できないことだが、この魔法使いならばあり得るのかもしれない。
益のない行為。
野心と無縁。
なんら意味のない立ち回りは、遊んでいるとしか思えないのだ。
破綻しており、整合性がない。
ロイドは口端から微かな吐息を零すと悟った。
やはり信用できるのは洗脳した魔法使いだけだ。
「――まさか。私はこの通り、ロイド様を謀ろうとしていた神殿の動きをきっちり確認してきたのですよ……十分な仕事かと」
「それにしては随分のんびりしていたと思うがな……」
「結果的に役立たずの私よりも、優秀な魔法使いが手に入ったのですから良いではないですか」
侍らせているシリウスを指す言葉に虫唾が走り、ロイドは溜息を吐き出した。
――――その直後、神殿騎士が一人、騒々しくロイドの元へ現れた。
「ロイド様、衛兵が不審な動きを……」
片膝をついて報告する男は、下級貴族の男だったか。
見覚えのある顔は神妙な面持ちで告げる発言にロイドは眉根を寄せた。
「……なにをしているというんだ?」
「ワインを運んでおります。本日使用する来賓用のものでなく、エリザベート様からの差し入れとのことですが……そのような指示はロイド様から聞き及んでなかったため、確認しにまいりました」
「よく報告してくれた」
一瞬、時間が止まったような錯覚に陥る。
軽い頭痛すら覚えたが、しかし表に出さぬよう穏やかな笑みを向ければ、騎士は褒められた犬のように頬を上気させたあと顎を引き頭を下げる。
不快な感情が胸中を占め、エリザベートの言葉を思い出す。
『やりすぎよ』
やはりあれは本音だったのだ。
「……私を疑うよりも先に尋問された方がいい方が出てきましたねぇ」
背後で粘着質な声が響き、ロイドは踵を返して神殿へ足を向け歩みを進めた。
そして進みながら頭の中で様々な憶測が飛び交う。
裏切ったのか。ワインになにか仕込んだのか。
まさかヒストリアを助ける?いや、二人に姉妹の絆などないはず。
しかもシリウスを取り上げた今、出来ることなど何もない。
妙な真似をするのはエリザベートの独断か。
神殿騎士を連れてきた時のように一人で戦うつもりなのか。
あの女はいつだって一人だった。
……一体、何が目的なんだ。
「――ロイド。私を探しているのではなくて?」
意外にも、裏切りの可能性を背負った張本人は自らロイドの元へと現れた。
エリザベートを拘束し、一室に軟禁する。
「裏切るつもりか?」
「さぁ……」
しかしその答えは直ぐに届いた。
神殿を警備していた聖騎士らが眠りこけているというのだ。
「――――分かった。エリザベート、もう”なぜ僕を裏切ったか”は聞かないことにする。チャンスをやった事が間違っていたという結果は変わらないからな」
落胆した感情に蓋をし、声を震わせながらロイドはエリザベートを見下ろした。
手枷をつけその場に座り込む姿に鋭い視線を向けて。
しかしエリザベートは平静としており、ともするなら確認するように訪ねてきた。
「……ロイド、どうしてもこのまま進むつもりなの?」
ロイドは肩を上下させ長い呼吸を吐き出したあと、奥歯を噛みした。
「……お前に構っている暇はない」
「あなたの境遇は理解しているけれど、貴族を淘汰することが正しい事だと思えないわ。この国を崩したとしても、様々な枠組みの中で同じようなことが結局繰り返されるだけだとは思わないの?」
その言葉を紡ぐエリザベートにはやはり必死な様子はなかった。
懇願でもなく、諭すわけでもなく、ただロイドに訊ねていた。
ロイドはその瞳を見下ろしたあと重々しく口を開く。
「エリザベート。もうお前の言葉には惑わされない」
その時だ。
「――おぉ、空が……」
幻覚の魔法使いが窓の外を見遣り関心するように言った。
国に張り巡らされている結界。それが揺れたのだ。
ロイドは鋭い視線をエリザベートへ落とし呟く。
「たしかイクシス様はシェリル王女と居たな。他に結界に誰か触れたものがいる……ヒストリアか?あの出来損ないは何をするつもりだ……」
とにかく、神殿に向かわなければ。
顔を上げるとロイドは幻覚の魔法使いに告げた。
「……今からシェリル王女の部屋へ行く。軟禁したあとお前はユリアンを殺して来い」
「大丈夫ですか?私がこちらにいた方がよいのでは」
飄々と訊ね返す言葉に苛立ちが刺激され胃の気持ち悪さすら覚える。
黙って殺しにいけばいいものを。
「お前がとどめを刺さず、のこのこ逃げ帰った事の方が大問題だ。こっちの悪あがきはシリウスに対処させる……」
ロイドは顔を歪めると魔法使い向かって吐き捨てるように言った。
「……さようですか。意外とこういった選択が命運を分けるといいますが、本当によろしいので?」
「何度も言わせるな。ユリアンを近づけさせることの方が脅威だ」




