選ばれてしまった者の憂鬱と予感
十代のイクシスは希望に溢れ
二十代は選ばれなければ良かったと後悔した
三十代で血は繋がらないが愛しい子供が出来て
四十代で後継者の育成という壁に苛まれた
今は、神殿の間違いを咎めることも出来ず、聖力の衰退が招いた災禍に国を憂い、なすすべなく膝をついている。
――――神殿はロイドを甘く見過ぎた。
王座を簒奪しようと王手をかけるフランドール家の庶子ロイド。
神殿はこの“魔法使いを魅了する声”を持つという男を祭り上げ懐柔し、この国の王に据えたあとは聖者の浄化を抑止力に実権を握ろうと目論んだ。
しかしそれは失敗に終わるだろう。
イクシスを思うままに囲い育てたように、同じことが出来ると考えたのだろうが、きっと無駄だ。
イクシスだからこそ分かるのだ。
ロイドは何も知らなかった自分とは違う。
自分たちで御せるなど驕りなのだ。
なぜなら眼を見れば分かる。ロイドは全てを疑っていると。
神殿の真意が懐柔することであるという確証を得たわけではないのだろうが、しかし新たに従えた魔法使いの存在が最もたる理由。
盾にも矛にもなり得る従僕を連れた今のロイドは対等な交渉相手にはならない。
せいぜい今のように手駒として働くのがオチだろう。
この悪夢に救いはあるのだろうか。
「イクシス様……これからこの国はどうなるのでしょう……」
婚礼の儀を迎えたその日。
ロイドの許しを得てシェリル王女の部屋を訪ねたイクシスは、鏡台の前でシェリルの髪を梳いていた。
部屋の外では扉の側に聖騎士らが見張りについている。
極力声を落とし、鏡越しに問いかけるシェリルの物憂げな表情に、櫛を持つ手は止まる。
「怖いです……」
そう呟くシェリルが双眸を伏せ、思わずイクシスは細い身体を腕に抱いた。
伝統的な純白のドレスが皺を作ったが、固く抱いたまま美しいブロンドの髪に額を寄せた。
そして走馬灯のように己の人生を思い出す。
『イクシス様、あなたは聖女として慈愛に満ち優しい子に育ってくれました。それは本当に素晴らしい。ですが、勉学も淑女教育も完璧にこなさなければなりません……あなたが完璧になれば、完璧な王子様があなたを妻に迎えてくれます』
物心つく頃から神殿に引き取られて育ち、大司教の言葉はイクシスの世界の全てだった。
だから完璧を目指した。
『どのように教えられたか知らないが、この私が平民のお前を愛することなどあり得ない。貴様は真実の愛を邪魔する悪役そのものだ』
当時の王太子との初対面は随分と遅いものだった。
そしてその頃、彼には自分とは別の恋人がいた。
だが、なじれたところでイクシスの立場は変わらない。
出来る限りの事をしたが、やがて恋人との間に子供が生まれた。
『……正妃を辞退?なにを言ってる。飾りの立場がそんなに不満か?だがお前は私のものだ。次に辞退など申してみろ、お前の故郷は消えると思え』
そしてイクシスは諦めた。
大人たちの勝手な事情で生をなした二人の子供は、驚くほど器用に人前ではイクシスを”母様”と呼び、そうでない時には名前で呼び分ける利発な子供だった。
そしてある時、問われたのだ。
『イクシス様は寂しくないのですか?』
『父様は駄目な事をしてます……でも私達はイクシス様が大好きなのです。どうしたらいいですか?』
二人の眼差しに、乾きを忘れていた心が揺さぶられる。
まさか好かれていたなんて。
愛されることなど、とっくに諦めていた。
執着しない事が健全な心を育むと折り合いをつけ、民を慈しみ、己の人生を捧げようと思った。
尽くした先に国の安寧があるならば、イクシスの人生においてたった一つの救いとなるからだ。
だが、二人は慕ってくれていたのだ。
ならば国の未来を背負うこの二人の為に尽くそう。
次第にそう考えるようになり、以前よりもはるかに国を守ることが己の使命だと実感するようになる。
しかし意思とは裏腹に力は衰退してゆく。
そして今、国の行く末よりもはるかに、シェリルとベルナルドのことが心配でならなかった。
「婚礼が終われば兄様を処刑するとロイドは言ってました。私は子をなすまでは生かしてやると……結界のことがなければイクシス様だってきっと……私達は用済みになって殺される……エリザベート様は諦めないと言ってましたけど、私にはとても……――だからイクシス様だけでもこの国から逃げて……自由になってください」
不安を吐露する声は、唐突にイクシスの身を案じるものへと変わる。
「ロイドの興味は逸れています。今なら見逃すはずです……」
シェリルは引出しから折り畳まれた白い紙を取り出した。
「それは?」
「睡眠薬です。護身のため昨夜エリザベート様が私に。これを使って監視の騎士を眠らせましょう」
イクシスは受け取ると、白い紙に朝日に透かしながら包まれた粉を眺めた。
毒とも薬ともなりえるこれをエリザベートが今まで使わなかったのは機会がなかったからだろう。
護身用というシェリルの発言からは、王女を心配させないためのエリザベートの配慮が透けてみえる。
不穏な動きが続く王宮で睡眠不足のシェリルの目元がこれ以上深い影を落とさないように。
素直なシェリルの真心に、イクシスは静かに微笑んだ。
しかし指先でつまんだその包みを鏡台に置き、その代わりに肩へ手を添えた。
「……ありがとう。ですが、信じて待ちましょう……下手に彼を刺激しないことが最良の選択です。エリザベートだけでなく、ヒストリアも、皆が、今は好機を窺っています」
シェリルはエリザベートとベルナルド伝手にロイドを阻止すべくヒストリア達が動いていることを聞いている。それを知ったイクシスは、誰よりも驚いた。
――まさかあの子が。
とても国を背負うには値しない、不遜な言動ばかりの、国王と同じ差別的な価値観を持つ令嬢。
その印象は出会った時から変わらなかった。
生まれ落ちた瞬間から与えられた贅沢な環境に、まだ欲しがるものがあるのかとイクシスは内心呆れていたほどだ。
ベルナルド自身は婚約者を変える気がなかったが、周囲は大聖女の後継者としても妃になる者としてもヒストリアは相応しくないと後ろ指をさしていた。
そしてついに暴走してイクシスに毒を盛ったとされ、聖印を奪われ追放されたはずが、実は冤罪で今は国の希望となっているなど、こんな未来、誰が予想しただろう。
「ですがっ……敵わないかもしれません、それなら国に尽くしてきたイクシス様だけでも……」
シェリルはイクシスを近くで見てきたから自由を得て欲しいと望むのかもしれない。
しかしイクシスはこの顛末を最後まで見届けることを望んだ。
「逃げれば私の献身は意味がなかったことになるでしょう。シェリル王女……守ってさしあげられなくて不甲斐ないです。あなたの晴れ姿はもっと幸せな気持ちで見たかった……」
憎らしい相手の子供であるにも関わらず、唯一の理解者となっていた兄妹。
眩い日差しは白い装束を反射するように照らす。
その眩い花嫁姿にイクシスは目を細めた。
穏やかな時間はもう間もなく終わるだろう。
だが、窓の外の青空が一瞬だけ揺れたような気がした。
イクシスは瞳を瞬き、もう一度目を凝らして空を見る。
国中に張り巡る結界に揺らぎが起きている。
その異変に気付き、まさか……とイクシスは目を見開いた。
結界を使い浄化を試みているのか。
イクシスの記憶では、広域展開される結界の根幹をヒストリアが操れたことなどなかったはずだ。
聖印を持つ大聖女なら、誰でも容易に出来るという代物ではない。
暫くしたのち、荒々しく扉が開かれロイドが現れた。
背後には二人の魔法使いがいる。
背の高い冷たい蝋人形のような男と、王宮を離れていたはずの幻覚の魔法使い。
そして、いつもなら侍らせているはずのエリザベートの姿がなかった。
「――――シェリル王女。儀式の時間を少し遅らせるが、支度は滞りなく進めておくように」
部屋を見渡したのち、苛立ちを隠さずロイドは胡乱な眼差しを向けて告げた。
「それからイクシス様、あなたは念のため拘束させてもらう」
ロイド達の背後から更に神殿騎士らが手枷を持って現れる。
「そんなっ、……何か起きているの!?もしイクシス様に怪我をさせたら――」
シェリルが怪訝な表情で訴えるのを制し、イクシスは一歩前に出た。
実際に何か起き始めているのだ。
頭の回転は早いが本来の気性が荒いであろうロイドが背負う雰囲気は棘付いたものだった。
「……分かりました。一つだけ教えていただきたいのですが、エリザベートはどこに……?」
「はっ、あの糞女か。行けば分かる」
ロイドは顔を歪め吐き捨てるように言った。
つまりこれから軟禁する場所に居るということだ。
イクシスは短く顎を引くと、視線をシェリルに流したのちロイド達の元へ歩みよる。
それから洗脳されている魔法使いを見たあと、憂いを帯びた眼差しをロイドに向け告げた。
「……こんな風にしか人を信用できないまま、生きてきたのでしょうね」




