聖女とは印か、生き方か
エリザベートが仕込ませた睡眠薬入りのワインを口にした聖騎士らは、みな眠りこけていた。
屍のように動かない姿を確認し、ヒストリアはアリアを伴い、二人で階段を駆け上がっていた。
脚を痛めたラキュウスに治癒を申し出ていたが、聖力を温存しておくよう断られたからだ。
「私に合わせず先に上がってくれ。ロイド達が現れたら足止めする」
そう言われ、とにかく必死で最上階を目指した。
華美な神殿も、唯一この螺旋階段だけは質素で冷たい石造り。
一階とは違って足元に絨毯などはなく、灯りが数箇所に灯るだけの、絵画や調度品などといったものも設置されていない。
ただし、人が複数人、悠々と通ることが可能である。
ヒストリアの少し後ろをアリアが探知魔法を展開してロイド達の動きを確認しなが走っている。
ーー早く辿り着かなければ。
息は荒くなり、喉の奥が擦れたような痛みを覚える。
しかし足を止めず必死で走り抜けた。
この王宮内で一番高い場所、そこに結界の根幹がある。
休まず走り続け、徐々に膝裏が張って足が鉛のように重くなってゆく。
それを意地だけで前進させた。
そして大きな螺旋階段を上り切り、ヒストリア達はついに最上階へと辿り着いた。
肩で息をつきながらヒストリアは天上を仰いだ。
そこには神々しい光を放つ聖力の渦があった。
聖力を練り込んだ祈りの歌を共鳴させることで、シルドバーニュの初代聖女が残した結界を維持する事が出来る。
次代の大聖女であったヒストリアには馴染みのある場所だ。
これまで大聖女イクシスや神官らと共にこの場所を訪れた事がある。
しかしここへ来ても目覚まし成果はなく、何度も落胆の眼差しを向けられていた。
「ヒストリア様。ロイド達がこちらに向かっているようです」
苦い日々を思い返していれば、アリアが緊張の孕んだ声音で言った。
「分かった……始めるわ」
喉の奥はまだ熱が溜まっているような感覚があったが、ヒストリアは生唾を飲み下し応えた。
手には浄化石がある。
それを握りしめ、呼吸を整えるとヒストリアは結界の根幹となる光を見つめ息を吸う。
それから歌声を共鳴させんと祈りを捧げた。
聖力を込め、ヒストリアの身体は白銀の光に包み込まれる。
しかしヒストリアの聖力は弾かれた。
反発を受けるように結界は揺れる。
「まだ私を認めたくないのね….」
ある程度こうなることは想像していたが、ヒストリアは口元を歪めた。
相応しくない。
あの光に、そう拒まれ続けているように今までずっと感じていた。
頭の中でイクシスの声が響く。
『聖歌とは、献身の歌です』
ヒストリアは眉根を寄せ、心の中で独りごちる。
自分は献身などとは程遠い。
傲慢令嬢と言われ間違った言動は実際にいくつもしてきた。
けれどそんなにも献身の心は必要なのか。
それを捧げなければ大聖女と認められないのか。
代々の大聖女が操ってきた聖力の根幹を睨みつけたあと、ヒストリアは聖印を失った自身の手に視線を落とした。
以前のヒストリアは、そこにあったはずの印を誇りに思っていた。
だが、この印を他の聖女はどう感じていたのだろう。
初めて自分以外の大聖女達の心中を考えた。
少なくとも国王に愛されず大聖女と王妃の役目だけ求められたイクシスが、自分と同じ感覚だったとは想像出来ない。
ベルナルド曰く、大聖女の印は魔法使いによる効果。
その真実を知ったヒストリアが思うに、印はきっと、国を呪おうとした聖女への贖罪の印だ。
だからこそ、その聖女が軽視された献身に心を共鳴させなければ結界に祈りは通らないのだろう。
となれば、きっとこの結界はヒストリアを受け入れない。
だが慌てるでもなく、ヒストリアは……ーーーー
「献身なんて……そんなしおらしくしてられないわよ」
聖なる光に向かって言った。
もう気づいたのだ。
シルドバーニュの大聖女は、献身という呪縛から解放されるべきだ。
ヒストリアの中で大聖女という概念は再定義されていた。
過去の聖女の悲劇はここで断ち切るべきだ。
諦めて俯き続けることも、
目を逸らすことも、
過去に囚われ続けることも、選ばない。
ヒストリアは足掻き続ける事を選ぶ。
ーー自分の思いを諦めて、他者へ慈愛を注ぎ続けるなど、それを美徳として称賛することは出来ないから。
自分の願いも含めて叶えられるべきだとヒストリアは強く思った。
だからそにために、折れても立ち上がらなければならない。
心の在り方一つなどとは言わない。
精神論を語るつもりもない。
けれど……喚くのでなく、足掻いているうちに、実際ほんの少しだけ前に進んで、変わることがある。
執念は自分の世界を変える。
ヒストリアはもう一度、歌った。
在りしの記憶に残る幸福の歌を。
聖女とは、……人間とはきっと、生き方だ。
階級に職業、様々な立場という印の元に様々な営みがあり、しかしそれは一過性の記号に過ぎない。
一夜にして立場を失ったヒストリアだからこそ痛感する。
どう在りたいか望み続けることこそが、自分を自分たらしめるのだと。
ヒストリアは声を響かせ願った。
聖印がなくともヒストリアは大聖女だ。
この結界を支配してみせる。
そして浄化石を一層強く握りしめる。
ルーメンの拡張魔法が施されたそれは熱を持ち今までになく輝いている。
眩い光を全身に浴びながら、今度は共鳴でなく塗り替えるようにヒストリアの歌声が満ちた。
ーーーーすると、ついに大きく空が揺れた。
反発ではない。
心臓が脈打つように結界が揺れたのだ。
そして一瞬の間を置いてから、シルドバーニュの結界に白銀の光が流れてゆく。
国中に浄化の光の雨が空から降り注ぎはじめた。
「なんて美しいの……」
アリアの恍惚とした声が近くで聞こえた気がした。
その時……己の名を呼ぶロイドの声が響く。
「ヒストリア!」
同時に大きな揺れを感じ、ヒストリアは身体を強張らせながらも歌って、視線だけを後方にやる。
視界の端でアリアが身構えて「来ました……」とだけ呟いた。
もう動揺しない。
あと少しなのだ。
ヒストリアは静かに身体の向きを変える。
太い植物が壁の一部を突き破っていた。
そして、それを利用して上がってきたであろう冷えた瞳を向けるルーメンを見つめた。




