地下牢を開く者
ロイド達の足音が遠くなってからどれぐらい時が経っただろう。
閉塞的な場所では感覚が鈍り、時間が分からない。
ヒストリアは拘束する針金を解くのを諦めたあと、横たわったまま考えていた。
「解除すればこいつは自害する」
ロイドは確かに言った。ヒストリアに。
ルーメンの洗脳を解けば自害させるという意味を、ヒストリアに対して。
それは考えてみればルーメンに対する命令ではなかった。
ルーメン曰く、魔法使いは万能ではないらしい。それはヒストリアやロイドにも当てはまるのではないだろうか。
一定の法則が存在し、その構造を紐解いた時に創意工夫で思いもよらない神秘が生まれる。
あの時、ロイドは勝利の高揚感から、もしかすると命令していないことに気付いていない可能性がある。
ヒストリアに告げた言葉は命令として通用しないのではないか。
そんな願望に近い考えを浮かべながら、ヒストリアは静まり返った部屋で唯一、一定間隔で続く呼吸音に耳を傾けた。
祈りには助走が必要。
その時間は与えられなかったのだ。
ロイドの分析力の方が勝っていた。
失敗してはいけないのに止められなかった。
どくどくとヒストリアの心音がまでもが耳孔に響く。
だが挫けてなどいられない。
ヒストリアは心臓をぐちゃぐちゃに捏ねられるような錯覚に唇を引き結び、とにかく後悔以外のことを考えることに決めた。
ルーメンはあの時、「エリザベート達を信じろ」と言っていたのだ。
……やるしかない。
なにせルーメンは以前、諦めないのなら、望み続けるのならヒストリアを傍に置いてくれると言った。
ここで泣き寝入りしてはヒストリアの望みは叶わないのだから。
エリザベート達は大司教を捕縛したのち、衛兵を扇動して今頃はシェリル王女の救出へ向かっているはずだ。
合流できれば、希望は途絶えない。
せめてアリアだけでも起こそう。
ヒストリアは深く息を吸った。
「っ……」
痛い。歌えば口を覆うように巻き付く錆びついた針金が肌を擦る。
鼻を掠めるのは鉄の匂いか、それともヒストリアの血の匂いか。
だがこの程度の痛みなど……今まで経験したものと比べれば可愛いものだ。
ヒストリアは双眸を伏せ集中した。
光は地下牢を満たす。
どうかこの願いが届くように。
アリアを解放し、ルーメンを奪い返すために……――――。
規則的な呼吸は続く。
だが、幾許かのち……瞼がぴくりと反応した。
そしてアリアは床をなぞるように視線を周囲に彷徨わせたあとゆっくりと身を起こした。
「――私は、なんてことをっ……」
アリアの掠れた声が響く。
二人残された地下牢、そこで起きた出来事をどうやら覚えていたらしい。
かつて姉達の手駒として侍女に付いていた頃の瞳とは違う。
そして最初の洗脳解除の時よりも生気を宿し血の気のある姿になっている。
「これ、自分じゃ解けないの……悪いけど手伝ってちょうだい」
「もちろんです……ヒストリア様、本当に申し訳ございませんでした……」
「なに言ってるのよ。失敗したのは私なんだから……」
アリアによって針金は解かれ、ヒストリアは呼吸を整えると立ち上がった。
「ルーメンを取り返す。そしてロイドと神殿の罪も暴くの、もう洗脳なんてさせない……あなたも協力してちょうだい」
アリアは静かに頷く。
その時、地上が少し騒がしくなった。
数名の足音がこちらに近付いてくる。
扉が軋む音がして身構えると静かな声が落ちる。
「――……無様ね、ヒストリア……」
現れたのはエリザベートで、その背後に二人の衛兵を連れている。
「……ロイドの方が一枚上手だったようね。これがあなたの言う、一番いい方法だったの?」
涼やかな声に反して嫌味たらしくヒストリアを責める言葉に、思わず剣呑な視線を返してしまったのは言うまでもない。
しかしエリザベートは気にした様子はなく、ヒストリアの前に立つとルーメンを見たと告げた。
「……それより、殿下と一緒じゃなかったの……?」
「シェリル王女とは会わせたわ。けれどロイドが上機嫌で神殿へ向かったと聞いたから、気が変わったのよ」
その勿体ぶった口振りに確認するようヒストリアはエリザベートの顔を窺った。
とはいえ見たところで姉の鉄仮面が取れるわけがないのだが。
「どうして拘束もされず神殿を歩き回っていられるの……?」
エリザベートは神殿とは別の王家直属の衛兵を従え堂々とこの地下牢へ入ってきた。
ロイドの目を逃れてといった感じではない。
「あなた達と私は無関係、そういう体にしているのよ。口で言っても信じてくれないでしょうから、ロイドに殿下達を引き渡したわ」
「なにしてるのよっ!?」
思い切った行動に出たエリザベートに、ヒストリアの声は思わず非難がましいものとなっていた。
「相変わらずせっかちな子ね……」
エリザベートは鼻で笑った。
「殿下に妹の晴れの日を最後に見せて差し上げるよう、ロイドに提案したから大丈夫よ。あの性悪男はそういう事が好きだから。それよりも……――聞いたわ。ユリアンと共にここへ来る人が居るのでしょう?今のあなたに必要なのは、時間じゃなくて?」
エリザベートは至極冷静に機転を利かせている。
ロイドに払う信用の対価は高過ぎるが、命の保証は決定付けているとエリザベートには確信があるのだろう。
自分には出来ないことを容易くやってのける姿にヒストリアの視線には羨望が混じる。
ロイドを欺き王宮内部を自由に行き来することは情報を集める一手になるだろう。
これはきっとエリザベートにしか出来ない。
「時間というのはラキュウス辺境伯の報を待つべきって意味かしら……」
「いいえ。辺境伯というより、ユリアンよ」
「どういうこと……?」
「このままアリアをロイドに渡さず、ユリアンと合流次第、あなたはロイドが手出し出来ない空から洗脳を解くの」
ヒストリアは双眸を瞬いた。
「ロイドは今、強力な手駒の入手に成功して浮ついてるわ……きっと本命はルーメンだったのね……あなた達をここに閉じ込めこれまでになく上機嫌、そう時こそ足元を見落としやすい。だからこそ、的確なタイミングまで待つの。これが一番いい方法よ」
地下通路でヒストリアが告げた言葉を揶揄るように使用された事に気づき、一瞬唇を引き結んだ。
落ち着いて機を伺えと言うのは実に姉らしい。
だが確かにユリアンなら飛べる。
見つかればロイドの洗脳によって攻撃してくるであろうが、ルーメンの魔法の展開範囲外かつ上空という領域はロイドに対処されにくいのかもしれない。
確かめるようにヒストリアは訊ねた。
「信じるわよ……?」
一度陥れられた相手だ。
それと同時に、手を取るべき時に振り払ってしまった相手でもある。
「私だって今あなたと喧嘩するつもりはないわ。ここから先はロイドに手出しさせないよう私があなたとアリアを守る。だから、今は耐えなさい」
守る、そう言ったエリザベートの言葉は緊張感が滲んでいた。
それだけ真剣なのだ。
今までエリザベートは王都で一人対処しようとしていた。
その姉が今は、ヒストリア達と共にロイドに立ち向かおうとしている。
「――分かったわ、姉さん」
刹那、エリザベートの目尻が僅かに和らぎ、気のせいか安堵のような吐息を零していた。
それから自らの首元に手を回すと何かを取り外しヒストリアに差し出す。
美しい金の装飾が施された、母の形見である時計だった。
「持ってなさい。ここは地下だから、時間が分からないと困るでしょう」
エリザベートはユリアン達が現れれば誘導すると約束し、地下牢を後にしようとする。
しかし一度立ち止まり振り返るとヒストリアに警告した。
「――――ロイドは魔法で弱点を克服したと言っていたわ。つまり、命令ごとに洗脳を解除する必要がなくなった、そう私は考えるけれど……あなたも前提として頭に入れておいた方がいいわ。気を付けて」




