元王族の真名と希望
真名を呼ばれ、服従を命じるロイドの言葉に、ルーメンの身体に痺れが走った。
瞬間、攻撃の手は止まったが、これはまだ想定内だ。
ある程度は対策の効果があった。ルーメンはそう考えていた。
ロイドに対し初手の洗脳を阻むことは何より重要。
いくらヒストリアの祈りで解除できるとはいえ後手に周ることは避けたかった。
上機嫌で支配欲の凄まじい言葉を紡ぐロイドを睨みつけながら、再び錆びた鉄を浮上させ、間髪入れずロイドを貫く。
「な゛っ、……何故だ!?」
首元を狙ったが、外れて肩に突き刺さる。
対策はあくまで推定の域を出ない未検証のもの。
拮抗しているか、やはり所詮は本物の力に及ばないのかもしれない。
――――兵士を蔦で拘束する前、ルーメンは王宮内の神殿を前にヒストリアに話していた。
「――ロイドはユリアンから俺の真名を引き出していた。興味を持たれているのは間違いない。奴はおそらく特定の範囲にさえ俺達を誘い込めばいつでも洗脳出来ると考えているだろうな」
ロイドを捕縛するにはまず洗脳範囲に入らないこと、初手に遅れを取らないことに尽きる。
「……待って、……本当の名前って……ルーメンは偽名なの?」
ヒストリアは深い蒼の瞳を瞠ったあと、その視線を外した。
黙っていた事に何らかの感情を抱いているのだろう。
名を明かす必要性がこれまでなかったが故に過去の話題を避けていたが、ルーメンはヒストリアの手を取り唯一の懸念を吐き出した。
「……あぁ。君にも知っていて欲しい。ロイドがどこまで想定しているか分からないが、もしもその名を口にした時は、君は俺がロイドの力を増幅させる前に必ず洗脳を解いてくれ」
拡張魔法で聖力を増幅させたように、聖者の力も同じことが出来る可能性にロイドが気付いていれば厄介なことになる。
だからこそ、今は名を明かすことがヒストリアを守ることに繋がるだろう。
「……俺の本当の名は、シリウス・オッド・アルタイル。隣国アルタイルの元王族だ」
―――その名で呼ばれていたのはもう随分と昔の話。
シルドバーニュ西部に位置する隣国、アルタイルの第三王子としてシリウスは生まれた。
軍事国家のアルタイルを統べるのは冷徹で合理的な国王。
実力主義のこの国では、文武に秀でた王子を次代の王に据えるため、正妃の他に優秀な女性を側室に迎え、序列を競わせる慣習を持つ。
野心的な側妃との間に生まれ、権力目当ての母親の命により、物心つくころから各分野に卓越した教師が張り付き、学術と武術を仕込まれる日々を送っていた。
市井の子供が過ごす幼少期とはかけ離れ、正妃の兄二人と関わることすらなく、本を開くか武術に勤しむか。
幸運だったのはシリウス自身が、生まれ気質か環境の影響か、感情の起伏が極めて小さな性格であった事だ。
要求される事は全て王族の責務だと言われれば納得し、与えられた地位と生活の対価だと考え母親の指示に淡々と従った。
理由に矛盾さえなければ高度な要求を受け入れ続けたのだ。
そんなシリウスの周りが騒がしくなったのは、国王が求める最高峰の王子と言われはじめた頃だった。
正妃の子であった兄達を抑え立太するのではと囁かれるようになり、側妃の子という序列を覆し始めた事で嫉妬の対象に。
国内の勢力は側妃派と正妃派に割れ、腹の底を探り合う者達に囲まれる。
食事に毒を盛られることも特に珍しいことではなかった。
しかし、シリウスが十歳の頃、ワルム山脈のドラゴンを見に山へ行ったことで思いもよらぬ形で呆気なく王座への道は閉ざされた。
黒い靄のようなものを浴びて魔法使いと呼ばれる存在になってしまったのだ。
淡い稲穂の髪は黒に、緋色の瞳は黄金色に。
母は嘆き離宮に引き篭もるようになり、そして魔力を宿した息子を国王は殺すことにした。
秘密裏に処刑される事を知り幽閉されたシリウスだったが、絶望することはなく、そうだろうなと達観していた。
瘴気が蔓延する元凶となった魔法使いを嫌う国は多い。
合理的な判断だ。
王族に魔法使いになった者が居るなど混乱を招くだけ。
いくら特異な力を持っていようが、災いの火種は即刻対処するに限る。
国王の判断は正しい。
しかし、そんなシリウスを守ろうとした者が居た。
かつてシリウスの乳母だった女性だ。
彼女はシリウスを城から連れ出して、大怪我を負いながらもアルタイルから亡命させようと馬を走らせたのだ。
シリウスには彼女が何故そのような行動を取ったのか理解出来なかった。
「どうか助けてください。この子はまだ死ぬべき人ではありません。私の息子も同然なのです……どうかっ!!」
生き延びる気のないシリウスはとっくに諦めていたが、彼女は武装した女性を見つけると息絶え絶えに頼み込んだ。
その出立ちから傭兵とでも思ったのだろう。
見ず知らずの人間相手に金貨の入った袋を差し出し、必死に懇願する姿にますます動揺した。
既に追手は近くまで迫っていた。
武装した女は金貨を受け取ったが、シリウスは女がそのまま金を持って逃げると思った。
しかし女は国の紋章を掲げる追手に立ち塞がったのだ。
「いいよ、守ればいいんだね。あんたは休みな」
安堵したように事切れた乳母を背に女は告げ、追手を鮮やかに切り伏せるとシリウスを連れて逃亡した。
それが大聖女セシルとの出会いだ。
それからシリウスは一方的に世話を焼かれ始めた。
乳母の命と引き換えに生き残ってしまったことを、喜ぶべきか憂うべきか分からないシリウスを連れてセシルは旅をする。
シリウスを助けるなどセシルはお人よしなのかと思えば、少し打算的な人物だった。
「で、あんた何が出来るの?魔法使いってほら、特別な力があるじゃない?……えーっ!?自分でも分かってない?期待したのにさぁ……ま、いいや。私けっこう魔法使いには詳しいのよ、教えてあげる」
魔法使いがその力を発揮するにはどうすればいいのか、セシルは教えてくれた。
「あんたって身分捨てたわけでしょう?なぁんか上品ぶってんのがねぇ……鼻につくっていうか目立つというか……そうだ、まず自分のこと俺って言いなよ」
”私”という呼称が気に入らないと言って、世間に馴染むことの重要性を説いた。
「名前も変えよう。思いついたんだけど、ルーメンってのはどう?そうそう、光の尺度って意味ね。悪くないでしょう」
そして新たな名を与えてくれた。
「あんたが料理するって!?もう覚えたの?あれ、まさか私……下手だった?」
セシルは少し不器用で、ざっくばらんな一面が手先にも出ていた。
「――ずっと考えているが分からないから教えてくれ。なぜ俺の乳母は死んでまで俺を逃したんだ。生き延びたって俺が城に戻れる日はない。彼女になんの特もないだろう。無駄死にってやつじゃないか?」
旅の途中でシリウスがセシルに尋ねると、彼女は眉尻を下げて盛大な溜息を零した。
「擦れてるねぇ……」
「それに、あんたもなんで俺を助けたんだ」
見ず知らずの訳ありの人間を。
フードを被っていたとはいえ、魔法使いであることも明らかな状況。
それに兵はアルタイルの紋章をつけていた。
面倒に巻き込まれるのは御免だと考えるのが普通だろう。
「言ったでしょう、お互い弾かれ者同士だって。魔法使いは私の盾に出来そうだからよ」
「あんたは強いだろう……」
盾と言われますます訳が分からない。セシルは剣技に長けている。
攻撃の手駒でなく自分を守らせるつもりなのか。
「あっそう。でも実際、ルーメンの魔法は鍛えれば使い方次第で無敵だと思うし、価値ある逸材なんだよ」
「後付けの理由だ……助けた意味の答えになってない」
「あたしの自由を守る無敵の盾に育てたいの。そしてあたしは夢を叶える」
つまるところ、セシルは大聖女だった。
消滅した国、エルバを出奔した大聖女の孫で、セシルもまた、大聖女だったというのだ。
そしてセシルは瘴気の元凶といわれる門を閉じることを自分の夢だと言った。
「故郷を見てみたいんだ。階級制度さえなきゃ美しい国だって祖母が言ってたからね。ごく少数だけど生き残ったエルバの民はいるし、今は散り散りになって移民として生きてるみたい。移民ってね、立場が弱いのよ……あたしなんて大聖女の力があるってバレたら即監禁ものよ」
故郷を見たいという小さな目的のために大義を掲げるセシル。
その大きすぎる夢は実現出来ないだろうとシリウスは一歩引いた眼で見ていた。
だが、セシルはシリウスに向かって笑いかける。
「現実的じゃないって?いいじゃない、夢みたって。実際これがけっこう楽しいんだよね。ルーメンは教えたら覚えようとしてくれるし、鍛え甲斐がある。私は自分のために祈って瘴気をこの世から消す!努力を止めない人間こそが、自由と強さを手に出来るんだよ」
年上の女の助言ともいえる言葉を理解するのはもう少し先の事だった。
あれはラキュウス辺境伯という同志の元、セシルと共に浄化石を作りに瘴気溜まりへ向かった時のことだ。
ラキュウス辺境伯の後ろ盾を持ってしてもシルドバーニュは聖騎士団を動かすことはなく、セシルはその身をもって浄化石の可能性を証明すると言って瘴石の採掘と浄化を試みた。
当時は情報不足だった。瘴気溜まりに掬う異形の怪物は、知性があり、そして凶暴だった。
だがシリウスはセシルを守る手立てを考えており、成功するかに思え希望は十分あった。
それを覆したのは幻覚だ。
「――セシル!駄目だ。あれは違う、こんな所に子供が居るわけがない!!」
「でも放っておけない」
瘴気溜まりで、怪物に襲われている子供が居たのだ。
周辺には行商人の一団を装った姿。
あり得ない。
瘴気が蔓延する地を、人が、それもこんなタイミングで現れるわけがないのだ。
だというのにセシルは動いた。
「あんたはそこに居ていいからっ、様子を見てくる」
「浄化石を作るんだろ、無視しろ!!待てっ!」
止めてもセシルは聞かない。
豪胆で、気紛れで、夢があるくせに無鉄砲なことをする理解しきれない相手。
よく考えてみれば大聖女が剣を握るのは普通じゃない。
自由を守るために生きてきたセシルは、生きることに執着して、他者にもそれを求めていたのかもしれない。
「現実じゃなくて良かった……世話かけてごめん」
結果、シリウスは間に合わず、セシルは致命傷を受けた。
失敗に終わった浄化石作り。
息絶え絶えのセシルを肩に背負い撤退しながらシリウスは問う。
「夢はどうするんだ……ラキュウス辺境伯の後ろ盾まで得て、ここまで来た。大聖女が居なければ研究は続けられない」
「そうだね……」
そんな二人の前に一人の魔法使いが現れて嘲笑った。
幻覚の使い手だと自ら明かし、純粋な悪意に染まった悪魔のような男の顔をシリウスは深く記憶に刻み込んだ。
――――そしてセシルが死んでから幾年か経ち、ラキュウス辺境伯からある話を聞いた。
「大聖女の印を持つ令嬢が追放……?」
シルドバーニュの王宮で現大聖女のイクシスの毒殺未遂が起き、その主犯がヒストリア・フランドールという令嬢であると判明し断罪されたという。
その令嬢は次期大聖女と謳われる聖印の持ち主。
聖力に期待したシリウスだったが、ラキュウスの声は冷えていた。
「だが印は剥奪されている。性格にも難ありだ。使いものにはならないだろう」
追放先としてラキュウスの統治するルキリュ領に受け入れてもらいたいという打診が王太子からあったため、この話が浮上したようだが、シリウスは冷静に訊ねた。
「セシルの代わりにはならないと?」
「相手は傲慢で我儘な元ご令嬢だ。毒殺未遂の主犯というのが本当ならば性根は腐っている。協力させるなど期待は薄いだろう」
「……つまりラキュウス辺境伯ご自身で保護する気はないのですね」
ディート地区の辺境に移送をさせたという言葉にシリウスは顎を引いて考えた。
王太子は処分に懐疑的な様子だという。
つまり単純に国と一線を置いているラキュウスの元なら無体を働かれないと考えているのだろう。
その行為に一抹の期待を抱いたシリウスだったが、当のラキュウスは歯切れが悪い。
わざわざ呼びつけてまでこの話をしたのは、自分と同じように少し期待をしているのではないだろうか。
だが確信がない以上、面倒を抱える気はないといったところか。
するとやはり、ラキュウスは重々しく口を開き告げた。
「――……あとの事はお前に任せる。見捨てるも生かすも好きにしろ。ただし罪人であることは忘れるな」
ラキュウス辺境伯の命を受け、ヒストリアと出会った。
ヒストリアは何かを求めるように瘴気溜まりまで歩き、身投げしようとしていた。
瘴気溜まりで死なれては面倒なので身投げは阻止すると罵声を浴びせられたが、ヒストリアは酷く憔悴していていた。とても正常な判断が出来る様子ではなかった。
だが、そんな姿でもヒストリアは大層な口振りだった。
「――だったら水をよこしなさいよ」
罵声といい、この一言といい、確かにこれは傲慢な気配が漂っている。
とてもセシルとは似つかわしくない。
だが、全てを失った人間とは、その後に与えられる希望に対し執着する。
シリウス自身が、そうであったように。
他人の夢を叶えたいと突き動かす原動力を、上手くいけばヒストリアにも同じように植え付けられるのではないか。
ヒストリアは気を失っているのにまだ聖力に反応がある。
他人の感情の機微に疎いシリウスだが、検証してみる余地はあると考えた。
そうして細い身体を担ぎ上げシリウスは結界を目指したのだった。
シリウスはセシルの真似をした。
微かにでも自分の心が動いた出来事を模倣したのだ。
すると顔つきは芯のあるものへ変わり、ヒストリアは生気を取り戻し自分を慕うようになった。
実際、ヒストリアには投資価値があるのだから嘘は言っていない。
心の底から価値があると考えている。
手段を間違えなければ、磨けば光る原石なのだ。
だがその姿を前に、時折複雑な感情が沸き立つようになったのはいつからだろう。
変わることを願ったのは自分だが、傲慢な態度を軟化させたヒストリアは、矜持をそのままに前を見据え、かつての師であるセシルに随分と似てきている。
違うのは互いの立場故か……自身の言葉一つでころころ変わるその表情だ。
快も不快もはっきりと顔に出ており、まだ別の引き出しがあるのではと時折考えさせられる。
いつの間にかそれを楽しいと思い、そして意外にもヒストリアはしてやられてばかりでは無く、歳の離れた少女なりの背伸びした言動がルーメンの心を静かに揺らしていた。
自分の庇護下に置きたいと私的な感情が芽生え、それは着実に育ってゆく。
王太子がヒストリアに再縁の打診をした時には不快な感情さえ覚えた。
今や平坦な心を大きく揺さぶる唯一の存在。
守るためにも敗北は許されない。
ロイドを倒し、シルドバーニュの闇を日の元に晒すのだ。
そしてヒストリアの冤罪を明るみにして、彼女の価値を証明する。
――――ヒストリアから希望を奪わせるわけにはいかない。




