王家の罪
これからラキュウス辺境伯から聞いたオリハルト公爵家が所有するという邸へと向かう。
ドラゴンに姿を変えたユリアンに騎乗する前、ルーメンは言っていた。
「ロイド側はこちらの出方を窺っているだろう。だがここから先、王都に近付くということは、いつ狙われてもおかしくない」
アリアによって探知可能な状況にある以上、ロイドの監視下にあると考えなければならない。
ドラゴンで移動するのは移動にかかる時間の短縮は勿論だが、そうした監視前提の速攻勝負といったところもあった。
ここから先は、如何にベルナルド王太子を説得し王宮まで導けるか。
ルーメンが周囲の警戒を怠らないようユリアンに告げ、ヒストリアは緊張で掌が汗ばむのを感じた。
――――オリハルト公爵によって保護されているというベルナルド王太子。
ベルナルドの身は、ヒストリア達が接触することによっておそらくロイド側に生存が知られる事となるだろう。
王都近郊にあるというオリハルト公爵家の邸は、白を基調とした造りで、中央の屋根が一部抜けているように見えたが近づくとガラスの天井が張られているのが分かった。
おそらく日の光を取り込む温室か中庭のような場所のようだ。
それから周囲を囲むように広い庭園がある。
庭園には上空からも確認できるほど、ミモザが立派に咲き誇っていた。
目視で確認できるのは、庭先の門と邸の前に数人の兵士、それから庭園内に作業服姿の男が一人。
警備は手薄で閑散としていた。
「降りるぞ」
ユリアンが降下してゆく。
すると大きな影に気付き空を見上げた兵士らが慄いた様子で固まり、庭師らしき作業服姿の男は腰を抜かしていた。
ユリアンは爪に引っ掛けた網に下げた氷の塊を丁寧に置いたあと、膝を畳み長い首を降ろした。
それからヒストリアとルーメンが降りたことを確認すると、直ぐに両翼をはためかせ空へと飛び立つ。
据え置かれた氷結の遺体と突然の侵入者。
固まっていた兵士らだったが、しかし彼らがヒストリア達に向かって腰に携えた剣を抜くことはなかった。
「フランドール家のヒストリア嬢と、魔法使いルーメンか」
現れたのはオリハルト公爵だった。
ラキュウス辺境伯と同世代という公爵は金縁の眼鏡を掛けたブロンズの髪で、男性にしてはやや線の細い身体に長身の人物である。
ヒストリア達を確認して直ぐに氷像の遺体に視線を流した公爵は眉を顰めた。
「本当に、亡くなってしまったのですね……」
どこか憂いを帯びた表情を浮かべ、追討の意を表し胸に拳を宛て頭を下げていたオリハルト公爵だったが、ヒストリア達に向き直る頃には霧散させていた。
「公爵閣下、このようなご無礼をご容赦ください。ラキュウス辺境伯の名代として参上いたしました」
ルーメンがローブを脱ぎ黒い髪を露わにして一歩前に出る。
静かに一礼する姿にヒストリアもそれに続く。
「構わない。鷹から書簡を届けてもらった。ベルナルド王太子殿下と話がしたいのですね」
既にラキュウス辺境伯より知らせを受けていたオリハルト公爵は、ルーメンの姿にも特に言及せず二人を邸の中に案内した。
通された部屋は、中央の温室らしき場所が見える広いガラス窓がある簡易的な応対の間といった感じだった。
窓から覗く温室には林檎の木が一本。
ラキュウス辺境伯が言っていたものだ。
「私は準備がありますので、一旦退室させていただきましょう。直ぐに殿下が来られます」
ヒストリア達を通したあと、オリハルト公爵が去っていった。
それから給仕の人間が現れ、ティーカップを三つテーブルに揃えると退室し、そのすぐ後に再び扉が開く。
王太子であるベルナルドの姿だった。
「ヒストリア。再び君の顔を見れるとは思ってもみなかった……」
立ち上がり礼を表す二人を前に、ベルナルドはヒストリアを見て意外にも感嘆とした口ぶりで告げた。
その表情には安堵が滲んでいる。
「ベルナルド王太子殿下。お久しぶりでございます」
これまで向けられたことのない柔らかな顔のようにヒストリアは感じた。
まさかここに来てベルナルドの新たな表情を目にすることになるとは想像すらしていなかった。
椅子を勧められ座り直しながらヒストリアは考えた。
ルーメンが以前、ベルナルドがヒストリアを救おうとしたのではないかと推論を述べていたが、それはもしかすると事実だったのかもしれない。
とはいえ、今はそれが事実であったかなど粗末なことだと思い直し、ヒストリアは直ぐにその考えを片隅に置いた。
「叔父上からの書状は読んだ。この状況も大凡は理解しているつもりだ。君達には苦労をかける」
「元はと言えば義兄の……いえ、フランドール家の不始末にございます」
粛々と告げると、ベルナルドは双眸を大きく開く。
そして一言、
「……変わったな……」
複雑な色を宿すベルナルドだったが、瞳を閉じ、再びいつもの物静かな表情に戻る。
それから直ぐにルーメンを見ると告げた。
「遺体はオリハルト公爵に守ってもらおう」
「かしこまりました」
「私はともかく、君たちは探知されているのだろう?叔父上が打開策があると書いていたが詳細は君達から聞くようにとあった。聞かせてくれ」
実務的に会話を進めようとする二人を前に、ヒストリアは思わずたじろいだ。
なぜなら似た性質を持つ二人の合理的であろう展開を理解しつつも、問わずにはいられなかったのだ。
「……殿下。お言葉ですがその前に、国王様本人か確認されなくて良いのですか?」
国王が、いやそれ以前に父親が死亡しているのだ。
オリハルト公爵でさえ氷結された遺体を憐れんでいたというのに、実の息子であるベルナルドは何も感じないのだろうか。
「不要だ。外に出るのは危険……いや、それ以前に既に君が確認しているはずだ。違うか?」
「いえ……」
ベルナルドの言う通りであったが、ヒストリアは彼らの親子関係に若干の疑問を覚えた。
残念ながらヒストリアが王宮へ通っていた頃にベルナルドが国王や王妃とどのような関係を築いているかなど把握していない。
それ故の疑問に、改めて己の無知を思い知らされる。
「ならば問題ない。我が父ではあるが、尊敬出来る王ではなかった……それより気にかけるべきは国母であるイクシス様とシェリルだ」
ベルナルドの国王に対する心の内をはじめて知りヒストリアは目を瞠ったが、深呼吸をしたあと唇を引き結びルーメンが静かに述べる持論に耳を傾けることにした。
「今は問題ないかと……イクシス様は大聖女、シェリル王女もロイドや神殿にとって重要な存在です。公の場に出られる予定のお二人が害される事はないかと思われます」
「その後はどうなるか分からないな……ルーメン、打開策の発案者は君だったな」
「はい。改めて情報の擦り合わせをさせてください」
――結果、ラキュウス辺境伯の元で行われた推測は概ね当たっていた。
「単刀直入に申し上げます。殿下には聖女の廃棄について告発していただきたいのです」
ルーメンが低い声音を一層沈ませて真剣な面持ちで告げるとベルナルドは双眸を伏せた。
「告発か……他に方法はないのか?」
「一刻を争う状況です。神殿まで糾弾するとなれば。ラキュウス辺境伯も今まさに証拠を抑えに向かわれています」
まだ太陽は燦燦と光を放っているが数刻もすれば夕刻へと差し掛かる。
このまま順当にいけば月が夜を照らす頃にはラキュウス辺境伯はベリル達と合流するだろう。
「分かった」
ベルナルドが考えたのは一瞬で、彼は意外にもあっさりと頷いた。
説得には間がかかるかと思われたが、肩透かしとなった態度に動揺したのはヒストリアだけではない。
「そんなに早く決断されて良いのですか……?」
ルーメンが確認するように問う。
ベルナルドは静かに顎を引いては一呼吸置いて口を開いた。
「……昔、ある魔法使いがシルドバーニュに残した言葉がある。”王家が約束を破る時、国は傾く“と。父は信じていなかったが、私は違う」
「……約束とは?」
ヒストリアが訊ねると視線が重なった。
「王家が大聖女を娶ることだ」
その言葉にルーメンはすかさず問う。
「……国王は大聖女イクシス様と婚姻されていますが」
ベルナルドの更なる答えを引き出すためのものだったのだろう。
訝し気な視線を向けるルーメンに対し、ベルナルドは吐息を零したのち口端を持ち上げた。
「分かっているだろう。国王は約束を違えた。表向きの婚姻など意味をなさない」
それはベルナルド自身が国王と大聖女の間に生まれた子でないと告白しているようなものだった。
「私は王族として、大聖女の血を王家から絶やしてはいけないと考えている。歴代の者も皆、そうだったらしいが時代と共に曖昧になり……特に我が父は気に入らなかったらしい」
シルドバーニュの繁栄と引き換えの約束は次代の国王となる者へと継承されるはずだったが、反故にしたと見做されたのだろう。
「大聖女は貴族から生まれる。しかしイクシス様は平民だった。父は考えてもみなかったんだろう」
「王族が娶ればよいのであれば、ラキュウス辺境伯ではいけなかったのですか?」
ヒストリアの問いは至った普通の考えだったが、しかしベルナルドは失笑する。
しかしそれはヒストリアに対してでなく、亡き父親へ対してのものだった。
「確かに王族が娶ればいい。だが、王継承権を捨てる気がなかったとしたら?国王もしくは継承権第一位となる者が大聖女を娶る慣わしがある。正当な理由なく大聖女を拒否する事は許されない。拒否すれば継承順位すら変わる」
その言葉に、国王の欲深さのようなものを感じたヒストリアは、その背に冷やりとしたものを感じた。
「それでイクシス様と表向きの婚姻を結んだのですね。それでまかり通ると考えていた」
ルーメンは国王の意図を理解し考えを吐露するとベルナルドは深く頷いた。
「そうだ。しかし平民の血を王家に入れることに納得していなかった父は、イクシス様を象徴とするだけだった。そしてあろうことか、恋仲にあったオリハル公爵家の令嬢との間に子を設けた」
直接説明を聞くまでは現実味を帯びていなかったが、改めて知らされる事柄にヒストリアは眉根を寄せる。
「それがオリハルト公爵の妹君……殿下の実の母……」
ベルナルド曰く、オリハルト公爵家は責任を求めたが当然公には出来ない。
ゆえにこの家で極秘に出産し、大聖女イクシスが産んだという事にして、両家の間である約束をした。
公には出来ないが、その代わり未来永劫、血縁関係を示す母の名から取った頭文字を入れる。
それがオリハルト公爵家としての落し所だったという。
「まさかそれで命が救われるとは……国の崩壊を防げるなら、告発することに迷いはない。私はこれまで国に尽くしてくれたイクシス様の思いに応えたい」
ベルナルドの宣言にヒストリアは息を呑む。
それから告発の意思を固めるとともに、ベルナルドはヒストリアに告げた。
「ヒストリア。私は君の無実を証明できなかった。結局、辺境送りとさせてしまったが……二度と王家は過ちを犯してはならないと考えている」
その言葉の意味を理解すると同時にヒストリアは無意識にルーメンの横顔を盗み見てしまった。
だが、冷たくも美麗な横顔からは視線が返ってくることはなかった。
言葉に迷っている自身に、ヒストリアは改めて気付かされる。
――ルーメンの心を自分に向けて欲しいのだと。
今までベルナルドから与えられたいと求めてきた優しさ、あれが承認欲求を埋めるための感情であったことはとっくに理解していたが、ルーメンに対してはまだ迷いがあった。
離れたくない。どんな形でもいいから傍に居たい。それはもう認めている。
だが本音のところは少しだけ違う。
今以上に自分を必要として欲しいのだ。
しかし、大聖女との婚姻が国の繁栄のためであったという事実を前に新たな障壁が生まれる。
ヒストリアの密かな願いが思わぬ角度から掬われてゆく感覚に胸に痛みを覚えた。
なによりルーメンが微塵も自分を気にする素振りがないことにショックを受け、ヒストリアは視線を落とし手帳を見つめた。
「――殿下、その前にロイドと神殿の暴走を止めねば話は始まりません」
言い淀むヒストリアを隣に、ルーメンが冷静に口を開いた。
ベルナルドを見据える静かな視線は普段と変わらないもので、声音も整然としている。
それはヒストリアの求めているものではなく、ざらりとした感情が胸を撫でつけた。
「ルーメンの言う通りだな……だが、ヒストリア。今すぐにとは言わない。我々が君にした仕打ちは到底謝って済むものでないことも承知している。しかし国の崩壊を阻止できた時にはやはり君が必要だ。頭の片隅に入れておいて欲しい」
改めて意思を伝えるベルナルドの言葉は真剣そのもので、ヒストリアは困った挙句に小さく頷いた。
ベルナルドが求めんとすることは国の為であれば正しいのだろう。
潔く理由を開示し、王族としての責務を全うしようとする姿勢は立派なものだ。
だがヒストリアにそのような覚悟はない。
おそらくエリザベートならば有無を言わず受け入れただろが、きっと自分にはそう簡単に出来ない。
しかし感傷に浸る間はなく、遠くで鐘が鳴ったような気がした。
「騒がしいな……」
ルーメンが双眸を顰め視線を扉へとやる。
すると慌ただしい足音と共に、勢いよく扉が開いた。
「殿下!王都中央の神殿の紋章を掲げた騎士団がこちらにっ……しかし様子がおかしいのです!」
急報を知らせる兵士は跪き訴える。
「公爵は既に兵を整え、対応する用意はありますがここは危険です。氷像は死守いたしますので……なにとぞ、彼らと共に邸を出るよう仰せつかりました!」




