運命の来訪者は夢を見る
――激しい雨の中、ユリアンは竜に転身し、必死に滑空していた。
「ユリアン!次に姿を変える時、お前は記憶を失い人の姿に戻ることはできない!絶対にだ!」
転身直後に地上で浴びたロイドの怒声が耳を離れない。
ユリアンは咆哮を上げた。
空を切り裂き飛行する身体が強張るのを奮い立たせるためだった。
脳裏に張り付く恐ろしい呪いのような言葉を振り払うため、長く鋭い爪に引っかかる指輪を握りしめた。
そして胸中で姉のアリアが言った言葉を何度も思い出す。
『不安になっちゃ駄目。一気に飲み込まれてしまう』
託された指輪を頼りに、とにかく空を飛び逃げ続けた。
真っすぐ、指輪に嵌められた石が示す場所へ。
アルタイル国が存在を抹消した元第三王子にして、かつて旅を共にした強大な魔法使い――ルーメンの元へ。
六年前、最後に別れた時、ルーメンはシルドバーニュでまだ研究を続けると言っていた。
彼ならきっと力を貸してくれるに違いない。ユリアンにとって信用できる相手はルーメンしかいない。真名を知っているアリアの探知魔法を頼りに速度を上げて飛行する。
竜がワルム山脈を出て目撃されれば混乱を招く事態になるだろうが、しかし逃亡するにはユリアンが知っているなかでこの姿が何よりも速いのだ。
置いていかざるを得なかった姉を想い零した涙は、降りつける雨に消えてゆく。
時間を惜しみ休む間もなくひたすらに飛び続けていると、指輪が光を発し速度を落とす。
ユリアンは旋回しながら指輪を落とさないよう眼前に吊るして、石に刻まれた二つの光が重なっているのを確認した。
――ここだ。ここにルーメンが居る。
上空から確認出来たのは二軒の建物。一つはかつてユリアン達が暮らしていた家に似たもので、もう片方は真新しそうなものだと分かる。
地上に降りたつには姿を変えなければならない。人型へ戻ろうと考えたが、蘇ってくるのはロイドの言葉だ。
『人に戻れない』そんなわけがない。
姉の忠告通り、心を強く持っていれば大丈夫。
そう胸中で繰り返したが、十四歳の多感な子供が一人で抱えるには大き過ぎる重圧にユリアンは息が荒くなった。もし失敗すれば、人に戻れないだけでなく、記憶まで失くしてしまう。
そうなればアリアを助けるどころか、シルドバーニュの王宮内で起きていることを誰にも伝えることが出来ない。
ユリアンは迷った。だが、ルーメンに助けを訴えるには転身してみるしかない。
悔しいことに人外の姿で人の言葉は喋れないのだから。
竜の姿で現れたところで、ルーメンといえど、魔法によるユリアンの転身を見抜けるかは怪しい。魔法使い同士分かるものがあるというわけでもないのだ。よほど条件が揃わなければ窮状を訴えることは不可能だろう。
意を決してユリアンは人目を避けるように地上へ降り立った。
そして黄金色の瞳を閉じ、元の姿をイメージする。深い呼吸を繰り返し、冷静に、集中して解除を試みた。しかし竜の姿を解くイメージが浮かばない。
――やっぱりできない……!
これまで解除に失敗したことは一度もなかった。
やはり神殿の人間が”聖者”と呼んでいたロイドの声に、魔法使いは抗えないのだ。
ぞっとして鱗しかない肌が逆立つのを感じ、心臓がどくどくと強く鳴り響く。
いつものように直接目を見て洗脳されたわけではないが、しかし背後から浴びせられたロイドの声はユリアンの心をざわつかせるものだった。
たったあれだけで。
ロイドに捕らえられていた六年、何度となく洗脳され逃げることが出来なかった。ここまで来れば大丈夫だと考えていたが、甘かったのだ。六年間、洗脳に慣れてしまった身体は聖者の声に敏感になっているとでもいうのか。
ならば記憶を失うのも時間の問題だ。
このままで居るわけないはいかない。竜などシルドバーニュの人間からすれば脅威だろう。せめて違う形態に変わらなければ。
焦ったユリアンは、幼い頃に自宅で飼っていた仔猫を思い出した。白い毛並みをいつも汚して、煤に塗れた灰色の仔猫だ。
――結果的に、ユリアンの転身は人でなければ可能だった。
この姿でルーメンに会わなければいけない。雨が降る中、上空から捉えた家を目指し走った。
小さな身体は雨によって冷え、一歩さらに一歩と、駆けていくうちに思考がぼんやりとしてくる。この違和感はおそら記憶を封印する力によるものだ。
せめてルーメンの元に辿り着かなければ。たった一筋の希望すら無くなってしまう。
諦めては駄目なのだ。アリアもルーメンも、ユリアンが落ち込んだ時はいつもそう言ってくれていた。言葉が交わせなくとも期待を持てる場所まで、辿り着かなければ。
走り続けるうちに、指輪を落としてしまったが、それすらもどうでも良いように思えてきたころ、古びた家が見えた。
そしてユリアンは、その家の扉の前で倒れてしまったのだった。
――――悪夢の権化のような男、ロイドと出会ったのはユリアンが八歳の時。そして魔法使いになってしまったのはその二年前。
ユリアンと姉のアリアは、もともと魔法使いなどではなくただの平民だった。
ある日、森で何かを浴びてから、髪の色が変わり不思議な力を持つようになってしまった。あれは瘴気だったのではないかと、後にアリアは冷静に分析していたが、ユリアンにとってその何かはどうでも良かった。
それよりも、村の人間が一夜にして敵になってしまったことが恐ろしく、毎日震えていた。
優しい父と母は魔法使いになってしまった二人を隠してくれたが、狭い村で二人の変化を隠しきることなどできず、直ぐに噂が広まり、村長をはじめ村の人たちは二人を怖がって出ていけと言った。
両親はそれを受け入れ村を出ることを決めた。
父は明るく「離れた村に移住しよう。ここの連中は狭量だからな!父さんも母さんも一度引っ越してみたいと思ってたんだよ!」と笑ったが、あれはきっと私達に心配をかけないためだったのだろう。
ユリアンは時を経て理解したが、六歳だった当時は何もかも受け入れるには難しかった。
母のお腹には赤ちゃんがいて、二人の髪が黒に染まるまで、ユリアン達家族は希望に満ちていた。
それが今や毎日が不安に押しつぶされそうで、家族という大切な支えがなければユリアンはとうに発狂していたかもしれない。そんなユリアンに姉のアリアは言ったのだ。
「次の村につく前に、私達は離れよう」
「なんで!?」
「これから生まれてくる私達の弟か妹が危険だからだよ。私達のせいでまた村でつまはじきにされたら、無事に赤ちゃんが生まれてくるか分からない。母さんも臨月でこんな長旅、死んじゃうかもしれない。私達がいなかったら父さんも母さんもただの移住者なんだよ、分かる?」
「離れるなんて嫌だよ!なんでそんな意地悪言うの、ユリアン達が邪魔みたいじゃんっ」
「そうじゃないよ、ユリアン。また皆で一緒に暮らすために、今は離れるのが一番だって言いたいの」
「みんなで一緒に……?」
アリアは固く頷いた。その瞳はユリアンと同じ黄金色に輝いていて、薄い涙の膜が張ってあった。
「そう。元に戻るために二人で一緒に旅をしよう。ただのユリアンとアリアに戻って、そしたらまた皆で暮らせるでしょう?」
辛かったがユリアンはそれを受け入れた。また家族が一緒になるために、人間に戻る方法を探すことにしたのだ。
旅の途中で親切な魔法使いとも出会った。
名をルーメンと言って二年ほど一緒に各地を周った。初めは少し怖かったが、ユリアン達の知らないことを沢山知っていて面倒をみてくれた。そしてどこか高貴な雰囲気を漂わせる不思議な人だった。
年の離れた兄のように慕い、魔法の使い方も髪色を赤に変える方法もルーメンに教えてもらった。
ずっと一緒に居たかったが、ルーメンは瘴気の研究をしていて、アリアはシルドバーニュを出て違う国に行きたいと言っていたので、別れることにした。
さびしいが仕方がない。人間に戻る方法を探す方が大切だ。
それにアリアの魔法でルーメンの居場所を探知できるように真名を教えてもらった。
「二人の旅路を祈る。諦めなければ君達の望みは叶うだろう。きっとまた家族で暮らせるはずだ」
旅の途中、魔法使いであることを受け入れているルーメンと、どうしても人間に戻りたいアリアとユリアンでは考えの異なる部分が多々あったが、しかしルーメンは全てを否定するわけでなく、最後には二人の旅路を応援してくれた。
ユリアンとアリアの願いはただ一つ。家族と一緒に、平穏に楽しく暮らすこと。
世間が魔法使いを許さないのだから、人間に戻る方法を探すしかない。受け入れてひっそりと生きていくなど家族に肩身の狭い思いをさせて生きることは考えられないからこそ、二人は旅を続けるのだ。
しかしその旅は、不思議な少年――ロイドとの出会いによって阻まれた。




