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仔猫の正体

「何を言ってるの……いえ、今はそれどころじゃないわ……血を止めなきゃ……」


ヒストリアは振り返りルーメンを見上げたが、子猫に触れていた指先を濡らす血に視線を落とし譫言のように呟いた。

小さな身体は弱弱しく、浅い呼吸が今にも止まりそうで、水を被ったような勢いで悪寒が背筋を伝った。


「お姉ちゃん……」

ヒストリアの側に来たティアの視線を感じ眉尻を下げ微笑んだが、その内側には余裕はなかった。


「どうしよう……死んじゃう、名前……付けてやればよかった……」


別れが来ると寂しいから、どうせ動物には嫌われるから。そんな理由で名を与えず、気付けばもう随分と長くヒストリアの元に居るというのに、こんな時に呼んでやれる名がない。

ヒストリアは身につけていたエプロンを脱いで、血を止めようと仔猫に巻きつけるが、布を当てようとすれば無数の針の位置が変わるせいか余計に出血が増えてしまう。

それが焦燥感を煽り、ヒストリアは声を荒げた。


「ルーメンっ……!なんとかして、お願い!血を止めなきゃ…」


だが返ってくるのは無慈悲な言葉。


「俺の魔法は構造を理解したうえで正しく発動する。悪いがここまでの傷に対応できるほどの医学はない。仮に見える箇所を塞いだところで無駄だ……臓器を貫通しているんだ……それも一つ二つじゃない」

悲痛な表情で訴えるヒストリアに対してルーメンは声を曇らせ言った。


「だったらお医者様よ!村に急ぎましょう!ルーメンが魔法を使えば早く着くでしょう?」


思いつくがまま訴えたが、すぐに返事が返ってこないルーメンの様子に視界が滲んだ。

ぽつりと頬に涙が伝う。

ベリルが諭すよう肩に手を置き告げる。


「残念だが、運べたとしてもディート地区に手術が出来るまともな医者は居ねぇ。別の地区まで行けば診てもらえるかもしれないが……もたないだろ」


「そんな……駄目よっ!この子は私が拾ったの!この子が自分で出ていくまで面倒見るって決めているの!なんとかしなさいよっ!!」

徐々に冷たくなってゆくのが分かり、ヒストリアの心臓は凍りついた。

そして沸々と煮えたぎる苦しさと悔しさから、以前の幼い傲慢な感情のままに叫ぶ。


ルーメンとベリルに言われたことは頭では理解できたが、ヒストリアの感情が許さなかったのだ。

間に合わない、なす術がない。そんなことは分かっているが、それでも認めてしまうのが怖かった。


白昼の元に、重い沈黙が落ちる。



そんなヒストリア達の背後で、ふと、ロマがぽつりと言った。


「――ねぇ。聖女のお歌はキズを癒すよ」

ヒストリアが顔を向けた。その表情は疑心を隠せずにはいられなかった。

「ロマ、聖力に治癒能力などないわ……」

瘴気を取り払い浄化し結界を張るのが聖力だ。魔法のように治療するなど聞いたことなどなかった。


「でも僕が知ってるお話の聖女様は癒してたもん!」


否定されたことにロマは顔を顰め、ムキになって言い返した。

その姿に、ヒストリアはようやく冷静になり、涙を拭うと肩で息をつき声を和らげた。


「ごめんなさい……ロマもこの子を助けたくて教えてくれたのよね……」

ロマは頷き、ヒストリアに歩み寄って片手を掴む。

「いいよ。あのね、僕の知ってるお話はね、聖女が歌でドラゴンの傷を癒すんだよ。この猫もきっと元気になるから、お姉ちゃんの優しいお歌聞かせてあげて」


くしゃりと目を細め、ロマは一生懸命ヒストリアを慰めようとしていた。


「こいつら親父の血筋がアルタイルの出身なんだよ。そっちの国の古いおとぎ話だ。期待させちまったらすまねぇ」

ベリルが口を挟むとロマは不貞腐れた顔で口を尖らせ振り返り、ティアまでそれに加勢する。


「おとぎ話じゃないもん!でんせつってお父さん言ってたもん!」

「伝説もおとぎ話も一緒だ」

ベリルに一蹴され二人が余計にムキになっている傍で、心が落ち着いたヒストリアは考えた。


もう受け入れるしかない。

もし村に医者が居たとしても、こんな瀕死の猫を診て治せる可能性は無いに等しい。


でも、何もできないのならせめて。


ヒストリアはロマの手を優しく解くと、仔猫を膝に抱え直し、血濡れた両手を組み祈った。


「どうか、この子の苦痛が消えますように」


そして深く息を吸い、口ずさむ。

かつて幸せだった頃の温かな記憶を呼び覚まし、エリザベートと共に歌った幸せに満ちた歌を。


助けられないのならせめて歌で慰めたい。

それは子猫だけでなくヒストリア自身に対してもだった。


歌えば心が軽くなる。

慰め程度でいい。胸の痛みを和らげるために祈り、歌うのだ。


するとロマとティア達と共に歌った時のように、ヒストリアの身体を青白い光の粒子が包んだ。

白銀へと色を変え、光り輝き、ルーメンは声を震わせた。


「ルミナス、癒しの光と竜の涙

……アルタイル国に伝わる伝説か……失われた奇跡の力は実在していたのか……」


ルーメンの言葉にロマとティアが瞳を輝かせ、その横顔を見つめ何度も頷いていたが、ヒストリアがそれに気付くことはない。


願いを込めひたすらに歌い、子猫は輝きに包まれる。


どす黒い血は黒い砂となって溶けるように落ちてゆく。

それから子猫の身体から突如として邪悪な黒い靄が悲鳴をあげて噴出し、次の瞬間には霧散した。


時をおかずして子猫身体がぐにゃりと歪み、膝の上で骨が軋むような感触にヒストリアは驚き歌を止める。


すると灰色の仔猫は真っ黒に染まったあと白銀に輝き、一瞬にして姿を人へと変えた。


「……ユリアン!」


ルーメンが駆け寄って、ヒストリアのぐらつく身体ごと少女を支えた。

ヒストリアは膝の上の仔猫が藍色のローブを着た黒髪の少女に変わったことに目を瞠り、それから放心したままルーメンの顔をみた。


腕の中の身体が身じろぎ瞼がぴくりと動く。


ヒストリアは意識を取り戻した少女に視線を戻すと、丸くて大きな黄金色の瞳と交わった。

ルーメンと同じ色だ。


「………ヒストリア?」


「どうして私の名を……」


掠れた声で呟かれた己の名。腕の中の少女は眉根を寄せ唇を噛み締めたあと瞼を固く閉じ、目を擦った。

少女は泣いている。


「ごめんなさい……本当にごめんなさい、私なの……私のせいなの……」


仔猫が少女に変わったことも、何故謝られているのかも分からず、ヒストリアは戸惑い言葉を失う。

それから少女は傍に居たルーメンを捉えた少女は一層のこと悲壮な形相で言葉を詰まらせながら言った。


「助けて、ルーメンっ……聖者がいる……王宮も、乗っ取られちゃう……」


しかし必死に訴える言葉は途切れ、琴切れたかの如くすっと意識を失って少女の身体が少し重くなる。

まさか死んでしまったのかとヒストリアが瞳を揺らしたが、ルーメンは静かに言った。


「大丈夫だ……。眠っている」


それから一呼吸置いてヒストリアから少女をそっと受け取り、細い身体を抱いて立ち上がる。


「これが仔猫の正体だ。彼女はユリアン……変身の力を持つ魔法使いだ。ヒストリア、君はこの子の傷を癒し、呪いを解いたんだ」


ルーメンの言葉を理解するのに困惑する頭が追いつかない。

けれど、一つだけ確かなことがある。

仔猫は生きている。

人に姿に変わったが、命を落とさずここに居る。


心が救われる思いにヒストリアは俯き、静かに頷いた。

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