聖女とは誰のために祈るのか
手の甲が熱を帯びていく気がした。
しかし、ヒストリアが誓いの余韻にいくらも浸る間もなく、ルーメンは立ち上がるなり言った。
「とはいえ、さすがに二人で実行するのは現実的じゃない。採掘にはベリルに協力を依頼すべきだろうな」
切り替えの早い男はもうすでに今後の予定を頭の中で立てているのだろう。
隠す意味はないと理解しつつも、ヒストリアは自身の赤く色づく耳が見えぬよう、掛けていた銀糸を解くように掻き下ろしたのち胸の前で両腕を組んだ。
そして少しばかり顎を引いて眉根を寄せる。
「ベリル?この地区の神殿に依頼じゃなくて?ラキュウス辺境伯の統治下なら動かしてもらえないの?」
お払い箱の大聖女である自分が実験のために採掘に同行するならばこの国に損失はない。ならばラキュウス辺境伯の後ろ盾で神殿の聖騎士を動かしてもらえるのではないか。
しかしヒストリアの考えにルーメンは首を振った。
「神殿は国の管轄だ。たとえ追放した君が捨て駒のように身体を張るといっても騎士達を動かすことはないだろう。聖印さえ消せば無害だと判断をくだし君を追放したんだ。依頼などしてみろ、そのことが間違いだったと考えを改め葬りにくるぞ」
「そ、そうよね……、もしかしてと思っただけよ!やっぱり余計な動きをすれば私は殺されかねないのね……」
ルーメンの推測にヒストリアは溜め息を溢す。偶発的に勘づいてしまい気が重くなったのだ。
神殿を動かすには先に冤罪を晴らす必要があるが、もし冤罪で大聖女を追放したということが明るみになれば国も神殿も面目が立たない。
つまりただ冤罪を晴らせば良いというわけではないはずだ。
ヒストリアが顔を顰めていると、いつの間にか腕から逃げ出していた子猫が再び尻尾を擦りつけに戻ってきていた。
「安心しろ。神殿に協力を仰げないのはさほど問題じゃない」
「それはベリルが居るから?随分と彼を高く買っているようね」
仔猫を再び抱き直しながら訝しげに問うとルーメンは僅かに口角を持ち上げた。
「貴族の階級社会と違って、シンプルだからな。生きることは自己責任、役割を持たない人間は生きづらい。極端に言えば容姿や能力で命運が分かれるのが平民だ。あの若さでこの土地のパワーバランスを保つ役割を担っているのは有能な証拠だ」
「でも彼に兵士なんて用意できるの?」
腕っぷしの強そうな、明かに人相の悪い顔が建築の現場に来ていたことを思い出すヒストリアだったが、小首を傾げた。
結界の外にいるのは人ではなく魔獣や魔物なのだ。自害しようと結界を出た時は幸いにも遭遇しなかったが、身投げするはずだった崖の下に居た蠢いていたもの、あれは紛れもなく魔物だろう。
思い出すと身震いする。野党の喧嘩とは次元が違うことはヒストリアにも分かる。
しかしルーメンはなんてことのないように言ってのけた。
「軍隊が欲しいわけじゃない。君が結界を展開できる範囲に入ることが可能な最少人数で行く。人選が決まり次第、行動に移そう」
一寸の迷いがなく言い切る姿に頷きかけたヒストリアだったが、しかし我に返り口篭った。
「そのことだけど……私、まだ聖力が上手くコントロールできないじゃない?採掘しに行くには早いのじゃないかしら」
つい先ほどルーメンから浄化石の作り方を聞いたばかりだが、強い聖力が必要ということに対し課題があると捉えていたのだ。役に立ちたいとは考えているが、実践可能な力量が備わっているとはとても思えない。自分だけでなく周りまで危険に晒してしまう。
不安の色を浮かべていると、なるほど、とルーメンが独りごちる。
そして徐に水晶の付いた杖を取ると、それを差し出しヒストリアを見た。
「確かに君の力は抑圧されているが潜在的な力は十分ある。水晶に触れてみてくれ」
言われるがままに先端に指で触れてみる。
すると青白い光が煌々と部屋を照らし二人を包み込んだ。
「ほらな、質も量も問題ない」
「あの時と同じ……」
聖印が現れて神殿で測り直した時を思い出す。あの時は球体に触れたが、磨かれる前の加工の施されていない水晶からも同じ光を発していた。
「つまり君に内包されている力は衰えていない」
「でも重要なのは、今わたしがコントロール出来る聖力の量でしょう?」
「それについてだが、一つ試したい。歌ってみてくれ」
聖力を展開させろという意味なのだろう。
そう捉えたヒストリアは、小さく吐息を溢したあと息を深く吸い込み祝福の歌を口ずさむ。
すると毎晩練習していた時よりも広範囲に結果が展開された。
「……なんで……前より出力が上がった気がする……」
動揺しルーメンを見つめる。
ルーメンの家を包むようにヒストリアを中心に降り注ぐ光の粒が、以前にも増して大きな輪を描いていたのだ。
「だろうな。なんせコントロールには感情が関係している」
さも当然の結果だと頷く姿にますます疑問は深まるばかりだ。
「感情?信仰心って意味かしら……王宮で学んだわ。国を助けたいだとか、献身の心で祈るのよね……」
王妃の言葉や神殿の聖職者達の指導を思い浮かべる。
「なるほど。この国ではそう教えられるのか」
妙な言い方をするルーメンに、ヒストリアは疑念の眼差しと共に小首を傾げた。
「違うの?」
「信仰も救済も心から願うのなら特には問題ないが……君は心から願っていたのか?」
心臓がドキリとした。まるで悪いことが見つかって指摘されるような、そんな感覚である。
「いいえ……で、でも!当然滅びて欲しくないわ……大聖女は私の役目だし、なんていうか、今までは義務感の方が強かったかもしれない…」
おずおずと口にするのは取り繕うような言葉。それすらも口にすると自分が聖女らしくない薄情さを秘めていることを知らしめるように聞こえ紡ぐ声が窄んでいく。
だがヒストリアの懸念を他所に、ルーメンは一蹴するかのようなとんでもないことを言い出した。
「義務か。そんな考えは一度捨てろ。重要なのはなぜ力を欲するかだ」
思わず目を見張るが、そのあとの理解が追いつかず無言で言葉を待つ。
「ヒストリア。大勢を救うことを本心から願うならそれでいい。だが重要なのは大義よりも欲望に素直になることだ。そうセシルが言っていた」
ルーメンの師匠――セシルの名が出てきて更にヒストリアは驚くこととなった。セシルというのは想像したよりも突拍子のない人物なのかもしれない。
「欲望に……」
シルドバーニュが求める聖女像とあまりにも掛け離れる発言に問わざるを得ない。
――自分の欲望……ルーメンの役に立って認められたい。
「でも、それっていいの?聖女なのに……」
仔猫を抱きしめていた腕には無意識に力が入る。
動揺するヒストリアに対し、ルーメンは少し考える素振りを見せたあと言った。
「――あぁ。セシルは自分のためにしか聖力を使わなかったな。俺もその考えには賛同する」
「え、でも……ルーメンは皆のために瘴気を研究しているんじゃないの?てっきり世界のために祈れとか、そう言われると思ったわ……」
「皆のため?まさか。俺はラキュウス辺境伯とセシルが目指したものを成し遂げたいだけだ。そもそも祈りなんて自分のためのものだろう。違うか?」
それはヒストリアの中にずっとあった窮屈さの正体を突き止めるような言葉だった。
「そんなこと……でも、献身の心に女神が応えるんじゃないの……?」
ルーメンは正しい。だがルーメンの言葉すべて頷いていいのだろうか。
ヒストリアの望む答えを持っていると分かっていても、刷り込まれていた聖女像から後ろ指を指されるような気分は拭えない。
気高く、無色透明の心で、民を愛し国を愛する。献身と慈愛に満ちた賢い女性。それがシルドバーニュという国が大聖女に求める聖女像だ。ヒストリアがずっと求められ続けたもの。
しかしルーメンはいつにも珍しく、感情の灯る声音で強く言い切った。
「馬鹿らしいな。聖女だろうがなんだろうが、どんな願いにも献身なんてものは存在しないに等しい」
声を荒げられたわけでなかったが、強い否定はルーメンのただならぬ感情が混ざっているのを感じた。
そこには一瞬だけ苦々しい表情が見えた。いや、見間違いかもしれないが、ヒストリアにはそんな気がした。
「ルーメン……」
知りたい。何を想像して強い否定に至ったのか。
けれどもきっと、違和感に触れてはいけないのだろう。
ヒストリアの呼びかけを遮るように、しかしいつもと変わらぬ声音で、そして温度を感じない表情で説明が続けられてゆく。
やはり触れては駄目なのだろう。
ヒストリアは頭の片隅に留め置くことにして深く頷いた。
「話を戻すが、君の力は心から願うもののために祈れば最大値を引き出せるだろう。だが、感情は数値化できない」
「そうね…」
「君が浄化石を作ることを承知してくれたのなら、ここで試行錯誤して時間を割くよりも、もっといい方法がある。逆に考えるんだ」
「逆……どういうこと?」
「君が太刀打ちできる大きさの瘴石を一気に浄化する。あとは完成した浄化石に俺の拡張魔法を付与すればいい。少人数、スピード重視の採掘をするぞ」




