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雨が連れてきたもの

窓の外は薄暗く、しとしと降る雨は、新築で乾ききらない塗装や木材の香りを深めていた。

ルーメンの家が完成してからヒストリアの生活は一変した。


ヒストリアが元居た小屋のような平屋は寝起きをするための場所となり、ルーメンの手伝いや食事などは新築の家の方で行われている。

新しい家には寝室が二つ個室で誂えられており、ルーメンからは移り住んでかまわないと言われていた。どうやら個室が作られたのはヒストリアのためだったらしい。


追放先にあてがられた平屋と比べれば、きっと何十倍も住み心地が良いだろう。特に搬入された寝具など現在使っているものと雲泥の差だと見れば分かる。今の寝台は雨が降ればかび臭く、薄い木板は背中を痛めつける。おそらく貴族に飼われている犬猫の方がもっとマシな寝床を使っているだろう。

とはいえ、新しく家を建てたのは、未婚の自分が男と同じ屋根の下などあり得ないと言い張って平屋の改装を拒否したためだ。ルーメンが元々どういうつもりだったにせよ、環境の違いを目の当たりにして好意に甘えるなど都合がよすぎる。それはヒストリアのプライドが許さなかった。

そのため、助手としての手伝いや共同で行う食事作りなどは利便性のよいルーメンの家で行い、寝る時はヒストリアは平屋へ戻る、といった生活を取ることとなったのだ。


そしてヒストリアは今、ひとり作業場で薬草を棚へと詰め込んでいた。

ルーメンは人が良いのか、それとも何か目的があるのか、研究の傍ら村で依頼を受けては薬草を採取し薬を調合していたりする。そして薬草の採取には近隣の森までヒストリアを同行させ、採取した薬草の仕分け方法を教え、一部の作業をヒストリアに任せるといったことが増えた。

さすがにヒストリアが調合することはなく、やることといえば雑用である。しかし書物で知った草木を実際に見て触れるという作業は新鮮で、森に行けばルーメンが傍で詳しい解説をはじめるので記憶にも定着しやすい。

覚えている実感が湧き、作業を任されることで会得しているという実感もある。

しかし大聖女としての力は未だ求められていない。

それを寂しく感じる一方で、当然のことだともヒストリアは思っていた。

毎晩歌っている聖歌は相変わらず放たれる光が淡く、大聖女としてルーメンに求められたところで期待に応えられないのも事実なのだ。


――ガタ、と唐突に何かがぶつかる音がした。

それが扉の方だと気付いたヒストリアは作業の手を止め音のした方へと顔を向ける。村まで薬を納品しに出かけたルーメンを想像したが、それにしては違和感のある音だった。

耳をそばだてていると、もう一度何かが扉にぶつかる音が続く。


人、というより動物だろうか。なんとなく近づくべきでないと胸騒ぎがするが、とても見ずにはいられない。好奇心とはそういうものだ。何が起きるか想像するより先に足が扉へと進む。

そっと耳を当てると「ギ、ギ、……」と木目を爪で研ぐような振動があった。

やはり動物だと確信したヒストリアは、少しだけ扉を開き隙間を作る。

それだけでは何が音を立てていたかは分からない。飛び込んでくる気配もないため、もう少しだけ開き顔を覗かせると、灰色の小さな塊がそこにあった。

「……猫?」

僅かに震えている姿に、ヒストリアは眉を顰めると静かに扉を閉めてから考えた。

雨が連れてきたのは小汚い子猫だった。

そして再び扉を開き様子を暫く窺ったあと、動く様子のない子猫を両手で掬い上げ、室内へ連れていった。今では一人で湯を沸かすこともできるようになり、手際よく桶に湯を張る。身体を拭うのに最適な温度で子猫の身体を洗っていけば桶の中の色が変わった。

雨と泥に濡れ見るに堪えなかった姿は変わり、シルバーグレーの短い毛並みが現れる。


「汚いわね」

猫と対比する湯の色を見て呟く。

土の付いた野菜を洗うことに慣れても、動物にはまだ抵抗がある。

生きていると分かる鼓動は指で感じるが、ぐったりとしたままで眼を開ける気配はない。

身体を拭いてやったあとヒストリアは瓶の中から白い塊を取り出しミルクを用意し、スプーンでそれをすくって子猫の口許に当ててみる。一度目は反応がなかったが、暫く待って再び試してみると鼻がひくつき桃色の舌が伸びてきて飲みこんだ。相変わらず瞼は閉じたままだ。

「寝たまま飲むつもり?ちゃんと起きて」

抱き直して呼びかければ子猫は大きな青い目をヒストリアに向けた。

同じ色だった。澄んだ浅瀬の澄んだ色でなく、海の底のような深い青。

僅かに覚えた親近感を拭うように無心でミルクを与えてから、ヒストリアは部屋を移動すると暖炉の近くの長椅子で膝に乗せルーメンの帰りを待つことにした。

空腹が満たされたのであろう子猫はヒストリアに頬を摺り寄せてくる。

「現金ね……まぁ、私も同じようなものだけど」

ぴょん、とヒストリアの膝を蹴って胸元を駆け上がった。肩にしがみつくよう登り上げた子猫は耳元を擽るように鼻をつけてくる。その仕草をやんわり手で窘め引きはがし膝へと戻した。

「私、動物は好きじゃないのよ。ドレスに毛がつくし、それにあんた達も私が嫌いでしょう?」

言えば子猫はじっと青い目でヒストリアを見据えあと瞬したかと思えば腹を出すように転がった。

不思議なものだ。そう思うと苦笑いが零れた。


猫にしても、犬にしても、ヒストリアが近づこうとすれば彼らはいつだって毛を逆立て威嚇してきた。

父から猫を贈ってもらった時もそうだ。七歳の誕生日に買ってもらった猫はなぜかヒストリアの腕の中に納まることを嫌がった。警戒し、寄り付かず、いつもエリザベートの元へ行ってしまう。

主人に懐かない猫が気に入らず、別の猫に交換するよう父に強請って新しく迎え入れたが、その猫も同じだった。ヒストリアは大泣きして父とウィラー夫人が慰めてくれたが虫の居所がそれで収まるわけがなく、今度は猫でなく犬を求めた。結果的に犬の方が厄介だった。

大きく口を開いて吠えつかれ、歯を剝き出しにする子犬はとても可愛いとは思えなかった。

「捨ててきて!ぜんっぜんかわいくない……毛がつくし、くさいし!なんなのこれ!」

泣きわめいた結果、その犬はエリザベートの友人の子爵令嬢の家に引き取られることとなり、使用人たちが陰で「犬は人を見抜くって言うじゃない」などと話しているのを偶然聞いて酷く苛立ったものだ。

「そんなわけない……うそよ!ねぇ誰?今言ったの!クビにしてやるからっ!」

陰口に落ち込んで縮こまるヒストリアではない。

この国を背負う大聖女で、そして王太子の婚約者でもあるのだから、もっと敬うべきだと信じ込み不敬だと激しく憤った。そしてその日、一人の侍女を首にした。彼女は実家からも縁を切られたというが、自業自得だとヒストリアは胸に沸いたもやもやとした感情を飲み下した。


そんなことがあってから動物が苦手に思うようになったのだが、しかし今、膝に転がる子猫はヒストリアの手を小さな舌で舐めている。

「仕方ないわね……生きたくて媚びてるのかしら」

何か理由をつけなければむず痒い気持ちにさせられる動きだった。

暫くするとルーメンは戻ってきた。

「それは?」

濡れたローブを暖炉の傍の吊り具に掛けながらルーメンは言った。

長椅子に腰をかけるヒストリアの膝に居る小さな来客は身体を縮こませたまま固まっている。

視線は真っすぐルーメンの挙動へと注がれており、子猫が自分に無害な相手かどうか観察しているのだと分かる。

「拾ったの。玄関に倒れていたわ」

「飼うつもりか?」

「違うわよ。弱ってたからミルクをあげただけ。玄関に死体があったら嫌でしょ……ねぇ、村で猫を飼いたいって人を探してちょうだい」

「……探してもいいが、君が世話してやったらどうだ?動物が好きそうだし」

ルーメンに言われ、微妙に胸がざわつくのをヒストリアは感じた。

「まさか。嫌いよ、懐かないし」

「懐いてるじゃないか。それに気付いてないようだが、森に行くと君は鹿や鳥をよく眺めている」

見られていたのかと思うと妙に気まずくルーメンから顔を背ける。

指摘は間違っていない。本当は好きだ。動物がヒストリアを嫌うから嫌いだと思うようになっていただけなのだ。

この猫も今はミルクを与えてくれたヒストリアに擦り寄ってきているが、きっと他に保護してくれる者が現れれば次の日には忘れているかもしれない。だからルーメンに頼んでいるのだ。


「君は香水とか、そういったものを身につけるタイプだろう」

徐にルーメンに言われ何のことかと首を傾げた。

「動物は嗅覚が鋭い。もし過去に懐かないといったことがあったのなら、匂いが原因の可能性もある。たとえば柑橘系や香辛料の香は忌諱される」

言われてヒストリアは大きく瞬きをした。

香水ならばその当時いつも身につけていた。王子と正式に婚約を結んでおり、他の令嬢達に見くびられないよう、身に着けるドレスやアクセサリーを始め化粧なども常に最先端のものを施し、そして香水は当たり前のように振りかけていたのだ。

改めて考えると七歳のヒストリアに香水は必要なものではなかったのだが、デビュタント前の令嬢達を集めたお茶会ではいつも三大公爵家のソフィーナ公爵令嬢が最先端の流行を見せつけてくるため、背伸びをしていたのだ。

もしも本当に香水が原因だったというのなら、動物から嫌われていたのは自分のせいだ。


「……この猫。気紛れで出て行くかもしれないし、それまで世話するわ」

膝の上の子猫を撫でつけながら見つめ、ヒストリアが言う。

「分かった。放っておけないからな」ルーメンは小さく頷き言った。

それはヒストリアが胸中に抱いていた想いを代弁するかのような言葉だった。


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