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夜明け前、エリザベート・フランドール

「エリザベート。君と僕は、年も同じで父も同じ、違うものといえば母の身分だが、お互いの望みは父の破滅だろう?なにかと共通点が多い。だから僕は君のことは信用してる。確認だけど……神殿に生涯を捧げるつもりだという意思は間違いない?」

穏やかな笑みを湛えるフランドール侯爵家の義理の兄、ロイド・フランドールは、父の執務室の机に凭れかかるよう腰をかけていた。この部屋に父はいない。もうずっと前からだ。

日が暮れた一室、人払いされた部屋でエリザベート・フランドールは、同年の義兄を冷ややかな眼で見つめ、溜息を零す。

「えぇ。ソフィーナ公爵令嬢みたいに一々聞かないでちょうだい。私は神殿に籍を置き、この家はあなたのものになる」

ソフィーナ公爵令嬢はヒストリアが聖印を持っていなければ王太子妃にもっとも近いと言われている三大公爵家のご令嬢だ。ヒストリアの振る舞いや聖力を広域に展開できない現状に対し大聖女としての資質に疑念の声が上がり始めた最近、エリザベートを大聖女代理の座に推す声が密かに上がっているのだが、それを知ったソフィーナ公爵令嬢は王女とも交友の深いエリザベートが王太子妃の座を狙っているのではないかと疑っていた。

公爵令嬢ともいう立場の女性が、わざわざ侯爵令嬢のエリザベートに直接問いただすのは、たとえ人が見ていない場だろうと淑女としてはしたないと軽蔑したが、一方でエリザベートが残した火種が確実に大火に変わる予感を感じさせた。

ロイドの方はおそらく、フランドール家掌握の手段としてエリザベートの承認がなければ成立しないため、念押しをしたいといったところだろう。ロイドの性格が垣間見れる。

もしも今さら家に残るなど言われるとたまったものじゃないのだろうが、心配無用というものだ。エリザベートにはその気が欠片もない。

ロイドはエリザベートの返事に納得した様子で爽やかな笑みを向けた。

「確認だよ。大事なことは確認しないと気が済まないんだ。君の気持が変わっていたら顔色に表れる。君は完璧な淑女だけど、僕は人の顔色を読むのが得意なんだよ」

「……なら安心できたわね」

「あぁ。そうだ、酒はどう?」

父が棚に残していたであろう蒸留酒の瓶を手にロイドは訊ねた。一方の手にはグラスが一つ。分かっているくせに、とエリザベートは独り言ちた。

ロイドがあえて聞いてくるのは勝利前の興奮だろうか。

「結構よ。祝杯のつもりなのでしょう」扇をさっと開いて軽く仰げばロイドの声が弾んだ。

「飲まずにいられるかい?年月はかかったが僕の構想通りに事が運べた。しかも君は僕に協力的で排除する手間も省けたんだから、運は完全に僕に味方していると確信したよ」

「私はあなたが居ても居なくても結果は変わらなかったけれど、……」

「……そうかな?」

刺々しい言い方だった。

「ねちっこい男ね……」

確かに、エリザベートの中に消えることのない激情を知らしてめてくれたのはロイドだ。エリザベートは父がロイドを家に連れてきた日を思い出した。

権威にかしずき責務には目を背ける父がヒストリアの威光を振りかざし始めた頃、ロイドはフランドール家に迎え入れられた。


ロイドとエリザベートは当時十五歳。入り婿の立場でフランドールの邸に庶子を置くなどついに気が狂ったかとエリザベートは疎んだが、父が連れてきた少年は平民として生きていたにしては違和感があった。

完璧でないにせよ礼儀作法の基礎は身についており、領地の経営学も学んでいるらしい。単純な父の目論見を見抜くのにそう時間はかからなかった。神童ともいうべき優秀なロイドと怠惰の化身ともいえる父。この二人の対比は火を見るよりも明らかである。

エリザベートは父が自分の影武者としてロイドに仕事をさせるつもりだということを確信し、そしてロイド自身がまるでそれを望んでいるかのように父に懐く姿に疑念を感じた。

当然、当たり障りのないようにロイドを受け入れたかの如く過ごしお互いに一線を引いていたようにも思う。だがある時にロイドは使用人の目を盗みエリザベートの私室に忍び込んできたのだ。

当然、声を上げようとした。

しかしロイドは目配せし、無邪気に両手を上げて言うのだ。

「聞いてよ。君はヒストリアを陥れるのが上手いでしょう、僕と似てるよね」

「…………どういう意味かしら?ヒストリアは大切な妹よ」

エリザベートの本心を暴こうとする行為を無下に扱えばどうなるか、天秤にかけた末に疑念の眼差しを向けながらひとまずロイドの言葉を待った。

「いいよ、取り繕わなくて。僕には分かる、君は僕と同じだ。他の人に言うつもりはないから、僕の前では本当のことを言ってくれないかな。エリザベートはヒストリアが憎い、そうだろ?」

”憎い”など無縁の単語をはっきりと聞き取れば胸に落ちるものがあった。

「――そうね。私はヒストリアが嫌いなの」

「やっぱり。僕はね、顔を見てると分かるんだよ。どんな感情を抱いてるか、君はヒストリアや父に対して家族の愛を持ってない。あるのは嫌悪だよ」

胸の奥底に深く沈めていた感情を容易く指摘するロイドからは悪意を感じるが、しかしそこには敵意がないことも同時に理解する。エリザベートはロイドとの関係を変えるつもりがなかったが、どうやら向こうは近づきたいようだ。

聖女の理想像と呼び声が高いエリザベートがこれまで自分の思いを吐露する機会などなく、ロイドを警戒するのも途端に馬鹿らしくなりエリザベートは椅子を勧めた。

「だってお父様に心酔しすぎですもの。聖印が現れるまで無視されてきたのに、掌かえして優しくされたからって疑いもせず、忠告する私の言葉は届かなかったわ。それにあの子、平民は家畜だって心のそこから思ってるのよ。父の影響を受けないよう守ろうとしたけれど無駄だったの。だから嫌い。これでいい?」

ロイドが何か吟味しようとしていることを察し明け透けに語る。

すると垂れていた鳶色の髪を掻き上げながらロイドは頷いた。

「君は本当に優しいな。だから中途半端なんだ」

肩眉が僅かに下がるのを感じる。これは不快感だ。しかしロイドは気にも留めず流暢に持論を展開する。

「ヒストリアのことも父親のことも、二人とも不幸になればいいと思っているだろう。なのに、積極的に不幸に突き落とそうとしない。それが中途半端で、優しいって言ってるんだ」

「……違う。私はただ、正しくありたいだけ。あなたが余計なことをしなければ、来るべき時に、天罰が下るの」

「そうかな?正しさで人は壊れない。壊すなら、もっと徹底的にだ。中途半端な状態が一番よくない。この家は手の施しようがないって気付いているのに、ただ天罰を待っているだけ?」

聞捨てならない言葉に持っていた扇子を音を立てて閉じた。

エリザベートには一つ、確信していることがあったのだ。それは良いことも悪いことも、直接手を加えては崩壊するという原理。表舞台に上がっては駄目なのだ。本当に達成したいことがあるのなら、その対象ではなく周囲を扇動することが確実なのだと。

ジル一家の悲劇を目の当たりにした時、エリザベートは反省していた。

もしもフランドール家の正当な血筋を持つ叔母を味方につけジルの優位になるよう証言していれば、その時に居た護衛達を篭絡できていれば、父の激情を捻じ伏せることが出来たかもしれない。そうすればあの家族に過分な懲罰が与えられることはなかったのだ。短慮な判断で衛兵に袖の下を渡してジルが逃亡できるよう図ったエリザベートは些か気忙しかったと。

しかしロイドは続ける。

「僕は君を評価してるよ。自分の見せ方がよく分かってる。この家じゃ、ヒストリアは大聖女の肩書を持ってるだけの無能な我儘女。父は権力に寄生する害虫。社交界もこの家の使用人らも共通の認識だ。だが、ただ崩壊していくのを待つだけでいいのか?もしも天罰がくだらなかったら……?」

「ヒストリアは大聖女になれないわ……私が絶対にさせない。あの子が王族に名を連ねられない時、私は父をフランドール家から追放する。権威を失った父は絶望するでしょうね。それが天罰よ」

信用とは日々の積み重ね。自分の信用をいかに積み上げるかによって、相手の心証は変わる。同じ出来事がおきたとしても、ヒストリアとエリザベートでは相手が出す答えは異なるのだから。

ヒストリアの信用を落とし、自ら転落していくさまをエリザベートはただ”見ている”だけでいい。

「……本当にそれで満足?できれば君を敵に回したくないんだ。回りくどいことなんてやめて協力しよう。僕たち二人なら、もっと堕とすことが出来る。お行儀よくするのなんて止めよう。本当は壊したいでしょう?」

エリザベートの確信に揺らぎはなかった。

だが、ロイド……この少年はエリザベートを排除すべきか今この瞬間で確かめている。ロイドは父の信用も厚い。エリザベートは考えた。

焦ってロイドを排除する必要はない。

「僕らは胸の内を開けわたすことが出来る。いい共犯者になれるよ」

今この場で決めなければならないというのなら、何が最良なのか。これも天罰が下る過程とみるべきか、エリザベートは瞼を閉じる。胸がすく景色を、ロイドは見せることが可能だというのか。

「僕に同意したってことで良い?」

「ええ。私の望みは父とヒストリアから幸福を奪うこと。害悪には天罰が必要よ」

静かに頷くとロイドは相変わらず軽やかな口調で告げたあと、手を二度ほど叩く。

「いいね。じゃあさっそく紹介したい子が居るんだ。入っておいでよ」

エリザベートの自室の扉が開き、そこには二人の少女が居た。

つやつやとした黒い髪。聖書で読んだ魔法使いの外見と一致する。

「彼女たちはアリアとユリアン。可愛い人形だよ。僕のコレクションなんだ」



――――ロイドは数時間後には城に上がらねばならないというのに、グラスを傾け黄金の蜜のような酒を口にしていた。

無駄な興には付き合いきれないと、自室に戻ろうとすれば背後から声がかけられた。

「ところで、明け方のヒストリア断罪劇を本当に見に来ないのかい?君はヒストリアの実の姉だ。僕は父の代理として登城するが、そこに君が同伴していてもさして問題ない気がするけどね……」

勿体ない、と言わんばかりの声音は甘かった。

「必要ないわ」淀みなく答える。ロイドという人間は相変わらずねちっこい男である。

「僕らの勝利の瞬間だぞ?やっとあの男から最高のかたちで権威を奪うことができる」

「つまり結果はもう決まっているじゃない。それをわざわざ確認しに行くのは弱者よ」

「僕を非難するのか?酒が不味くなるなぁ」

不機嫌を隠すつもりはないようで、口を尖らせる。こういうところが好ましいのだろうか。

他者の警戒心を解くような優男。

なまじ顔が良いばかりに、裏の顔も知らないご令嬢達は遊び相手にロイドを求めたがる。

「……ロイド。あなた、随分と興奮しているように見えるわ」

窘めの言葉を残しエリザベートは部屋を去った。すれ違う使用人にはもう何度も練習し洗練された笑みで対応する。

あとは結果を待つだけ。

断罪劇の行方は明日の正午にはフランドール家に正式に伝わるだろう。

それまでは憐れな妹の身を案じ、信じられないとばかりに泣く用意をしていればいい。


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