表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『神律大学の未証明者《アンプローヴン》』   作者: 仕儀の反駁
第五章《公理階層》《第六候補》編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
75/82

第七十四話 沈黙の十五秒に拳は答える

 次の現在確認まで、残り十二秒。


 通信は途切れている。


 第一研究棟も、地下演習路も、旧気象観測所への連絡路も見えない。


 俺の前にあるのは、崩れた白い階段と、久世律真。そして、その周囲を埋め尽くす数十体の《前提執行体》だけだった。


 数十体の白い人影が、一斉に踏み込む。


 最も近い一体は正面。二体が左右へ分かれ、別の三体は床へ溶けるように影へ入り、残る人影は崩落する階段の破片を足場として上方へ回り込む。


 全てを見る余裕はない。


 俺の通常身体速度は、一〇〇・〇メートル毎秒まで。


 《前提執行体》は通常時間側の身体だけでも二百メートル毎秒を超える。


 久世は、六二一・七メートル毎秒。


 単純な身体速度だけを比較すれば、俺が最も遅い。


 それだけではない。


 《前提執行体》の存在格は、無刻存在(アンクロノス)


 通常時間側の身体速度とは別に、必要と判断すれば、自らの任意で《無刻行動》を成立させることができる。


 認識。


 判断。


 移動。


 執行。


 その行動に必要な経過時間を、〇のまま成立させる。


 もし、あいつらが《無刻行動》を選べば、その有限の攻防が終わるまで、俺たち通常時間側の存在には次の状態変化が生じない。


 俺も。


 久世も。


 ほかの戦場にいる澄玲たちも。


 同じ攻防過程へ一手を返すことはできない。


 ただ一人。


 同じ無刻存在(アンクロノス)に属する緋月だけが、《前提執行体》の《無刻行動》を認識し、経過時間を増やさないまま対応できる。


 緋月が止めるのは、俺たちが何もできない条件から、帰還先の移管や現在人物の再分類を先に完了させること。


 通常時間側へ戻された問いは。


 俺たち自身で答える。


「現在確認を続けると言ったな」


 白い人影の隙間から、久世の声がする。


「十五秒ごとに、自分の名前と現在位置、継続する行動を提出する」


「ああ」


「相手から返答がなくても?」


「ああ」


「それは相互確認ではない。各自が一方的に発言しているだけだ」


「今は、それでいい」


「確認できない相手を、現在人物として扱う根拠にはならない」


「なら」


 俺は右足を引いた。


「十五秒待て」


「次も返事が来る」


 正面の《前提執行体》が腕を伸ばした。


 白い指先が触れようとした場所から、俺の身体記録へ文字が浮かぶ。


 ――黒瀬零。


 ――現在位置、白階段中腹。


 ――構造物付属記録への再分類を開始。


 人間として倒す必要すらないらしい。


 俺を、この白い階段へ帰属する一件の記録へ変え、そのまま構造物と一緒に処理するつもりだ。


 左へ踏み込む。


 速度、六八・二メートル毎秒。


 正面の腕を避け、そのまま右側から迫る二体の間へ入る。


 二体が向きを変えた。


 人間のような関節運動はない。


 重心を移した様子もない。


 白い身体全体が、最初から俺の方を向いていた形へ置き換わる。


 一体は首。


 もう一体は足元の影。


 同時には防げない。


 なら。


 先に、結果を選ぶ。


 左腕を上げる。


 首へ伸びた白い刃が皮膚へ触れた。


「保留する」


 未証明(アンプローヴン)


 ――《前提執行体》。


 ――黒瀬零への切断成立。


 ――確定保留。


 腕は止まらない。


 首にも触れている。


 ただし。


 切断された、という結果だけが二・四秒間確定しない。


 身体を沈める。


 左肩から、もう一体へぶつかった。


 治療中の右肩は使わない。


 腰から押し込み、二体を同じ位置へ重ねる。


 白い輪郭同士が接触した瞬間。


 表示が乱れた。


 一体目。


 ――黒瀬零。


 ――構造物付属記録。


 二体目。


 ――黒瀬零。


 ――五件共有主体。


 互いに異なる《第二公理階層》から提出された二件の《第一公理階層》が、同じ対象へ異なる分類を適用する。


 ――対象分類、競合。


「別々の前提なら」


 二体の胸へ左拳を押し当てる。


「先に、お前たちで決めろ」


 拳を振り抜いた。


 白い身体が内側から割れる。


 二体分の破片が混ざり、一部は階段へ、一部は俺の影へ吸収されようとした。


 だが、どちらの分類にも完全には帰属できない。


 白い破片が、途中で消失する。


 倒した。


 通常身体だけは。


 その直後。


 三体が来た。


 一体の踵が脇腹へ入る。


「っ……!」


 身体が浮いた。


 空中。


 上下から、別の二体。


 胸と背中へ白い腕が触れる。


 ――現在座標、一点へ統合。


 ――運動履歴、終了。


 ――以後の移動を未成立として処理。


「まだ……!」


 左脚を振り上げる。


 空中には。


 本来なら何もない。


 だが。


 崩れた白い階段の破片が、一枚だけ残っていた。


 四つの戦場へ分かれる直前。


 獅堂が万象は我が礎(グランド・レガリア)によって足場へ変えた、その名残。


 金色の光はもうない。


 それでも。


 そこが一度、俺たちを支える礎として成立した事実までは消えていない。


 爪先を引っかける。


 支点。


 身体を回した。


 胸へ触れていた一体を、背中側の執行体へ叩きつける。


 二体の拘束がずれた。


 座標統合の表示が乱れる。


 そこへ膝を入れる。


 一体の腹部が折れた。


 だが。


 残る一体の指が、右肩へ食い込んだ。


「っ――!」


 激痛。


 治療途中の関節を、そのまま引き抜かれるような感覚。


 表示。


 ――右上肢。


 ――第四候補の負傷記録へ対応。


 ――所有主体を再照合。


「これは」


 痛みを噛み殺す。


 白い手首を、左手で掴んだ。


「俺の肩だ!」


 捻る。


 白い腕は、人間の骨格を持っていない。


 だが。


 俺を掴むために「腕」という形を採っている。


 指。


 手首。


 肘。


 力を伝えるための構造まで、完全に無意味にはできない。


 手首を折る。


 白い腕へ亀裂。


 拳を胸へ入れようとした、その前。


 背後。


 空気の流れが、一瞬だけ空白になる。


 久世。


 姿そのものは見えない。


 だが。


 《前提執行体》とは違う。


 周囲を漂う白い破片が。


 俺の背後にある一本の経路だけを避けるように流れている。


 久世の投影体が六百メートル毎秒を超えて移動する時。


 その移動経路を成立させるために。


 戦場側の《第一公理階層》が、先に通路を確保する場合がある。


 身体は見えない。


 でも。


 選ばれた空白は見える。


 振り向かない。


 頭を下げる。


 久世の手刀が、髪の上を通過した。


 そのまま左肘を後方へ突き出す。


 空振り。


 既に久世はいない。


「身体ではなく」


 声は正面。


「戦場側の変化を見たか」


「お前が速すぎるなら」


 息を整える。


「お前を通すために、周りが何をしてるかを見る」


「投影体の移動経路は、毎回同じ《第一公理階層》から提出されるとは限らない」


「次は、別のものを見る」


「その次も?」


「見つけるまでやる」


 時計。


 残り四秒。


 白い人影が再び動く。


 数は減っていない。


 通常身体を壊した分だけ、久世の背後に走る白い亀裂から新しい《前提執行体》が形成されている。


 全部を倒す必要はない。


 あと四秒。


 生きる。


 立っている。


 そして。


 自分の現在を答える。


 一体が左脚へ白い刃を振るう。


 避ける。


 二体目が胸へ触れようとする。


 左腕で払う。


 三体目。


 背後。


 間に合わない。


 白い掌が背中へ衝突した。


 肺から空気が抜ける。


 身体が前へ投げ出され。


 白い床を転がった。


 視界の中で。


 時計が切り替わる。


 ――正午一分〇〇秒。


 十五秒目。


「黒瀬零」


 誰にも届かない。


 それでも。


 言う。


「白い階段跡」


 腕を床へつく。


「久世律真および《前提執行体》と交戦中」


 返事はない。


 音も。


 通信も。


 それでも。


 立つ。


 その時。


 白い空間の遥か右。


 黒い線が走った。


 第一研究棟。


 朔夜の因果切断(セヴァランス)


 遅れて。


 足元へ重い振動。


 地下演習路。


 獅堂が床を踏み込んだ。


 上空から。


 何も書かれていない記録票が一枚落ちる。


 玄理の欄外収蔵アポクリファ・アーカイヴ


 最後。


 時計の末尾に、小さな文字。


 ――黒瀬灯。


 ――現在確認。


「四件」


 俺は息を吐く。


「全部、残ってる」


「作用の発生源を推測しただけだ」


 久世が答えた。


「本人が存在する証明にはならない」


「お前は、まだそれを言うのか」


「証明不能な存在を前提に戦い続ければ、いずれ判断を誤る」


「誤ったら、その時に直す」


「既に消失していた場合は」


「消えたって決める前に探す」


「非合理的だ」


「知ってる」


 久世が消えた。


 今度は。


 白い破片が避けない。


 床も変わらない。


 影も。


 空気も。


 何も教えてくれない。


 別の《第二公理階層》。


 別の《第一公理階層》。


 移動経路の成立方式を変えた。


 見えない。


 右か。


 左か。


 背後か。


 考えた時には。


 胸へ衝撃が入っていた。


     ◇


 第一研究棟。


 朔夜の黒い薄刃が、六方向へ走る。


 床と壁の区別は戻っていない。


 それどころか。


 先ほどの《前提執行体》の通常身体を崩した後。


 新しい規則が追加されていた。


 切断された因果は。


 別の因果によって補完される。


 朔夜が旧講義室への侵入経路を切れば。


 窓が入口へ変わる。


 窓との関係を切れば。


 旧講義室そのものが、執行体の現在位置へ移動する。


 移動を切れば。


 最初から同じ部屋だったという記録が提出される。


「一件を切るたび」


 澄玲が無数の解を追う。


「同じ《第二公理階層》が、内部に並立する別の《第一公理階層》へ提出経路を切り替えています」


「追いつけるか」


「個別には無理です」


「なら、まとめろ」


「天城先輩は毎回それを言いますね」


「お前ならできるからだ」


 澄玲が一瞬だけ朔夜を見る。


 励ましているのか。


 単に事実を言っただけなのか。


 この人の場合。


 分かりにくい。


 でも。


 今はどちらでもいい。


「問題を広げます」


 ――《前提執行体》が旧講義室へ到達する方法。


 違う。


 方法を問えば。


 解は無限に出る。


 だから。


 ――切断された到達因果が、別の《第一公理階層》によって補完され続ける理由。


 世界は解を持つ(エウレカ)


 解が展開される。


 ――提出経路は異なる。


 ――帰還先を移管するという下位適用結論は共通している。


「天城先輩」


「見えたか」


「補われているのは、経路ではありません」


 澄玲は旧講義室を見る。


「『帰還先を移管する』という結論が先にあって、それを成立させる《第一公理階層》が次々と差し替えられています」


「なら、何を切る」


「その共通結論と、この戦場への適用点です」


 朔夜の視線が鋭くなる。


「《第二公理階層》全体を切るつもりか」


「いいえ。そんな範囲は扱えません」


 澄玲の前へ。


 一つの問いが成立する。


 ――同じ《第二公理階層》から提出された無数の《第一公理階層》が、「帰還先移管」という共通結論を一件の戦場へ適用する際、必ず通過する最小の接続は何か。


 世界は解を持つ(エウレカ)


 白い線が。


 研究棟中央へ収束する。


 無限に並立する。


 異なる《第一公理階層》。


 扉。


 壁。


 窓。


 天井。


 場所。


 履歴。


 どの経路を使っても。


 三年前の黒瀬零へ割り当てられた。


 一件の帰還先へ結果を適用するには。


 最後に。


 同じものを参照しなければならない。


 帰還先へ付された。


 三年前の黒瀬零の参照番号。


「ここです!」


 朔夜が薄刃を振り下ろした。


 三年前の黒瀬零の参照番号。


 帰還先を移管するという共有結論。


 その間に存在する。


 一本の因果。


 因果切断(セヴァランス)


 黒線。


 研究棟全体が、一度だけ暗転した。


 無数に生じていた入口が。


 一斉に消える。


 旧講義室は。


 元の位置に残る。


 白い輪郭だけが。


 全て外側へ弾き出された。


「天城先輩!」


 朔夜の右腕から。


 血が落ちる。


「浅い」


「因果の反動ですか」


「無数の公理項へ差し替え可能だった接続を、一件の適用点でまとめて止めた」


 右腕は下げない。


「長くは持たない」


「十五秒あれば十分です」


 澄玲が時計を見る。


 正午一分一五秒。


「九条澄玲。第一研究棟」


「三年前の黒瀬零さんの帰還先を保持しています」


「天城朔夜。同じく保持する」


 声は。


 どこにも届かない。


 それでも。


 二人は答えた。


 直後。


 旧講義室の中央。


 新しい白い人影が立った。


「……外から入っていません」


「ああ」


 切断された参照番号とは。


 別の番号。


 その《前提執行体》は。


 最初から内部に存在していたものとして。


 そこへ成立している。


「天城先輩」


「十五秒では」


 澄玲が息を整える。


「終わらないようです」


「なら」


 朔夜が前へ出る。


「次の十五秒まで持たせる」


 白い人影が動いた。


 澄玲は。


 その背中へ。


 次の問題を展開した。


     ◇


 地下演習路。


 開始位置と終了位置が同じ場所へ帰属するだけではなく。


 攻撃前。


 攻撃後。


 その身体状態まで。


 同じものとして処理され始めていた。


 獅堂が拳を振るう。


 二百メートル先。


 金色の床が《前提執行体》を打ち上げる。


 胴体へ亀裂。


 だが。


 攻撃が完了した瞬間。


 亀裂が消えた。


 白い身体が。


 攻撃を受ける前の状態へ戻る。


「今度は傷まで戻すのか!」


『お前の拳も戻っている』


 第四候補。


 通信表示越し。


 獅堂の右腕を見る。


 そこに生じていた負荷も。


 一撃前の値へ戻っている。


「悪くないんじゃないか」


『疲労が戻るとは限らない』


「どういう意味だ」


『身体状態は攻撃前へ戻っている。だが、お前が攻撃したという行為回数は残っている』


 表示。


 ――攻撃完了、七件。


 ――対象損傷、〇件。


 ――被検者疲労、増加。


「俺だけ損してるな」


『向こうは、そういう《第一公理階層》を提出している』


 獅堂は。


 開始線から移動できない。


 執行体も。


 帰還先へ近づく通常動作を。


 何度も開始位置へ戻されている。


 それでも。


 相手は。


 繰り返すたびに。


 攻撃を受ける前の位置だけを少しずつ変えている。


 一撃目。


 床から。


 二撃目。


 左。


 三撃目。


 上方。


 同じ攻撃が通じないことを。


 処理履歴として残している。


「こいつ」


 獅堂が笑う。


「戻ってるくせに覚えてるのか」


『行為結果だけが戻されている。処理履歴は保持している』


「卑怯だな」


『公理に公平さを求めるな』


「なら」


 獅堂は。


 開始線へ重なる。


 自分の七件の攻撃履歴を見る。


「俺も履歴を使う」


 損傷結果は消えた。


 だが。


 どこへ。


 どの角度で。


 どれほどの力を流したか。


 七件の記録は。


 残っている。


「第四候補」


『何だ』


「お前なら」


 獅堂が執行体を見る。


「次はどこへ逃げる」


 第四候補は。


 七件の攻撃履歴。


 執行体の回避位置。


 走路の礎化記録。


 それらを重ねた。


『右上』


「理由は」


『一撃目と五撃目の間だ。そこだけ、お前が床を礎にしていない』


「分かった」


『信じるのか』


「聞いたのは俺だ」


 獅堂は右拳を引く。


 次の一撃。


 だが。


 金色の線は。


 《前提執行体》の現在位置へ伸ばさない。


 右上。


 まだ誰もいない空間。


 そこへ先回りして。


 自分の礎を接続する。


 拳。


 床が爆ぜる。


 白い人影が。


 その攻撃を避けるため。


 身体を変形させた。


 右上。


 予測通り。


「戻る前に」


 金色の構造材が。


 白い胴体を四方向から挟む。


「捕まえた」


 《前提執行体》が。


 攻撃前の状態へ戻ろうとする。


 しかし。


 攻撃前には存在しなかった足場へ。


 既に身体が固定されている。


 表示が乱れた。


 ――攻撃前状態への復元。


 ――現在位置、不一致。


 ――復元先を確定不能。


「今だ!」


 左拳。


 負荷が蓄積している右腕ではない。


 左。


 金色の床が。


 白い身体を横から殴り抜く。


 胴体が砕けた。


 今度は。


 戻らない。


『通常時間側の身体停止を確認』


「《無刻行動》の方は?」


『表面の白線は消えていない』


 第四候補は即答する。


『通常身体は砕けた。無刻存在(アンクロノス)としての執行主体まで消失したとは判断できない』


「次は」


『休め』


「まだ来るぞ」


 走路の奥。


 三体。


 新たな《前提執行体》。


『だから休め』


「十五秒だけだ」


『お前の十五秒は長すぎる』


「黒瀬零よりは慎重だ」


『比較対象が悪い』


 時計。


 正午一分一五秒。


「獅堂剛毅。地下演習路」


 獅堂は息を吐く。


「第四候補の帰還先を保持中」


 通信表示の向こう。


 第四候補も答えた。


『第四候補。第二仮設居室』


『獅堂の無茶を記録している』


「余計なこと言うな」


『現在行動だ』


 正面。


 三体の白い人影が。


 同時に走り出す。


 獅堂は。


 両足を床へ沈めた。


 第四候補は。


 その三本の進路を見た。


     ◇


 旧気象観測所への連絡路。


 玄理の欄外が。


 燃えていた。


 炎ではない。


 《前提執行体》の白い指が記録票へ触れるたび。


 そこに書かれていた行動が。


 ――提出されなかった記録。


 そう再分類され。


 文字だけが。


 一件ずつ消えていく。


 灯の五十六歩。


 一件。


 二件。


 三件。


 世界本文から救い出したはずの歩行が。


 今度は。


 欄外から失われようとしている。


「先生!」


「走れ」


「でも、記録が!」


「消える前に踏め」


 玄理が。


 記録票を一列へ並べる。


 灯は。


 その上を走った。


 一歩目。


 着地。


 直後。


 背後で文字が消える。


 二歩目。


 着地。


 消失。


 三歩目。


 消失。


 もう。


 後戻りはできない。


 一度踏んだ欄外記録は。


 執行体によって順番に削除されていく。


 前方。


 鉄扉。


 その先。


 採択領域から離脱した黒瀬零の帰還先。


 距離は縮んでいる。


 だが。


 追う《前提執行体》の通常身体の方が速い。


「先生、このままだと追いつかれる!」


「分かっている」


 玄理が。


 欄外収蔵アポクリファ・アーカイヴから。


 別の記録群を引き出す。


 灯の歩行記録ではない。


 現在の黒瀬零。


 廊下を八二・六メートル毎秒で走った記録。


 第四候補。


 第二仮設居室で右手を上げた記録。


 三年前の黒瀬零。


 独立した現在人物へ戻った直後の発言。


 帝都理法大学の黒瀬零。


 所属確認へ回答した記録。


 採択領域から離脱した黒瀬零。


 旧気象観測所へ到達した記録。


「《六件共同前提》?」


「その成立過程で残した欄外記録だ」


「踏んでいいの?」


「歩行記録ではない」


「じゃあ足場にならない」


「今まではな」


 玄理が。


 五件を。


 灯の走路へ重ねる。


「黒瀬灯」


「何」


「五人をどう呼ぶ」


「急に?」


「答えろ」


 灯は走りながら。


 五件の記録を見る。


 現在の黒瀬零。


 第四候補。


 三年前の黒瀬零。


 帝都理法大学の黒瀬零。


 採択領域から離脱した黒瀬零。


「今のお兄ちゃんは」


 灯が言う。


「お兄ちゃん」


「残りは」


「第四候補さん」


「三年前のお兄ちゃんだった人」


「帝都理法大学の黒瀬零さん」


「採択領域から離脱した黒瀬零さん」


「同じ黒瀬零ではないのか」


「同じ名前でも」


 灯は前を見る。


「同じ呼び方にはしない」


「なぜだ」


「私が今」


 一枚目を踏む。


「そう呼ぶって決めてるから!」


 五件の記録が。


 灯の足元へ並んだ。


 同一起源だという過去の情報ではない。


 今。


 黒瀬灯が。


 五人を別々に呼び分けた。


 現在の関係記録。


 それぞれが。


 別の足場になる。


「走れ」


 灯が踏む。


 一件目。


 現在の黒瀬零を。


 お兄ちゃんと呼ぶ現在。


 二件目。


 第四候補を。


 第四候補さんと呼ぶ現在。


 三件目。


 三年前の黒瀬零だった人物を。


 現在の兄とは別に呼ぶ現在。


 四件。


 五件。


 五人を。


 一人分の同じ関係へ戻さない。


 五つの関係記録が。


 消えかけていた欄外の先へ。


 新しい道を作る。


 執行体が追いついた。


 白い指が。


 最初の関係記録へ触れる。


 文字。


 ――黒瀬灯。


 ――黒瀬零との兄妹関係。


 ――世界前提により付与。


 その下へ。


 新しい一文。


 ――現在の相互承認により継続。


 消えない。


 世界が過去に与えた関係だけではない。


 灯自身が。


 今も選んでいる。


 だから。


 《前提執行体》が提出している一件の《第一公理階層》だけでは。


 その現在を完全には棄却できない。


 白い指が。


 記録の前で止まった。


「先生!」


「戻るな」


「でも、止まってる!」


「通常身体はな」


 玄理は。


 《前提執行体》の表面を見る。


 白い線。


 まだ。


 消えていない。


「存在格は無刻存在(アンクロノス)だ。通常身体が止まっても、《無刻行動》を選べなくなったとは限らない」


「じゃあ」


「置いていけ」


 灯は走る。


 五件目。


 最後の足場。


 鉄扉へ到達。


 玄理は。


 足止めされた白い人影へ。


 一枚の白紙を重ねた。


「本人が現在選んだ関係は」


 白紙へ文字。


「お前を提出した一件の《第二公理階層》の公理項だけでは棄却できない」


 ――《前提執行体》。


 ――関係記録削除。


 ――失敗。


 ――失敗記録として欄外へ収蔵。


 白い通常身体が。


 記録票へ引き込まれる。


 腕。


 脚。


 頭部。


 全てが紙面へ収まり。


 最後。


 余白だけが残る。


 だが。


 その余白の内部では。


 白い線が。


 まだ流れていた。


 玄理は。


 それを見落とさない。


「通常身体を封じただけだ」


無刻存在(アンクロノス)としての執行主体まで停止したとは考えるな」


「分かった」


「そのまま進め」


 時計。


 正午一分一五秒。


「御厨玄理」


「旧気象観測所連絡路」


「記録を保持している」


 灯も。


 鉄扉へ手を置いたまま答える。


「黒瀬灯」


「同じ場所」


 息を整え。


「五人を、五人として呼んでる」


 二人の声は。


 連絡路の外へ出ない。


 それでも。


 扉の向こう。


 旧気象観測所の時計が。


 一度。


 点滅した。


     ◇


 俺は。


 久世の掌を胸へ受け。


 白い床を百メートル近く吹き飛ばされていた。


 背中が床へ当たる。


 跳ねる。


 一度。


 二度。


 三度。


 停止するより先に。


 久世が追いつく。


 白い長衣が視界へ入った。


 次の瞬間には。


 拳が腹部へ沈んでいる。


「――っ」


 息が消えた。


 身体が折れる。


 空中へ浮いたところを。


 三体の《前提執行体》が左右から掴んだ。


 表示。


 ――黒瀬零。


 ――単独戦闘継続不能。


 ――他五件への帰属を再提案。


「まだ……」


 声が出ない。


 左手を動かす。


 白い指が腕へ食い込む。


 身体記録が固定されていく。


 久世が俺の前へ立った。


「速度差は埋まっていない」


 その通りだ。


「支援経路も失われた」


 その通り。


「現在確認は、互いへ届いていない」


 それも。


 今のところは。


 時計。


 正午一分一五秒。


「黒瀬零」


 血の味がする。


「白い階段跡」


 久世を見る。


「まだ戦ってる」


 返事。


 なし。


 黒線も。


 振動も。


 紙片も。


 灯の文字も。


 すぐには現れない。


「今回は」


 久世が言う。


「何も届かない」


「少し待て」


「十五秒目は過ぎた」


「だから何だ」


「ほかの戦場から、現在確認が到達していない」


「お前に分かるのか」


「査問執行者として」


 久世の背後へ。


 三つの表示が開く。


「四件の下位適用結果を観測している」


 第一研究棟。


 澄玲と朔夜。


 新しい《前提執行体》と交戦中。


 地下演習路。


 獅堂。


 三体に包囲され。


 右膝を床へついている。


 旧気象観測所への連絡路。


 玄理と灯。


 鉄扉の向こうへ分断され。


 外部との直接参照を失っている。


 全員。


 答えているかもしれない。


 でも。


 今の俺には届いていない。


「単独状態を」


 久世が言う。


「まだ保留するか」


「する」


「根拠は」


「答えてると思うからだ」


「推測だ」


「ああ」


「誤っている可能性がある」


「ああ」


「それでも?」


「間違ってたら」


 息を吸う。


「後で謝る」


 久世の眉が。


 僅かに動いた。


 初めて。


 こいつが。


 本当に理解できないものを見る顔だった。


「謝罪では」


「消えた現在を戻せない」


「だから」


 俺は睨む。


「消えたって決めるな」


 未証明(アンプローヴン)


 ――黒瀬零。


 ――単独状態。


 ――他五件からの現在確認、なし。


 ――共同回答、崩壊。


 ――確定保留。


 白い腕の拘束が。


 僅かに緩む。


 俺が。


 一人であり。


 共同回答が既に崩壊した。


 その結論だけが。


 二・四秒。


 まだ出せない。


 左腕を引き抜く。


 一体の顎へ。


 掌底。


 白い頭部が跳ねる。


 身体を捻る。


 右肩を掴む執行体の胸へ。


 左踵。


 治療途中の肩を無理には動かさない。


 俺を掴む腕そのものを支点にして。


 回転。


 二体の間から抜ける。


 着地。


 久世が動いた。


 見えない。


 破片。


 変化なし。


 影。


 変化なし。


 空気。


 変化なし。


 また。


 別の提出公理。


 それでも。


 久世には。


 一つだけ。


 戦闘速度と無関係な制約がある。


 こいつは。


 ただ俺を倒せばいい敵ではない。


 《上位階層査問》の。


 代表適用者。


 査問執行者。


 俺の回答が。


 本当に崩れたかどうか。


 確認しなければならない。


 攻撃後。


 必ず。


 俺の現在記録を観測する位置へ戻る。


 久世が消えた場所ではない。


 これまで。


 査問表示を開いた場所。


 白い階段の中央。


 俺から。


 十二メートル前方。


 そこへ走る。


 七〇。


 八五。


 九五。


 背後。


 久世の拳。


 まだ見えない。


 避けない。


 攻撃後に現れる。


 査問執行者を狙う。


 拳が背中へ触れた。


 衝撃。


 身体が前へ押される。


 その力を。


 走行へ使う。


 九八。


 一〇〇。


 許可上限。


 身体が壊れたという結果を。


 保留するつもりはない。


 痛み。


 衝撃。


 全部。


 受ける。


 ただ。


 倒れて止まることだけは。


 選ばない。


 白い階段中央。


 久世が現れた。


 俺の損傷を。


 査問結果として確認するため。


 右手を表示へ向けている。


「そこだ!」


 左拳。


 久世がこちらを見る。


 驚きではない。


 理解。


 自分の攻撃を受けながら。


 攻撃経路ではなく。


 査問執行後の確認位置を狙ったことを。


 一瞬で理解した。


 左腕を上げる。


 俺の拳を。


 受け止めた。


 衝撃。


 白い床へ亀裂。


「行動ではなく」


 久世が俺の拳を握る。


「役割を読んだか」


「ああ」


「査問執行者である以上、私は結果を確認する」


「お前は速い」


 握られた拳が軋む。


「でも」


 俺は笑う。


「やることまで全部自由じゃない」


「正しい」


 右拳。


 至近距離。


 腹部。


 避けられない。


 身体がくの字に折れる。


 だが。


 左拳は離さない。


 久世も。


 俺の腕を掴んでいる。


「捕まえた」


「どちらが」


「どっちでもいい」


 足を踏む。


 久世の身体速度が。


 どれほど高くても。


 今。


 互いが互いを掴んでいる。


 離脱するには。


 一度。


 この接触を解除しなければならない。


 その結果を。


「保留する!」


 未証明(アンプローヴン)


 ――久世律真。


 ――黒瀬零との接触解除。


 ――確定保留。


「獅堂!」


 声は届かない。


「九条!」


 返事もない。


「天城!」


 黒線も。


 見えない。


「御厨先生!」


 紙片は。


 まだない。


「灯!」


 何も起きない。


 それでも。


 呼ぶ。


「今だ!」


 一秒。


 何もない。


 そして。


 久世の背後。


 白い空間が揺れた。


 第一研究棟。


 黒い線が一本。


 異なる《第一公理階層》の境界を切り裂き。


 こちらへ結果だけを残す。


 地下演習路。


 金色の衝撃。


 床を伝う。


 旧気象観測所。


 白紙の記録票。


 舞い上がる。


 最後。


 俺の左手。


 小さな文字。


 ――黒瀬灯。


 ――現在確認。


 通常通信ではない。


 四件の戦場が。


 同じ《第一公理階層》へ戻ったわけでもない。


 全員が。


 自分の戦場で。


 正午一分一五秒。


 同じ確認時刻に。


 自分の現在を答えた。


 その回答は。


 同じ《第三公理階層》の査問へ。


 同時刻の下位側提出として記録される。


 その最小限の対応だけが。


 四つの戦場を。


 一瞬。


 繋いだ。


「一人じゃない」


 俺は言った。


 朔夜の黒線が。


 久世の退路を切る。


 獅堂の金色の衝撃が。


 足元を固定する。


 玄理の白紙が。


 久世の背後に開きかけた。


 別の提出公理への移動口を覆う。


 そして。


 灯の現在確認が。


 俺たち四件の戦場が。


 同じ査問時刻へ。


 互いの現在を提出したことを示す。


 左拳。


 引く。


 今度は。


 久世の手が離れないのではない。


 俺が。


 離さない。


 腰を回す。


 治療中の右肩は使わない。


 左腕。


 脚。


 腰。


 全身の力。


 拳を。


 久世の胸へ。


 叩き込む。


 白い長衣がへこんだ。


 その奥。


 投影体の胸部。


 太い亀裂。


 久世の身体が。


 後方へ滑る。


 一メートル。


 三メートル。


 七メートル。


 白い床を削りながら。


 明確に。


 押し戻された。


「回答を」


 荒い息を吐く。


「確認したか」


 久世が。


 胸の亀裂へ触れる。


 内部から。


 白い光。


「確認した」


 怒りはない。


 だが。


 今までと同じ無関心でもなかった。


「四件の戦場で異なる回答を選びながら」


 久世が俺を見る。


「同じ確認時刻へ、相互の現在を提出した」


「ああ」


「声は届かなかった」


「返事は来た」


「一つの方法ではない」


「同じ方法にする必要はない」


「統一された公理原理もない」


「消さないって決めてる」


「それだけか」


「今は」


 俺は構え直す。


「それで十分だ」


 久世の胸にある亀裂が。


 ゆっくり閉じていく。


 投影体の修復。


 打撃は通った。


 でも。


 倒してはいない。


 久世が両手を広げる。


 周囲にいた《前提執行体》の通常身体が。


 一斉に動きを止めた。


 三つの戦場でも。


 白い通常身体が。


 次々に静止する。


 ただし。


 表面を走る白い線は。


 消えない。


 存在格。


 無刻存在(アンクロノス)


 通常身体が動いていないことと。


 《無刻行動》を行えないことは。


 同じではない。


「第四問へ移行する」


 久世の宣言。


 同時。


 《前提執行体》の表面を流れていた白い線が。


 一斉に強く発光した。


 《無刻行動》。


 そして。


 《第三公理階層》側からも。


 下位側の回答より先に。


 第四問の結果を固定する処理が。


 経過時間〇で成立しようとした。


     ◇


 経過時間〇。


 久世の長衣は。


 広がり切る直前。


 俺の呼吸も。


 胸の痛みに対する次の反応も。


 宙に浮いていた白い破片も。


 澄玲も。


 朔夜も。


 獅堂も。


 玄理も。


 灯も。


 通常時間を必要とする全てに。


 次の状態変化は生じない。


 久世も同じ。


 六二一・七メートル毎秒という通常身体速度では。


 この攻防へ介入できない。


 だが。


 《前提執行体》は。


 無刻存在(アンクロノス)


 自ら選んだ《無刻行動》を。


 経過時間〇のまま成立させようとする。


 第一研究棟。


 澄玲へ白い執行結果が伸びる。


 別の一件は。


 朔夜が切断した参照番号を迂回し。


 旧講義室内部へ。


 新しい番号を刻もうとする。


 地下演習路。


 三件の《前提執行体》。


 獅堂の金色の礎へ。


 帰還先移管のための処理を重ねる。


 旧気象観測所への連絡路。


 欄外へ収蔵された執行主体が。


 紙面の内側から。


 玄理へ手を伸ばす。


 そして。


 白い階段跡。


 俺の周囲。


 数十件。


 首。


 胸。


 右肩。


 影。


 身体記録。


 帰還先。


 俺の現在を構成する。


 異なる要素へ。


 それぞれ別の《無刻行動》が。


 完了を求める。


 さらに。


 《第三公理階層》側。


 第四問。


 上位固定。


 ――異なる四件の回答。


 ――同一対象への重複適用。


 ――共存不能。


 ――単独優先回答の選択、必須。


 まだ。


 俺たちは。


 第四問へ何も答えていない。


 それでも。


 上位側は。


 四件の回答を同じ対象へ重ねた時点で。


 一件を選ぶ以外の回答を。


 先に不成立として固定しようとしている。


 その経過時間〇の攻防へ。


 緋月も入る。


 存在格。


 無刻存在(アンクロノス)


 《前提執行体》の《無刻行動》を認識し。


 自らも。


 同じ経過時間〇で《無刻行動》を成立させる。


 第一研究棟。


 白い執行結果が。


 旧講義室へ到達を成立させようとする。


 緋月が対応する。


 万象校正(エメンダティオ)


 ――帰還先移管。


 ――下位対象が同一攻防過程へ介入不能な状態で完了。


 ――下位回答の先取り。


 ――訂正。


 到達結果を。


 未完了へ戻す。


 一件。


 二件。


 四件。


 《前提執行体》も。


 別の《無刻行動》によって。


 扉。


 壁。


 天井。


 床。


 異なる前提経路から。


 再び。


 旧講義室への到達を成立させようとする。


 緋月は。


 四つの処理主体を破壊しない。


 帰還先へ到達できるか。


 それは。


 通常時間の中で。


 澄玲と朔夜が答える問題だ。


 だから。


 止めるのは。


 二人が何もできない条件から。


 到達完了だけを確定すること。


 四件。


 全て。


 境界直前の未完了へ戻す。


 地下演習路。


 獅堂の金色の礎。


 その所有主体を奪う処理。


 第四候補の帰還先を。


 統合主体の履歴へ戻す処理。


 三件。


 五件。


 十一件。


 二十三件。


 《前提執行体》が。


 異なる《無刻行動》を次々に提出する。


 緋月も。


 その一件ずつへ対応する。


 同じ存在格に属するからこそ。


 相手の経過時間〇の行動を。


 同じ攻防過程で認識できる。


 だが。


 存在格が同じでも。


 攻撃力も。


 防御力も。


 技量も。


 全てが同じになるわけではない。


 白い刃が。


 緋月の右腕へ入る。


 包帯が裂ける。


 皮膚が切れる。


 血が浮く。


 傷は成立する。


 ただ。


 血が床まで落下するための経過時間は。


 まだ消費されていない。


 緋月は。


 二十三件の執行を。


 一件ずつ。


 未完了へ戻した。


 旧気象観測所への連絡路。


 白紙の内部。


 《前提執行体》が。


 玄理の手首へ触れようとする。


 ――欄外収蔵主体の変更。


 ――御厨玄理から執行主体へ。


 ――下位能力者が同一攻防過程へ介入不能な状態で成立。


 緋月が。


 その白い指へ対応。


 訂正。


 別の余白。


 もう一本。


 さらに三件。


 全て。


 完了前へ戻す。


 そして。


 俺。


 数十件。


 首の切断。


 胸部を階段の付属記録へ再分類。


 右肩を第四候補の負傷記録へ移管。


 影から五件の黒瀬零を接続。


 単独状態の確定。


 共同回答崩壊の完了。


 それぞれ別の結果。


 一件。


 また一件。


 緋月の《無刻行動》が。


 同じ経過時間〇で競合する。


 普通の反応速度ではない。


 普通の速度比でもない。


 互いの《無刻行動》へ。


 互いが対応できる。


 ただそれだけ。


 そして。


 その背後。


 第四問の上位固定。


 ――異なる四件の回答。


 ――共存不能。


 ――単独優先回答の選択、必須。


 緋月は。


 そこへ右手を向ける。


 ただし。


 四件の戦場を。


 一つへ重ねること自体には触れない。


 異なる回答が。


 互いへどう作用するか。


 それも。


 下位側へ提出された問いだ。


 緋月が代わりに答えてはいけない。


 だから。


 一件だけ。


 俺たちが答える前に。


 ――一件を選ばなければならない。


 そう。


 上位側から先に確定する処理だけを。


 切る。


 万象校正(エメンダティオ)


 白い固定文が裂けた。


 ――共存不能。


 ――確定、取り消し。


 ――単独優先回答の選択。


 ――下位側回答待ち。


 その瞬間。


 《前提執行体》が。


 緋月へ一斉に《無刻行動》を成立させる。


 五本の白い刃。


 三本。


 外す。


 四本目。


 訂正。


 五本目。


 既に裂けていた手袋を貫く。


 血が増える。


 それでも。


 緋月は。


 通常時間側へ残す一件の記録を登録した。


 ――上位側による単独優先確定を切断。


 ――《前提執行体》。


 ――存在格、無刻存在(アンクロノス)


 ――《無刻行動》による経過時間〇での執行、および同条件の行動への対応を確認。


 ――下位対象が同一攻防過程へ介入不能な状態での執行完了を阻止。


 ――戦場の重複適用は継続。


 ――下位側で回答せよ。


 最後。


 通常人物へ向けられていた。


 《前提執行体》の執行結果を。


 全て。


 未完了へ戻す。


 倒してはいない。


 消してもいない。


 無刻存在(アンクロノス)という存在格も。


 失わせていない。


 ただ。


 俺たちが。


 一手も返せない条件から。


 査問結果だけを完成させることを。


 阻止した。


 緋月は。


 一連の経過時間〇の攻防を終える。


 通常時間の進行を許した。


     ◇


 久世の両手が。


 最後まで広がった。


 俺たちの側では。


 一瞬も経っていない。


 だが。


 《前提執行体》の通常身体は。


 先ほどと異なる位置にいた。


 俺の首へ触れようとしていた腕。


 数センチ離れた位置。


 右肩へ伸びていた白い指。


 記憶にない角度。


 影へ触れようとしていた腕も。


 別の場所。


 経過時間〇の攻防で。


 既に緋月と何十件もの《無刻行動》を競合させていた。


 その結果だけが。


 通常時間側へ残っている。


 第一研究棟。


 旧講義室の境界外まで戻された。


 四つの白い輪郭が。


 再び通常身体として進行を始める。


 地下演習路。


 三体の《前提執行体》が。


 帰還先から数歩離れた位置に戻されている。


 旧気象観測所への連絡路。


 欄外の紙面から。


 白い指先が。


 再び現れようとしていた。


 表示。


 ――上位側による単独優先確定を切断。


 ――《前提執行体》。


 ――存在格、無刻存在(アンクロノス)


 ――《無刻行動》による経過時間〇での執行、および同条件の行動への対応を確認。


 ――下位対象が同一攻防過程へ介入不能な状態での執行完了を阻止。


 ――戦場の重複適用は継続。


 ――下位側で回答せよ。


 緋月は。


 答えを作っていない。


 四つの回答のうち。


 どれを選ぶべきかも。


 決めていない。


 一件を選ぶ以外の可能性を。


 俺たちが考えるより先に消されることだけを防いだ。


 そして。


 白い床へ。


 三つの戦場が映った。


 第一研究棟。


 地下演習路。


 旧気象観測所への連絡路。


 そこで使われている回答が。


 一件ずつ。


 白い文字となって並ぶ。


 因果を切断する回答。


 失敗した行動履歴を、礎として積み上げる回答。


 棄却された記録を、欄外へ保存して現在へ戻す回答。


 そして。


 俺の。


 結果を未確定にする回答。


「異なる回答が」


 久世が言う。


「同じ対象へ、同時に適用された場合」


 四つの戦場が。


 互いへ近づく。


「どの回答を」


「現在として優先する」


「何をする気だ」


「一件ずつでは」


 久世が答える。


「六件の現在を崩せなかった」


 白い床の下から。


 第一研究棟が浮かび上がる。


 床と壁の区別を失った廊下が。


 俺たちの戦場を。


 斜めに貫いた。


 その上へ。


 地下演習路。


 開始地点と終了地点が。


 同じ場所として重なる。


 さらに。


 旧気象観測所への連絡路。


 前進した行為が。


 世界本文から棄却され。


 欄外へ落ちていく。


 四件。


 異なる《第二公理階層》から提出された。


 異なる《第一公理階層》。


 一つの戦場へ。


 同時に重なる。


「ならば」


 久世が。


 四件の中央へ立つ。


「お前たちの回答同士を」


「競合させる」


 黒い線。


 朔夜の因果切断(セヴァランス)


 だが。


 久世へは向かわない。


 重なった別の世界前提に。


 進路そのものを変えられる。


 黒線が。


 地下演習路。


 獅堂の足元へ現れた。


「何――」


 金色の床が隆起する。


 獅堂の万象は我が礎(グランド・レガリア)


 だが。


 本来なら。


 執行体へ向かうはずだった衝撃が。


 開始地点へ戻らない。


 旧気象観測所。


 玄理と灯。


 その真下へ。


 金色の衝撃が届く。


「灯!」


 白紙の記録票が舞う。


 玄理の欄外収蔵アポクリファ・アーカイヴ


 だが。


 その紙面へ。


 俺の身体記録が。


 書かれ始めた。


 ――黒瀬零。


 ――欄外記録への移管。


「止めろ!」


 誰へ向けた声か。


 自分でも分からない。


 味方の能力が。


 味方の戦場を襲っている。


 全員が敵になったわけではない。


 朔夜も。


 獅堂も。


 玄理も。


 何も変わっていない。


 それぞれ。


 自分の相手へ。


 自分が選んだ正しい回答を。


 続けているだけ。


 なのに。


 回答が。


 別の《第一公理階層》へ適用された瞬間。


 誰かを守るための作用から。


 別の誰かを傷つける作用へ。


 変えられている。


 澄玲の問題表示が。


 俺の前へ開いた。


 彼女が。


 俺へ向けたわけではない。


 それでも。


 重なった世界前提が。


 世界は解を持つ(エウレカ)の問いを。


 別の対象へ適用している。


 ――四件の回答のうち。


 ――現在へ残すべき一件を選択せよ。


 黒線。


 獅堂へ迫る。


 金色の床。


 灯の足元を砕く。


 白紙。


 俺の名前を欄外へ運ぼうとする。


 久世が。


 四つの世界の中央から。


 俺たちを見る。


「別々の回答が」


「互いを否定しないと言ったな」


 ああ。


 言った。


 同じ答えでなくてもいい。


 同じ方法でなくてもいい。


 別々に。


 自分の現在を守ればいい。


 それでも。


 互いを消さなければ。


 共同回答だと。


 そう言った。


 久世が。


 その言葉を。


 そのまま。


 次の問いへ変える。


「なら示せ」


 黒線が。


 味方へ向かう。


 金色の礎が。


 別の味方を傷つける。


 欄外が。


 俺を世界本文から外そうとする。


 それぞれの正しさが。


 互いを傷つける。


「互いを傷つける回答を」


 四つの世界が。


 一つの戦場として。


 衝突する。


 久世が告げた。


「それでも」


「選ばずにいられるか!」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ