第七十四話 沈黙の十五秒に拳は答える
次の現在確認まで、残り十二秒。
通信は途切れている。
第一研究棟も、地下演習路も、旧気象観測所への連絡路も見えない。
俺の前にあるのは、崩れた白い階段と、久世律真。そして、その周囲を埋め尽くす数十体の《前提執行体》だけだった。
数十体の白い人影が、一斉に踏み込む。
最も近い一体は正面。二体が左右へ分かれ、別の三体は床へ溶けるように影へ入り、残る人影は崩落する階段の破片を足場として上方へ回り込む。
全てを見る余裕はない。
俺の通常身体速度は、一〇〇・〇メートル毎秒まで。
《前提執行体》は通常時間側の身体だけでも二百メートル毎秒を超える。
久世は、六二一・七メートル毎秒。
単純な身体速度だけを比較すれば、俺が最も遅い。
それだけではない。
《前提執行体》の存在格は、無刻存在。
通常時間側の身体速度とは別に、必要と判断すれば、自らの任意で《無刻行動》を成立させることができる。
認識。
判断。
移動。
執行。
その行動に必要な経過時間を、〇のまま成立させる。
もし、あいつらが《無刻行動》を選べば、その有限の攻防が終わるまで、俺たち通常時間側の存在には次の状態変化が生じない。
俺も。
久世も。
ほかの戦場にいる澄玲たちも。
同じ攻防過程へ一手を返すことはできない。
ただ一人。
同じ無刻存在に属する緋月だけが、《前提執行体》の《無刻行動》を認識し、経過時間を増やさないまま対応できる。
緋月が止めるのは、俺たちが何もできない条件から、帰還先の移管や現在人物の再分類を先に完了させること。
通常時間側へ戻された問いは。
俺たち自身で答える。
「現在確認を続けると言ったな」
白い人影の隙間から、久世の声がする。
「十五秒ごとに、自分の名前と現在位置、継続する行動を提出する」
「ああ」
「相手から返答がなくても?」
「ああ」
「それは相互確認ではない。各自が一方的に発言しているだけだ」
「今は、それでいい」
「確認できない相手を、現在人物として扱う根拠にはならない」
「なら」
俺は右足を引いた。
「十五秒待て」
「次も返事が来る」
正面の《前提執行体》が腕を伸ばした。
白い指先が触れようとした場所から、俺の身体記録へ文字が浮かぶ。
――黒瀬零。
――現在位置、白階段中腹。
――構造物付属記録への再分類を開始。
人間として倒す必要すらないらしい。
俺を、この白い階段へ帰属する一件の記録へ変え、そのまま構造物と一緒に処理するつもりだ。
左へ踏み込む。
速度、六八・二メートル毎秒。
正面の腕を避け、そのまま右側から迫る二体の間へ入る。
二体が向きを変えた。
人間のような関節運動はない。
重心を移した様子もない。
白い身体全体が、最初から俺の方を向いていた形へ置き換わる。
一体は首。
もう一体は足元の影。
同時には防げない。
なら。
先に、結果を選ぶ。
左腕を上げる。
首へ伸びた白い刃が皮膚へ触れた。
「保留する」
未証明。
――《前提執行体》。
――黒瀬零への切断成立。
――確定保留。
腕は止まらない。
首にも触れている。
ただし。
切断された、という結果だけが二・四秒間確定しない。
身体を沈める。
左肩から、もう一体へぶつかった。
治療中の右肩は使わない。
腰から押し込み、二体を同じ位置へ重ねる。
白い輪郭同士が接触した瞬間。
表示が乱れた。
一体目。
――黒瀬零。
――構造物付属記録。
二体目。
――黒瀬零。
――五件共有主体。
互いに異なる《第二公理階層》から提出された二件の《第一公理階層》が、同じ対象へ異なる分類を適用する。
――対象分類、競合。
「別々の前提なら」
二体の胸へ左拳を押し当てる。
「先に、お前たちで決めろ」
拳を振り抜いた。
白い身体が内側から割れる。
二体分の破片が混ざり、一部は階段へ、一部は俺の影へ吸収されようとした。
だが、どちらの分類にも完全には帰属できない。
白い破片が、途中で消失する。
倒した。
通常身体だけは。
その直後。
三体が来た。
一体の踵が脇腹へ入る。
「っ……!」
身体が浮いた。
空中。
上下から、別の二体。
胸と背中へ白い腕が触れる。
――現在座標、一点へ統合。
――運動履歴、終了。
――以後の移動を未成立として処理。
「まだ……!」
左脚を振り上げる。
空中には。
本来なら何もない。
だが。
崩れた白い階段の破片が、一枚だけ残っていた。
四つの戦場へ分かれる直前。
獅堂が万象は我が礎によって足場へ変えた、その名残。
金色の光はもうない。
それでも。
そこが一度、俺たちを支える礎として成立した事実までは消えていない。
爪先を引っかける。
支点。
身体を回した。
胸へ触れていた一体を、背中側の執行体へ叩きつける。
二体の拘束がずれた。
座標統合の表示が乱れる。
そこへ膝を入れる。
一体の腹部が折れた。
だが。
残る一体の指が、右肩へ食い込んだ。
「っ――!」
激痛。
治療途中の関節を、そのまま引き抜かれるような感覚。
表示。
――右上肢。
――第四候補の負傷記録へ対応。
――所有主体を再照合。
「これは」
痛みを噛み殺す。
白い手首を、左手で掴んだ。
「俺の肩だ!」
捻る。
白い腕は、人間の骨格を持っていない。
だが。
俺を掴むために「腕」という形を採っている。
指。
手首。
肘。
力を伝えるための構造まで、完全に無意味にはできない。
手首を折る。
白い腕へ亀裂。
拳を胸へ入れようとした、その前。
背後。
空気の流れが、一瞬だけ空白になる。
久世。
姿そのものは見えない。
だが。
《前提執行体》とは違う。
周囲を漂う白い破片が。
俺の背後にある一本の経路だけを避けるように流れている。
久世の投影体が六百メートル毎秒を超えて移動する時。
その移動経路を成立させるために。
戦場側の《第一公理階層》が、先に通路を確保する場合がある。
身体は見えない。
でも。
選ばれた空白は見える。
振り向かない。
頭を下げる。
久世の手刀が、髪の上を通過した。
そのまま左肘を後方へ突き出す。
空振り。
既に久世はいない。
「身体ではなく」
声は正面。
「戦場側の変化を見たか」
「お前が速すぎるなら」
息を整える。
「お前を通すために、周りが何をしてるかを見る」
「投影体の移動経路は、毎回同じ《第一公理階層》から提出されるとは限らない」
「次は、別のものを見る」
「その次も?」
「見つけるまでやる」
時計。
残り四秒。
白い人影が再び動く。
数は減っていない。
通常身体を壊した分だけ、久世の背後に走る白い亀裂から新しい《前提執行体》が形成されている。
全部を倒す必要はない。
あと四秒。
生きる。
立っている。
そして。
自分の現在を答える。
一体が左脚へ白い刃を振るう。
避ける。
二体目が胸へ触れようとする。
左腕で払う。
三体目。
背後。
間に合わない。
白い掌が背中へ衝突した。
肺から空気が抜ける。
身体が前へ投げ出され。
白い床を転がった。
視界の中で。
時計が切り替わる。
――正午一分〇〇秒。
十五秒目。
「黒瀬零」
誰にも届かない。
それでも。
言う。
「白い階段跡」
腕を床へつく。
「久世律真および《前提執行体》と交戦中」
返事はない。
音も。
通信も。
それでも。
立つ。
その時。
白い空間の遥か右。
黒い線が走った。
第一研究棟。
朔夜の因果切断。
遅れて。
足元へ重い振動。
地下演習路。
獅堂が床を踏み込んだ。
上空から。
何も書かれていない記録票が一枚落ちる。
玄理の欄外収蔵。
最後。
時計の末尾に、小さな文字。
――黒瀬灯。
――現在確認。
「四件」
俺は息を吐く。
「全部、残ってる」
「作用の発生源を推測しただけだ」
久世が答えた。
「本人が存在する証明にはならない」
「お前は、まだそれを言うのか」
「証明不能な存在を前提に戦い続ければ、いずれ判断を誤る」
「誤ったら、その時に直す」
「既に消失していた場合は」
「消えたって決める前に探す」
「非合理的だ」
「知ってる」
久世が消えた。
今度は。
白い破片が避けない。
床も変わらない。
影も。
空気も。
何も教えてくれない。
別の《第二公理階層》。
別の《第一公理階層》。
移動経路の成立方式を変えた。
見えない。
右か。
左か。
背後か。
考えた時には。
胸へ衝撃が入っていた。
◇
第一研究棟。
朔夜の黒い薄刃が、六方向へ走る。
床と壁の区別は戻っていない。
それどころか。
先ほどの《前提執行体》の通常身体を崩した後。
新しい規則が追加されていた。
切断された因果は。
別の因果によって補完される。
朔夜が旧講義室への侵入経路を切れば。
窓が入口へ変わる。
窓との関係を切れば。
旧講義室そのものが、執行体の現在位置へ移動する。
移動を切れば。
最初から同じ部屋だったという記録が提出される。
「一件を切るたび」
澄玲が無数の解を追う。
「同じ《第二公理階層》が、内部に並立する別の《第一公理階層》へ提出経路を切り替えています」
「追いつけるか」
「個別には無理です」
「なら、まとめろ」
「天城先輩は毎回それを言いますね」
「お前ならできるからだ」
澄玲が一瞬だけ朔夜を見る。
励ましているのか。
単に事実を言っただけなのか。
この人の場合。
分かりにくい。
でも。
今はどちらでもいい。
「問題を広げます」
――《前提執行体》が旧講義室へ到達する方法。
違う。
方法を問えば。
解は無限に出る。
だから。
――切断された到達因果が、別の《第一公理階層》によって補完され続ける理由。
世界は解を持つ。
解が展開される。
――提出経路は異なる。
――帰還先を移管するという下位適用結論は共通している。
「天城先輩」
「見えたか」
「補われているのは、経路ではありません」
澄玲は旧講義室を見る。
「『帰還先を移管する』という結論が先にあって、それを成立させる《第一公理階層》が次々と差し替えられています」
「なら、何を切る」
「その共通結論と、この戦場への適用点です」
朔夜の視線が鋭くなる。
「《第二公理階層》全体を切るつもりか」
「いいえ。そんな範囲は扱えません」
澄玲の前へ。
一つの問いが成立する。
――同じ《第二公理階層》から提出された無数の《第一公理階層》が、「帰還先移管」という共通結論を一件の戦場へ適用する際、必ず通過する最小の接続は何か。
世界は解を持つ。
白い線が。
研究棟中央へ収束する。
無限に並立する。
異なる《第一公理階層》。
扉。
壁。
窓。
天井。
場所。
履歴。
どの経路を使っても。
三年前の黒瀬零へ割り当てられた。
一件の帰還先へ結果を適用するには。
最後に。
同じものを参照しなければならない。
帰還先へ付された。
三年前の黒瀬零の参照番号。
「ここです!」
朔夜が薄刃を振り下ろした。
三年前の黒瀬零の参照番号。
帰還先を移管するという共有結論。
その間に存在する。
一本の因果。
因果切断。
黒線。
研究棟全体が、一度だけ暗転した。
無数に生じていた入口が。
一斉に消える。
旧講義室は。
元の位置に残る。
白い輪郭だけが。
全て外側へ弾き出された。
「天城先輩!」
朔夜の右腕から。
血が落ちる。
「浅い」
「因果の反動ですか」
「無数の公理項へ差し替え可能だった接続を、一件の適用点でまとめて止めた」
右腕は下げない。
「長くは持たない」
「十五秒あれば十分です」
澄玲が時計を見る。
正午一分一五秒。
「九条澄玲。第一研究棟」
「三年前の黒瀬零さんの帰還先を保持しています」
「天城朔夜。同じく保持する」
声は。
どこにも届かない。
それでも。
二人は答えた。
直後。
旧講義室の中央。
新しい白い人影が立った。
「……外から入っていません」
「ああ」
切断された参照番号とは。
別の番号。
その《前提執行体》は。
最初から内部に存在していたものとして。
そこへ成立している。
「天城先輩」
「十五秒では」
澄玲が息を整える。
「終わらないようです」
「なら」
朔夜が前へ出る。
「次の十五秒まで持たせる」
白い人影が動いた。
澄玲は。
その背中へ。
次の問題を展開した。
◇
地下演習路。
開始位置と終了位置が同じ場所へ帰属するだけではなく。
攻撃前。
攻撃後。
その身体状態まで。
同じものとして処理され始めていた。
獅堂が拳を振るう。
二百メートル先。
金色の床が《前提執行体》を打ち上げる。
胴体へ亀裂。
だが。
攻撃が完了した瞬間。
亀裂が消えた。
白い身体が。
攻撃を受ける前の状態へ戻る。
「今度は傷まで戻すのか!」
『お前の拳も戻っている』
第四候補。
通信表示越し。
獅堂の右腕を見る。
そこに生じていた負荷も。
一撃前の値へ戻っている。
「悪くないんじゃないか」
『疲労が戻るとは限らない』
「どういう意味だ」
『身体状態は攻撃前へ戻っている。だが、お前が攻撃したという行為回数は残っている』
表示。
――攻撃完了、七件。
――対象損傷、〇件。
――被検者疲労、増加。
「俺だけ損してるな」
『向こうは、そういう《第一公理階層》を提出している』
獅堂は。
開始線から移動できない。
執行体も。
帰還先へ近づく通常動作を。
何度も開始位置へ戻されている。
それでも。
相手は。
繰り返すたびに。
攻撃を受ける前の位置だけを少しずつ変えている。
一撃目。
床から。
二撃目。
左。
三撃目。
上方。
同じ攻撃が通じないことを。
処理履歴として残している。
「こいつ」
獅堂が笑う。
「戻ってるくせに覚えてるのか」
『行為結果だけが戻されている。処理履歴は保持している』
「卑怯だな」
『公理に公平さを求めるな』
「なら」
獅堂は。
開始線へ重なる。
自分の七件の攻撃履歴を見る。
「俺も履歴を使う」
損傷結果は消えた。
だが。
どこへ。
どの角度で。
どれほどの力を流したか。
七件の記録は。
残っている。
「第四候補」
『何だ』
「お前なら」
獅堂が執行体を見る。
「次はどこへ逃げる」
第四候補は。
七件の攻撃履歴。
執行体の回避位置。
走路の礎化記録。
それらを重ねた。
『右上』
「理由は」
『一撃目と五撃目の間だ。そこだけ、お前が床を礎にしていない』
「分かった」
『信じるのか』
「聞いたのは俺だ」
獅堂は右拳を引く。
次の一撃。
だが。
金色の線は。
《前提執行体》の現在位置へ伸ばさない。
右上。
まだ誰もいない空間。
そこへ先回りして。
自分の礎を接続する。
拳。
床が爆ぜる。
白い人影が。
その攻撃を避けるため。
身体を変形させた。
右上。
予測通り。
「戻る前に」
金色の構造材が。
白い胴体を四方向から挟む。
「捕まえた」
《前提執行体》が。
攻撃前の状態へ戻ろうとする。
しかし。
攻撃前には存在しなかった足場へ。
既に身体が固定されている。
表示が乱れた。
――攻撃前状態への復元。
――現在位置、不一致。
――復元先を確定不能。
「今だ!」
左拳。
負荷が蓄積している右腕ではない。
左。
金色の床が。
白い身体を横から殴り抜く。
胴体が砕けた。
今度は。
戻らない。
『通常時間側の身体停止を確認』
「《無刻行動》の方は?」
『表面の白線は消えていない』
第四候補は即答する。
『通常身体は砕けた。無刻存在としての執行主体まで消失したとは判断できない』
「次は」
『休め』
「まだ来るぞ」
走路の奥。
三体。
新たな《前提執行体》。
『だから休め』
「十五秒だけだ」
『お前の十五秒は長すぎる』
「黒瀬零よりは慎重だ」
『比較対象が悪い』
時計。
正午一分一五秒。
「獅堂剛毅。地下演習路」
獅堂は息を吐く。
「第四候補の帰還先を保持中」
通信表示の向こう。
第四候補も答えた。
『第四候補。第二仮設居室』
『獅堂の無茶を記録している』
「余計なこと言うな」
『現在行動だ』
正面。
三体の白い人影が。
同時に走り出す。
獅堂は。
両足を床へ沈めた。
第四候補は。
その三本の進路を見た。
◇
旧気象観測所への連絡路。
玄理の欄外が。
燃えていた。
炎ではない。
《前提執行体》の白い指が記録票へ触れるたび。
そこに書かれていた行動が。
――提出されなかった記録。
そう再分類され。
文字だけが。
一件ずつ消えていく。
灯の五十六歩。
一件。
二件。
三件。
世界本文から救い出したはずの歩行が。
今度は。
欄外から失われようとしている。
「先生!」
「走れ」
「でも、記録が!」
「消える前に踏め」
玄理が。
記録票を一列へ並べる。
灯は。
その上を走った。
一歩目。
着地。
直後。
背後で文字が消える。
二歩目。
着地。
消失。
三歩目。
消失。
もう。
後戻りはできない。
一度踏んだ欄外記録は。
執行体によって順番に削除されていく。
前方。
鉄扉。
その先。
採択領域から離脱した黒瀬零の帰還先。
距離は縮んでいる。
だが。
追う《前提執行体》の通常身体の方が速い。
「先生、このままだと追いつかれる!」
「分かっている」
玄理が。
欄外収蔵から。
別の記録群を引き出す。
灯の歩行記録ではない。
現在の黒瀬零。
廊下を八二・六メートル毎秒で走った記録。
第四候補。
第二仮設居室で右手を上げた記録。
三年前の黒瀬零。
独立した現在人物へ戻った直後の発言。
帝都理法大学の黒瀬零。
所属確認へ回答した記録。
採択領域から離脱した黒瀬零。
旧気象観測所へ到達した記録。
「《六件共同前提》?」
「その成立過程で残した欄外記録だ」
「踏んでいいの?」
「歩行記録ではない」
「じゃあ足場にならない」
「今まではな」
玄理が。
五件を。
灯の走路へ重ねる。
「黒瀬灯」
「何」
「五人をどう呼ぶ」
「急に?」
「答えろ」
灯は走りながら。
五件の記録を見る。
現在の黒瀬零。
第四候補。
三年前の黒瀬零。
帝都理法大学の黒瀬零。
採択領域から離脱した黒瀬零。
「今のお兄ちゃんは」
灯が言う。
「お兄ちゃん」
「残りは」
「第四候補さん」
「三年前のお兄ちゃんだった人」
「帝都理法大学の黒瀬零さん」
「採択領域から離脱した黒瀬零さん」
「同じ黒瀬零ではないのか」
「同じ名前でも」
灯は前を見る。
「同じ呼び方にはしない」
「なぜだ」
「私が今」
一枚目を踏む。
「そう呼ぶって決めてるから!」
五件の記録が。
灯の足元へ並んだ。
同一起源だという過去の情報ではない。
今。
黒瀬灯が。
五人を別々に呼び分けた。
現在の関係記録。
それぞれが。
別の足場になる。
「走れ」
灯が踏む。
一件目。
現在の黒瀬零を。
お兄ちゃんと呼ぶ現在。
二件目。
第四候補を。
第四候補さんと呼ぶ現在。
三件目。
三年前の黒瀬零だった人物を。
現在の兄とは別に呼ぶ現在。
四件。
五件。
五人を。
一人分の同じ関係へ戻さない。
五つの関係記録が。
消えかけていた欄外の先へ。
新しい道を作る。
執行体が追いついた。
白い指が。
最初の関係記録へ触れる。
文字。
――黒瀬灯。
――黒瀬零との兄妹関係。
――世界前提により付与。
その下へ。
新しい一文。
――現在の相互承認により継続。
消えない。
世界が過去に与えた関係だけではない。
灯自身が。
今も選んでいる。
だから。
《前提執行体》が提出している一件の《第一公理階層》だけでは。
その現在を完全には棄却できない。
白い指が。
記録の前で止まった。
「先生!」
「戻るな」
「でも、止まってる!」
「通常身体はな」
玄理は。
《前提執行体》の表面を見る。
白い線。
まだ。
消えていない。
「存在格は無刻存在だ。通常身体が止まっても、《無刻行動》を選べなくなったとは限らない」
「じゃあ」
「置いていけ」
灯は走る。
五件目。
最後の足場。
鉄扉へ到達。
玄理は。
足止めされた白い人影へ。
一枚の白紙を重ねた。
「本人が現在選んだ関係は」
白紙へ文字。
「お前を提出した一件の《第二公理階層》の公理項だけでは棄却できない」
――《前提執行体》。
――関係記録削除。
――失敗。
――失敗記録として欄外へ収蔵。
白い通常身体が。
記録票へ引き込まれる。
腕。
脚。
頭部。
全てが紙面へ収まり。
最後。
余白だけが残る。
だが。
その余白の内部では。
白い線が。
まだ流れていた。
玄理は。
それを見落とさない。
「通常身体を封じただけだ」
「無刻存在としての執行主体まで停止したとは考えるな」
「分かった」
「そのまま進め」
時計。
正午一分一五秒。
「御厨玄理」
「旧気象観測所連絡路」
「記録を保持している」
灯も。
鉄扉へ手を置いたまま答える。
「黒瀬灯」
「同じ場所」
息を整え。
「五人を、五人として呼んでる」
二人の声は。
連絡路の外へ出ない。
それでも。
扉の向こう。
旧気象観測所の時計が。
一度。
点滅した。
◇
俺は。
久世の掌を胸へ受け。
白い床を百メートル近く吹き飛ばされていた。
背中が床へ当たる。
跳ねる。
一度。
二度。
三度。
停止するより先に。
久世が追いつく。
白い長衣が視界へ入った。
次の瞬間には。
拳が腹部へ沈んでいる。
「――っ」
息が消えた。
身体が折れる。
空中へ浮いたところを。
三体の《前提執行体》が左右から掴んだ。
表示。
――黒瀬零。
――単独戦闘継続不能。
――他五件への帰属を再提案。
「まだ……」
声が出ない。
左手を動かす。
白い指が腕へ食い込む。
身体記録が固定されていく。
久世が俺の前へ立った。
「速度差は埋まっていない」
その通りだ。
「支援経路も失われた」
その通り。
「現在確認は、互いへ届いていない」
それも。
今のところは。
時計。
正午一分一五秒。
「黒瀬零」
血の味がする。
「白い階段跡」
久世を見る。
「まだ戦ってる」
返事。
なし。
黒線も。
振動も。
紙片も。
灯の文字も。
すぐには現れない。
「今回は」
久世が言う。
「何も届かない」
「少し待て」
「十五秒目は過ぎた」
「だから何だ」
「ほかの戦場から、現在確認が到達していない」
「お前に分かるのか」
「査問執行者として」
久世の背後へ。
三つの表示が開く。
「四件の下位適用結果を観測している」
第一研究棟。
澄玲と朔夜。
新しい《前提執行体》と交戦中。
地下演習路。
獅堂。
三体に包囲され。
右膝を床へついている。
旧気象観測所への連絡路。
玄理と灯。
鉄扉の向こうへ分断され。
外部との直接参照を失っている。
全員。
答えているかもしれない。
でも。
今の俺には届いていない。
「単独状態を」
久世が言う。
「まだ保留するか」
「する」
「根拠は」
「答えてると思うからだ」
「推測だ」
「ああ」
「誤っている可能性がある」
「ああ」
「それでも?」
「間違ってたら」
息を吸う。
「後で謝る」
久世の眉が。
僅かに動いた。
初めて。
こいつが。
本当に理解できないものを見る顔だった。
「謝罪では」
「消えた現在を戻せない」
「だから」
俺は睨む。
「消えたって決めるな」
未証明。
――黒瀬零。
――単独状態。
――他五件からの現在確認、なし。
――共同回答、崩壊。
――確定保留。
白い腕の拘束が。
僅かに緩む。
俺が。
一人であり。
共同回答が既に崩壊した。
その結論だけが。
二・四秒。
まだ出せない。
左腕を引き抜く。
一体の顎へ。
掌底。
白い頭部が跳ねる。
身体を捻る。
右肩を掴む執行体の胸へ。
左踵。
治療途中の肩を無理には動かさない。
俺を掴む腕そのものを支点にして。
回転。
二体の間から抜ける。
着地。
久世が動いた。
見えない。
破片。
変化なし。
影。
変化なし。
空気。
変化なし。
また。
別の提出公理。
それでも。
久世には。
一つだけ。
戦闘速度と無関係な制約がある。
こいつは。
ただ俺を倒せばいい敵ではない。
《上位階層査問》の。
代表適用者。
査問執行者。
俺の回答が。
本当に崩れたかどうか。
確認しなければならない。
攻撃後。
必ず。
俺の現在記録を観測する位置へ戻る。
久世が消えた場所ではない。
これまで。
査問表示を開いた場所。
白い階段の中央。
俺から。
十二メートル前方。
そこへ走る。
七〇。
八五。
九五。
背後。
久世の拳。
まだ見えない。
避けない。
攻撃後に現れる。
査問執行者を狙う。
拳が背中へ触れた。
衝撃。
身体が前へ押される。
その力を。
走行へ使う。
九八。
一〇〇。
許可上限。
身体が壊れたという結果を。
保留するつもりはない。
痛み。
衝撃。
全部。
受ける。
ただ。
倒れて止まることだけは。
選ばない。
白い階段中央。
久世が現れた。
俺の損傷を。
査問結果として確認するため。
右手を表示へ向けている。
「そこだ!」
左拳。
久世がこちらを見る。
驚きではない。
理解。
自分の攻撃を受けながら。
攻撃経路ではなく。
査問執行後の確認位置を狙ったことを。
一瞬で理解した。
左腕を上げる。
俺の拳を。
受け止めた。
衝撃。
白い床へ亀裂。
「行動ではなく」
久世が俺の拳を握る。
「役割を読んだか」
「ああ」
「査問執行者である以上、私は結果を確認する」
「お前は速い」
握られた拳が軋む。
「でも」
俺は笑う。
「やることまで全部自由じゃない」
「正しい」
右拳。
至近距離。
腹部。
避けられない。
身体がくの字に折れる。
だが。
左拳は離さない。
久世も。
俺の腕を掴んでいる。
「捕まえた」
「どちらが」
「どっちでもいい」
足を踏む。
久世の身体速度が。
どれほど高くても。
今。
互いが互いを掴んでいる。
離脱するには。
一度。
この接触を解除しなければならない。
その結果を。
「保留する!」
未証明。
――久世律真。
――黒瀬零との接触解除。
――確定保留。
「獅堂!」
声は届かない。
「九条!」
返事もない。
「天城!」
黒線も。
見えない。
「御厨先生!」
紙片は。
まだない。
「灯!」
何も起きない。
それでも。
呼ぶ。
「今だ!」
一秒。
何もない。
そして。
久世の背後。
白い空間が揺れた。
第一研究棟。
黒い線が一本。
異なる《第一公理階層》の境界を切り裂き。
こちらへ結果だけを残す。
地下演習路。
金色の衝撃。
床を伝う。
旧気象観測所。
白紙の記録票。
舞い上がる。
最後。
俺の左手。
小さな文字。
――黒瀬灯。
――現在確認。
通常通信ではない。
四件の戦場が。
同じ《第一公理階層》へ戻ったわけでもない。
全員が。
自分の戦場で。
正午一分一五秒。
同じ確認時刻に。
自分の現在を答えた。
その回答は。
同じ《第三公理階層》の査問へ。
同時刻の下位側提出として記録される。
その最小限の対応だけが。
四つの戦場を。
一瞬。
繋いだ。
「一人じゃない」
俺は言った。
朔夜の黒線が。
久世の退路を切る。
獅堂の金色の衝撃が。
足元を固定する。
玄理の白紙が。
久世の背後に開きかけた。
別の提出公理への移動口を覆う。
そして。
灯の現在確認が。
俺たち四件の戦場が。
同じ査問時刻へ。
互いの現在を提出したことを示す。
左拳。
引く。
今度は。
久世の手が離れないのではない。
俺が。
離さない。
腰を回す。
治療中の右肩は使わない。
左腕。
脚。
腰。
全身の力。
拳を。
久世の胸へ。
叩き込む。
白い長衣がへこんだ。
その奥。
投影体の胸部。
太い亀裂。
久世の身体が。
後方へ滑る。
一メートル。
三メートル。
七メートル。
白い床を削りながら。
明確に。
押し戻された。
「回答を」
荒い息を吐く。
「確認したか」
久世が。
胸の亀裂へ触れる。
内部から。
白い光。
「確認した」
怒りはない。
だが。
今までと同じ無関心でもなかった。
「四件の戦場で異なる回答を選びながら」
久世が俺を見る。
「同じ確認時刻へ、相互の現在を提出した」
「ああ」
「声は届かなかった」
「返事は来た」
「一つの方法ではない」
「同じ方法にする必要はない」
「統一された公理原理もない」
「消さないって決めてる」
「それだけか」
「今は」
俺は構え直す。
「それで十分だ」
久世の胸にある亀裂が。
ゆっくり閉じていく。
投影体の修復。
打撃は通った。
でも。
倒してはいない。
久世が両手を広げる。
周囲にいた《前提執行体》の通常身体が。
一斉に動きを止めた。
三つの戦場でも。
白い通常身体が。
次々に静止する。
ただし。
表面を走る白い線は。
消えない。
存在格。
無刻存在。
通常身体が動いていないことと。
《無刻行動》を行えないことは。
同じではない。
「第四問へ移行する」
久世の宣言。
同時。
《前提執行体》の表面を流れていた白い線が。
一斉に強く発光した。
《無刻行動》。
そして。
《第三公理階層》側からも。
下位側の回答より先に。
第四問の結果を固定する処理が。
経過時間〇で成立しようとした。
◇
経過時間〇。
久世の長衣は。
広がり切る直前。
俺の呼吸も。
胸の痛みに対する次の反応も。
宙に浮いていた白い破片も。
澄玲も。
朔夜も。
獅堂も。
玄理も。
灯も。
通常時間を必要とする全てに。
次の状態変化は生じない。
久世も同じ。
六二一・七メートル毎秒という通常身体速度では。
この攻防へ介入できない。
だが。
《前提執行体》は。
無刻存在。
自ら選んだ《無刻行動》を。
経過時間〇のまま成立させようとする。
第一研究棟。
澄玲へ白い執行結果が伸びる。
別の一件は。
朔夜が切断した参照番号を迂回し。
旧講義室内部へ。
新しい番号を刻もうとする。
地下演習路。
三件の《前提執行体》。
獅堂の金色の礎へ。
帰還先移管のための処理を重ねる。
旧気象観測所への連絡路。
欄外へ収蔵された執行主体が。
紙面の内側から。
玄理へ手を伸ばす。
そして。
白い階段跡。
俺の周囲。
数十件。
首。
胸。
右肩。
影。
身体記録。
帰還先。
俺の現在を構成する。
異なる要素へ。
それぞれ別の《無刻行動》が。
完了を求める。
さらに。
《第三公理階層》側。
第四問。
上位固定。
――異なる四件の回答。
――同一対象への重複適用。
――共存不能。
――単独優先回答の選択、必須。
まだ。
俺たちは。
第四問へ何も答えていない。
それでも。
上位側は。
四件の回答を同じ対象へ重ねた時点で。
一件を選ぶ以外の回答を。
先に不成立として固定しようとしている。
その経過時間〇の攻防へ。
緋月も入る。
存在格。
無刻存在。
《前提執行体》の《無刻行動》を認識し。
自らも。
同じ経過時間〇で《無刻行動》を成立させる。
第一研究棟。
白い執行結果が。
旧講義室へ到達を成立させようとする。
緋月が対応する。
万象校正。
――帰還先移管。
――下位対象が同一攻防過程へ介入不能な状態で完了。
――下位回答の先取り。
――訂正。
到達結果を。
未完了へ戻す。
一件。
二件。
四件。
《前提執行体》も。
別の《無刻行動》によって。
扉。
壁。
天井。
床。
異なる前提経路から。
再び。
旧講義室への到達を成立させようとする。
緋月は。
四つの処理主体を破壊しない。
帰還先へ到達できるか。
それは。
通常時間の中で。
澄玲と朔夜が答える問題だ。
だから。
止めるのは。
二人が何もできない条件から。
到達完了だけを確定すること。
四件。
全て。
境界直前の未完了へ戻す。
地下演習路。
獅堂の金色の礎。
その所有主体を奪う処理。
第四候補の帰還先を。
統合主体の履歴へ戻す処理。
三件。
五件。
十一件。
二十三件。
《前提執行体》が。
異なる《無刻行動》を次々に提出する。
緋月も。
その一件ずつへ対応する。
同じ存在格に属するからこそ。
相手の経過時間〇の行動を。
同じ攻防過程で認識できる。
だが。
存在格が同じでも。
攻撃力も。
防御力も。
技量も。
全てが同じになるわけではない。
白い刃が。
緋月の右腕へ入る。
包帯が裂ける。
皮膚が切れる。
血が浮く。
傷は成立する。
ただ。
血が床まで落下するための経過時間は。
まだ消費されていない。
緋月は。
二十三件の執行を。
一件ずつ。
未完了へ戻した。
旧気象観測所への連絡路。
白紙の内部。
《前提執行体》が。
玄理の手首へ触れようとする。
――欄外収蔵主体の変更。
――御厨玄理から執行主体へ。
――下位能力者が同一攻防過程へ介入不能な状態で成立。
緋月が。
その白い指へ対応。
訂正。
別の余白。
もう一本。
さらに三件。
全て。
完了前へ戻す。
そして。
俺。
数十件。
首の切断。
胸部を階段の付属記録へ再分類。
右肩を第四候補の負傷記録へ移管。
影から五件の黒瀬零を接続。
単独状態の確定。
共同回答崩壊の完了。
それぞれ別の結果。
一件。
また一件。
緋月の《無刻行動》が。
同じ経過時間〇で競合する。
普通の反応速度ではない。
普通の速度比でもない。
互いの《無刻行動》へ。
互いが対応できる。
ただそれだけ。
そして。
その背後。
第四問の上位固定。
――異なる四件の回答。
――共存不能。
――単独優先回答の選択、必須。
緋月は。
そこへ右手を向ける。
ただし。
四件の戦場を。
一つへ重ねること自体には触れない。
異なる回答が。
互いへどう作用するか。
それも。
下位側へ提出された問いだ。
緋月が代わりに答えてはいけない。
だから。
一件だけ。
俺たちが答える前に。
――一件を選ばなければならない。
そう。
上位側から先に確定する処理だけを。
切る。
万象校正。
白い固定文が裂けた。
――共存不能。
――確定、取り消し。
――単独優先回答の選択。
――下位側回答待ち。
その瞬間。
《前提執行体》が。
緋月へ一斉に《無刻行動》を成立させる。
五本の白い刃。
三本。
外す。
四本目。
訂正。
五本目。
既に裂けていた手袋を貫く。
血が増える。
それでも。
緋月は。
通常時間側へ残す一件の記録を登録した。
――上位側による単独優先確定を切断。
――《前提執行体》。
――存在格、無刻存在。
――《無刻行動》による経過時間〇での執行、および同条件の行動への対応を確認。
――下位対象が同一攻防過程へ介入不能な状態での執行完了を阻止。
――戦場の重複適用は継続。
――下位側で回答せよ。
最後。
通常人物へ向けられていた。
《前提執行体》の執行結果を。
全て。
未完了へ戻す。
倒してはいない。
消してもいない。
無刻存在という存在格も。
失わせていない。
ただ。
俺たちが。
一手も返せない条件から。
査問結果だけを完成させることを。
阻止した。
緋月は。
一連の経過時間〇の攻防を終える。
通常時間の進行を許した。
◇
久世の両手が。
最後まで広がった。
俺たちの側では。
一瞬も経っていない。
だが。
《前提執行体》の通常身体は。
先ほどと異なる位置にいた。
俺の首へ触れようとしていた腕。
数センチ離れた位置。
右肩へ伸びていた白い指。
記憶にない角度。
影へ触れようとしていた腕も。
別の場所。
経過時間〇の攻防で。
既に緋月と何十件もの《無刻行動》を競合させていた。
その結果だけが。
通常時間側へ残っている。
第一研究棟。
旧講義室の境界外まで戻された。
四つの白い輪郭が。
再び通常身体として進行を始める。
地下演習路。
三体の《前提執行体》が。
帰還先から数歩離れた位置に戻されている。
旧気象観測所への連絡路。
欄外の紙面から。
白い指先が。
再び現れようとしていた。
表示。
――上位側による単独優先確定を切断。
――《前提執行体》。
――存在格、無刻存在。
――《無刻行動》による経過時間〇での執行、および同条件の行動への対応を確認。
――下位対象が同一攻防過程へ介入不能な状態での執行完了を阻止。
――戦場の重複適用は継続。
――下位側で回答せよ。
緋月は。
答えを作っていない。
四つの回答のうち。
どれを選ぶべきかも。
決めていない。
一件を選ぶ以外の可能性を。
俺たちが考えるより先に消されることだけを防いだ。
そして。
白い床へ。
三つの戦場が映った。
第一研究棟。
地下演習路。
旧気象観測所への連絡路。
そこで使われている回答が。
一件ずつ。
白い文字となって並ぶ。
因果を切断する回答。
失敗した行動履歴を、礎として積み上げる回答。
棄却された記録を、欄外へ保存して現在へ戻す回答。
そして。
俺の。
結果を未確定にする回答。
「異なる回答が」
久世が言う。
「同じ対象へ、同時に適用された場合」
四つの戦場が。
互いへ近づく。
「どの回答を」
「現在として優先する」
「何をする気だ」
「一件ずつでは」
久世が答える。
「六件の現在を崩せなかった」
白い床の下から。
第一研究棟が浮かび上がる。
床と壁の区別を失った廊下が。
俺たちの戦場を。
斜めに貫いた。
その上へ。
地下演習路。
開始地点と終了地点が。
同じ場所として重なる。
さらに。
旧気象観測所への連絡路。
前進した行為が。
世界本文から棄却され。
欄外へ落ちていく。
四件。
異なる《第二公理階層》から提出された。
異なる《第一公理階層》。
一つの戦場へ。
同時に重なる。
「ならば」
久世が。
四件の中央へ立つ。
「お前たちの回答同士を」
「競合させる」
黒い線。
朔夜の因果切断。
だが。
久世へは向かわない。
重なった別の世界前提に。
進路そのものを変えられる。
黒線が。
地下演習路。
獅堂の足元へ現れた。
「何――」
金色の床が隆起する。
獅堂の万象は我が礎。
だが。
本来なら。
執行体へ向かうはずだった衝撃が。
開始地点へ戻らない。
旧気象観測所。
玄理と灯。
その真下へ。
金色の衝撃が届く。
「灯!」
白紙の記録票が舞う。
玄理の欄外収蔵。
だが。
その紙面へ。
俺の身体記録が。
書かれ始めた。
――黒瀬零。
――欄外記録への移管。
「止めろ!」
誰へ向けた声か。
自分でも分からない。
味方の能力が。
味方の戦場を襲っている。
全員が敵になったわけではない。
朔夜も。
獅堂も。
玄理も。
何も変わっていない。
それぞれ。
自分の相手へ。
自分が選んだ正しい回答を。
続けているだけ。
なのに。
回答が。
別の《第一公理階層》へ適用された瞬間。
誰かを守るための作用から。
別の誰かを傷つける作用へ。
変えられている。
澄玲の問題表示が。
俺の前へ開いた。
彼女が。
俺へ向けたわけではない。
それでも。
重なった世界前提が。
世界は解を持つの問いを。
別の対象へ適用している。
――四件の回答のうち。
――現在へ残すべき一件を選択せよ。
黒線。
獅堂へ迫る。
金色の床。
灯の足元を砕く。
白紙。
俺の名前を欄外へ運ぼうとする。
久世が。
四つの世界の中央から。
俺たちを見る。
「別々の回答が」
「互いを否定しないと言ったな」
ああ。
言った。
同じ答えでなくてもいい。
同じ方法でなくてもいい。
別々に。
自分の現在を守ればいい。
それでも。
互いを消さなければ。
共同回答だと。
そう言った。
久世が。
その言葉を。
そのまま。
次の問いへ変える。
「なら示せ」
黒線が。
味方へ向かう。
金色の礎が。
別の味方を傷つける。
欄外が。
俺を世界本文から外そうとする。
それぞれの正しさが。
互いを傷つける。
「互いを傷つける回答を」
四つの世界が。
一つの戦場として。
衝突する。
久世が告げた。
「それでも」
「選ばずにいられるか!」




