表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『神律大学の未証明者《アンプローヴン》』   作者: 仕儀の反駁
第三章《第二観測圏》《分離査読官》編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
38/70

第三十七話 世界が見なくても、私は見る

 観測が閉じていく。


 それは、空から光が消えることとは違った。


 夜になったわけでもない。


 雲が覆ったわけでもない。


 帝都神律大学を《第二観測圏》側の有効な観測記録へ対応づけていた参照が、一つずつ外されている。


 講義棟の輪郭が白く霞む。


 窓の向こうに見えていた中庭は、そこにあるはずなのに距離を測れない。


 隣の建物まで何歩なのか。


 どちらを向けば正門なのか。


 知っている。


 それでも、その知識が現在の景色と結びつかなかった。


「お兄ちゃん、手を離さないで」


「ああ」


 灯が掴んだ手を握り返す。


 その温度だけは確かだった。


 旧観測接続棟を囲む壁が消えていく。


 崩壊しているのではない。


 壁という構造と、その位置を示していた記録との対応が、《第二観測圏》側の査読系から切り離されている。


 向こう側を見ようとしても、何も見えない。


 こちら側を振り返っても、どこまでが室内だったのか分からなかった。


『《観測圏外追放》を実行』


『対象《世界研究領域》を、《第二観測圏》の有効観測体系から除外』


『観測記録との対応を切断』


『審理機構群からの正式参照を停止』


 旧観測接続棟へ直接命令を送っていた金色の円環群が、一つずつ閉じていく。


 それらは、《第二観測圏》に属する審理機構の投射形態。


 今、俺たちを追放しようとしている直接の執行者たちだ。


 だが、その円環群のさらに奥にも、何かがあった。


 円環なのか。


 資料なのか。


 観測するための機構なのか。


 今の俺には判別できない輪郭。


 一つの輪郭の奥に、また別の輪郭が見える。


 その奥にも、同じような気配が続いている。


 どこまで視線を伸ばしても、最後には届かない。


 けれど、奥の何かはこちらへ命令を出さない。


 金色の線も伸ばさない。


 《観測圏外追放》にも、直接は加わっていない。


 ただ、手前の審理機構が新しい処理記録を開くたび、そのさらに奥で、別の資料がめくられたように見えた。


 こちらを直接見ているのではない。


 《第二観測圏》で生じた審査記録を、さらに先から読んでいる。


 そんな気がしただけだった。


 確かなことは何一つない。


 今、俺たちへ手を出しているのは、あくまで手前の金色の円環群だけだ。


 だが、円環がいくつ閉じたのか、それさえ次第に判断できなくなった。


 一つ前に見た円環を覚えていなければ、数を比較できない。


 記憶の中の円環と、現在見えている円環を同じ系列のものとして結びつけなければならない。


 比較に必要な対応関係そのものが、薄れている。


「これは……消滅ではありません」


 九条澄玲が、周囲へ青い数式を展開した。


 数式は形を保てず、記述された端から白い空間へ溶けていく。


「物質がなくなっているわけではありません。《第二観測圏》側の正式な記録と、現在の世界を結んでいた参照が失われています」


 澄玲は、霞み始めた講義棟を見る。


「何がどこにあり、どの状態から続いているのか。外部の基準から固定できなくなっています」


「放っておけば、どうなる」


 神代緋月が、大学章へ手を置いたまま尋ねる。


「同じ場所について、複数の状態が重なり始めます」


 澄玲の周囲で、数式が崩れていく。


「最終的には、私たち自身にも、どれが現在なのか区別できなくなります」


『訂正』


 《第一査読官》の白い身体へ、途切れかけた文字が浮かんだ。


『有効観測対象から除外された資料は、状態を一つに確定する義務を持たない』


「義務がない?」


 御厨玄理が、破れた出席簿を抱える。


『上位の査読結果として利用されない資料に、継続性は要求されない』


「棄却した資料だから、どうなっても構わないということか」


『当該資料に対する正式な評価は終了している』


「まだ、ここに人がいる」


『当該情報は、有効参照の対象外』


「見ないことにしたから、いないのと同じだと?」


『《第二観測圏》側の有効観測体系においては肯定』


 緋月が奥歯を噛み締める。


 大学章から放たれる青白い光が、講義棟の輪郭を辛うじて支えていた。


 だが、その光も大学の外へは届かない。


 帝都神律大学内部の建物と人間の対応を維持できても、大学を含む《改稿》の中で、ここがどこに存在するのか。


 どの時点から続いているのか。


 その位置づけまで切られれば、大学だけが世界の中で所在地を失う。


「学内観測網を起動する」


 緋月が大学章へ命じた。


「全講義棟、全研究施設、全寮棟へ接続。現在位置と在籍者情報を相互照合しろ」


 大学章が明滅する。


 普段なら即座に応答するはずの学内設備が沈黙した。


『外部基準時刻との対応を確認できません』


『施設位置情報との対応を確認できません』


『在籍者名簿との対応を確認できません』


「学内の記録まで駄目なのか」


「記録は残っている」


 玄理が出席簿を開いた。


 頁には数え切れない名前が並んでいる。


 だが、どの名前が誰を指しているのか。


 文字と学生との対応が、少しずつ剥がれ始めていた。


「名前だけでは足りない。誰かが、この名前はこの人間を指していると認識し続ける必要がある」


「なら、私たちがやる」


 灯が言った。


「全員を?」


「知ってる人からでいい」


 灯は俺の腕を掴んだまま、一人ずつ顔を見る。


「お兄ちゃんは、黒瀬零。私は、黒瀬灯。澄玲さんは、九条澄玲。朔夜さんは、天城朔夜。玄理先生は、御厨玄理。神代先生は、神代緋月」


 灯は息を吸った。


「今、ここにいる」


 出席簿の文字が僅かに濃くなる。


 ――黒瀬零。


 ――黒瀬灯による個体照合を確認。


 ――黒瀬灯。


 ――黒瀬零による個体照合を確認。


 ――九条澄玲。


 ――天城朔夜による現在位置の照合を確認。


 ――天城朔夜。


 ――九条澄玲による現在位置の照合を確認。


「効いている」


 玄理が頁を押さえる。


「外部の正式観測から外されても、内部の相互認識によって、名前と現在の人間との対応を維持できる」


『閉鎖系内部の相互参照は、外部観測として認められない』


「認めてもらう必要はない」


 灯は金色の円環群を見上げた。


「お兄ちゃんが私を見て、私がお兄ちゃんを見る。それで、私たちはお互いを見失わない」


『内部参照のみで構成された記録は、客観性を持たない』


「客観的じゃなければ、兄妹じゃないの?」


『有効観測体系における成立根拠を持たない』


「上の記録に載っていないと、私たちは兄妹じゃない?」


『当該関係は、正式には未確定となる』


「私たちにとっては決まってるよ」


 灯の手に力が入る。


「世界が何度違うと言っても、お兄ちゃんはお兄ちゃんだった」


「ああ」


「だったら、今度も同じ」


 灯の言葉が白い空間へ広がった。


 建物の奥から、誰かの声が聞こえる。


「……誰かいるのか?」


 学生の声だった。


「ここは、どこだ?」


「動くな!」


 緋月が叫ぶ。


「自分の名前を口にしろ! 近くに誰かいるなら、互いの名前を確認し合え!」


 大学章が辛うじて、その命令を学内へ伝達する。


 遠くで別の声が上がった。


「私は、法則基礎学部二年の――」


「お前は、私の研究室の――」


「ここは第三講義棟だ!」


「違う、第二だろ!」


「窓の向こうに時計塔がある!」


「時計塔なんて見えない!」


 混乱した声が重なる。


 それでも、互いを呼ぶ声が増えていった。


 名前。


 所属。


 昨日交わした会話。


 一緒に食べた昼食。


 貸したまま返ってきていない本。


 講義中に居眠りし、叱られたこと。


 どれも、上位へ提出できる客観的な証明にはならない。


 だが、今ここにいる誰かと、名前と、記憶と、現在位置を、別の誰かが結び直している。


 大学の輪郭が僅かに戻った。


『内部相互参照の増加を確認』


『無効』


『無効』


『無効』


「必死だな」


 三年前の俺が、赤い円環を展開した。


「無効だと宣言し続けないと、不安か」


『閉鎖系内部の相互参照は、有効な存在根拠にならない』


「誰にとって?」


『《第二観測圏》側の観測体系にとって』


「俺たちは、お前たちの記録のために存在しているわけじゃない」


『下位世界は、《第二観測圏》において査読資料として取り扱われる』


「取り扱われ方が、存在の全てを決めるのか」


『肯定』


「なら、お前たちも同じだな」


 採択領域から離脱した俺が言った。


「査読を行うために形成された機構は、査読以外の答えを持つ資格がない」


 男は、未証明の観測者を見る。


「だから、自分を『私』と呼んだこいつを消そうとした」


 未証明の観測者が小さく揺れる。


『私は』


 以前よりも、その声は明確だった。


『観測するために存在していた』


「過去形で言うのか」


『今の私は』


 言葉を探すように間が空く。


『何のために存在するのか、分からない』


「それでいい」


 俺は答えた。


「分からないまま、ここにいると選んだんだろ」


『肯定』


 金色の円環群が同時に明滅する。


『未証明個体による内部観測を禁止』


『当該個体は、観測主体資格を剥奪されている』


『観測行為は成立しない』


『私は』


 未証明の観測者が灯を見る。


『黒瀬灯を見ている』


 灯が目を見開いた。


『私は、黒瀬零を見ている』


 次に、澄玲。


 朔夜。


 玄理。


 緋月。


 三年前の俺。


 採択領域から離脱した俺。


 第四候補。


 一人ずつ、その視線が向けられていく。


『私は、ここにいる者たちを区別している』


『観測主体資格なし』


『当該行為は無効』


『資格がなければ、私は彼らを見ていないことになるのか』


『肯定』


『しかし、私は見ている』


『錯誤である』


『誰の錯誤だ』


 金色の円環群が止まった。


『……』


『私が錯誤しているのなら』


 未証明の観測者は続ける。


『錯誤している私を、あなたたちは認識している』


『規程違反要素として検出している』


『検出するために、私を見ている』


 金色の円環群が激しく回転する。


『処分対象の監視は、観測に該当しない』


「監視は、観測ではないのですか」


 澄玲の瞳に青い光が宿った。


「随分と思い切った定義変更ですね」


『処分のための状態確認である』


「状態を確認することを、普通は観測と呼びます」


『用語上の差異』


「差異があるなら、定義を提示してください」


『処分対象の状態確認は、対象の存在を承認しない』


「承認と、状態の取得は別でしょう」


 青い数式が広がる。


 ――存在を承認する。


 ――対象の状態を取得する。


 ――取得した状態に基づき、存在を承認しないと判断する。


「存在を認めないという判断を下すには、まず判断対象を区別し、現在状態を取得しなければなりません」


『一時的識別である』


「一時的でも、識別しています」


『識別は観測ではない』


「では、観測とは何ですか」


『対象の状態を取得し、記録する行為』


「今、この大学が内部相互参照を続けていることを取得しましたか」


『処分のための確認である』


「取得しましたか」


『肯定』


「記録しましたか」


『処理記録へ保存される』


「それが観測です」


 青い数式が、金色の宣告を囲んだ。


 ――帝都神律大学は、有効観測対象から除外された。


 ――帝都神律大学が内部相互参照を継続していることを確認した。


 ――確認結果を処理記録へ保存した。


「観測対象から外した領域の状態を、どうして確認できるのですか」


『……』


「完全に観測を止めたなら、この大学がまだ相互参照を続けているかどうか、分からないはずです」


 第四候補が口を開く。


「さらに言えば、追放処理が成功したかどうかも確認できない」


『処理完了は、規程によって保証される』


「保証された結果を、誰も確認しないのか」


『確認は不要』


「なら、お前たちは今すぐ、この領域について何も語れなくなるはずだ」


 第四候補は金色の円環群を見上げた。


「俺たちが存在するとも、存在しないとも、追放されたとも、追放に失敗したとも判断できない」


『……』


「それでも処理を続けるなら、処理対象を識別し続けなければならない」


 採択領域から離脱した俺が続ける。


「識別するなら、参照関係が残る。参照関係が残るなら、《第二観測圏》側の有効観測体系から完全に切り離したとは言えない」


『査読対象による定義干渉を拒否』


「拒否したことを記録したな」


 三年前の俺が赤い円環を開く。


 ――《第二観測圏》側の審理機構群は。


 ――帝都神律大学から提出された異議を認識した。


 ――異議内容を処理し。


 ――拒否を選択した。


 ――当該処理には。


 ――異議を提出した領域との対応関係を必要とする。


『記録を削除』


「削除する対象を認識した」


 赤い文字が増える。


『当該記録を、処理対象外へ移行』


「移行先を決めるために、記録を識別した」


『……』


「どうする?」


 三年前の俺が笑った。


「俺たちを完全に見ないなら、俺たちを追放し続けられない。追放を維持するなら、俺たちを見なければならない」


 白い空間へ亀裂が走った。


 大学の時計塔が、一瞬だけ姿を現す。


 遠くの講義棟。


 夜空。


 街の明かり。


 完全ではない。


 それでも、切られていた大学内部の位置関係と、《改稿》内の景色との対応が僅かに戻り始めている。


『《観測圏外追放》の処理不整合を検出』


『処理方法を再構成』


「お兄ちゃん」


 灯が空を見上げる。


「戻れるの?」


「まだだ」


 俺は白い円環を開いた。


「向こうは諦めてない」


 手前にあった金色の円環群が回転を止める。


 処理を組み替えているのは、《第二観測圏》側の審理機構群だ。


 そのさらに奥で、名もない輪郭が、また一枚の資料を開いたように見えた。


 それだけだった。


 新しい命令は奥から来ない。


 処理の再構成へも加わらない。


 だが、俺たちと《第二観測圏》側の審理機構群との間で何が起きているのか。


 その記録だけは、さらに先へ読まれているのかもしれない。


 俺には確かめることができない。


 円環群と俺たちの間に残っていた金色の線が、一本ずつ形を変え始める。


 視線ではない。


 追放命令でもない。


 細く。


 鋭く。


 二つの対象を切り分けるための線。


 右側に、金色の人影が形成される。


 左側にも、同じ輪郭が現れた。


 保留状態にあった右機能と左機能。


 かつて一つの査読機構として形成され、自らの矛盾によって二つの輪郭へ分かれた存在。


『《分離査読官》』


『右機能、再起動』


『左機能、再起動』


「まだ使うのか」


 玄理が出席簿を閉じた。


『観測を停止せず、対象との成立関係のみを切断する』


『審理機構は対象を識別する』


『ただし、識別結果を対象の成立根拠として認めない』


「そのような都合のいい切り分けが、成立すると思っているのですか」


 澄玲が青い数式を構える。


『成立させる』


 右機能が手を上げた。


『分離対象、観測者と観測対象』


 左機能も手を上げる。


『分離対象、記憶と被記憶者』


 金色の線が大学全域へ広がった。


 学生同士を結んでいた声が途切れる。


「お前は――」


「俺は――」


「誰を呼んで――」


「この名前は、誰の――」


 出席簿の文字が薄くなる。


 互いを見ていても、その視線と相手の存在を結びつけられない。


 記憶していても、その記憶が誰についてのものなのか分からない。


 《第二観測圏》側の審理機構群は、観測を完全に止めるのではなく、観測された事実が人や世界を支える関係にならないよう、対応だけを切り離そうとしている。


『内部相互参照を無効化』


『《観測圏外追放》を再開』


 灯の手が俺の手から滑り落ちた。


「お兄ちゃん」


 灯が俺を見ている。


 だが、その目には俺を兄だと認識する確かな対応がない。


「あなたは……」


「灯」


「どうして、私の名前を」


 金色の線が俺と灯の間を通る。


 兄と妹。


 記憶している者と、記憶されている者。


 現在、互いを選んでいる二人。


 その全ての対応が切られようとしている。


「灯、俺を見ろ」


「見てる。でも……」


 灯の声が震えた。


「あなたが誰なのか、分からない」


 胸の奥で何かが軋む。


 何度、世界から否定されても。


 何度、正しい記録から消されても。


 選び直してきた関係。


 それをまた、上から与えられた処理で終わらせるわけにはいかない。


「俺は」


 名乗ろうとして、止まる。


 名前だけでは足りない。


 黒瀬零という文字と、灯が兄と呼んだ存在との対応まで切り離されている。


『黒瀬零』


 別の声が俺を呼んだ。


 未証明の観測者だった。


 金色ではない光が、その中心で強く輝いている。


『私は、あなたを見ている』


「分かるのか」


 観測者の輪郭が揺れる。


『私は、あなたが黒瀬灯の手を何度も取り直したことを見た』


『黒瀬灯が、あなたを兄と呼び直したことを見た』


『あなたたちが、関係を切り離されるたびに、現在の意思で互いを選び直したことを見た』


 《分離査読官》の線が、未証明の観測者へ集中する。


『未証明個体による、関係記録の保持を検出』


『観測記録との対応を分離する』


『過去の記録を切り離しても』


 その声は、もう途切れなかった。


『私は今、あなたたちを見ている』


『現在観測との対応を分離する』


『それでも』


 未証明の観測者が初めて、自分から俺たちの側へ近づいた。


『私は、もう一度見る』


 灯の瞳へ、微かな光が戻る。


『黒瀬灯』


『あなたの前にいる者は、過去の記録だけによって兄なのではない』


『今、あなたへ手を伸ばしている一人の人間だ』


「兄……」


『過去の関係記録を、成立根拠としてはならない』


『私は、過去だけを見ていない』


 未証明の観測者が答える。


『今、黒瀬零は、あなたの手をもう一度取ろうとしている』


『今、あなたは、彼をもう一度呼ぼうとしている』


『二つの選択は、互いへ向けられている』


 灯の指が再び俺の手を掴んだ。


「お兄ちゃん」


「ああ」


「お兄ちゃんだ」


「ああ」


 俺は強く握り返した。


 金色の線が、俺たちの間で軋む。


『関係の再成立を検出』


『即時分離』


「何度切っても」


 俺は白い円環を開く。


「俺たちは選び直す」


『再選択以前の関係を分離』


「なら、また選ぶ」


『選択主体と、選択結果を分離』


「その結論を、保留する!」


 白い空白が金色の線へ食い込む。


 だが、今度の《分離査読官》は止まらない。


 右機能が、俺と白い円環の関係を切る。


 左機能が、俺と保留された結論の対応を切る。


「黒瀬零!」


 緋月の声が響く。


「一人で受けるな!」


「分かってる!」


 俺は未証明の観測者を見る。


「頼めるか」


『何を』


「俺たちを見ていてくれ」


『私の観測は、《第二観測圏》側の審理機構に認められない』


「認められる必要はない」


『切り離される』


「何度でも見直せ」


『私が、見誤る可能性がある』


「その時は、俺たちが訂正する」


『私が、あなたたちへ誤った答えを与える可能性もある』


「答えを決めなくていい」


 俺は白い円環を握り込む。


「ただ、見失わないでくれ」


 未証明の観測者は僅かな沈黙の後、自分の意思で答えた。


『分かった』


 その一言と同時に、《第二観測圏》側の審理機構群から金色の線が大学全域へ振り下ろされた。


 人と人。


 記憶と名前。


 世界と観測者。


 選択と選択者。


 あらゆる関係を切り離すために。


 白い闇が再び大学を覆う。


 そのさらに奥では、名もない何かが手を出すことなく、ただ《第二観測圏》で生じた新しい審査記録を読んでいるように見えた。


 それでも、最後に見えたのは灯の手だった。


 俺の手を強く握っている。


 そして、正式な観測記録から外された世界の中で、俺たちを見失わないと選んだ。


 一人の、未証明の観測者の光だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ