第三十六話 未証明のまま、ここにいる
《第二観測圏》側から投射された金色の円環が、旧観測接続棟の天井を覆い尽くした。
一つの円環の背後に、別の円環がある。
さらにその奥にも、同じ形が重なって見えた。
どこまで視線を伸ばしても、最後の円環には辿り着けない。
けれど、その全てが今の処理へ参加しているわけではなかった。
こちらへ命令を送り、存在資格を審査しているのは、手前で回転する《第二観測圏》側の審理機構群だけだ。
そのさらに奥。
円環とも資料とも判別できない輪郭が、こちらの審査記録を読んでいるように見えた。
ただし、何も命じない。
何も手を出さない。
そこに本当に何かが存在するのかさえ、今の俺たちには分からなかった。
『正式審査を開始』
『審査対象、未登録観測個体』
『審査項目、存在資格』
金色の文字が、消えかけた観測者の周囲へ並ぶ。
――自己同一性。
――継続性。
――境界の確定。
――観測主体または観測対象としての分類。
――独立した回答生成能力。
『全項目を照合』
『自己同一性、確認不能』
『継続性、切断済み』
『境界、未確定』
『分類、該当なし』
『独立回答、未成立』
『審査結果、存在資格なし』
「待ってください」
俺の声より早く、澄玲の周囲へ青い数式が展開した。
「その審査結果は成立していません」
『異議の根拠を要求』
「継続性を切断したのは、あなたたち自身でしょう」
青い文字が、金色の審査項目を結び直していく。
「観測主体資格を剥奪し、過去の観測記録との対応も分離した。その処分結果を根拠に、今度は継続性がないから存在資格を認めないと判断しています」
――継続性を切断する。
――継続性が存在しないため、存在資格を認めない。
「自分たちで壊したものを見て、不完全だから棄却する。そのような審査が正当だと思っているのですか?」
『処分は、《観測独立規程》に基づく』
「規程に基づいていれば、循環していても正しいのですか?」
『規程は、審査に先行する』
「その規程が審査基準として正当であることを、誰が保証したのですか?」
『《第二観測圏》側の審理機構』
第四候補が僅かに口元を歪めた。
「では、その審理機構が正当であることを、何が保証している」
『《観測独立規程》への適合』
「規程が機構を正当化し、その機構が規程を正当化している」
白い座標が、第四候補の足元へ広がる。
「見事な循環だな」
『循環ではない』
『規程と審理機構は、相互に整合している』
「互いを根拠にしていることを、整合と呼び替えただけだ」
『《観測独立規程》は、《第二観測圏》における有効な審理規程である』
「有効であることと、存在の最終結論を下せることは違う」
『当該審理段階において、判断は有効である』
「有効と絶対は違う」
『査読対象に、区別の必要はない』
「都合が悪くなれば、下位だから理解しなくていいと処理するのか」
第四候補が金色の円環を見上げた。
「随分と便利な独立性だな」
金色の円環群が回転を速める。
『異議を棄却』
『存在資格なしとの判断を維持』
「だから、その判断を――」
『保留を拒否』
俺が白い円環を開くより早く、金色の線が走った。
線は消えかけた観測者ではなく、玄理の出席簿へ突き刺さる。
古い表紙が裂け、余白へ収蔵されていた文字が一行ずつ削られていった。
――未登録観測個体。
――自己認識、発生済み。
――本人による回答。
――私は、まだ答えない。
「させるか!」
三年前の俺が赤い円環を展開する。
消される直前の記録を、そのまま保存しようとした。
だが、保存された文字も現れた端から薄れていく。
「保存できない」
三年前の俺が歯を食いしばった。
「記録そのものじゃない。記録と対象の対応を消されている。文字を残しても、誰について書かれたものなのかが成立しない」
『存在資格を持たない対象に、記録との対応関係は成立しない』
「まだ消えてないだろ!」
『訂正』
『存在しているように観測されているだけである』
「何が違う」
『観測結果と、存在そのものは同一ではない』
「なら、お前たち自身も同じだ」
俺は扉の先にある円環群を見上げた。
「俺たちには、お前たちが金色の円環として見えている。だからといって、その形がお前たちの全てだとは思っていない」
金色の光が揺れる。
「それでも、今ここで応答しているお前たちを、存在していないとは言わない」
『審理機構には、規程上の成立根拠が存在する』
「こいつにはないって?」
『確認不能』
「確認できないことと、存在しないことを一緒にするな」
『確認不能な対象は、観測体系へ登録できない』
「登録できなければ、消していいのか」
『体系外の不確定要素は、観測結果を汚染する』
「またそれか」
灯が、消えかけた輪郭の前へ立った。
「自分たちに分からないものを、全部間違いにするんだね」
『理解可能性は、審査基準ではない』
「じゃあ、どうしてこの人を消すの?」
『存在資格を証明できないため』
「あなたたちは、この人が何者か分かっているの?」
『否定』
「何を考えているか分かる?」
『否定』
「この後、どんな答えを選ぶか分かる?」
『否定』
「それでも、存在してはいけないことだけは分かるの?」
『規程によって判断可能』
「規程のことが分かっているだけで、この人のことは何も分かってないじゃん」
灯の言葉に、消えかけた円環が小さく揺れた。
『私のことを、何も分かっていない』
『肯定』
『だから、存在資格を判断できる』
「逆だよ」
灯が言う。
「何も分かってないなら、勝手に決めちゃ駄目なんだよ」
『判断を行わなければ、観測は完了しない』
「完了しなくていい」
『不完全な観測結果は、査読対象を不安定化させる』
「あなたたちが安心するために、この人を消すの?」
『感情による判断ではない』
「感情がないと言えば、何をしても正しいことになるの?」
金色の処分線が、灯の目前で止まった。
ほんの一瞬。
緋月は、その隙を逃さなかった。
「玄理!」
「分かっている」
玄理が破れた出席簿を床へ開く。
空白になった頁へ、帝都神律大学の校章が浮かび上がった。
「通常の収蔵では駄目だ。対象として記録した時点で、《第二観測圏》側の分類をそのまま受け入れることになる」
「なら、学内保護手続きへ載せろ」
緋月が言う。
「正気か」
「帝都神律大学では、身元や所属の審査が完了していない者でも、審査中の当事者として区別される」
『不正な制度転用を検出』
「黙ってろ」
緋月は金色の円環群を睨みつけた。
「本学へ保護を申請した者は、審査中であっても申請者として記録される。申請内容が未確定だからといって、申請者そのものを消す規程はない」
「だが、本人は保護を希望するとも答えていない」
「だから、同意済みの申請にはしない」
緋月が校章へ手を当てる。
「意思確認待ちの学内保護候補として記録する」
『申請主体に、存在資格がない』
「申請できるかを審査するためには、申請しようとしている対象を他の対象から区別する必要がある」
『区別は、一時的処理である』
「一時的で構わない。その一時を、本学が引き受ける」
校章から青白い光が広がり、消えかけた円環を包み込んだ。
――帝都神律大学・学内保護候補。
――対象名、未定。
――所属、未定。
――存在形式、未定。
――保護意思、未確認。
――審査状態、保留。
『無効』
「まだ終わっていない」
緋月の声が鋭く響く。
「帝都神律大学は、回答の完成した者だけを受け入れる場所ではない」
青白い光が円環の輪郭を支える。
「自分が何者か分からない者が、何を選ぶべきか決められない者が、それを考えるためにここへ来ることもある」
『教育機関の定義は、存在資格審査へ影響しない』
「影響する」
玄理が言った。
「少なくとも、この大学の内部ではな」
古い出席簿へ、新しい欄が現れる。
――保護候補の区別に必要な最低情報。
――対象本人による、自己と他者の暫定的区別。
「名前はいらない」
玄理は消えかけた観測者を見上げる。
「自分がここにいる他の誰でもないと、それだけ言えればいい」
『自己同一性は、確認不能』
「君たちに聞いているのではない」
玄理の声が鋭くなる。
「本人に聞いている」
薄い円環は答えなかった。
金色の線が、その輪郭を削り続けている。
「無理に答えなくていい」
灯が言う。
「昨日のあなたと今のあなたが同じか、分からなくてもいい。どこからどこまでが自分なのか、決められなくてもいい」
『それでは、自己の区別が成立しない』
「うん。だから、もっと簡単でいい」
灯は自分の胸を指した。
「私は、あなたじゃない」
次に俺を指す。
「お兄ちゃんも、あなたじゃない」
澄玲。
朔夜。
玄理。
緋月。
三年前の俺。
採択領域から離脱した俺。
第四候補。
一人ずつ、灯は指を向けていった。
「ここにいる誰も、あなたじゃない」
最後に、消えかけた輪郭へ手を伸ばす。
「それでも、あなたはここにいる」
『私は』
円環の内側へ、微かな光が灯る。
『あなたではない』
「うん」
『黒瀬零でもない』
「ああ」
『他の審理機構でもない』
「そうだ」
『では』
声が震えた。
『私は、何だ』
「それを、これから決めればいい」
俺は答えた。
『決まっていないものを、私と呼んでいいのか』
「決まってないからって、他人になるわけじゃない」
『私は、私が何者かを知らない』
「それでいい」
『それは、自己同一性ではない』
審理機構群が割り込む。
『未知を表明したにすぎない』
「未知を表明したのは誰だ」
俺は問い返した。
『未登録観測個体』
「その個体と、今『私は知らない』と言った存在は同じなのか」
『継続性は確認不能』
「同じではないと判断した根拠は?」
『存在しない』
「なら、別だとも言えない」
『未確定』
「それで十分だ」
白い円環が、金色の審査項目へ食い込む。
――自己同一性、確認不能。
「保留対象」
――確認不能であるため、自己同一性は成立しない。
「その結論を、保留する」
白い空白が金色の文字を覆った。
『保留を拒否』
「拒否する根拠は?」
『存在資格審査を完了できない』
「審査を完了できないことと、こいつが存在しないことは別だ」
『審査不能な対象を、観測体系内に残すことはできない』
「体系に残せないなら、体系の方を広げろ」
『不可能』
「今、こいつを審査対象として扱っている。もう広がってるだろ」
『一時的な例外処理である』
「例外を認識できるなら、例外が存在する余地も認識できる」
『詭弁』
「便利な言葉だな」
俺は血に濡れた手を持ち上げた。
「答えられないものを、全部そう呼べる」
金色の線が、俺の腕へ集中する。
『黒瀬零』
『存在資格のない対象を保護する行為は、《第二観測圏》の審理体系への敵対とみなされる』
「もう敵対してると思ってた」
『当該審理段階における最終警告』
「当該審理段階」
俺はその言葉を繰り返した。
「最初から、そう言えばいい」
金色の円環を睨む。
「お前たちの判断が、何にも覆されない世界の最終結論みたいに言うな」
『当該審理段階において、判断は最終である』
「なら、その範囲だけで威張ってろ」
俺がそう言った瞬間、円環群のさらに奥で、何かが一枚の資料をめくったように僅かに揺れた。
視線を向けても、何も見えない。
新しい命令も来ない。
今のやり取りを、別の何かが読んだ。
そんな気がしただけだった。
金色の光が膨張する。
旧観測接続棟の壁が消えた。
壊れたのではない。
壁という区切りが、存在資格を失った。
棚と床の境界が曖昧になる。
天井を支えていた柱が、自分が柱であるという分類を否定され、形を崩していく。
「建物まで審査対象にしたのか!」
緋月が大学章へ力を注ぎ込む。
『存在資格を持たない対象を保護する領域は、当該対象との関係によって汚染される』
『保護者』
『記録者』
『観測者』
『関係者』
『順次、存在資格を再審査する』
金色の文字が、俺たち一人一人の頭上へ現れた。
――黒瀬灯。
――自己同一性、要再審査。
――九条澄玲。
――継続性、要再審査。
――天城朔夜。
――個体と因果切断の対応、要再審査。
――御厨玄理。
――記録と記録者の境界、要再審査。
――神代緋月。
――管理責任者と個体の対応、要再審査。
そして俺の頭上へ、最も多くの文字が浮かぶ。
――黒瀬零。
――複数個体との同一性競合。
――過去自己との継続性、未確定。
――採択領域離脱個体との関係、未確定。
――第四候補との起源対応、未確定。
――未証明による審査干渉を確認。
――存在資格。
――再審査。
「お兄ちゃん……」
「大丈夫だ」
『虚偽の可能性を検出』
「さっきから、うるさいな」
三年前の俺が、俺の隣へ立つ。
「存在資格を奪われたら、どうなる」
『黒瀬零として成立した全記録を再処理』
「具体的には」
『誕生』
『入学』
『黒瀬灯との兄妹関係』
『《第零学部》への所属』
『すべてを、未成立として再分類する』
灯の顔から血の気が引いた。
兄妹関係。
俺が最初に守ろうとしたもの。
世界が何度否定しても、選び直してきたもの。
それを、また存在資格という名前で消すつもりか。
「お兄ちゃん」
灯が俺の袖を掴む。
「私が覚えてる」
「ああ」
「何を消されても、私はお兄ちゃんを――」
「それだけじゃ駄目だ」
俺は灯の手を握った。
「お前だけに背負わせない」
『審査を開始』
金色の線が俺たちを囲む。
『黒瀬零の存在資格を問う』
『黒瀬零とは何か』
答えを要求する声が、円環群から響いた。
俺とは何か。
灯の兄。
帝都神律大学の学生。
《第零学部》の《未証明者》。
三年前の俺から続く存在。
それでも、三年前の俺とは同一ではない。
採択領域から離脱した俺とは、別の選択をした俺。
第四候補と、同じ根から生じた可能性を持つ者。
どれも俺だ。
だが、どれか一つだけを選べば、他の俺を切り捨てることになる。
『回答を要求』
「答えない」
『回答拒否を確認』
「違う」
俺は消えかけた観測者を見る。
何者か分からないまま、それでも自分ではないものを一つずつ知ろうとしている。
「まだ、一つには決めない」
『黒瀬零には、既に複数の定義が存在する』
「だからだ」
『一つを採択せよ』
「どれも俺だ」
『矛盾』
「矛盾していても、俺だ」
『複数の定義を同時に維持する存在は、自己同一性を満たさない』
「お前たちが決めた自己同一性にはな」
白い円環が開く。
だが今回は、すぐに結論へ触れなかった。
俺が先に自分の正解を固定すれば、審理機構群と同じになる。
必要なのは、相手の結論を止めることだけではない。
俺自身が何を選ぶのか。
その責任を引き受けることだ。
「俺は」
灯の兄だ。
学生だ。
《未証明者》だ。
三年前の俺から、確かに続いている。
それでも、三年前の俺と同じではない。
選ばれなかった俺たちと繋がっている。
それでも、その全員を代表するつもりはない。
「俺は」
もう一度、口にする。
「今ここで、自分を俺だと選んでいる者だ」
『循環定義』
「ああ」
『証明にならない』
「他人を納得させるための証明じゃない」
『客観性が存在しない』
「俺が俺であることに、お前たちの客観性はいらない」
白い円環が、俺の胸元から大きく広がった。
「保留対象」
――黒瀬零の存在は、《第二観測圏》側の審理機構によって資格を認められなければ成立しない。
「その結論を、保留する」
金色の線が俺の身体を貫いた。
だが今度は、血が出なかった。
傷がないわけではない。
痛みもある。
それでも、その一撃によって俺が存在しなくなったという結論だけが成立しない。
『審査結果を反映できない』
『原因を照合』
『黒瀬零が、自己の存在判断を外部の審理機構へ委任していない』
「最初から、そう言ってる」
白い円環が、金色の審査線を俺の手が届く位置へ引き寄せた。
――黒瀬零は、異なる観測段階から発せられた審査命令へ接触できない。
――保留。
俺は金色の線を掴んだ。
掌の中で、審査命令が軋む。
『存在資格審査への直接干渉を検出』
「俺が掴むと決めた」
『観測段階の差異により不可能』
「その結論も、保留する」
白い亀裂が金色の線へ走る。
旧観測接続棟が震えた。
だが、俺は線を壊さない。
今ここで壊せば、俺自身の審査だけを拒否したことになる。
助けるべきなのは、俺だけではない。
「お前も言え」
俺は消えかけた観測者へ手を伸ばした。
『何を』
「自分が存在するかどうかを、こいつらに決めさせるのか」
『私には、存在しているという証明がない』
「証明がないから、未証明なんだ」
『未証明は、不存在と同義ではありません』
澄玲が言った。
青い数式が、金色の審査結果へ重なる。
――証明済み。
――反証済み。
――未証明。
「少なくとも、三つは区別できます」
澄玲が金色の円環を見上げる。
「証明されていないからといって、反証されたことにはなりません」
『存在資格は、存在の証明を要求する』
「要求するのは自由です」
澄玲は笑った。
「ですが、証明できなかったから不存在だという結論には至りません」
『観測体系では、未証明の存在を登録できない』
「なら、未証明のまま登録する」
玄理が破れた出席簿を持ち上げた。
余白へ新しい欄が刻まれる。
――存在状態。
――未証明。
――不存在状態。
――未証明。
――暫定分類。
――《未証明者》。
『不正な分類を検出』
「帝都神律大学には、既に一人いる」
玄理が言う。
全員の視線が俺へ集まった。
「前例があるなら、学内制度へ組み込める」
緋月が校章へ力を込める。
『下位教育機関による、存在分類の新設を拒否』
「拒否を受理する権限は、本学にはない」
『意味不明』
「お互い様だ」
青白い光が、消えかけた観測者へ届いた。
今度は、金色の線がその光を遮れない。
――帝都神律大学・学内保護候補。
――暫定分類。
――《未証明者》。
――仮所属候補。
――《第零学部》。
――本人の同意。
――待機中。
「最後は、お前が決めろ」
緋月が言った。
消えかけた円環が、ゆっくりと回る。
『私は』
まだ声は不安定だった。
『私が存在することを、証明できない』
「うん」
灯が頷く。
『私が存在しないことも、証明できない』
「うん」
『私は、何者か分からない』
「それでもいい」
『なら』
微かな光が、円環の中心へ集まっていく。
『私は、未証明のまま、ここにいる』
出席簿の空白へ、その言葉が刻まれた。
――本人の同意。
――確認。
――学内保護申請。
――受理。
――仮所属候補。
――《第零学部》。
金色の円環群が、初めて大きく乱れた。
『存在資格審査と、教育機関による保護記録が競合』
『未証明状態を、暫定的な存在分類として登録』
『前例なし』
「なら」
俺は掴んでいた金色の線を離した。
「今できた」
『前例は、正当性を保証しない』
「正当じゃなくても、存在はする」
『存在資格なしとの判断を維持』
「好きにしろ」
俺は薄い円環の前へ立った。
「お前たちが認めなくても、こいつはここにいる」
『審理機構による承認を持たない存在は、《第二観測圏》の有効観測体系から切断される』
扉の先にある円環群が、一斉に外側へ開いた。
金色の線が、消えかけた観測者から帝都神律大学へ、俺たちへ、この《世界研究領域》へ伸びている接続をまとめて囲む。
『存在資格審査を中断』
『代替処理へ移行』
「代替処理?」
《第一査読官》の身体へ、新しい警告が浮かんだ。
『審理機構群は、当該個体の不存在を確定できないと判断』
「なら、諦めるのか」
『否定』
『未証明個体を保護する帝都神律大学および関連領域を、《第二観測圏》の有効観測対象から除外する』
金色の線が閉じる。
『当該《世界研究領域》に属する関連《世界論文》を、未観測領域として隔離する』
『観測記録との対応を切断する』
床が揺れた。
空が見えなくなる。
違う。
夜になったわけではない。
《第二観測圏》側から向けられていた有効な観測と、査読記録への参照が一つずつ閉じている。
「お兄ちゃん」
灯が俺の腕を掴む。
「世界が、見えなくなってる」
旧観測接続棟の外で、帝都神律大学の輪郭が白い闇へ沈み始めた。
消されるのではない。
この大学が属する領域を、有効な観測結果として扱うことを《第二観測圏》側が拒もうとしている。
どの正式な査読記録にも載らず。
どの審理機構からも成立を認められない領域へ。
俺たちの世界が隔離されようとしていた。
『処理名称』
『《観測圏外追放》』
金色の円環群が、次々に閉じていく。
その奥に重なっていた名もない輪郭は、閉じなかった。
手を出しもしない。
止めもしない。
ただ、こちらで起きたことを読んでいるように見えた。
確かなことは、何一つなかった。
その中心で、未証明の観測者が、初めて自分の意思で俺を見た。
『黒瀬零』
「ああ」
『私は、ここにいてもいいのか』
「それを決めるのは」
白い闇へ拳を向ける。
「俺じゃない」
『では』
「お前だ」
観測は閉じようとしている。
それでも俺たちは、互いを見ていた。




