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『神律大学の未証明者《アンプローヴン》』   作者: 仕儀の反駁
第二章《第零学部》《第一観測圏》編

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第十七話 世界は救われた。だから間違っている

 落ちた感覚はなかった。


 上昇した感覚も。


 門を通り抜けたという実感すらない。


 気づいた時には。


 俺たちは、白い法廷の中央に立っていた。


「……ここが、《第一観測圏》?」


 灯が俺の手を握ったまま、周囲を見回す。


 広い。


 そう思った直後。


 広さという言葉そのものが、この場所には適していないと分かった。


 果てが見えないわけではない。


 そもそも。


 果てまでの距離が定義されていない。


 床に見える白い面は、歩くための地面ではなかった。


 天井に見えるものも、頭上を覆う構造ではない。


 全てが。


 一枚の文書を読むために用意された余白だった。


 周囲には、無数の薄い冊子が浮かんでいる。


 一冊。


 また一冊。


 そのそれぞれに、番号だけが記されていた。


 ――《世界研究領域》〇四一八九。


 ――《世界研究領域》二一三七七。


 ――《世界研究領域》七〇〇〇二。


 数え切れない。


 いや。


 数え始めること自体が許されていない。


 視線を向けた一冊だけが、査読可能な形で現れ。


 それ以外は、背景へ退いていく。


「一冊につき、一つの《世界研究領域》」


 三年前の俺が呟く。


 閉じた赤い右目を押さえながら、浮かぶ冊子を見る。


「その内部に、無限の《世界論文》。さらに各論文へ、終端のない《改稿》」


「分かってても、実際に見ると気持ち悪いな」


「見ていると思うな」


「何?」


「俺たちは、この場所を認識できる形へ変換されたにすぎない」


 三年前の俺が、自分の腕を見る。


 皮膚の表面に、細かな文字が流れていた。


 ――共同論証者、第二登録者。


 ――旧記録個体。


 ――現在座標、暫定承認。


 俺の腕にも、同じような文章が浮かんでいる。


 ――異議申立人。


 ――共同論証者、第一登録者。


 ――査読対象内記述。


 そして。


 灯の腕には。


 ――外部観測基準。


 ――共同論証者、第三登録者。


 ――証言資格、未承認。


「消して」


 灯が言った。


「何を?」


「その最初のやつ」


 外部観測基準。


 灯は自分の腕へ爪を立てる。


 だが、文字は消えない。


「私は道具じゃない」


「分かってる」


「ここは分かってない」


 灯の視線の先。


 白い法廷の中央に、一冊の文書が開かれていた。


 俺たちの《世界研究領域》。


 その表紙が、ゆっくりと開いていく。


 街。


 大学。


 空。


 人間。


 記憶。


 歴史。


 俺たちにとっては世界だったものが、頁上の細かな記述として並べられている。


 帝都神律大学は、数行。


 《第零学部》は、脚注。


 俺たちの戦いは、修正履歴。


 灯が世界から消えた三年間は。


 赤い訂正記号で囲まれた、検証不備の項目だった。


「これが……俺たちの世界?」


「違う」


 俺は答える。


「向こうが、そういう形で読んでるだけだ」


「でも」


「世界は冊子じゃない」


 灯の肩へ手を置く。


「街も、人も、九条も獅堂も、あの中で生きてる」


「うん」


「資料にされたからって、資料だけになったわけじゃない」


 その言葉に反応したように、法廷の正面へ白い人影が現れた。


 顔はない。


 目も。


 口も。


 個人を示す特徴は、何一つ存在しない。


 胸元に、役職だけが浮かんでいる。


 ――《第一査読官》。


 白い人影から、声が響いた。


 音として耳へ届いたのではない。


 文章が、直接意味として頭へ流れ込んでくる。


『査読審廷を開始する』


『対象、《世界研究領域》〇四一八九』


『異議申立人、黒瀬零』


『審理対象、《第一観測圏》の査読権限』


『争点――観測者に、観測対象を査定する資格はあるか』


「その前に訂正しろ」


 俺は言った。


『異議内容を受理する』


『訂正対象を提示せよ』


「黒瀬灯を、外部観測基準として扱うな」


 白い人影の顔が、こちらへ向く。


『黒瀬灯は、当該《世界研究領域》における外部観測実験の基準点として使用された』


「三年前の話だ」


『記録は現在も有効である』


「本人が嫌だと言ってる」


『観測基準の主観は、測定結果へ影響を与えない』


 灯の指が震えた。


「私は観測基準じゃない」


『発言資格を確認できない』


「聞こえてるでしょ」


『外部観測基準による自己申告は、証言として採用されない』


「だから!」


 灯が白い机へ手を叩きつけた。


 乾いた音が響く。


「私は、黒瀬灯!」


 法廷に浮かぶ無数の冊子が、一瞬だけ揺れた。


「誰かを測るために生まれたんじゃない。世界を正しいか間違ってるか決めるために、生きてるんでもない」


 灯の腕にある、外部観測基準。


 その文字が白く光る。


「私のことを使って、お兄ちゃんたちを裁かないで」


『当該発言は、観測基準に付随する内部記述として保存する』


「保存じゃなくて聞いて!」


『意味上の差異を確認できない』


「あるよ!」


 灯が叫ぶ。


「記録することと、私の言うことを聞くことは違う!」


 白い法廷に、沈黙が落ちた。


 三年前の俺が一歩前へ出る。


「彼女の言うとおりだ」


『旧記録個体、黒瀬零』


『発言資格は未確定である』


「三年前、灯を観測基準へ接続したのは俺だ」


 三年前の俺は続ける。


「俺は、灯を一人の人間ではなく、世界を測るための基準として扱った」


「……お兄ちゃん」


「正しい世界を残すには、必要だと思った」


 閉じられた赤い右目。


 三年前の俺は灯を見ない。


 見れば。


 言葉を続けられなくなるのかもしれない。


「一つの正しい結論のためなら、灯自身の選択を無視していいと思った」


『当該自白を記録』


「記録しろ」


 三年前の俺が言う。


「ただし、それを俺の罪の証明に使うなら、灯が人間であることも認めろ」


『論理的接続を確認できない』


「灯を観測基準としてしか扱わないなら、俺が人間を犠牲にしたという罪も成立しない」


 白い人影が止まる。


「俺が壊したのが道具だったなら、これは単なる実験装置の破損だ」


 三年前の俺が、ようやく灯を見る。


「だが、違う」


 灯は何も言わない。


「俺は、人間の選択を奪った」


 法廷へ、新たな文章が表示される。


 ――旧記録個体の自白内容を照合。


 ――黒瀬灯を観測基準としてのみ定義した場合、責任概念と矛盾。


 ――人物属性の再審査を開始。


「なるほど」


 俺は小さく息を吐く。


「自分の罪まで論拠に使うのか」


「使えるものは使う」


「九条みたいなこと言うな」


「お前よりは論理的だ」


「否定できない」


 灯が俺たち二人を睨む。


「今、ちょっと格好つけてたのに台無し」


「悪い」


「こいつが」


「二人とも」


「はい」


 白い人影が、再び文章を発する。


『黒瀬灯の人物属性を暫定承認』


『ただし、査読審廷における証言資格は認めない』


「何でだ」


『当該人物は、査読対象内部の存在である』


「俺たちもだろ」


『異議申立人には、異議内容を説明する限定的発言権が付与される』


「じゃあ、共同論証者は?」


『《第零学部》内部の登録制度は、《第一観測圏》に効力を持たない』


「効力がない?」


『下位資料内で制定された規則は、上位査読手続を拘束しない』


「なら」


 俺は、法廷へ表示された召喚記録を指差す。


 ――異議申立人と、その共同論証者を召喚。


「何で、俺たち三人を呼んだ」


 白い人影が止まった。


「共同論証者って登録を認めて、灯とこいつをここへ通したんだろ」


『召喚対象の選定には、対象領域内の登録情報を参照した』


「登録情報は参照する。でも、登録に基づく発言権は認めない?」


『《第一観測圏》は、下位情報を必要に応じて使用できる』


「都合がいいな」


『査読に必要な情報の選定は、査読者の権限に含まれる』


「その権限を証明するための裁判で、権限があるから正しいって言うのか?」


 白い空間へ、細い罅が入った。


「俺たちを共同論証者として呼んだ時点で」


 俺は続ける。


「この審廷は、《第零学部》の登録が、俺一人の異議を構成するために必要だと認めた」


 俺。


 三年前の俺。


 灯。


 三人で。


 一つの異議。


「なら、三人全員に発言させろ」


『異議申立人は黒瀬零である』


「どっちの?」


 白い人影が、俺と三年前の俺を交互に見る。


『登録名義、黒瀬零』


「二人いる」


『本審廷は、重複個体を単一名義として処理する』


「じゃあ、どっちの発言を俺の発言として扱う?」


『内容を統合する』


「意見が違ったら?」


『審廷が主要論旨を選定する』


「それをするなって、異議を申し立ててるんだよ」


 再び。


 法廷が揺れる。


 ――手続上の循環を検出。


 ――異議申立人の単一化には、審理対象となる査読権限の行使が必要。


 ――査読権限の妥当性は、現在審理中。


 ――単一化処理を実行できない。


 三年前の俺が、小さく笑った。


「自分で自分を止めたな」


「笑う場面じゃありません」


 灯が澄玲の口調を真似する。


「九条いないぞ」


「でも、言いそう」


「言うな」


 白い人影の周囲へ、無数の文章が高速で流れる。


『手続を修正する』


『黒瀬零、第一登録者』


『黒瀬零、第二登録者』


『黒瀬灯、第三登録者』


『三名を、単一異議に属する共同申立人として暫定承認』


 灯の腕から、証言資格、未承認。


 その文字が消える。


 代わりに。


 ――共同申立人。


 と記される。


「やった」


「まだ始まっただけだ」


「でも、聞かせるところまでは来た」


「ああ」


 灯は白い人影へ向き直る。


「じゃあ、聞いて」


『発言を許可する』


「私のことを、私のためだと言って消さないで」


 灯の声は、先ほどより静かだった。


 それでも。


 法廷全体へ届いた。


「私がいると、世界が不安定になるかもしれない。誰かが傷つくかもしれない。選択肢が増えたせいで、間違える人も増えるかもしれない」


『当該危険性は、既に確認されている』


「うん」


 灯は否定しない。


「でも、それを理由に私の答えを聞かないのは違う」


『当事者の選択は、全体最適を保証しない』


「保証できないよ」


 灯が答える。


「私、自分が正しいなんて言ってない」


 法廷に浮かぶ文章が、一瞬止まる。


「正しいか分からないから、考えたいって言ってるの」


『査読制度は、未確定状態を終了させるために存在する』


「終わらせないと駄目なの?」


『終了しない論証は、結論を提出できない』


「生きてる途中なんだから、提出できなくても普通じゃない?」


 灯の言葉に、俺は息を止めた。


 生きている途中。


 だから。


 まだ結論ではない。


「私たちは、答案なの?」


『査読対象である』


「世界は、提出するために生きてるの?」


『質問の意味を特定できない』


「なら」


 灯が自分の胸へ手を置く。


「分からないままにして」


 白い人影が僅かに揺らぐ。


「分からないものを、分からないまま聞いて」


『査読者は、結論を示さなければならない』


「それは、誰が決めたの?」


 灯が、俺と同じ問いをした。


 でも。


 俺のように能力を使ったわけではない。


 論理で追い詰めたわけでもない。


 ただ。


 一人の人間として、疑問を口にした。


 法廷の余白へ、その言葉が残る。


 削除されない。


 脚注にも。


 参考資料にも。


 観測基準にも変換されず。


 黒瀬灯の発言として、残った。


     ◇


『共同申立人の主張を整理する』


 白い人影の背後へ、三つの文章が現れる。


 ――観測能力の優位は、裁定権限の正当性を保証しない。


 ――当事者の選択を経ない結論確定は、当事者性を侵害する。


 ――未確定状態の存続は、必ずしも論証の失敗ではない。


『主張内容に誤りがある』


「どこが」


『《第一観測圏》は、一つの《世界研究領域》内部からは観測できない前提差を比較できる』


 無数の冊子が、法廷へ展開される。


 一冊ごとに。


 異なる《世界研究領域》。


 異なる根源命題。


 異なる法則。


 異なる歴史。


『査読対象内部の存在は、自らの領域を成立させる前提の外側へ立つことができない』


「俺たちは今、ここにいる」


『査読可能な記述として変換されたにすぎない』


 白い人影が、俺たちの背後を指す。


 そこには、開かれた一冊の文書。


 俺たちの《世界研究領域》がある。


 頁の中に、今この法廷にいる俺たち三人の姿まで記録されていた。


 俺が右手を上げれば、頁の中の俺も右手を上げる。


 灯が一歩動けば、文章が一行増える。


「俺たちは、本の外へ出たんじゃない」


 三年前の俺が言う。


「本の外で読める形へ、投影されている」


『正確である』


「だから、俺たちが何を言っても」


「資料の内容が増えるだけ」


 俺は奥歯を噛む。


『査読者は、無限の《世界研究領域》を比較できる』


『一つの領域内部の当事者には把握できない結果を参照できる』


『ゆえに、外部査読は必要である』


「必要なのは認める」


 俺が言う。


 三年前の俺と灯が、こちらを見る。


『主張の撤回を確認』


「撤回してない」


「お兄ちゃん?」


「外から見る奴が必要なことはある」


 自分の世界の前提を、内部から疑えないこともある。


 自分たちだけでは、見落とすことも。


 間違うこともある。


「俺たちが絶対に正しいとも思ってない」


『ならば、査読結果へ従え』


「それとこれは別だ」


 白い人影を睨む。


「外から意見を言うことと、当事者の答えを消していいことは同じじゃない」


『採択基準には、結論の統一が必要である』


「何で」


『複数の矛盾した結論を同時に現実として採択すれば、領域間の整合性が崩壊する』


「なら、矛盾したまま保存する方法を探せ」


『査読者へ、新たな制度設計を要求しているのか』


「査読するなら、それくらい考えろ」


『査読対象が、査読者へ修正を要求する権限はない』


「またそれか」


 俺は笑う。


「権限があるから権限があるって、何回言えば気が済むんだ」


 三年前の俺が続ける。


「俺は、結論を一つにするために灯を消した」


『当該行為は、当該個体の誤判断である』


「そうだ」


 三年前の俺は認める。


「一つの失敗で、査読制度全体が間違っているとは言わない」


『妥当である』


「だが、俺が失敗した理由は、情報が足りなかったからだけじゃない」


 閉じた右目へ触れる。


「俺以外の答えを、先に無効にしたからだ」


 灯の意思。


 現在の俺の可能性。


 別の選択。


「俺は、比較したんじゃない」


「一つしか残さなかった」


 俺が引き継ぐ。


「だから、自分の答えを正しいと思い込めた」


『複数の選択肢を残した場合、被害が拡大する可能性がある』


「ある」


『ならば、早期収束は合理的である』


「合理的なら、本人を無視していいの?」


 灯が問う。


『全体の存続には、個別の選択より高い優先順位が与えられる』


「その全体に、私は入ってないの?」


 白い人影が答えを止めた。


「私を消した後に残る世界を、“全体”って呼ぶの?」


『黒瀬灯一名の喪失により、より多数の存在が維持される場合――』


「人数の話じゃない」


 灯が遮る。


「私を数に入れた上で、それでも必要だって説明して」


『結果は同一である』


「違う」


「違うな」


 三年前の俺が言った。


「灯を一人として数えた上で選ぶことと、最初から観測基準として除外することは、同じ結果でも同じ論証ではない」


 俺も頷く。


「結論だけ合ってれば、途中は何でもいいわけじゃない」


 白い法廷に、三人の声が残る。


 論理。


 責任。


 選択。


 どれも。


 査読結果だけを見れば、不要な途中経過かもしれない。


 でも。


 俺たちにとっては。


 そこを消した答えを、自分たちの答えとは呼べない。


『共同申立人の主張を確認』


 《第一査読官》が片手を上げる。


『当事者の選択過程を、結論の構成要件へ含めるべきである』


『相違はないか』


「ああ」


「そうだ」


「うん」


 三人で答える。


『ならば、比較資料を提出する』


 法廷の空気が変わった。


 無数の冊子の中から、一冊が前へ出る。


 表紙は、俺たちの《世界研究領域》とよく似た番号。


 だが。


 末尾だけが違う。


 ――《世界研究領域》〇四一八九・対照領域。


「対照領域?」


『主要人物、歴史、能力体系、根源命題の一致率、九九・九九八パーセント』


「ほとんど同じ……」


 灯が呟く。


『主要差分を表示する』


 冊子が開く。


 一つの文章が、白い法廷の中央へ浮かび上がった。


 ――黒瀬灯の外部化処理、完全成功。


 灯の手が、俺の腕を強く掴む。


 映像が展開される。


 帝都神律大学。


 俺たちの大学と同じ。


 校舎は壊れていない。


 黒い月もない。


 《第零学部》による異常現象も発生していない。


 学生たちは笑っている。


 街は平穏。


 《世界研究領域》全体の整合率。


 ――九九・九九九パーセント。


 棄却対象。


 ――なし。


 そして。


 そこに、灯はいない。


「……私が消えた世界」


『正確には、黒瀬灯が存在したという記録と可能性が、完全に除去された領域である』


「お兄ちゃんは?」


 映像が切り替わる。


 一人の男が、大学の講義室に立っている。


 現在の俺より、少しだけ年上。


 右目は赤くない。


 身体に傷もない。


 穏やかな顔で、学生たちへ授業をしている。


 黒瀬零。


 その世界の俺。


『当該領域では、黒瀬灯の消去によって外部観測実験が安定』


『黒月現象は発生せず』


『《第零学部》による世界構造の損傷も回避された』


『当該《世界研究領域》は、《第一観測圏》の査読により採択済みである』


「採択……」


 三年前の俺の顔が青ざめる。


 あの日。


 自分が選ぼうとした答え。


 灯を消す。


 世界を守る。


 それが、実際に成功した領域。


『比較資料の証言記録を再生する』


 講義室にいた、もう一人の黒瀬零がこちらへ顔を向けた。


 映像のはずなのに。


 真っ直ぐ、俺たち三人を見ている。


『俺は、黒瀬灯を消した』


 淡々と、その男は言った。


『その結果、世界は救われた』


 灯の指が震える。


『後悔はない』


 三年前の俺が拳を握る。


『一人の選択を残すために、無数の存在を危険へ晒すべきではない』


 もう一人の俺が、俺を見る。


『黒瀬零』


 同じ声。


 同じ顔。


 同じ能力。


 ただ。


 異なる答えを選び。


 その答えを成功させた俺。


『お前が灯を残したことは、正しさではない』


 映像の背後。


 平和な大学。


 笑う学生。


 何も知らずに続いていく日常。


『ただ、犠牲を選べなかっただけだ』


 映像が止まる。


 《第一査読官》が、俺たちへ問いを提出する。


『対照領域では、当事者の選択を制限することにより、より多くの存在が維持された』


『黒瀬灯を消去した結論は、結果として正しかった』


『共同申立人へ問う』


 白い法廷へ、唯一の問いが表示される。


 ――それでもなお、黒瀬灯の選択を残すべきだったと証明できるか。


 灯の手が、俺から離れかける。


 俺は、その手を握り直した。


「証明する」


 答えたのは、俺ではなかった。


 三年前の俺だった。


 灯を消そうとした。


 過去の黒瀬零。


 三年前の俺は、採択された世界の自分を睨む。


「今度こそ」


 閉じた赤い右目から、一筋の血が流れた。


「俺が、あの答えを反証する」

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