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『神律大学の未証明者《アンプローヴン》』   作者: 仕儀の反駁
第一章 帝都神律大学・入学編

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第九話 公開査問

 《公開査問》当日。


 帝都神律大学の中央広場には、朝から異様な数の学生が集まっていた。


 法則災害学群。


 命題兵装学科。


 世界原理学科を除く各学部の学生。


 教員。


 研究員。


 さらには学外から許可を得た報道関係者までいる。


 その視線の先。


 大学本部棟の前に、本来なら存在しない巨大な円形闘技場が浮かんでいた。


 正式名称は《第七公開査問庭》。


 普段は、大学の地下に圧縮保存されている施設だ。


 《公開査問》が開催される際だけ地上座標へ展開され、最大三万人の観覧者を収容する。


 直径五百メートル。


 観客席の中央には、白い円形の戦闘区域。


 その周囲には、何層もの透明な防壁が張られている。


 大学案内には、


 ――第一種命題(テーゼ)の直撃にも三秒間耐える。


 と書かれていた。


 三秒しか耐えないのか。


 三秒も耐えるのか。


 俺には判断できない。


「顔色は正常です」


 選手用通路を歩きながら、九条澄玲が俺の横顔を観察していた。


「心拍数は少し高いですが、戦闘前としては許容範囲です」


「昨日、一度死んだ奴に言う確認じゃないな」


「死亡は確認されましたが、現在は生存しています」


「まだ記録上は両方残ってるけどな」


 俺の学生情報には、今も二つの状態が表示されている。


 ――在籍中。


 ――死亡済み。


 大学の事務局へ問い合わせたところ、


 ――前例のない事象のため、訂正申請には二週間ほど必要です。


 と返された。


 俺の死亡より、事務処理の方が長い。


「査問終了後、学生支援課へ行ってください」


「勝った後に?」


「敗北しても行ってください」


「縁起が悪い」


「事務手続きに勝敗は関係ありません」


 澄玲は相変わらずだった。


 だが。


 昨日から、俺のそばを離れようとしない。


 俺が自動扉を通れば、きちんと認識されるか確認する。


 食事をすれば、所有権が俺へ移るか確認する。


 会話の途中で突然、


「今、何を考えていますか」


 と尋ねてくる。


 俺がまだ新しい選択を行える存在か、観察しているらしい。


「九条」


「はい」


「昨日から、ずっと俺を見てるな」


「観測対象ですから」


「それだけか?」


「それ以外に、どのような理由が必要ですか」


「いや」


 今は追及しない方がよさそうだ。


 通路の先に、神代緋月と天城朔夜が待っていた。


 緋月はいつもの白衣。


 天城先輩は、今日も菓子パンを食べている。


「朝食ですか」


 俺が尋ねる。


「二回目の」


「まだ午前九時ですよ」


「査問は長引く可能性がありますから」


「俺たちの戦いを見ながら三回目を食べる気だろ」


「よく分かりましたね」


 天城先輩は否定しなかった。


「最終確認を行う」


 緋月が俺の前へ立つ。


「体調は?」


「問題ありません」


「《終端痕》の再発は?」


「なし」


「記憶の欠損」


「ありません」


「自分の名前は」


「黒瀬零」


「ここへ来た目的」


「獅堂に勝つこと」


「その先は?」


「灯を見つける」


 緋月は数秒、俺の目を見る。


「問題なし」


「尋問みたいですね」


「昨日の死亡現象が、人格や目的へ影響していないか確認している」


 その言葉を聞き。


 俺は自分の胸へ手を当てた。


 心臓は動いている。


 昨日までと同じ。


 だが。


 死んだ俺を、自分の外側へ追いやった感覚は残っていた。


 あれは消滅したのではない。


 俺が選ばなかった結末として、今もどこかに存在している。


「黒瀬零」


 緋月が言う。


「今日の目的を勘違いしないように」


「獅堂に勝つことでは?」


「それだけではない」


 彼女の手元に、《公開査問》の審査項目が表示される。


 ――戦闘結果。


 ――命題(テーゼ)理論の整合性。


 ――能力の再現性。


 ――対立命題(テーゼ)への反証。


 ――新規学術的価値。


「《公開査問》は試合ではない。勝っても、あなたの理論が破綻すれば審査上は敗北する」


「逆に、負けても審査では勝てる?」


「可能性はある」


「でも、学生証の条件は勝利です」


 澄玲が灯の学生証を見る。


 ――第二証明、進行度八二パーセント。


 ――自らの勝利を証明せよ。


 さらに。


 ――地に立つことなく、対立命題(テーゼ)を包摂せよ。


 今朝、新しく表示された条件だ。


「包摂」


 俺はその言葉を繰り返す。


「獅堂の命題(テーゼ)を否定するだけでは駄目」


「ええ」


 澄玲が答える。


「獅堂剛毅の『支えるためには位置を決めなければならない』という結論を含みながら、それより広い答えを提示する必要があります」


「簡単に言うな」


「簡単とは言っていません」


 獅堂の能力を止めるだけなら。


 両足を地面から離せばいい。


 昨日、それは成功した。


 だが。


 あいつの人生を否定するだけでは、この試験には合格できない。


 父親を救えなかった過去。


 誰も落としたくないという願い。


 そのために、すべての位置を自分で決めるという思想。


 それを壊さず。


 別の答えを示す。


「時間よ」


 緋月が闘技場への扉を指す。


「行きなさい」


「はい」


「黒瀬零」


 扉へ向かう俺を、緋月が呼び止める。


「昨日、死を越えたからといって、自分を不死身だと思わないこと」


「思ってません」


「死亡経験のある学生は、危機判断が極端になる傾向がある」


「他にもいるんですか?」


「この大学には何人か」


「本当に何でもいるな」


「ただし」


 緋月の声が僅かに柔らかくなる。


「昨日のあなたの答えは、悪くなかった」


 俺が振り返ると。


 彼女はもう、いつもの無表情へ戻っていた。


「評価は査問後に行う。早く行きなさい」


「はい」


 ◇


 扉が開く。


 眩しい光。


 同時に。


 闘技場全体を揺らす歓声が押し寄せた。


『法則災害学群一年、黒瀬零!』


 司会者の声が空に響く。


 観客席に、俺の姿が巨大な立体映像として表示された。


『入学試験時の命題(テーゼ)評価は第五種! しかし入学直後から数々の未定義現象へ関与! 本査問において、自らの命題(テーゼ)の正当性を証明できるか!』


「全部公開されるんだな」


 昨日の死亡情報まで表示されないか不安になる。


 幸い。


 公開されたのは所属と能力評価だけだった。


 戦闘区域へ足を踏み入れる直前。


 俺は止まった。


 白い床。


 ここへ立てば。


 学生証の条件に違反する可能性がある。


「最初から地面へ立てないのか」


 出入口と戦闘区域の間には、一メートルほどの空間がある。


 俺は扉の縁を蹴った。


未証明(アンプローヴン)


 落下を保留。


 闘技場の防壁へ手を触れ。


 反作用で身体を戦闘区域上空へ送る。


 地面へ降りない。


 空中で姿勢を整え。


 複数の落下を連結する。


 観客席から、どよめきが上がった。


『黒瀬選手、入場時点から地面へ接触しない!』


「実況までいるのか」


 俺は空中を進む。


 戦闘区域の中央。


 その反対側の扉が開いた。


『対するは、命題兵装学科一年、獅堂剛毅!』


 巨大な足音。


 獅堂が闘技場へ入る。


『入学試験実技部門第二位! 第四種でありながら、測定時には第三種相当の最大出力を記録!』


 観客席が再び沸く。


 獅堂は俺とは違い。


 堂々と地面を踏みしめて歩いてくる。


 一歩ごとに。


 白い戦闘区域へ金色の線が広がる。


「逃げずに来たな」


 獅堂が言う。


「俺の査問だぞ」


「昨日死んだと聞いた時は、対戦相手を変えられるか心配した」


「心配するところが違うだろ」


「生きているなら問題ない」


「随分と簡単に言うな」


「生きている奴に、生きているか尋ねても仕方ない」


 獅堂は中央で止まる。


 俺は、その十メートルほど上空。


 既に上下関係ができている。


 今回は俺の方が上だ。


「今日は俺が上だな」


「始まれば変わる」


 獅堂は笑った。


 ◇


 戦闘区域の外周。


 最も高い位置に、審査席が浮かび上がる。


 中央に座るのは、《命題基礎論Ⅰ》を担当していた白髪交じりの教授。


 名は、久世真道。


 帝都神律大学・命題論理学部教授。


 《公開査問》の主席審査官を何度も務める人物らしい。


 その左右には。


 神代緋月。


 命題兵装学科の教授。


 大学倫理審査委員。


 合わせて七名が並ぶ。


『これより』


 久世教授の声が、闘技場全体へ響く。


『黒瀬零と獅堂剛毅による《公開査問》を開始する』


 歓声が止む。


『本査問の審査対象は、両者の命題(テーゼ)における位置決定権の優劣、および他者を支える行為と、その自由意志の関係である』


 俺と獅堂の間に、二つの文章が表示される。


 獅堂側。


 ――他者を支える者は、その位置を決定する責任を負う。


 俺側。


 ――人は支えられながらも、自らの位置を選択できる。


『双方、異論は』


「ない」


 獅堂が答える。


「ありません」


 俺も続く。


『では、各自の命題(テーゼ)を宣言せよ』


 獅堂が右足を踏み出す。


 金色の光が、大地を走る。


「我を支えるものは、我が礎」


 白い床が岩へ変わる。


「我が礎より上にあるものは、我が責任において支配する」


 戦闘区域全体が震える。


「第四種命題(テーゼ)――」


 獅堂の背後に、巨大な黄金の王座が現れる。


万象は我が礎(グランド・レガリア)


 歓声。


 圧力だけで空気が重くなる。


 次は俺。


 だが。


 俺の命題(テーゼ)には、獅堂のような詠唱はない。


 世界が与えた結論へ異議を唱える。


 ただ、それだけ。


「確定しようとする結論を保留し」


 右手に、途切れた円環が浮かぶ。


「その間に、別の結論へ到達する」


 俺は獅堂を見る。


「第五種命題(テーゼ)――未証明(アンプローヴン)


 獅堂の黄金。


 俺の黒い円環。


 二つの法則が、闘技場で向かい合う。


『続いて、戦闘規定を確認する』


 空中へ規則が表示される。


 ――相手の戦闘不能。


 ――降参。


 ――戦闘区域外への強制排除。


 ――審査官による続行不能判定。


 いずれかで戦闘上の勝敗が決まる。


 ただし。


 査問全体の勝者は、戦闘結果だけでは決まらない。


『また、本査問には申請者側より特殊条件が提出されている』


 俺の頭上に、一文が浮かぶ。


 ――黒瀬零は、査問開始から終了まで、地面として定義されるものへ立ってはならない。


 観客席がざわつく。


『条件への同意を確認する』


「同意します」


『獅堂剛毅』


「異論はない」


 獅堂が俺を見上げる。


「その方が、叩き落としがいがある」


『それでは』


 久世教授が片手を上げる。


 闘技場の防壁が閉じる。


『査問開始』


 手が振り下ろされた。


「落ちろ!」


 開始と同時に。


 獅堂が地面を踏み抜いた。


 世界が反転する。


 俺の頭上にあった空が。


 地面になった。


「早速か!」


 上空から、空そのものが落ちてくる。


 正確には。


 獅堂が空気の層を、自分を支える巨大な地盤として定義した。


 その地面が。


 俺を下へ押し潰そうとしている。


未証明(アンプローヴン)!」


 圧殺という結論を保留。


 停止した空気層へ拳を叩き込む。


 反作用。


 身体を斜め下へ送る。


「終われ!」


 能力を終了。


 落下方向が戻る。


 だが。


 その先。


 白い戦闘区域から、無数の岩柱が突き上がった。


「昨日と同じ動きが通じると思うな!」


 岩柱の先端が次々と広がる。


 俺の移動経路を塞ぐ。


 触れれば。


 それは俺を支える地面になる。


 立ってはいけない。


 長時間接触しても危険だ。


 俺は一つ目の岩柱へ手を当てる。


 一瞬の接触。


 腕で押す。


 方向転換。


 次の岩柱を蹴る。


 足裏が触れた瞬間に離れる。


 まだ「立った」とは判定されない。


 学生証の進行度も変化しない。


不定墜道(パラドクス・フォール)!」


 落下。


 停止。


 接触。


 選択。


 終了。


 折れ曲がった軌道で、岩柱の隙間を抜ける。


『黒瀬選手、地面へ着地せずに岩柱群を突破!』


『瞬間的な接触を移動へ利用しています』


 別の解説者が答える。


『静止して支持を受けるのではなく、衝突による反作用のみを使用しているため、現時点では特殊条件への抵触なし!』


 大学の実況は、妙に学術的だった。


「動きは速くなった」


 獅堂が言う。


「だが、触れたな」


 俺が蹴った岩柱。


 金色の線が、その接触点から伸びる。


「何?」


 線が空中を走り。


 俺の右足へ追いつく。


「一瞬でも、お前を支えたものは俺の地面だ!」


 獅堂が拳を握る。


「なら、その地面に触れたお前の位置も、俺が決める!」


 右足だけが下へ引かれる。


 身体の姿勢が崩れる。


「接触点から位置関係へ干渉している?」


 俺は空中で回転する。


 岩柱へ立ってはいない。


 だが。


 触れたという関係が残っている。


 獅堂は、その関係そのものを地面として利用した。


「昨日より範囲が広がってるぞ!」


「お前だけが成長すると思ったか!」


 右足が、岩柱へ強く引き寄せられる。


 このままでは足裏が固定される。


 地面へ立ったと判定される。


未証明(アンプローヴン)!」


 右足が岩柱へ固定されるという結論を止める。


 だが。


 別の岩柱に触れれば、また関係が増える。


 一つずつ保留していたら、精神が先に尽きる。


 なら。


 接触点そのものを消す。


 俺は靴を脱いだ。


「は?」


 獅堂の顔が僅かに止まる。


 金色の線は、靴へつながっている。


 俺の足ではない。


「昨日、大学生になったばかりで靴を失うとは思わなかった」


 靴だけが岩柱へ引き寄せられる。


 俺は自由になる。


『黒瀬選手、装備を切り離して位置干渉を解除!』


「安物か!」


 獅堂が叫ぶ。


「入学祝いで買ってもらった奴だ!」


「なら大事にしろ!」


「お前が引っ張ったんだろ!」


 観客席から笑いが起きる。


 《公開査問》の緊張感が、少しだけ薄れた。


 だが。


 獅堂はすぐに次の手を打った。


 両足を広げる。


「接触しなければいいと思っているなら、甘い」


 闘技場の空気が重くなる。


「人間が空中へ留まるには、何かから力を受けなければならない」


 俺の周囲へ。


 金色の粒子が広がる。


「空気抵抗」


 風が止まる。


「重力」


 身体が沈む。


「慣性」


 前へ進んでいた速度が消える。


「お前の身体を支える法則すべてが――」


 獅堂の瞳が黄金に輝く。


「俺の礎だ」


 全身が固定された。


「なっ……」


 岩でも。


 床でもない。


 俺の運動を成立させる、物理法則。


 それ自体を地面として扱っている。


万象は我が礎(グランド・レガリア)の支配対象が、物質から作用関係へ拡大!』


 実況が叫ぶ。


『獅堂選手、査問中に能力定義を更新しています!』


「査問中に進化するのかよ!」


「相手の理論を理解し、自分の理論を修正する!」


 獅堂の声が響く。


「それが《公開査問》だ!」


 上下左右。


 俺の身体へ作用する力が、すべて獅堂の地面となる。


 落下もできない。


 不定墜道(パラドクス・フォール)は、落下を利用する技。


 落ちる力そのものを支配されれば、移動できない。


「お前はどこにも行けない」


 獅堂がゆっくりと拳を上げる。


 白い戦闘区域が盛り上がり。


 巨大な岩の腕となる。


「俺が決めた場所以外にはな!」


 岩拳が迫る。


 避けられない。


未証明(アンプローヴン)!」


 直撃という結論を保留。


 岩拳が眼前で止まる。


 二・四秒。


 今の俺なら、もっと短く終えられる。


 だが。


 移動する方法がない。


 空気。


 重力。


 慣性。


 すべて獅堂に支配されている。


 別の結論へ到達できなければ。


 保留が切れた瞬間、拳を受ける。


「黒瀬零」


 獅堂が言う。


「お前は自分の位置を自分で選ぶと言った」


「ああ」


「だが、人間は一人ではどこにも立てない」


 地面。


 空気。


 物理法則。


 他者。


 世界。


「すべてに支えられて生きている」


「否定しない」


「なら、支える側が位置を決めるのは当然だ!」


 岩拳の表面に亀裂が走る。


 保留時間が減っていく。


「お前は自由を語るために、自分を支えるものを無視している!」


 その言葉は。


 正しい。


 俺は自分で選ぶと言った。


 だが。


 昨日、俺が死を越えられたのは。


 獅堂が地面を作り。


 澄玲が経路を示し。


 緋月が心臓を動かし。


 天城先輩が状態を観測してくれたからだ。


 俺一人では、生きる結論へ到達できなかった。


「どうした!」


 獅堂が叫ぶ。


「反論できないのか!」


「できない」


 観客席がざわつく。


 審査席の久世教授が、僅かに身を乗り出した。


「お前の言う通りだ」


 俺は答える。


「俺は、一人では何も選べない」


「なら――」


「でも」


 右手の円環が強く光る。


「支えられたからって、答えまで渡したわけじゃない」


 岩拳が震える。


「地面が俺を支える」


 それは前提。


「空気が俺を押す」


 それも前提。


「仲間が力を貸す」


 それも。


 俺がここへいるための前提。


「だけど、前提は結論じゃない」


 獅堂の表情が変わる。


「支えるものが、俺の行き先を一つに決めるわけじゃない!」


 俺は岩拳へ手を当てる。


 逃げるためではない。


 この拳。


 獅堂が俺を支配するために作った力。


 これも。


 俺を押す作用だ。


 なら。


 俺が使う。


「自分が殴られる力を利用する気か!」


「お前が俺へ与えた前提だ!」


 岩拳が進むという結論を。


 ただ止めるのではない。


 拳が俺を押す。


 その作用を。


 俺が選んだ方向へ使う。


「俺が選ぶ結論は――」


 拳の表面を蹴る。


 獅堂が作った巨大な力を、反作用へ変える。


「お前の正面だ!」


 未証明(アンプローヴン)を終了。


 停止していた岩拳の力が戻る。


 俺の身体が。


 砲弾のように撃ち出された。


 獅堂へ向かって。


自証座標(アクシス・エゴ)!」


 空気も。


 重力も。


 慣性も。


 獅堂の支配を否定しない。


 すべてを受け入れた上で。


 自分の目的地へ統合する。


「来い!」


 獅堂が両腕を広げる。


 周囲の岩が集まり。


 黄金の鎧となって身体を覆う。


王土鎧装レガリア・アーマメント!」


 俺の拳と。


 獅堂の鎧が衝突した。


 爆音。


 闘技場全体が揺れる。


 防壁へ亀裂が走る。


 俺の拳から血が噴き出す。


 獅堂の鎧にも、小さな亀裂。


 だが。


 突破できない。


「軽い!」


 獅堂の拳が腹部へ突き刺さる。


 衝撃。


 肺から空気が消える。


 身体が後方へ吹き飛ぶ。


 逃げ道はない。


 俺の背後。


 空中に。


 巨大な黄金の地面が出現している。


「今度こそ立て!」


 背中から地面へ激突する。


 触れた。


 支えられた。


 全身が固定される。


『黒瀬選手、空中地盤へ接触!』


『背面からの接触です! 立位として扱われるか、審査が必要です!』


 学生証が赤く明滅する。


 ――特殊条件、判定中。


 俺は地面へ背中を押しつけられたまま動けない。


「足で立っていなければ条件を破っていないと思うか?」


 獅堂が歩いてくる。


 あいつの足元には、見えない階段が生まれている。


「地面とは、足裏だけで接するものじゃない」


 獅堂の右手に。


 大地を圧縮した巨大な槌が現れる。


「お前を支えた時点で、それはお前の地面だ」


 正しい。


 地面とは。


 下にあるものではない。


 存在を支えるもの。


 今。


 俺の身体は、黄金の地盤によって支えられている。


 立っている。


 そう判断されてもおかしくない。


 学生証に文字が浮かぶ。


 ――地に立った可能性を確認。


 ――第二証明、失敗判定を開始。


「まだだ」


 俺は呟く。


「何?」


「まだ、立ってない」


「言葉遊びで逃げる気か」


「違う」


 背中を支える地面。


 俺の身体を固定する力。


 獅堂は、俺の位置を決めた。


 だが。


「ここを、自分の場所だと選んでない」


 俺は右手を地盤へ当てる。


「支えられることと、そこへ立つことは同じじゃない」


「まだそんなことを!」


「俺は、ここから動く!」


「動けるならな!」


 獅堂が槌を振り下ろす。


 この地盤は。


 俺を固定するための地面。


 逃げ道はない。


 なら。


 地面そのものを移動させる。


未証明(アンプローヴン)!」


 槌の直撃を止める。


 同時に。


 俺は地盤が固定されているという結論へ異議を唱えた。


 二つの結論。


 負荷が頭へ突き刺さる。


「ぐっ……!」


「地面を動かす気か!」


「お前が作った地面だ」


 俺は歯を食いしばる。


「お前が動かせるなら、俺が動かせない理由を証明してみろ!」


 獅堂の目が見開かれる。


 俺は地盤を壊せない。


 支配権も奪えない。


 だが。


 動かないと確定することだけを保留する。


 その一瞬。


 地盤へ打ち込まれた槌の衝撃を利用する。


「終われ!」


 槌が進む。


 地盤へ衝突。


 巨大な黄金の地面が。


 俺を乗せたまま吹き飛んだ。


「何だと!」


 俺は地面へ立っていない。


 地面とともに落下している。


「そんな理屈が――」


「お前が地面を武器にするなら!」


 移動する地盤の上。


 俺は背中を離す。


 一瞬だけ浮く。


 もう支えられていない。


「俺は地面を乗り物にする!」


 地盤を蹴る。


 獅堂へ向かって再加速。


 俺の右拳。


 獅堂の左拳。


 二つがぶつかる。


 空気が破裂した。


 ◇


 審査席。


 久世教授は、戦闘記録を見ながら口元へ手を当てていた。


「興味深い」


 命題兵装学科の教授が言う。


「黒瀬零は獅堂剛毅の支配を突破していない」


「ええ」


 緋月が答える。


「獅堂の地面を、地面のまま利用している」


「否定ではなく、解釈の追加」


 久世教授が呟く。


「獅堂君の前提を受け入れながら、その結論を一つに限定させない」


 隣の倫理審査委員が画面を見る。


「特殊条件の判定は?」


「保留」


「背面とはいえ、地盤に支持されていた」


「しかし本人は、そこを静止位置として採用していない」


「言葉の定義が曖昧です」


「だから査問なのだ」


 久世教授は笑った。


「何をもって立つとするか。それ自体が、今まさに争われている」


 緋月は戦闘区域を見つめる。


 黒瀬零は成長している。


 速度でも。


 出力でもない。


 他者の法則を消さず。


 自らの結論へ利用する。


 だが。


「まだ足りない」


 緋月が呟く。


「何がです?」


 久世教授が尋ねる。


「零は獅堂の力を利用しているだけです」


「十分に見えるが」


「それでは、獅堂を包摂したことにはならない」


 獅堂の願いは。


 誰も落とさないこと。


 今の零は。


 自分が落ちない方法を証明しているだけ。


 獅堂剛毅という人間を。


 その過去ごと救う答えには届いていない。


 ◇


 戦闘開始から七分。


 俺たちは、闘技場の中央で何度目かの拳をぶつけていた。


 俺の右腕は腫れ。


 左足は裸足。


 制服は岩片で裂けている。


 獅堂の黄金鎧も、至るところに亀裂が入っていた。


 それでも。


 決定打にはならない。


「しぶとい!」


 獅堂の蹴り。


 俺は腕で受ける。


 骨が軋む。


 反作用を利用して回転。


 裏拳を返す。


 獅堂は額で受け止めた。


「頭で受けるな!」


「一番硬い!」


「考え方が野生動物なんだよ!」


 獅堂の頭突き。


 俺は寸前で未証明(アンプローヴン)を発動。


 衝突を保留。


 額へ手を置き。


 そのまま身体を押し上げる。


 獅堂の頭上を越える。


 だが。


 獅堂の背後から岩壁が現れる。


 空中で挟まれる。


「終わりだ!」


 左右から岩壁。


 下には獅堂。


 上には黄金の地盤。


 四方向すべてが地面。


 逃げ場がない。


多重地平王国(レギオン・グラウンド)!」


 複数の下方向が、俺の身体へ作用する。


 昨日よりも強い。


 しかも。


 俺が自証座標(アクシス・エゴ)で統合することを、獅堂は知っている。


「同じ技を待ってたぞ!」


 複数の落下方向が。


 今度は途中で変化する。


 右へ統合すれば左へ。


 上へ利用すれば下へ。


 俺が目的地を選ぶたび。


 獅堂が地面を入れ替える。


「自分の位置を証明し続ければ、いつか答えが遅れる!」


 頭痛。


 視界が揺れる。


 何十回も座標を選び直す。


 だが。


 獅堂の変更の方が速い。


「お前の自由なんて!」


 獅堂が叫ぶ。


「支えるものが許している間だけの自由だ!」


 身体が引き裂かれそうになる。


 右腕。


 左脚。


 頭。


 胴体。


 それぞれが違う地面へ落ちる。


 昨日なら。


 獅堂の正面という一つの場所へ統合できた。


 だが今日は。


 獅堂自身が移動し続けている。


 目的地が定まらない。


「黒瀬零!」


 観客席の最前列。


 澄玲の声が聞こえた。


 戦闘区域の防壁越し。


 彼女は端末へ数式を走らせている。


「獅堂剛毅を目的地にしてはいけません!」


「何?」


「相手が動けば、あなたの座標も変化する!」


 その通り。


 俺は獅堂の前へ行こうとしている。


 だから。


 獅堂の位置に依存している。


 自分で座標を選んでいるようで。


 実際には相手を基準にしている。


「なら、どこを選べばいい!」


 澄玲は答えない。


 答えられない。


 ここは査問。


 外部から解答を教えれば、俺の証明ではなくなる。


 俺自身が選ばなければならない。


 どこへ行く。


 獅堂の前ではない。


 地面でもない。


 空でもない。


 俺が証明すべき場所。


 何のために戦っている。


 獅堂を殴るためか。


 学生証の試験へ合格するためか。


 灯へ近づくためか。


 全部正しい。


 だが。


 今の戦いで示すべき答えは。


 支えられながらも、自分の位置を選べること。


 なら。


「俺が選ぶのは、場所じゃない」


 俺は呟く。


「何?」


 獅堂の声。


「どこへ行くかじゃない」


 右へ。


 左へ。


 上へ。


 下へ。


 場所は変わり続ける。


 世界が変われば。


 地面も変わる。


 他者も変わる。


 固定された座標は存在しない。


「俺が、何のためにそこへ行くのか」


 その目的だけは。


 俺自身が決められる。


 灯を見つける。


 誰かに与えられた結論を疑う。


 自分で選んだ答えを、行動で証明する。


「俺の位置は、座標じゃない」


 右手の途切れた円環が。


 これまでとは異なる形へ揺らぐ。


「俺が選び続ける、その意志だ」


 複数の落下。


 複数の地面。


 複数の目的地。


 すべてが変わっても。


 俺が選び続けるという一点だけは変わらない。


 未証明(アンプローヴン)が。


 軋む。


 壊れるのではない。


 今までの定義では。


 俺の意思へ追いつけなくなっている。


 世界が結論を決める。


 俺が保留する。


 別の結果へ到達する。


 それだけではない。


 俺は。


 どの結論を争うかさえ、自分で選び始めている。


「黒瀬の法則反応が変化!」


 誰かの声が聞こえる。


「既存の命題(テーゼ)定義から逸脱しています!」


 だが。


 俺には能力名が浮かばない。


 今ここで。


 格好のいい言葉を考えている余裕などない。


 ただ一つ。


 胸の奥から出た言葉を口にする。


「俺の行き先を決めるな」


 獅堂の金色の瞳が、俺を見る。


「お前の地面も」


 右方向の落下を受け入れる。


「世界の法則も」


 左方向の落下を受け入れる。


「俺自身の恐怖さえ」


 上も。


 下も。


 すべてを否定しない。


「俺の選択を、終わらせる理由にはならない」


 円環が閉じる。


 ただし。


 完全な円ではない。


 無数の途切れがあり。


 その一つ一つが。


 別の未来へつながっている。


未証明(アンプローヴン)――」


 その名を呼び。


 俺は続く言葉を飲み込んだ。


 違う。


 名前はまだ変わらない。


 今は。


 変わるための途中だ。


「俺は、まだ答えを選べる!」


 すべての落下方向を。


 一つの場所へまとめない。


 それぞれ別のまま受け入れ。


 そのたびに。


 俺は新しい姿勢。


 新しい進路。


 新しい選択を作る。


 一つの確定した軌道ではない。


 無数の短い選択を連続させる。


 右へ落ちる瞬間に、右の力を使う。


 次の瞬間には、左へ。


 さらに上へ。


 そして下へ。


 俺の身体が。


 獅堂の多重地平王国(レギオン・グラウンド)の中で。


 何十もの場所へ同時に現れる。


「分裂した?」


「違います!」


 澄玲の声。


「一つの軌道へ確定していない!」


 獅堂が右へ拳を振るう。


 俺は左へ落ちる。


 獅堂が左へ地面を作る。


 俺は上へ。


 上下を反転させる。


 その途中で下へ。


「どこへ行く!」


「決めてない!」


「何?」


「お前が変えるたび、俺も選び直す!」


 俺の拳が獅堂の頬を掠める。


 獅堂の腕が俺の胸を掠める。


 どちらも決定打ではない。


 だが。


 俺は止まらない。


 獅堂の支配が変化するほど。


 俺の選択肢も増える。


「お前の地面は!」


 獅堂の背後へ落ちる。


「俺の自由を奪う檻じゃない!」


 獅堂が振り返る。


 俺は既に別方向へ。


「俺が進むための可能性だ!」


 拳。


 獅堂の右肩へ直撃。


 黄金鎧が砕ける。


 初めて。


 獅堂の身体が大きく揺れた。


 観客席から、爆発するような歓声。


 だが。


 獅堂は倒れない。


 砕けた鎧の隙間から。


 金色の光がさらに強く溢れる。


「そうか」


 獅堂が笑った。


 口元から血が流れている。


「俺の地面が多いほど」


 あいつは両腕を広げる。


「お前は選べるのか」


「ああ」


「なら」


 闘技場全体が鳴動する。


 観客席。


 防壁。


 審査席。


 大学本部棟。


 中央広場。


 帝都神律大学そのもの。


 すべてに。


 金色の線が走った。


「全部使ってみろ」


「獅堂!」


「俺の命題(テーゼ)は、俺を支えるものすべてを礎にする!」


 闘技場の遥か下。


 大学都市を支える地殻が動く。


 地上の建物が傾く。


 防壁が警告音を上げる。


『獅堂選手、支配領域を査問庭の外部へ拡大!』


『危険です! 大学都市の地盤へ接続しています!』


 審査席の教授たちが立ち上がる。


「出力を落とせ、獅堂剛毅!」


 久世教授が命じる。


 だが。


 獅堂は止まらない。


「世界全部が地面なら!」


 空が。


 割れる。


 青空の向こうに。


 黒い月が現れた。


 昨日まで。


 一部の人間にしか見えなかったはずの月。


 それが今。


 闘技場にいる全員の目へ映っている。


 歓声が止まる。


「何だ、あれ……」


「人工天体じゃない」


「見られてる……?」


 黒い月の中心。


 巨大な目が開く。


 視線が。


 獅堂へ向いた。


 次の瞬間。


 獅堂の金色の線が。


 黒い月へ届いた。


「まさか」


 緋月が審査席で立ち上がる。


「切断しなさい!」


「できません!」


 天城先輩が観測端末を操作する。


「獅堂君が、逆観測経路を地面として認識しています!」


 《第一宇宙観測環》を通して。


 外側の何かが。


 この世界を観測している。


 その視線は。


 世界を支える関係でもある。


 獅堂の命題(テーゼ)が。


 その観測関係さえ、礎として取り込んだ。


「俺を支えるものすべてが、俺の地面だ」


 獅堂の声が変わる。


 一人の人間の声ではない。


 大地。


 大学。


 空。


 黒い月。


 複数の場所から同時に響く。


「なら」


 獅堂が空へ手を伸ばす。


「この世界を支えている奴も、俺の下にある」


 黒い月が。


 僅かに傾いた。


 巨大な目が揺れる。


 初めて。


 外側の観測者が。


 動揺した。


 灯の学生証が、警告音を上げる。


 ――対立命題(テーゼ)の異常拡張を確認。


 ――第二証明の前提が変動。


 ――黒瀬零。


 ――世界を地面から解放せよ。


「世界を……?」


 俺が呟く。


 獅堂の足元。


 闘技場だけではない。


 大学都市。


 大地。


 空間。


 因果。


 外側からの観測。


 この世界を支えるすべてが。


 あいつの黄金へ染まっていく。


「来い、黒瀬零!」


 獅堂が叫ぶ。


「お前がどこまで自分で選べるのか!」


 世界全体が反転する。


「俺の上で証明してみろ!」


 地球が。


 空へ向かって落下を始めた。

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