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第七節 最後に届いたもの

退職を決めたからといって、すべてがきれいに終わるわけではなかった。


むしろ、現場を離れると決めてからのほうが、別の意味で面倒なことが続いた。


夜勤の運用を改善するために、数字を集めた。荷物の個数を調べ、重量を調べ、到着時刻を並べ、時間帯ごとの負担を分析した。人員配置を比較し、資料を作り、報告書にまとめた。


現場で何が起きていたのか。


何人で、どれだけの荷物を、どの時間帯に処理していたのか。


感覚や印象ではなく、記録に残る数字を使って説明した。


それでも、話は簡単には進まなかった。


数字を示しても、数字だけで話が終わるわけではない。資料を作れば、その資料を読んでもらわなければならない。報告すれば、その内容を確認してもらわなければならない。


そして、説明した側が相手の納得まで面倒を見ることになる。


ずいぶんと親切な仕組みである。


問題を指摘した人間が、問題を説明する。説明した人間が、相手の理解を確認する。理解されなければ、もう一度説明する。


そのうち、何を改善するために始めた話だったのか、分からなくなりそうになる。


もちろん、俺にも至らないところはあった。


感情的になったこともある。声を荒らげたこともある。自分の考えを分かってほしいと思い、相手に理解を求め続けたこともある。


その点まで、なかったことにするつもりはない。


ただし、自分の言動に問題があったことと、現場の運用に問題があったことは、別の話だ。


片方に問題があれば、もう片方の問題が自動的に消える。


そんな便利な機能が会社の仕組みに標準搭載されていたら、運用改善など必要ない。気に入らない人間の態度を指摘するだけで、荷物は勝手に軽くなり、人員は勝手に増え、作業時間まで短くなる。


残念ながら、現実はそこまで親切ではなかった。


だから俺は、記録を残すことにした。


何が起きたのか。何を伝えたのか。どのような資料を作ったのか。


自分が確認できたことと、確認できなかったことを分け、事実を整理した。


相手の頭の中まで調べることはできない。何を考え、なぜその判断をしたのか。本人が説明しないことまで、俺が勝手に決めつけるわけにはいかなかった。


そこまでは、理解していた。


問題は、その記録する習慣が、退職手続きにまで必要になったことだった。


八月五日。


会社との電話で、退職日は九月二十三日になることを確認した。退職届の用紙は、後日送ってもらえるという話だった。


話は決まった。


あとは書類が届くのを待てばいい。


普通に考えれば、それだけのことである。


退職届の用紙を送る。


届いた用紙に記入する。


必要な手続きを進める。


何も難しいことはない。少なくとも、俺にはそう思えた。


ところが、八月八日になっても、その用紙は届かなかった。


電話で話した。退職日も確認した。用紙を送るという話も聞いた。


それでも、郵便受けに入っていたのは、退職届ではなかった。


会社の手続きというのは、不思議なものである。


話が成立した時点では、すべて順調に進んでいるように見える。ところが、その話を実際の書類に変換する段階になると、突然、時間の流れが変わるらしい。


口頭では進んでいる。


書類では進んでいない。


なるほど。これは新しい進捗管理の方法なのかもしれない。


進んでいるかどうかは、書類が届いたかではなく、誰かが「送る」と言ったかどうかで判断する。


それなら、郵便配達員も必要ない。書類も必要ない。電話で「送ります」と言えば、手続きは完了したことになる。


もちろん、そんなわけはない。


俺は自分で退職届を用意し、本社へ送った。


退職する人間が、退職届まで自分で用意する。


会社から用紙が届かないのだから、仕方がない。


こういうとき、人間は案外、器用になる。


本来なら会社から送られてくるはずのものが届かなければ、自分で作る。必要なものを確認し、自分で手続きを進める。


仕事をしている間は、夜勤の運用を分析していた。


辞める段階では、退職手続きの進捗を管理することになった。


職務内容に変更があったらしい。


ただし、辞令は出ていない。


給与も出ない。


もちろん、求人票にも書いていなかった。


八月十七日には、退職に関する書類が届いた。


封筒には、八月十三日の消印があった。


中には、雇用保険の給付に関する書類と、残っている年次有給休暇についての確認書類が入っていた。


封筒は、封がされていない状態だった。


これも、俺が確認できた事実である。


八月十七日に届いた。


消印は八月十三日だった。


封筒は未封緘だった。


それ以上のことは、分からない。


なぜ封がされていなかったのか。なぜその日程になったのか。誰がどのような手順で発送したのか。


そこまでは、封筒を見ただけでは分からない。


忙しかったのかもしれない。


担当者が違ったのかもしれない。


何らかの確認が必要だったのかもしれない。


事情はいろいろあるだろう。


会社には会社の事情がある。


それは分かる。


だが、事情があることと、受け取る側が何も確認しなくてよいことは、同じではない。


こちらは退職手続きを進めるために、届いた書類を確認しなければならない。必要なものがそろっているのか、何を返送するのか、どのような対応が必要なのか。


それを確認するのは、退職する側の仕事でもある。


ただ、ここで一つ、妙なことに気づく。


会社を辞める人間は、会社との関係を終わらせるために手続きをしている。


ところが、その手続きを終わらせるために、会社とのやり取りを続けなければならない。


終わらせるために、続ける。


なかなか哲学的である。


退職とは、会社との関係を終わらせることではなかったのか。


もしかすると、会社には独自の定義があるのかもしれない。


雇用関係は終わる。


しかし、書類の確認、進捗の把握、必要事項の照会については、引き続き担当してもらう。


つまり、辞めた後も、必要に応じて業務に参加できる制度である。


ずいぶんと柔軟な雇用形態だ。


こちらが了承した覚えはないのだが。


九月一日には、会社から連絡があった。


退職日を九月二十二日に変更するか、それとも、すでに届け出ている九月二十三日のままにするか。


その確認だった。


俺は、九月二十三日のままとすることを選び、その日のうちに回答をファクスで送った。


これで、こちらの意思は伝えた。


日付を選び、回答を作り、送信する。


やるべきことは、やった。


ここでも、俺が確認できるのは、いつ、どのような連絡があり、どう回答したかということだ。


なぜ二つの日付が提示されたのか。その確認が必要になった経緯は何だったのか。


それについて、俺が確認できた範囲を超えて、勝手に理由を作るつもりはない。


ただ、少なくとも、退職日については、会社から確認を求められ、俺が回答した。


記録に残るのは、そこまでである。


それにしても、退職日を決めるだけでも、確認が必要になる。


退職届の用紙は届かず、自分で用意した。


届いた書類は、封がされていなかった。


退職日について、改めて選択を求められた。


一つ一つを見れば、それぞれ別の手続きだ。


だから、すべてを一つの原因で説明することはできない。


しかし、退職する人間の側で、何が届き、何が届かず、いつ連絡があり、どう回答したのかを整理しなければならなかったことは事実だった。


そして、九月三十日。


俺は、本社のコンプライアンス室にクレームを入れた。


問題にしたのは、単に一枚の書類が届くのが遅いという話ではなかった。


八月五日の電話から始まり、退職届の用紙が届かなかったこと、自分で退職届を作成して送ったこと、八月十七日に届いた書類、封筒の消印と状態、九月一日の退職日の確認、そして、その日に回答したこと。


退職手続き全体について、いつ、何があり、俺がどのように対応したのか。


その経緯を整理し、申し入れた。


感情だけで怒鳴り込んだわけではない。


少なくとも、俺が伝えようとしたのは、具体的な経緯だった。


日付がある。


書類がある。


送った記録がある。


届いた記録がある。


言った、言わないだけで終わらせないために、事実を並べた。


夜勤の運用改善で、俺がやってきたことと同じだった。


現場で何が起きていたのかを記録する。


数字を集める。


資料を作る。


問題を整理する。


そして、必要な相手に報告する。


ただし、今回は荷物の個数でも、重量でも、作業時間でもなかった。


退職手続きの日付と、書類の記録だった。


まさか会社を辞める最後の段階で、もう一度、記録と資料の出番が来るとは思わなかった。


夜勤の運用を改善するために数字を並べていた人間が、今度は自分の退職手続きを確認するために日付を並べる。


対象が変わっただけで、やっていることは大して変わらない。


確認する。


記録する。


整理する。


必要なら、申し入れる。


いったい俺は、何の仕事をしていたのだろう。


夜勤の運用分析か。


それとも、会社の手続きがどこまで進んでいるかを確認する、無給の進捗管理担当か。


いや、もう退職するのだから、担当という言い方もおかしい。


会社から任命されたわけでもない。


業務として依頼されたわけでもない。


ただ、放っておけば自分の手続きが進まない。


だから、自分で確認する。


確認した結果を記録する。


記録がたまれば、経緯を整理する。


そして、最後にはクレームを入れる。


何とも見事な自走式システムである。


燃料は、自分の時間。


動力は、届かない書類への疑問。


保守点検は、本人が担当。


故障した場合の問い合わせ先も、本人が探す。


会社側は、何もしなくてよいとまでは言わない。


ただ、こちらが確認し、動き、記録しなければならない場面が続いた。


その結果、俺は九月三十日にコンプライアンス室へ申し入れることになった。


そして、その後。


最後の書類が届いた。


離職票だった。


しかも、速達だった。


消印は十月二日。


九月三十日にクレームを入れ、その後、十月二日の消印で離職票が速達で届いた。


俺には、理由は明白だった。


クレームを入れたからだ。


もちろん、会社から「クレームを受けたので速達で送りました」と説明されたわけではない。


そこまで都合よく、答え合わせをしてくれるわけではない。


だが、こちらが経緯を整理して申し入れた後に、最後の書類が速達で届いた。


俺が見ていたのは、その順序だった。


それまで、退職手続きは、こちらが確認しなければならないことが続いていた。


ところが、クレームを入れた後には、最後の書類が速達で届いた。


なるほど。


速達という便利な仕組みがあることは、分かった。


必要なときには、速く送ることができるらしい。


それなら、最初から、必要な手続きを必要な形で進めてくれればよかったのではないか。


こちらが何度も確認しなくても、書類が届き、必要な手続きが進み、退職する人間が予定どおりに会社との関係を終えられる。


そんな当たり前のことを望むのは、贅沢だったのだろうか。


いや、贅沢ではない。


退職手続きなのだから、退職手続きとして進めてほしい。


ただ、それだけの話だ。


ところが、こちらが経緯を整理し、コンプライアンス室に申し入れた後、最後の書類は速達で届いた。


ここで、どうしても考えてしまう。


**クレームを入れなければ、どうなっていたのだろう。**


もちろん、それは実際に起きたことではない。


クレームを入れなかった場合に何が起きたのか、俺には分からない。


だから、断定はできない。


しかし、そう考えたくなるだけの経緯は、目の前にあった。


八月五日に話をした。


八月八日になっても用紙は届かなかった。


自分で退職届を用意した。


八月十七日に書類が届いた。


九月一日に退職日の確認を受け、その日のうちに回答した。


九月三十日に、退職手続き全体の経緯についてクレームを入れた。


その後、十月二日の消印で、離職票が速達で届いた。


この順序を見て、何も考えるなというほうが難しい。


速達は、速達である。


それ以上でも、それ以下でもない。


速達で届いたからといって、会社がそれまでの対応に問題があったと認めたことにはならない。


謝罪があったわけでもない。


説明があったわけでもない。


それまでの経緯について、俺が知りたかったことまで、封筒の中に入っていたわけではなかった。


ただ、最後の書類が速達で届いた。


それが事実だった。


だが、ここで一つ、はっきりしていることがある。


**クレームを入れた後には、書類が速達で届いた。**


この事実まで、なかったことにはできない。


俺が欲しかったのは、速達という郵送方法ではなかった。


必要な手続きが、必要な形で進むことだった。


確認しなくても進むべき手続きが、確認しなければ進まない。


説明されるべきことが、こちらから尋ねなければ見えてこない。


そして、経緯を整理してクレームを入れた後、最後の書類が速達で届く。


何とも皮肉な話である。


普通、クレームというのは、問題が起きたから入れるものだ。


問題が起きていないのなら、わざわざ時間をかけて経緯を整理し、書類を確認し、申し入れたりはしない。


ところが、クレームを入れた後に対応が目に見える形で変わると、今度は別の疑問が生まれる。


では、クレームを入れる前は、何だったのか。


こちらが確認していたことは、何だったのか。


自分で書類を用意し、届いたものを確認し、日付を記録し、必要な回答を送っていた時間は、何だったのか。


もちろん、俺が確認できるのは、自分の側で起きたことだけだ。


会社の内部で、誰が何を判断し、どのような話があったのかまでは分からない。


だから、内部事情を知ったふりをするつもりはない。


ただ、外側から見える経過には、はっきりとした順序があった。


そして、その順序は、俺の手元に残っていた。


結局、俺が最後までやっていたのは、記録することだった。


夜勤の荷物量を記録した。


到着時刻を記録した。


作業の実態を整理した。


人員配置を比較した。


報告書を作った。


退職手続きでも、電話で確認した日付を記録し、届いた書類を確認し、回答した日を記録した。


そして、最後にはクレームを入れた日と、その後に届いた書類の消印まで記録することになった。


ここまで来ると、笑うしかない。


俺は会社を辞めたかったのであって、会社の記録管理部門を個人で立ち上げたかったわけではない。


ましてや、退職後の事務処理を監査するために、もう一仕事するつもりもなかった。


それなのに、最後の最後まで、記録が必要になった。


会社の中にいたときは、夜勤の現場について、何が起きていたのかを説明しようとしていた。


会社を離れるときには、退職手続きについて、何が起きていたのかを整理することになった。


対象は違う。


しかし、俺の側でやっていたことは、よく似ていた。


記憶だけに頼らない。


日付を残す。


書類を残す。


確認できた事実と、確認できないことを分ける。


そして、自分が見たものを、後から都合よく書き換えない。


これは、相手を悪者にするための作業ではなかった。


自分が正しいと証明するためだけの作業でもなかった。


自分が何を見て、何を経験し、どこまで確認できたのか。


それを、あとから自分自身でも確かめられるようにしておくためだった。


俺自身だって、感情に引っ張られる。


腹が立てば、相手の対応を必要以上に悪く受け取りたくなることもある。


一度疑問を持てば、その後の出来事まで、すべて同じ理由で起きたように見えることもある。


人間の記憶は、都合よく編集される。


しかも、編集者は自分自身だ。


実に厄介な仕事である。


自分の記憶を信用しすぎると、事実と解釈の境目が曖昧になる。


だからこそ、日付を残した。


何が起きたのかを残した。


何が分かり、何が分からなかったのかを残した。


記録があれば、すべての真相が分かるわけではない。


ただ、少なくとも、自分が見た経緯を、後から好きな形に作り替えることは防ぎやすくなる。


会社が何を考えていたのか。


なぜ、あのような対応になったのか。


クレームを入れたことで、内部で何が変わったのか。


そのすべてを、俺が知っているわけではない。


だが、最後の書類が速達で届いたことは知っている。


クレームを入れた日も、消印の日付も、記録に残っている。


だから、俺は書く。


会社を辞めたからといって、それまでの一年間が消えるわけではない。


夜勤の現場で起きたことも、数字を集めて説明したことも、報告書を作ったことも、退職手続きを進めるために確認を重ねたことも、すべて自分が経験したことだった。


会社の運用を変えられたのか。


必要な人員配置を実現できたのか。


自分の報告が、会社の中でどのように受け止められたのか。


それについて、俺がすべての答えを持っているわけではない。


会社の考えを代弁することもできない。


俺ができるのは、自分が確認した事実を残すことだった。


そして、最後の書類が届いた。


退職手続きは、これで一区切りついた。


少なくとも、俺の手元に必要な書類が届いたという意味では、終わった。


ただし、書類が届いたからといって、それまでの経緯に対する疑問まで解消されたわけではない。


速達で届いたからといって、すべてが解決したわけでもない。


**速達は、郵便物を速く届けるためのものだ。過去を説明するためのものではない。**


そこを混同してはいけない。


書類が届くことと、説明が尽くされることは違う。


手続きが終わることと、疑問が解消されることも違う。


そして、会社を辞めることと、そこで経験した一年間を忘れることも違う。


俺は会社を辞めた。


それは事実だ。


夜勤の運用を改善しようとした。


数字を集め、資料を作り、報告した。


それも事実だ。


退職手続きでは、届かない書類を待ち、自分で退職届を用意し、届いた書類を確認し、退職日について回答した。


最後には、退職手続き全体の経緯について、コンプライアンス室にクレームを入れた。


そして、その後、離職票が速達で届いた。


それも、事実だ。


ここまでの経緯を、すべて一つの理由で説明することはできない。


しかし、別々の出来事だからといって、記録する必要がなくなるわけでもない。


俺は、自分の経験を記録した。


会社の中で何が起きていたのか。


会社を離れるときに、何が起きたのか。


そして、自分は何を確認できて、何を確認できなかったのか。


そこまで整理して、ようやく、一つの区切りをつけることができた。


夜勤の一年間は、終わった。


退職手続きも、ようやく終わった。


だが、終わったからといって、何もかもが分かったわけではない。


会社が何を考えていたのか。


なぜ、あのような判断が続いたのか。


俺が残した記録が、これからどのように受け止められるのか。


その答えは、俺の手元にはない。


俺ができることは、もう終わった。


少なくとも、自分の権限でできることは。


あとは、残した記録を、誰かがどう読むか。


そして、そこから何を考えるか。


それは、俺が決めることではない。


俺は会社を辞めた。


会社の問題を、すべて解決したわけではない。


誰かの考えを変えたと断言することもできない。


自分の正しさを証明するために、最後まで戦い抜いた英雄になったつもりもない。


そんな格好のいい話なら、小説としては、もう少し読後感がよかっただろう。


残念ながら、現実はそこまで気を利かせてくれなかった。


最後に届いたのは、謝罪文でも、説明書でも、改善報告書でもなかった。


速達で届いた、離職票だった。


一年間、夜勤の現場を見てきた。


数字を集め、記録を残し、資料を作り、報告した。


会社を離れる段階でも、日付を確認し、書類を整理し、経緯を記録した。


そして、最後に手元へ届いたものを確認した。


離職票。


会社を辞めたことを示す書類だった。


それ以上の意味を、勝手に付け加えるつもりはない。


速達で届いたからといって、勝利したわけではない。


クレームを入れたからといって、すべての問題が解決したわけでもない。


俺が正しかったと、会社が認めたわけでもない。


ただ、俺は辞めた。


そして、最後の書類が届いた。


**そして、最後に届いたのは、勝利の証書ではなかった。離職票だった。**

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