第六節 これまでと通じているのではありませんか
記録を残すことと、相手を断罪することは違う。
そんなことは、分かっている。
記録を武器にして、相手に都合の悪い事実だけを並べれば、こちらだって立派なグリミー(偏った人間)になれる。
人間というのは便利なもので、自分が批判していた相手と同じことを、自分では正義のつもりでやってしまう。
だから、記録と判断は分ける。
いつ、何を送ったのか。
いつ、何が届いたのか。
封筒には何が書かれ、消印はいつだったのか。
ここまでは事実だ。
問題は、その先である。
なぜ、その日に発送されたのか。
なぜ、こちらから確認しなければ話が進まなかったのか。
以前の対応と、どこまでつながっているのか。
そこは、記録だけでは分からない。
忙しかった。
確認が遅れた。
担当者が違った。
手続きが重なっていた。
はいはい、事情はいろいろあるだろう。
人間が働いている以上、ミスもあれば行き違いもある。何もかも予定どおりに進むなら、世の中から謝罪も問い合わせも、ついでに管理職の仕事も、かなり減るに違いない。
だが、事情があることと、説明しなくていいことは別だ。
忙しいのは分かった。
それで、どうなったのか。
確認が遅れたのは分かった。
それで、いつ対応するのか。
担当者が違うのは分かった。
それで、誰が責任を持って処理するのか。
聞きたいのは、そこなのである。
ところが、事情を説明するだけで、問題まで説明し終えたような顔をされると困る。
「忙しかったんです」
なるほど。忙しかった。
それで書類が届かなかったことも、こちらが確認することになったことも、全部説明できたことになるのだろうか。
ずいぶん便利な言葉だ。
こちらは事情聴取をしているわけではない。必要な手続きを進めたいだけなのである。
なのに、なぜか確認する側が動き、待ち、考え、記録まで残すことになる。
手続きを進めるための手間より、手続きがどうなっているのかを確認するための手間のほうが大きくなったら、いったい何のための手続きなのか。
もう、書類を一枚送るだけの話が、ちょっとした推理小説になってしまう。
犯人を捜しているわけではない。
トリックを暴きたいわけでもない。
ただ、書類がいつ届くのかを知りたい。
それだけなのだ。
それなのに、こちらは日付を並べ、郵便物を保管し、電話で聞いた内容を思い出し、後から届いた書類と照らし合わせる。
退職する人間が、なぜ退職手続きの進捗管理まで担当しなければならないのか。
辞める会社から、最後に新しい職務を与えられた覚えはない。
もちろん、俺だって、何でもかんでも相手のせいにするつもりはなかった。
書類の準備に時間がかかることもある。
郵送が予定どおりに進まないこともある。
確認の行き違いだってあるだろう。
問題は、個々の出来事に理由があったかどうかだけではない。
何かが起きたとき、その状況を誰が確認し、誰が説明し、誰が次の対応を進めるのか。
そこが曖昧なままなら、結局、気づいた人間が動くことになる。
気づいた人間が確認する。
確認した人間が記録する。
記録した人間が、また次の確認をする。
気づかなかった側は、気づかなかったままでも日常を送れる。
いやあ、よくできた仕組みだ。
仕事ができる人間に仕事が集まる、という話はよく聞く。
しかし、こちらが引き受けていたのは、単なる仕事ではなかった。
本来なら相手側で確認されるべきことまで、こちらが確認する。
本来なら相手側から説明されるべきことまで、こちらが問い合わせる。
しまいには、こちらが記録を残さなければ、何が起きたのかさえ曖昧になりかねない。
これでは、確認する側だけが、いつまでも仕事を終えられない。
もっとも、ここで一つ、気をつけなければならないことがある。
俺自身だって、立派な人間ではない。
以前の職場では、何度も確認し、記録を取り、数字を示してきた。
それでも、話が進まなければ腹が立った。
声を荒らげたこともある。
自分の正しさを認めさせたいという気持ちもあった。
記録を残すようになったからといって、人間の中身まで自動的に改善されるわけではない。
そんな便利な機能があれば、俺も真っ先にインストールしている。
だが、怒りと事実は別だ。
腹が立ったからといって、起きたことが変わるわけではない。
記録があるからといって、こちらの感情まで正当化されるわけでもない。
そこを混同したら、結局、自分に都合のいいことだけを拾い集めることになる。
だから、今回も記録を残した。
日付を確認する。
届いた書類を確認する。
分かったことと、分からないことを分ける。
それで真相がすべて分かるとは思っていない。
ただ、少なくとも、後から記憶だけを頼りに話を組み立てる必要はなくなる。
人間の記憶というのは、なかなかの曲者だ。
都合の悪いことは忘れる。
細かいことは曖昧になる。
時間がたてば、自分にとって納得しやすい形に変わっていく。
本人に悪意がなくても、そういうことは起こる。
だからこそ、記録を残す。
記録は、相手を裁くためだけのものではない。
自分の見方が間違っていないかを確かめるためにもある。
ここまでは、いい。
問題は、ここからだった。
退職を決めるまでの一年間、俺は夜勤の運用について、数字を集め、記録を整理し、何度も説明を求めてきた。
夜勤の業務量を示した。
日勤との不均衡を示した。
人員配置について、実際の数字を基に考えてほしいと求めた。
それでも、話が思うように進まなかった。
説明しても、確認しても、こちらが期待したようにはならなかった。
そして、退職を決めた。
これで、ようやく終わる。
そう思っていた。
ところが、退職後の手続きでも、こちらが日付を確認し、書類を保管し、経緯を整理することになった。
もちろん、これだけで以前の対応と同じ原因があったとは言えない。
夜勤の人員配置と退職手続きでは、扱う業務も、関係する人間も、事情も違う。
同じ会社で起きたというだけで、すべてを一つの話にまとめるのは乱暴だ。
だが、だからといって、何も考えずに別々の出来事として片づけてしまう必要もない。
俺が確かめたかったのは、そこだった。
以前の職場で見てきたことと、退職後の手続き。
そこに、何か共通するものがあるのだろうか。
それとも、別々の事情によって起きたことを、俺が勝手につなげて見ているだけなのだろうか。
これまでと通じているのではありませんか。
そう問いかけることはできる。
だが、その問いを、そのまま結論にすることはできない。
疑い始めると、疑いを裏づける材料ばかりが目につく。
反対に、問題はないと思い込むと、目の前の不都合まで例外として片づけてしまう。
どちらも、人間がよくやることだ。
そして、俺だって、その例外ではない。
だから、問いは問いとして残す。
事実として確認できたこと。
そこから考えられること。
まだ分からないこと。
それぞれを分けておく。
何でもかんでも断定すれば、文章は威勢よくなるだろう。
「やっぱり、そうだったのか」と書けば、読者にも分かりやすいかもしれない。
だが、分かりやすさのために、分からないことまで分かったことにするつもりはなかった。
それでは、俺が批判してきたやり方と変わらない。
記録を並べれば、何でも証明できるわけではない。
しかし、記録がなければ、確認できることまで曖昧になる。
だから、残す。
相手を悪人に仕立てるためではない。
自分を正義の味方にするためでもない。
何が起きたのかを、後から確かめられるようにするためだ。
それにしても、である。
一年間、夜勤の数字を集め、報告書を作り、運用の改善を求めてきた。
そして退職後は、書類の日付を確認し、郵便物を保管し、手続きの経過を記録している。
俺は一体、何の専門家になろうとしているのだろう。
運用分析か。
記録管理か。
それとも、会社を辞めた後の事務処理監査か。
どれも、求人票には書いていなかったはずだ。
退職したら仕事は終わる。少なくとも、俺はそう思っていた。
ところが、会社との関係が終わっても、確認しなければならないことは残っていた。
いや、正確に言えば、俺が確認しておきたいことが残っていた。
それを放っておけば、相手を説得する必要はなくなる。
記録を残す必要もなくなる。
気持ちのうえでは、そのほうが楽だったかもしれない。
だが、何もなかったことにするのと、確認したうえで終わりにするのは違う。
俺は、後者を選んだ。
これまでの対応と、退職後の手続き。
その間に共通するものがあるのかどうか。
今の段階で、答えを決めるつもりはない。
ただ、記録を並べて、確認できることを確認した。
そのうえで、問いを残した。
それ以上のことは、まだ分からない。
そして、ようやく、最後の書類が届いた。




