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第三節 戦い続けることだけが、兵法ではない

俺は、黒田官兵衛ならどう考えるだろうか、と考えた。

もちろん、俺は戦国武将ではない。

目の前に敵の軍勢がいるわけでもない。

あるのは、荷物と人員配置と、なかなか話のかみ合わない職場である。

天下を取る必要もない。

ただ、夜勤の実態を明らかにし、現場が無理なく回るための根拠を残したかった。

それだけの話だった。

ところが、いつの間にか、相手に分かってもらうこと自体が目的になりかけていた。

これは、まずい。

目的は夜勤の運用改善だったはずだ。

いつの間にか、相手を説得することが仕事になっている。

これでは、本末転倒である。

そもそも、こちらには決定権がない。

人員を何人配置するか。

どの時間帯に人を置くか。

夜勤の業務をどう組み立てるか。

最終的に決めるのは、管理する側だ。

俺は、判断するための材料を集めることはできる。

実態を分析し、問題点を整理し、改善案を出すこともできる。

だが、判断そのものを代わりに下すことはできない。

ここを忘れて、いつまでも説明を続けていたら、どうなるか。

判断する側は判断せず、説明する側だけが疲れていく。

何とも効率の悪い組織運営である。

いや、効率が悪いというより、役割分担がおかしいのかもしれない。

判断する人間が判断する。

説明する人間は、必要な材料をそろえる。

それぞれの役割を果たせばいい。

ところが、判断が進まないからといって、説明する側が延々と説明を続ける。

そのうち、説明する側が疲れ果てる。

そして、問題が残る。

これでは、何のために役割が分かれているのか分からない。

黒田官兵衛の兵法を、ここで考えた。

戦いというものは、相手を倒すことだけが目的ではない。

何のために戦うのか。

どこまで戦う必要があるのか。

どこで兵を引くのか。

そこを間違えれば、勝ったところで意味がなくなる。

職場の話に置き換えれば、誰かを言い負かしたところで、夜勤の運用が改善されなければ意味がない。

逆に、自分の主張を認めてもらえなかったとしても、必要な記録が残り、問題点が明らかになり、判断するための材料がそろったのなら、やるべきことの一部は終わっている。

相手が認めるかどうかと、記録が残っているかどうかは、別の話なのだ。

俺は、そこを切り分けることにした。

まず、夜勤の実態を明らかにする。

数字を集める。

時間帯ごとの荷物の量を整理する。

日勤と夜勤の違いを確認する。

人員配置を考えるための根拠を残す。

そして、必要な報告をする。

そこまでやったら、あとは判断する側の仕事である。

もちろん、それで相手が必ず正しい判断をするとは限らない。

資料を見ても、違う判断をするかもしれない。

こちらの考えを採用しないかもしれない。

せっかく集めた数字が、期待したとおりに使われない可能性もある。

だが、それまで俺が責任を負う必要はない。

資料を使うかどうかまで、俺が決めることはできないのだから。

ここで、もうひとつ考えた。

俺がいなくなったら、どうなるのか。

これは、以前から気になっていたことだった。

現場では、一人でやれるという判断があった。

人員を減らしても回せるという考えがあった。

ならば、その判断のもとで運用していけばいい。

俺は、そう考えるようになった。

誤解してほしくないのは、現場が混乱すればいいと思ったわけではない、ということだ。

わざと仕事を残すつもりもない。

荷物を放置するつもりもない。

誰かが困るように仕向けるつもりもなかった。

ただ、自分がいなくても問題なく回るというのなら、それを俺がいつまでも証明し続ける必要はない。

一人でできる。

人員は足りている。

その判断が正しいのなら、実際の運用でも成立するはずだ。

反対に、成立しないのであれば、そこで初めて見えてくる問題もあるだろう。

人員が必要なのか。

どの時間帯に必要なのか。

何を誰が担当しなければならないのか。

それを考えるのは、運用を決める側の仕事である。

俺は、その判断を永遠に支えるために、そこに残るつもりはなかった。

「一人でやれ」と言った人間がいる。

その判断を受け入れた人間がいる。

ならば、その判断で何が起きるのかを、判断した側にも引き受けてもらえばいい。

それだけのことだった。

ずいぶん冷たい考え方だと思われるかもしれない。

だが、こちらが何度説明しても、こちらの負担が減るわけではなかった。

問題を指摘しても、こちらに決定権が与えられるわけでもなかった。

それなのに、運用がうまくいくように、いつまでも自分が支え続ける。

それは、責任と権限が釣り合っていない。

責任だけ引き受け、判断はできない。

改善を求められるような状況なのに、改善を決めることはできない。

これでは、いつまでたっても終わらない。

俺は、自分ができることを終わらせる。

そして、判断する側に現実を返す。

それは、仕返しではなかった。

相手を困らせるための策でもなかった。

自分の権限の外にあるものを、自分の責任として抱え続けるのをやめる。

そのための決断だった。

ただし、ひとつだけ、はっきりしていたことがある。

俺は、自分がいなくなった後に何が起きるかを、まったく考えていなかったわけではない。

むしろ、考えていた。

自分が抜ければ、これまで自分が担っていた仕事は誰かが担わなければならない。

それまでの運用を維持するなら、同じ仕事を誰かが引き受ける必要がある。

人員が足りているという判断なら、その人数で回すことになる。

当然のことだ。

俺がいなくなったからといって、荷物が消えるわけではない。

点呼もなくならない。

朝になれば、また荷物が到着する。

現場は、こちらの都合に合わせて止まってくれない。

だからこそ、俺は記録を残した。

自分が見てきたことを、数字で示せるようにした。

そのうえで、現場を離れる。

あとは、そこで判断する人間が考えればいい。

それが、俺の選んだやり方だった。

勝ち負けの話ではない。

相手を打ち負かしたいわけでもなかった。

ただ、これ以上、自分の時間を使って、他人の判断まで背負うのはやめる。

やるべきことを終えたら、兵を引く。

戦い続けることだけが、兵法ではない。

そして俺は、実際にそこを離れることにした。

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