第一節 説明のできない人間ほど、説明を求める
世の中には、不思議な人間がいる。
自分が判断するときには、経験を持ち出す。
「今まで、こうやってきた」
便利な言葉だ。
これを言えば、過去の実績があるように聞こえる。長年の経験に裏打ちされた判断であるかのようにも聞こえる。
ただし、ひとつ問題がある。
今まで、どうやってきたのか。その結果、何が起きていたのか。
そこまで説明できる人間は、意外と少ない。
「今まで、こうやってきた」
それは分かった。
では、そのやり方で現場は本当に回っていたのか。
誰が、どれだけ働いていたのか。
どの時間帯に荷物が集中し、どこで作業が滞っていたのか。
人員を減らしても問題がなかったのか。それとも、誰かが無理をして、どうにか帳尻を合わせていたのか。
そこまで確認して、初めて運用の話になる。
ところが、現実はそう簡単ではない。
人間は、自分が見ている範囲を、いつの間にか世界の全体だと思い込む。
昼間に見えている荷物が少なければ、荷物は少ない。
自分が困っていなければ、問題はない。
これまで大きな事故が起きていなければ、今後も大丈夫。
ずいぶんと都合のいい世界だ。
自分の目に映っていないものまで、勝手に消えてくれるのだから。
夜勤の実態を確認するため、俺は数字を集めた。
荷物がいつ到着しているのか。
どの時間帯に集中しているのか。
夜間と日中では、何が違うのか。
感覚だけではなく、記録を基に考えようとした。
別に難しいことをしたつもりはない。
荷物が多いと言うなら、どれくらい多いのかを調べる。
人員が足りていると言うなら、実際に処理できているのかを確認する。
一人で作業できると言うなら、作業できることと、運用全体を維持できることを分けて考える。
ただ、それだけの話だった。
ところが、組織というものは、数字を出せば自動的に答えが出るほど単純ではないらしい。
数字が出てきても、それをどう受け止めるかは人間次第だ。
自分の認識と一致すれば、参考になる。
一致しなければ、別の話になる。
そして、数字を出した人間の態度が問題になる。
ずいぶん便利な仕組みである。
数字に反論できなくても、数字を持ってきた人間に注文をつけることはできる。
荷物の量は変えられない。
到着時刻も、記録された事実も、気に入らないからといって消えるわけではない。
しかし、説明した人間の話し方なら、いくらでも話題にできる。
これなら、数字と正面から向き合わずに済む。
もっとも、俺自身がいつも冷静だったわけではない。
説明しても伝わらない。
確認しようとしても、話が進まない。
何度も同じところで足踏みをする。
そういう状況が続けば、腹も立つ。
自分の分析が正しいと思っていたからこそ、余計に腹が立ったのだろう。
分かってもらいたい。
こちらが見ている現実を、相手にも見てほしい。
できれば、俺の判断が間違っていなかったと認めてほしい。
そんな気持ちがなかったと言えば、嘘になる。
俺は、ただ現場を改善したかっただけなのか。
それとも、改善を通じて、自分の正しさまで認めさせたかったのか。
今になって考えれば、その二つは、きれいに分けられるものではなかった。
そして、俺は感情を抑えきれなかった。
大声を出したことについて、なかったことにするつもりはない。
言い方も含め、行き過ぎた部分はあったと思っている。
正しいことを言っていれば、どんな言い方をしてもいい。
そんな理屈が通るほど、世の中は甘くない。
だが、逆もまた同じだ。
言い方に問題があったからといって、それまでに起きていた問題まで消えるわけではない。
大声を出した。
だから、その前に何があったのかは関係ない。
そういうことにはならないはずだ。
ところが、人間は目立つ出来事に引っ張られる。
長い経緯より、目の前の一場面。
積み上げられた記録より、耳に残った声。
そうして、話の中心がいつの間にか入れ替わる。
何が問題だったのかを確認するはずが、誰の態度が悪かったという話になる。
態度の問題は、確かにある。
しかし、それだけで運用の問題まで解決したことにはならない。
荷物は、こちらの感情などお構いなしに到着する。
人間関係がこじれようが、誰かが怒ろうが、翌朝になれば、また荷物が来る。
現場は、感情論に付き合ってくれない。
そこが、厄介なところだった。
俺は数字を集め、記録を整理し、改善を求めた。
自分にできることは、やったつもりだった。
それでも、思うようには進まなかった。
説明すれば理解してもらえる。
記録を見せれば、少なくとも事実については確認してもらえる。
そう期待していた。
だが、期待したとおりにはならなかった。
こちらが説明を続けるほど、相手との距離が縮まるとは限らない。
むしろ、説明すること自体が、いつの間にか新しい摩擦を生んでいた。
そのころから、俺は少しずつ考え始めていた。
いったい、何をしているのだろう。
現場を改善するために始めたはずなのに、いつの間にか、こちらが説明し続けることそのものが目的になっていないか。
相手に理解してもらう。
自分の正しさを認めてもらう。
判断を改めてもらう。
それが実現しなければ、終わらない。
そんなことを続けていたら、いつまでたっても終わらない。
そして、あるところで、ふと思った。
もう、いいんじゃねえか。
怒りが消えたわけではない。
不公平だと思う気持ちも、納得できないことも、残っていた。
ただ、これ以上、自分の時間と労力を使ってまで、分かろうとしない人間に分からせる必要があるのか。
そう考えるようになった。
こちらが説明する。
相手が受け止める。
そこから判断が変わる。
本来なら、そういう順番のはずだった。
だが、こちらが説明するところまではできても、その先は自分では決められない。
他人の頭の中まで、こちらの担当業務に含まれていたら、たまったものではない。
しかも、その業務には終業時刻がない。
残業代も出ない。
成果が認められる保証もない。
ずいぶん割に合わない仕事だった。
俺は、そこで考え方を変えることにした。
相手を説得し続けるのではなく、自分にできることを終わらせる。
記録を残す。
事実を整理する。
必要な報告をする。
そして、自分の権限では決められないことまで、いつまでも背負わない。
それで何が起きるのか。
その結果まで、俺が引き受ける必要はない。
判断する立場にいる人間がいる。
その判断を実行する組織がある。
ならば、判断した側が、その結果と向き合えばいい。
俺は、いつまでもその場に残って、説明係を続けるつもりはなかった。
別に、現場が困ればいいと思ったわけではない。
わざと混乱させるつもりもなかった。
ただ、俺がいなくても回るというのなら、実際にそうなるのかどうかは、俺が証明することではない。
一人でやれると言った人間がいる。
その判断を受け入れた人間がいる。
ならば、その判断で運用してみればいい。
俺は、俺にできることをした。
あとは、そちらの仕事だ。
そう考えたとき、ようやく少しだけ、肩の荷が下りた。
怒りがなくなったわけではない。
納得したわけでもない。
ただ、もう、自分が最後まで説明し続ける必要はないと思った。
相手に分からせることを、俺の仕事から外したのだ。
それが、俺にとっての転換点だった。




