第二十九節 報告書のあと
報告書が提出された。
草加部たちが示していたのは、夜勤の仕事が大変だという主張ではなかった。
日勤と夜勤の業務量を比較し、どちらにどれだけの負担がかかっているのかを明らかにすることだった。
到着時刻、荷物の個数、重量、時間帯ごとの作業量。
数字を集め、分析し、日勤と夜勤の実態を並べる。そうすることで、これまで感覚や経験則で語られてきた勤務帯ごとの負担を、客観的に確かめようとしていた。
草加部たちが問題にしていたのは、日勤と夜勤の不均衡だった。
そして、その不均衡が明らかになっているにもかかわらず、人員配置の判断では、夜勤側が調整することを当然とするような流れが続いていることだった。
夜勤のタイミーを減らし、その勤務時間を日勤側へ振り分ける。
その判断をするのであれば、日勤と夜勤の実際の業務量を比較し、なぜ夜勤側を減らしてもよいのか、なぜ日勤側に配置する必要があるのかを、同じ基準で確かめる必要があったはずだ。
草加部が示していた数字の向こうには、実際に荷物を処理する現場があった。
何時に、何個の荷物が到着するのか。どれだけの重量があり、どの時間帯に作業が集中するのか。
数字を並べることで、草加部は、その実態を伝えようとしていたのだろう。
「これを一人でやれと」
数字を見れば、そう言いたくなる現場の実態があった。
ただ一人で作業できるかどうかという話ではない。毎日到着する荷物を処理し、時間帯によって集中する作業に対応し、それを一人の配置で継続していけるのかという問題だった。
そして、日勤と夜勤の業務量を比較すれば、夜勤だけが調整を求められることが公平なのかという疑問も生じる。
草加部たちは、夜勤だけを特別扱いしてほしいと言っていたのではない。
日勤と夜勤の実態を比較し、その結果に基づいて人員を配置してほしいと求めていた。
負担に差があるのであれば、その差を確かめ、必要な見直しをする。少なくとも、その検討をすることが、公平な判断につながるはずだった。
私は、報告書を受け取った。
しかし、私は、その不均衡を正面から考えようとはしなかった。
日勤には日勤の事情がある。夜勤には夜勤の事情がある。現場を動かすには、それぞれの事情を踏まえなければならない。
私は、そう考えていた。
だが、それぞれの事情があることと、業務負担の不均衡をそのままにしてよいことは、同じではない。
草加部たちが示していた数字は、日勤と夜勤を同じ土俵で比較するためのものだった。
それでも私は、その数字をもとに、これまでの配置の判断を改めて検証しようとはしなかった。
私は、これまでの経緯を踏まえて判断しているつもりだった。
元委員長の言葉があり、夜勤のタイミーを減らす方向で話を進めてきた。日勤側にも人手が必要だという話が出てきた以上、勤務時間の振り分けを考えること自体は、私にとって不自然なことではなかった。
しかし、日勤側に人手が必要だということだけでは、夜勤側の人員を減らす根拠にはならない。
日勤と夜勤のどちらに、どの時間帯に、どれだけの業務負担があるのか。それを比較したうえで判断しなければ、配置の公平性は確かめられない。
私は、そこまで考えを進めなかった。
草加部が何度も数字を示すことに、私は次第に疲れていた。
なぜ、こちらの説明を受け入れないのか。なぜ、同じ話を繰り返すのか。
私は、そう考えていた。
けれども、草加部が繰り返していたのは、単に夜勤の大変さを訴えることではなかった。
日勤と夜勤の間にある不均衡を示し、その不均衡を考慮しないまま人員配置を決めることの不公平さを、数字によって説明しようとしていたのだ。
私は、その問題を十分に理解しないまま、草加部の言い方や態度に目を向けていた。
報告書を受け取ることと、そこに示された不均衡を検証することは違う。
説明することと、配置の判断が公平だったのかを確かめることも違う。
私は、その違いを十分に考えていなかった。
報告書は残った。
日勤と夜勤の実態を比較した数字も残った。
そこには、私がこれまでの判断を見直すための材料があった。
それでも私は、その数字をもとに、日勤と夜勤の業務負担の不均衡を改めて検証しようとはしなかった。
配置を変えることが公平なのか。変えないことが公平なのか。
その判断の根拠を、日勤と夜勤の双方について同じように確かめたのか。
私は、そこまで考えないまま、自分の判断は間違っていないと思っていた。




