第二十八節 数字が並んだ日
数字を集め始めたとき、草加部が何を変えようとしていたのか。私は、そこまで深く考えていなかった。
夜勤の仕事が大変だという話なら、これまでも聞いていた。荷物が多い日もあれば、到着が遅れる日もある。そうした事情は、現場にいれば分かることだった。
しかし、草加部が示していたのは、単に夜勤の仕事が大変だという話ではなかった。
到着時刻、荷物の個数、重量、時間帯ごとの作業量。日勤と夜勤の実態を並べ、どこに負担が集中しているのかを比較しようとしていた。
草加部が問題にしていたのは、夜勤の負担だけではなかった。日勤と夜勤の間にある偏りだった。
私は、その違いを十分に理解していなかったのだと思う。
数字が並べられても、私の中では、それまでの現場の感覚や人から聞いていた話のほうが大きかった。日勤には日勤の事情がある。夜勤には夜勤の事情がある。数字だけで簡単に決められるものではない。そう考えていた。
だが、数字を並べて比較することには意味があったはずだ。
少なくとも、これまでの認識と実際の作業量が一致しているのか。それを確かめることはできた。
それでも私は、草加部の資料を見て、判断を根本から見直そうとはしなかった。
夜勤のタイミーをゼロにする話が出たときも、私の中には、元委員長の言葉が残っていた。
「ゼロにして一人でやれる」
「社長に話をしておく」
元委員長は、そう言っていた。
元委員長は管理職ではなかった。嘱託として勤務し、以前は委員長を務めていた人だった。会社の事情にも詳しく、私よりも長く職場を見てきた人でもある。
私は、その言葉を軽く受け止めてはいなかった。
元委員長がそう言うのなら、できるという見通しがあるのだろう。私には、そう思えた。
集約店で研修を受ければ、一人で作業できるようになる。そうした話もあった。
確かに、一人で荷物を扱えるようになることと、夜勤を一人の配置で運用し続けられることは、同じではない。
荷物を処理できる日があることと、毎日の到着状況に対応し、休日や欠勤も含めて運用を維持できることは別の話だ。
しかし、私は、その違いを掘り下げて考えなかった。
目の前の仕事を一人でできるかどうか。その話に意識が向いていた。夜勤を一人の配置にした場合、どのような問題が起こるのか。継続して運用するためには何が必要なのか。そこまで考えを進めることはなかった。
元委員長の言葉を受け、私は夜勤のタイミーを減らす方向で動いた。石井主任も、その流れの中にいた。
私は、自分で判断して進めているつもりだった。
誰かに命令されたわけではない。私なりに現場の状況を考え、必要なことを進めている。そう認識していた。
だからこそ、草加部が数字を並べ、夜勤の配置について繰り返し説明してくることが、私にはすぐには理解できなかった。
すでに一人でできるという話になっている。タイミーを減らす方向で進めている。それなのに、なぜ、いつまでも数字を持ち出してくるのか。
私は、そう考えていた。
午前五時半から六時半まで、日勤と夜勤が重なる時間を設けるという提案もあった。
夜勤から日勤へ作業をつなぐための時間だった。荷物の到着状況や作業量を踏まえれば、検討する余地はあったはずだ。
しかし、元委員長に話をしたところ、必要ないという判断だった。
私は、その時点で話を進めなかった。
日勤側に正式に提案し、具体的な作業内容や必要性を確認したわけではなかった。それでも、草加部には、日勤側が受け入れなかったという趣旨で説明していた。
後になって、日勤のカイ君は、その提案自体を聞いていなかったことが分かった。
私は、そのことを深く考えなかった。
元委員長が必要ないと判断した。それなら、進める必要はない。私の中では、それで話が終わっていた。
日勤側が実際にどう考えているのかを確かめることよりも、すでに出ていた判断に従って話を進めることのほうが、私には自然だったのかもしれない。
その後、日勤側でもタイミーが必要になり、夜勤のタイミーの時間を短縮して、その分を日勤側に回すという話が出てきた。
状況が変わったのだと考えることはできる。
ただ、そうであれば、以前の判断と何が違うのかを確かめてもよかったはずだ。
夜勤ではタイミーをゼロにして一人でできるという話だった。一方で、日勤では人手が必要になっていた。
それぞれの事情が違うことは分かる。しかし、だからこそ、日勤と夜勤の実態を並べて考える必要があったのではないか。
草加部が示していた数字は、そのためのものだった。
私は、そこまで考えを進めなかった。
元委員長の言葉があり、私自身の判断があり、石井主任も含めて進めてきた流れがあった。その流れを止めて、もう一度最初から検討することは、私には簡単なことではなかった。
何より、私は、自分の判断に大きな問題があるとは考えていなかった。
草加部が何度も資料を示すことに、私は次第に違和感を覚えるようになっていた。
なぜ、こちらの説明を受け入れないのか。なぜ、数字を示してまで、同じ話を繰り返すのか。
そうした疑問は浮かんだが、草加部が何を明らかにしようとしているのかを、改めて考えることはなかった。
そのうち、数字の内容よりも、草加部の言い方や態度のほうが気になるようになっていた。
声を荒らげたこともあった。
そのことは、私の中に残っていた。説明の仕方や、こちらに対する態度。そうしたことを問題にするほうが、数字を一つずつ検討するよりも、私には分かりやすかった。
草加部の態度に問題があるのなら、そこを指摘すればいい。
私は、そう考えるようになっていた。
もちろん、それで荷物の到着時刻が変わるわけではない。作業量が減るわけでもない。日勤と夜勤の間にある偏りがなくなるわけでもなかった。
それでも私は、草加部の態度を問題として捉えることで、自分の判断を変えずに済んでいた。
元委員長が何を望んでいたのか。なぜ、夜勤のタイミーをゼロにする方向へ話が進んだのか。なぜ、午前五時半から六時半までの提案は、日勤側に確認されないまま終わったのか。
それらを一つずつ並べて考えれば、見えてくるものがあったのかもしれない。
元委員長は、定年後も嘱託として勤務していた。自分にとって都合のよい勤務の形を、退職まで維持したいという思いがあったのではないか。
それが、夜勤の問題を大きくしない方向へ話を進めることにつながっていたのではないか。
そう考えれば、元委員長の言葉と、その後の動きには、一つのつながりが見えてくる。
ただ、それは私が当時、はっきりと理解していたことではなかった。
私は、元委員長の意向を受けながらも、自分で判断しているつもりだった。石井主任とともに進めてきたことも、現場の事情を踏まえた対応だと考えていた。
その判断が、誰かの望む方向と重なっていたとしても、私には、それをわざわざ考え直す理由がなかった。
草加部の資料を見れば、夜勤の実態だけでなく、日勤との比較もできた。配置のあり方を見直す材料は、そこにあった。
だが、私は、その数字を十分に検討しなかった。
草加部が何を問題にしていたのか。その問題が、なぜ正面から検討されなかったのか。
私は、そのことを深く考えないまま、自分の判断は間違っていないと思っていた。
数字は、そこに並んでいた。
夜勤と日勤の実態を比較するための数字が、確かに示されていた。
それでも私は、その数字をもとに判断を見直すことはなかった。
草加部が何を変えようとしていたのか。その資料が何を示していたのか。
私は、最後まで、その意味を十分に考えないまま、自分の判断を守ろうとしていた。




