第二十六節 声の大きさと事実の重さ
声を荒らげたのは、草加部だった。
そのことは、間違いなかった。
話をしている中で、草加部は声を荒らげた。
私は、その場面を覚えていた。
仕事の話をしているのだから、もう少し落ち着いて話せばいい。
こちらにも考えがある。こちらにも事情がある。
それなのに、納得できないからといって、声を荒らげる。
私には、そういう態度が気になった。
仕事の話であっても、言い方というものがある。
相手に何かを伝えたいのであれば、伝え方も考えるべきだ。
私は、そう思っていた。
草加部が何を言いたかったのかということよりも、あのときの態度の方が、私の中には強く残っていた。
声を荒らげたという事実は、分かりやすい。
その場にいた人間であれば、何が起きたのかを説明できる。
どのような声だったのか。どのような態度だったのか。
少なくとも、草加部が声を荒らげたということについては、話ができる。
一方で、草加部が示していた数字については、そう簡単にはいかなかった。
資料に書かれた数字が何を意味するのか。
実際の荷物の到着状況と、夜勤の業務量はどう関係しているのか。
時間帯によって仕事が集中することが、人員配置にどのような影響を与えているのか。
そうしたことを説明するには、資料を確認し、数字の意味を考えなければならない。
私は、そこまで踏み込んで考えていたわけではなかった。
草加部の態度であれば、問題として取り上げやすい。
しかし、数字の問題は、そうはいかない。
数字を確認すれば、これまでの判断についても説明が必要になるかもしれない。
草加部の提案を受け入れるかどうかは別として、少なくとも、なぜその提案を受け入れないのかということを、数字に照らして説明しなければならなくなる。
私は、そういうことを積極的に考えたいとは思わなかった。
だからといって、私は、自分が数字から逃げているとは思っていなかった。
草加部の態度にも問題がある。
仕事を進めるうえでは、そうしたことも無視できない。
私は、そう考えていた。
実際、草加部が声を荒らげたことは事実だった。
その事実まで否定する必要はない。
ただ、その事実をどう扱うかは、別の話だった。
草加部が声を荒らげた。
だから、草加部の主張には問題がある。
そこまで言えるわけではない。
声を荒らげたことと、資料の数字が正しいかどうかは、別の問題だからだ。
だが、私は、そこを明確に分けて考えてはいなかった。
草加部の態度が気になれば、草加部の言っていることまで、素直に受け止めにくくなる。
こちらに対して強い態度を取る人間の話を、どこまで真剣に聞く必要があるのか。
そんな思いが、どこかにあった。
私は、草加部の態度を問題にすることで、自分の判断を説明しやすくなっていたのかもしれない。
少なくとも、草加部の態度について話すのであれば、私にも言えることがあった。
声を荒らげる必要があったのか。
もっと別の伝え方があったのではないか。
仕事の話をするのであれば、相手に伝わるように話すべきではないか。
そうしたことなら、説明できる。
しかし、草加部が示した数字については、別だった。
資料の内容を一つずつ確認し、実際の業務と照らし合わせ、判断の根拠を考える必要がある。
その作業を十分に行っていない以上、数字を根拠に草加部の主張を退けることは簡単ではなかった。
それでも、草加部の態度を問題にすれば、話の焦点をそちらに移すことができた。
私は、意識してそうしようと考えていたわけではない。
ただ、草加部の声の大きさは、私にとって、数字よりも分かりやすい問題だった。
何が正しいのかを検証するより、何が気に入らなかったのかを話す方が、ずっと簡単だった。
私は、その違いを考えなかった。
草加部が声を荒らげたことは、草加部の態度について説明する材料になった。
だが、それは、夜勤の業務量や人員配置についての答えではなかった。
草加部がどのような態度で話したとしても、荷物が到着する時間は変わらない。
荷物の数も、重量も、時間帯ごとの業務の集中も、それによって変わるわけではない。
草加部の声が大きかったことと、草加部が示した数字の意味。
その二つは、本来、別々に確認しなければならないことだった。
しかし、私の中では、草加部の態度の方が、次第に大きな意味を持つようになっていた。
草加部が声を荒らげた。
そのことは、誰かに説明しやすい。
一方、資料に並んだ数字については、説明するために確認が必要だった。
私は、草加部の態度について話すことが、自分の対応を説明するうえでも都合がよいことに、気づいていなかった。
草加部の主張を正面から検証しなくても、草加部の態度に問題があったという話はできる。
そのことが、私の中で、草加部の主張そのものを考える必要性を薄れさせていた。
私は、草加部の態度を問題にしていた。
それは、私にとって事実だった。
だが、その事実によって、ほかの事実まで小さくしてよいわけではなかった。
草加部が示した数字も、夜勤の業務も、そこにあった。
私がそれをどう受け止めたかとは関係なく、そこにあった。
それでも、私は、草加部の声の大きさを覚えていた。
数字が示していたことよりも、草加部がどのように話したかを。
その方が、私には分かりやすかったからだ。
そして、いつの間にか、草加部が何を訴えていたのかよりも、草加部がどのような態度を取ったのかということの方が、私の中では大きくなっていた。
私は、そのことを問題だとは思っていなかった。
草加部の態度に問題があった。
私は、そう考えていた。
それは事実の一つだった。
ただ、その事実だけで、草加部が示したほかの事実まで説明できるわけではなかった。
私は、そのことを考えないまま、草加部の態度を見ていた。




