第二十三節 自分の判断を守るために
数字を見せられたからといって、すぐに考えが変わるものでもない。
少なくとも、私はそう思っていた。
現場には現場の事情がある。数字だけでは分からないこともある。長く仕事をしていれば、いちいち資料を確認しなくても分かることはある。
だから、数字を示されたからといって、それだけで判断を変える必要はない。
私は、そう考えていた。
ただ、あの資料には、いろいろな数字が並んでいた。
何時に荷物が到着したのか。
何個あったのか。
どれだけの重量があったのか。
時間帯によって、どれだけの仕事が集中しているのか。
一つひとつを見れば、何かしらの意味はあるのだろう。
だが、それをどう判断に結びつけるかは別の話だ。
数字があることと、その数字どおりに人員を配置しなければならないことは、同じではない。
私は、そう考えることにしていた。
考えることにしていた、というより、そう考えれば話は簡単だった。
資料を一から読み込み、これまでの判断と照らし合わせ、何が正しくて何が違っているのかを確認する。
そういうことを始めれば、話は簡単には終わらない。
数字の意味を考えれば、これまでの認識を見直さなければならないかもしれない。人員配置についても、改めて説明しなければならなくなるかもしれない。
そこまでして、何が変わるのだろう。
私は、そう思った。
夜勤は夜勤でやってきた。
日勤は日勤でやってきた。
それぞれに事情があり、それぞれの考え方がある。
現場は、資料だけで動いているわけではない。
そう考えれば、これまでの判断を大きく変える必要もなかった。
ところが、夜勤の草加部は、そういう話では納得しなかった。
ただ夜勤が大変だと言っているわけではない。自分たちの仕事を認めてほしいという話だけでもない。
数字を示し、その数字を根拠に、人員配置や運用について話をしようとしていた。
こちらが経験や現場の感覚で説明しても、草加部は数字に戻ってくる。
その数字はどうなのか。
実際の業務量はどうなっているのか。
その判断には、何を根拠にしているのか。
話をすればするほど、確認しなければならないことが増えていく。
正直なところ、面倒だった。
これまでのやり方で仕事が回っているのであれば、それでいいではないか。
なぜ、そこまで細かく確認しなければならないのか。
そう思う一方で、草加部が示している数字そのものを、簡単に片づけることもできなかった。
数字がある以上、何かを言わなければならない。
しかし、何をどこまで確認すればいいのか。どの数字をどう評価し、どのような根拠で人員配置を決めるのか。
そこまで整理して説明することは、簡単ではなかった。
私は、数字を見ていなかったわけではない。
ただ、数字を見たからといって、すべてをそのまま受け入れる必要はないと思っていた。
それに、草加部の言っていることが、すべて正しいと決まったわけでもない。
そう考えれば、草加部の提案を受け入れなければならない理由もない。
私は、自分の判断を変える必要はないと思っていた。
少なくとも、その時点では。
だが、草加部は引かなかった。
こちらが判断を示しても、それで話が終わるわけではない。数字を示し、実態を説明し、なぜその判断になるのかを確認しようとする。
こちらとしては、すでに判断していることだった。
それを何度も持ち出されれば、同じ話を繰り返しているようにも感じる。
なぜ、こちらの判断をそのまま受け止められないのか。
なぜ、そこまで数字にこだわるのか。
私は、次第にそう思うようになっていた。
草加部は、仕事の話をしているつもりなのだろう。
しかし、こちらからすれば、判断をした後になっても、いつまでも納得しない人間に見えてくる。
その違いは、大きかった。
私は、草加部の主張を一つひとつ検証するよりも、草加部がなぜそこまで言い続けるのかを考えるようになっていた。
その方が、分かりやすかったからだ。
数字の話であれば、確認しなければならないことがある。これまでの判断との整合性も問われる。
だが、草加部の態度の話であれば、こちらにも言えることがある。
仕事は、数字だけで進めるものではない。
現場には現場の事情がある。
言い方や伝え方も大切だ。
そうした話なら、私にも分かる。
いつの間にか、私は、草加部の提案が妥当なのかということよりも、草加部の言い方や態度の方を気にするようになっていた。
それで、何かが解決したわけではない。
夜勤の業務量が変わったわけでも、資料の数字が消えたわけでもない。
それでも、草加部の態度に問題があると考えれば、こちらの判断を改めて検証する必要性は、少し遠のいた。
私は、そこまで考えていたわけではない。
ただ、草加部の言うことを、以前ほど真剣に受け止めなくなっていた。
元委員長の考えもあった。
私は、元委員長に話をしていた。資料も見せていた。そうしたやり取りの中で、夜勤の人員配置について、どういう方向で進めるのかという考えは固まっていった。
元委員長には、これまでの経緯も分かっている。
私よりも長く会社を見てきた人間でもある。
その人が判断しているのだから、間違いはないだろう。
私は、そう思っていた。
自分で判断したつもりだった。
実際、自分で考えたこともある。自分なりに現場を見てきたつもりでもある。
だから、誰かの言うとおりに動いているとは思っていなかった。
ただ、元委員長の判断に異を唱えてまで、草加部の提案をもう一度検証する必要があるのか。
そこまで考えることはなかった。
考えなかった、というより、考える必要があるとは思わなかった。
その頃には、私は、草加部の提案そのものよりも、草加部という人間の方に目を向けていた。
数字を並べて、こちらの判断に納得しない。
説明しても、また数字を持ち出してくる。
いつまでも話が終わらない。
そういう人間なのだと考えれば、こちらの対応にも理由がつく。
こちらの判断が正しいかどうかを、改めて考え続ける必要もなくなる。
草加部の方に問題がある。
そう考える方が、ずっと簡単だった。
私は、そのことに疑問を持たなかった。
数字について、まだ確認できていないことがあったとしても。
草加部の提案に、検討する価値があったとしても。
それよりも、草加部の態度の方が気になっていた。
私は、そういう見方をするようになっていた。
そして、自分の判断は間違っていないと思っていた。




