第十二節 見えていなかったもの
あとから振り返れば、確認できたことはいくつもあった。
夜勤と日勤では、扱う荷物の流れが違う。到着する便も、集中する時間帯も、同じではない。日勤の側から見える荷物だけを基準にすれば、夜勤の負荷を正確に捉えられない。逆に、夜勤の数字だけで日勤の事情を判断することもできない。
どちらか一方が現場のすべてを知っているわけではなかった。
それなのに、私は、自分が見てきた景色には確かな重みがあり、相手が示す景色には、まだ確認すべき点が多いと考えていた。
その差は、資料の扱い方にも表れていた。
夜勤側が集計した数字には、集計条件を確認しなければならないと思った。どの時間帯を対象にしたのか。到着実績と処理実績を混同していないか。数え方に偏りはないか。そうした確認は必要だった。
しかし、同じように日勤側の判断についても、何を見て、何を見ていないのかを確認する必要があった。
私は、そこまで考えを進めていただろうか。
自分の経験を説明するとき、私はそれを具体的な事実のように扱っていた。毎日見ているから分かる。長く働いているから判断できる。実際に現場にいるから、数字だけでは見えないことを知っている。
その説明には、確かな部分もあったはずだ。経験がなければ気づけないことはある。数字に表れない手間や、荷物以外の作業、時間帯ごとの細かな事情もある。
だが、経験があることと、その経験がどこまで通用するかを知っていることは違う。
私は、経験を判断の根拠として使っていた。しかし、その経験が及ばない範囲を、どれだけ意識していたのか。自分が直接見ていない作業について、どれだけ確かめていたのか。
その問いに、すぐ答えることはできなかった。
三月に、午前五時三十分から六時三十分までの重なりを設ける提案が出されたとき、私は、その必要性を感じなかった。現場の状況を考えれば、今の体制で対応できると思っていた。
その判断が、当時の情報の中では合理的だった可能性はある。配置を変えれば、費用も、他の時間帯への影響も生じる。提案を受け入れることだけが、責任ある判断ではない。
けれど、六月に提出された三月から五月までの分析は、少なくとも、改めて確認する理由を示していた。荷物の個数では夜勤側が約六割、日勤側が約四割を扱っていたという数字は、私が抱いていた印象と一致していなかった。
その数字だけで、ただちに最適な人員配置が決まるわけではない。個数と重量は違う。到着した時刻と処理した時刻も違う。付帯作業もある。数字を正しく読むためには、さらに確かめるべきことがある。
だが、それは、確認を始める理由にはなっても、確認を避ける理由にはならなかった。
私は、数字に不足がある可能性を考えた。ところが、その不足を確かめることと、数字を示した人間を疑うことが、いつの間にか近づいていた。
相手がなぜ報告を続けるのか。なぜ、こちらの判断を問い直そうとするのか。何を変えたいのか。
そうした問いを持つことはできる。だが、答えを知らないまま推測を重ねても、実際の荷物の流れは分からない。
私は、相手の意図を考えることで、相手の資料に向き合ったつもりになっていたのかもしれない。
資料を出した人間が、どんな性格で、何を考えていたとしても、集計された数字の意味は別に確かめなければならない。反対に、数字が正しかったとしても、その数字だけで、相手の考えや要求のすべてが正しいと決まるわけでもない。
人と数字を切り分けること。
それは、相手を信じるか、疑うかという二択よりも、ずっと地味で、面倒な作業だった。
資料のどこまでが記録された事実で、どこからが解釈なのか。自分の判断のどこまでが実績に基づき、どこからが経験による推測なのか。その境目をひとつずつ確認しなければならない。
そして、確認した結果、自分の判断を変える必要があると分かったなら、変えなければならない。
それは、過去の自分をすべて否定することではない。以前の判断が、そのときの情報と条件の中でなされたものなら、情報が増えたときに判断を見直すことは、むしろ自然なことだった。
私は、その当たり前のことを、頭では知っていた。
それでも、自分の判断が変わる可能性を受け入れることと、自分が間違っていたと認めることを、同じもののように感じていたのかもしれない。
判断を修正することは、責任を放棄することではない。根拠が変わったのなら、判断も変える。それを説明し、必要な調整をする。それもまた、判断する側の責任だった。
私が守ろうとしていたのは、現場の秩序だったのか。それとも、秩序を守っていると考えていた自分自身だったのか。
その問いに、まだ答えを出すことはできなかった。
ただ、ひとつだけ、以前とは違って見えることがあった。
相手が何を考えていたかを、私が完全に知ることはできない。相手の意図を想像することはできても、それを事実として扱うことはできない。
一方で、資料に示された数字や、そこから生じた疑問は、確認することができる。
私が見ていなかったものは、夜勤の荷物だけではなかった。
自分が見ている範囲の限界もまた、見えていなかったのだ。




