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第三節 数字を持ち出す人間

現場のことは、数字だけでは分からない。

少なくとも、私はそう考えていた。

荷物の量は日によって違う。到着する時間も違う。人員の配置も、いつも同じとは限らない。数字に表れた結果だけを見て、現場の実態が分かったつもりになられても困る。

長く仕事をしていれば、そのくらいのことは分かる。実際、これまでだって、何とか回してきた。荷物が多い日もあれば、予定どおりに進まない日もある。それでも、その日の状況に合わせて人を動かし、仕事を割り振り、必要なら次の勤務帯に引き継ぐ。現場とは、そういうものだった。

だから、午前五時三十分から一時間、夜勤と日勤の勤務時間を重ねるという提案についても、私は必要性を感じなかった。

提案した側には、そうするだけの理由があったのだろう。だが、理由があることと、その提案を採用する必要があることは別だった。新しい運用を始めれば、それに伴う調整も必要になる。勤務時間を変えるなら、ほかとの兼ね合いも考えなければならない。一つの問題を解決するために、別の問題を増やすわけにはいかない。

私は、そうした全体の事情を考えていた。少なくとも、私にはそのつもりがあった。

夜勤の荷物がどれほど多いのかという話も、見方によって変わる。夜勤の担当者が処理している荷物と、日勤の担当者が処理している荷物。単純に個数を比べれば、何かが分かるのかもしれない。しかし、荷物の個数だけで仕事の重さが決まるわけではない。時間帯も違えば、作業の内容も違う。何人で対応しているのか、ほかにどんな仕事があるのか。そうした条件まで考えなければ、比較したことにはならない。

数字を出すなら、そこまで見ているのだろうか。

私は、まずそこが気になった。

数字そのものが間違っていると言いたかったわけではない。数字は数字として、正しいのかもしれない。ただ、それをどう読むかは別の話だ。そして、どう読むかを判断するには、現場を知っている必要がある。

長く現場にいる人間には、数字だけでは拾えないものが分かる。日々の仕事の流れや、ちょっとした変化、実際に作業している人間の動き。そういうものは、表にまとめただけでは見えてこない。私は、そうした経験を積んできた。だからこそ、数字だけで結論を出すことには慎重であるべきだと思っていた。

一方で、数字を集め、資料を作り、何度も説明しようとする人間がいる。そこまでしなくても、話し合えば済むことではないのか。現場の事情を説明し、互いに譲れるところを探す。それができれば、わざわざ大がかりな資料を作る必要もない。

それなのに、なぜ、そこまで調べるのか。何を明らかにしたいのか。

私は、次第にそちらが気になり始めていた。

仕事を改善したいということなら、分からないでもない。だが、改善という言葉を使えば、どんな提案でも通るわけではない。現場の判断には、それまでの経緯もある。こちらにも、こちらなりの考えがある。それを飛び越えて、数字を並べられても困る。

私は、相手が何を問題にしているのかを考えているつもりだった。いや、正確には、相手がなぜ、そこまで問題にしたがるのかを考え始めていた。

夜勤の仕事が大変だということを認めさせたいのだろうか。自分たちの配置が不公平だと言いたいのだろうか。それとも、これまでの判断に問題があったと示したいのだろうか。

どれも、あり得ない話ではない。

ただ、本人に直接確かめたわけではなかった。確かめる必要があるとも、私は思っていなかった。

資料を作る人間の意図は、資料の内容だけで決まるものではない。どのような立場から、何を目的に、どういう形で出してくるのか。そういうところにも、その人間の考えは表れる。私は、そう考えていた。

だから、資料の数字を検討することと、それを持ち出してきた人間を見極めることは、私の中では、いつの間にか切り離せなくなっていた。

相手は、現場の実態を明らかにしようとしているのか。それとも、自分の考えを通そうとしているのか。私には、後者の可能性も十分にあるように思えた。そして、その可能性を考えることは、現場を守るうえでも必要なことだと思っていた。

自分の判断に疑問を持つ前に、相手の意図を疑う。

そんなつもりはなかった。私はただ、相手の言うことを、そのまま受け入れないようにしていただけだった。

現場には現場の事情がある。経験の浅い人間には分からないこともある。数字を集めたからといって、すべてが分かるわけではない。それは、間違った考えではなかった。

だから私は、相手の資料を前にしても、自分の判断を変える必要があるとは思わなかった。変える必要があるかどうかは、こちらが判断することだった。その判断を、誰かに委ねるつもりはなかった。

何を証明したいのか

一度、必要ないと判断した提案を、何度も持ち出されるのは、あまり気分のいいものではなかった。こちらとしては、すでに判断を下している。それでも、相手は納得していないらしい。

納得できないのは自由だ。誰だって、自分の考えが採用されなければ不満はあるだろう。だが、仕事は不満を解消するためにあるわけではない。必要かどうかを考え、実行できるかどうかを判断する。すべての意見を採用することなどできないのだから、最後は誰かが決めなければならない。

そういう意味では、判断する立場にいる人間には、それなりの責任がある。私は、その責任を果たしているつもりだった。

ところが、相手は提案が通らなかったあとも、荷物の到着実績を調べ、時間帯ごとの数量を整理し、夜勤と日勤の比較を続けていた。そこまでやる必要があるのだろうか。最初は、そう思った。

仕事の流れを改善するために調べる。それ自体は悪いことではない。むしろ、現場をよくしようという意欲があるのなら、歓迎すべきことなのかもしれない。しかし、調べた結果を何度も資料にまとめ、判断の根拠として提示するとなれば、話は少し違ってくる。

数字を示す。その数字を基に、これまでの認識とは異なる説明をする。そして、その説明を人員配置の判断に反映するよう求める。言っていることは分かる。だが、こちらの判断にも根拠はある。

これまでの運用には、それまでの経緯がある。現場を知らずに決めているわけではない。毎日の仕事を見ながら、そのときどきの事情を考慮して判断してきた。それを、後からまとめた数字によって検証される。私は、そこに引っかかりを感じていた。

数字が間違っていると言い切れるわけではない。しかし、数字が正しければ、その数字を基にした判断まで正しいことになるのか。そもそも、何を基準に比較しているのか。荷物の個数だけでなく、作業の内容や時間帯、人員配置まで含めて考えているのか。確認すべき点は、いくらでもある。

私は、そうした点を考えていた。だから、すぐに相手の主張を受け入れる必要はない。むしろ、慎重に判断することこそ、管理する側の役割だと思っていた。

それなのに、相手は調査をやめなかった。数字を集め、資料を整え、さらに詳しく調べていく。なぜ、そこまで続けるのか。仕事を改善したいだけなら、もっと別の進め方もあるのではないか。こちらの説明に納得できないのだとしても、何度も資料を出してくる必要があるのだろうか。

私は、次第に疑問を持つようになった。

もしかすると、相手にとっては、荷物の量や人員配置だけが問題なのではないのかもしれない。自分たちの考えを認めさせたい。これまでの判断が間違っていたと示したい。そういう気持ちがあるのではないか。

もちろん、本人に聞いたわけではない。ただ、そう考えると、何度も資料を作る理由が分かるような気がした。

数字を出すことが目的なのではない。数字を使って、何かを証明しようとしている。そう思えば、相手の行動も理解できる。

私は、相手の考えを理解しようとしていた。少なくとも、そのつもりだった。

ただ、理解しようとするほど、気になることがあった。相手は、何を証明したいのか。そして、誰に、それを認めさせたいのか。その答えを考えることに、私は時間を使うようになっていた。

荷物が何個到着したのか。どの時間帯に集中しているのか。何人で対応しているのか。本来、確認すべきことは、そうした実態だったはずだ。

しかし、私の関心は、少しずつ別のところへ移っていた。相手は、なぜそこまで調べるのか。なぜ、こちらの判断に納得しないのか。何を考えているのか。

私は、相手のことを考えていた。それも、現場を管理するうえで必要なことだと思っていた。相手の主張をそのまま受け入れるのではなく、その背景まで考える。それができてこそ、適切な判断ができる。私は、そう考えていた。

だから、自分の判断を疑う必要があるとは思わなかった。判断を疑う前に、相手の意図を見極める。私にとっては、それが自然な順序だった。

数字よりも、経験を信じる

数字がまとまったと聞いたとき、私は、まず集計の仕方を考えた。何を基準に分けたのか。どこからどこまでを夜勤とし、どこから日勤としたのか。荷物の種類はどう扱ったのか。比較する以上、条件をそろえる必要がある。そこが曖昧なら、数字を並べても意味がない。

別に、数字を否定したかったわけではない。正しい数字でなければ、判断の材料にはできない。それだけのことだった。

ところが、資料に示された結果は、私がこれまで持っていた認識とは違っていた。三月から五月までの実績では、夜勤が荷物全体の約六割、日勤が約四割。夜勤のほうが荷物は少ない。そうした認識とは、反対の結果だった。

私は、その数字を見ても、すぐに考えを変えようとは思わなかった。数字には、数字の見方がある。個数が多いからといって、それだけで仕事が大変だとは限らない。重量もある。便の種類もある。作業の内容も違う。勤務帯によって、扱う荷物の流れも異なる。

そうした違いを考えずに、六割と四割という数字だけを取り上げるのは早計ではないか。私は、そう考えた。

実際、日勤には日勤の仕事がある。朝から昼にかけて荷物が集中することもある。便によっては、まとまった量が一度に到着する。そうした場面を見ていれば、日勤の荷物が多いと感じるのも不思議ではなかった。私が知っている現場は、そういう現場だった。

一方で、夜勤の荷物は、日勤とは違う時間帯に到着する。夜間に届く荷物があることは分かっている。だが、それを日勤と同じ基準で比較して、どちらの負担が大きいと判断できるのか。私は、そこに疑問を持った。

もっとも、資料は荷物の個数だけを並べたものではなかったらしい。重量や人員なども比較対象にしていた。それなら、なおさら、どのように解釈するかが重要になる。

数字が出たからといって、それで結論が決まるわけではない。最後に判断するのは、人間だ。私は、そのことを疑っていなかった。

これまでの経験から、現場の状況を見てきた。何が起きやすいのか、どこで作業が滞るのか、どのようなときに人手が必要になるのか。そうしたことは、一つの表だけでは分からない。私は、自分が見てきたものを信じていた。

だから、資料の数字と自分の感覚が食い違っていても、どちらか一方をすぐに捨てる必要はないと思った。むしろ、数字と現場感覚の両方を見て判断すればいい。それが、現実的な考え方ではないだろうか。

ただ、そのときの私は、数字と経験を両方見ようとしていたのか。それとも、経験と合わない数字を受け入れずに済む理由を探していたのか。そこまでは、考えていなかった。


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