第一節 前提を疑わなかった人間
人は、自分が間違っているかもしれないと思いながら、毎日を生きているわけではない。
少なくとも、仕事をしているときはそうだ。
朝になれば仕事が始まる。人が来る。荷物が来る。電話が鳴る。誰かが何かを言いに来る。
判断しなければならないことはいくらでもある。一つひとつの判断に、十分な時間をかけている余裕はない。
昨日までこうしていた。
前任者もそうしていた。
現場はそれで回っていた。
だったら、今日もそうすればいい。
もちろん、状況が変われば見直すこともある。人員が足りなければ考えるし、仕事が滞れば対策もする。
管理するというのは、そういうことだ。
少なくとも、私はそう思っていた。
夜勤についても、特別なことではなかった。
昼間と比べれば、人は少ない。夜中になれば、荷物も落ち着く。忙しい時間帯はあるにしても、日勤とは違う。
夜勤には夜勤の仕事がある。日勤には日勤の仕事がある。
どちらが楽か、どちらが大変か。毎日現場を見ていれば、おおよそ分かるものだと思っていた。
数字にしなくても。表にしなくても。現場で起きていることは、現場にいれば分かる。
そういう自信があった。
それは、根拠のない自信だったのだろうか。
当時の私は、そうは思わなかった。
自分なりに仕事をしてきたという自負があった。現場の人間が何を考え、どこで不満を持ち、何を面倒だと感じるのか。そういうことも、ある程度は理解しているつもりだった。
だからこそ、自分の判断には、それなりの理由があると思っていた。
すべてが正しいとは言わない。だが、少なくとも、現場を知らない人間の思いつきで決めているわけではない。
そこだけは、譲れなかった。
夜勤の負担が大きいという話を聞いたときも、私はすぐに認識を変えようとは思わなかった。
大変なのは分かる。夜中に働くのだから、楽な仕事ではないだろう。
しかし、仕事は夜勤だけではない。日勤にも仕事があり、人がいて、それぞれの事情がある。
一つの部署が大変だからといって、そこだけを見て人を増やせばいいというものでもない。
限られた人員を、どこに、どう配置するのか。それを考えるのが管理する側の仕事だ。
私は、そう考えていた。
そして、そこには一つの前提があった。
夜勤は、日勤ほどの人員を必要としない。
私は、その前提を疑っていなかった。
いや。疑う必要があるとは、思っていなかった。
最初は、小さな違和感だったのだと思う。
夜勤の仕事について、細かく記録している人間がいる。
何時に荷物が来たのか。何個あったのか。どの便だったのか。重さはどれくらいだったのか。
最初にその話を聞いたとき、私はどう思っただろう。
熱心な人間だと思ったのかもしれない。そこまで細かく調べる必要があるのか、と思ったのかもしれない。
あるいは、仕事というものを、そこまで数字に置き換えなければ理解できないのかと感じたのかもしれない。
今となっては、どれだったのか分からない。
ただ、もし私がその記録を見て、素直に感心していたとしたら。もし、その数字を見て、自分の認識を改めようと考えていたとしたら。
話は違う方向へ進んでいたのだろうか。
そんなことを考える。
だが、人間は、目の前に差し出されたものを、いつもそのまま受け取れるわけではない。特に、それが自分の判断に関係するものなら、なおさらだ。
数字を見る。その数字が正しいかどうかを考える。それ自体は、何もおかしくない。
だが、その数字によって、これまで正しいと思ってきたことが揺らぐとしたら。話は少し変わってくる。
数字を確認する前に、数字を出してきた人間が気になり始める。
なぜ、そこまで調べるのか。何を言いたいのか。誰に見せるつもりなのか。どうして、そこまで夜勤のことにこだわるのか。
本当に、業務を改善したいだけなのか。
そんな疑問が、頭の中に浮かんでくる。
もちろん、疑問を持つこと自体は悪いことではない。相手の意図を確認することも必要だろう。
ただ、一つだけ問題がある。
相手の意図を疑うことと、相手が示した事実を検証することは、別の作業だ。
ところが、人間は、その二つを簡単に混ぜてしまう。
相手が信用できない。だから、相手の言うことも信用できない。
相手の態度が気に入らない。だから、相手の主張にも問題があるはずだ。
そう考え始めると、数字を見る必要は少しずつ薄れていく。
数字が何を示しているかよりも、なぜこの人間が数字を示しているのか。そのほうが、重要に思えてくる。
そうなれば、もう話は変わっている。
最初は、夜勤の業務量についての話だった。それが、いつの間にか、人間についての話になっている。
そして私は、その変化に気づかないまま、自分は同じ問題について考え続けているつもりでいた。




