最後に残った問い
数字を集め、分析し、資料にまとめる。
俺は、現場で起きていることを見える形にしようとしてきた。
夜勤の荷物は、本当に少ないのか。
日勤と夜勤では、どちらにどれだけの負担がかかっているのか。
人員配置は、実際の業務量に見合っているのか。
そして、配置を変更するのであれば、その判断には客観的な根拠があるのか。
一つずつ確認し、数字を示し、改善案を提出してきた。
その過程で、従来の認識だけでは説明できない実態が見えてきた。
日勤と夜勤では、扱う便も、荷物が集中する時間帯も異なる。
一日の合計だけでは、短時間に集中する作業の負担を十分に捉えられない。
一人で作業できることと、一人の配置で継続的に運用できることも違う。
そして、公平性を考えるのであれば、勤務帯ごとの人数だけでなく、実際に誰がどれだけの仕事を担っているのかを確認する必要があった。
ここまでは、数字によって整理できる問題だった。
しかし、数字が示す実態と、実際の人員配置の判断が、必ずしも同じ方向を向くとは限らなかった。
夜勤側の配置を見直す話が出る一方で、日勤側でも人員が必要になった。
そのとき、双方の業務実態を同じ基準で比較し、全体としてどう配置するのが適切なのかを検討できていたのか。
俺には、そこが最後まで気になる点として残った。
日勤側に人手が必要なら、その必要性を検討すればいい。
夜勤側に人手が必要なら、その必要性も同じように検討すればいい。
どちらか一方の事情だけで、もう一方の負担を調整するのではなく、双方の実態を踏まえて判断する。
それが公平な運用の基本ではないのか。
もちろん、すべての判断が俺の考えどおりになる必要はなかった。
俺の分析が絶対に正しいとも思っていない。
新しい実績が出れば、結論を修正することもあるだろう。現場の事情によっては、数字だけでは判断できないこともある。
だからこそ、判断の根拠を明らかにし、必要なら検証し直せることが大切だった。
それでも、実績を積み重ね、問題を整理し、判断材料を提出したあとに、同じような認識の違いが繰り返されるのであれば、考えなければならないことがある。
何が足りなかったのか。
データなのか。
説明なのか。
情報を共有する仕組みなのか。
それとも、判断するときに何を基準とするかという、もっと根本的な問題だったのか。
俺一人で、その答えを決めることはできなかった。
ただ、少なくとも、数字を集める前と後では、問題の見え方が変わっていた。
以前なら、「夜勤の荷物は少ない」「一人でもできる」という言葉に対し、現場の感覚をぶつけるしかなかったかもしれない。
だが、実績があれば、その言葉が実態と合っているのかを確認できる。
配置を変えたのであれば、その結果を比較できる。
負担に偏りが生じているのであれば、それを具体的に示すこともできる。
数字は、すべてを解決してくれるわけではない。
それでも、問題を曖昧なままにしないための土台にはなる。
俺が残したかったのは、その土台だった。
そして、最後に残る問いは、数字が正しいかどうかだけではなかった。
確認できる事実がそろったとき、組織はそれを判断に使うのか。
その問いに答えを出すのは、資料を作った俺ではなかった。




