現実は、資料の外でも動いていた
資料を作り、数字を整理し、判断に必要な材料を残す。
そこまでやっても、現場の動きが止まるわけではなかった。
人員は入れ替わる。
募集条件は変わる。
勤務時間も調整される。
会社は会社の判断で動き、現場は現場で仕事を続けていく。
そして、その動きは、俺が作った資料の中だけで起きていたわけではない。
その動きは、求人情報にも表れていた。
求人情報には、夜勤帯と早朝帯の募集があり、いずれも「欠員補充」と記載されていた。確認できるのは、そうした募集が実際に出ていたという事実までだった。
俺はその記載を、これまで整理してきた人員配置の問題と照らし合わせて考えた。
求人票だけでは、募集に至った詳しい経緯や、想定していた勤務体制までは分からない。
ここで、確認できる事実と、そこから考えられることを分けておく必要があった。
俺は、夜勤の仕事がどれだけ大変かを、言葉だけで説明し続けたかったわけではない。
荷物量を調べた。
時間帯ごとの集中を確認した。
日勤帯と夜勤帯の実績を比較した。
一人当たりの作業量を計算した。
そうして、現場で何が起きているのかを、できるだけ具体的に示そうとしてきた。
求人票は、そうした分析資料とは別のものだ。
けれども、実際の人員補充に関する動きとして、そこに存在していた。
資料の中では、数字を使って人員配置を考える。
現実の中では、人員を確保するために募集を出す。
両者を並べることで、現場の人員問題が資料の中だけの話ではなかったことを確認できた。
俺にとって重要だったのは、誰かを言い負かすことではない。
現場で起きていることを、印象や立場の違いだけで片づけられないようにすることだった。
現実の動きもまた、次の判断の材料になる。
資料を作った時点で、すべての答えが出るわけではない。
その後に何が起きたのか。
人員配置はどう変わったのか。
実際の運用はどうなったのか。
そこまで確認して初めて、過去の分析を振り返ることができる。
俺が残した数字は、過去を説明するためだけのものではなかった。
これからの運用を考えるときにも、使えるはずのものだった。
ただ、俺自身がその先の運用を、ずっと見続けられるわけではない。
そのことも、次第にはっきりしてきた。
現場の問題を見える形にすることと、その問題が解決されるまで現場に残り続けることは、別の話だった。
俺は、その違いを考えなければならなかった。




