改善の結果は、誰が判断するのか
ここまで、数字を集めること、分析すること、記録を残すことについて考えてきた。
では、最後に残る問題は何だったのか。
それは、改善したかどうかを、何によって判断するのかということだった。
人員配置を変えた。
勤務時間を調整した。
新しい人を募集した。
こうした動きがあったとしても、それだけで改善が成功したとは言えない。
実際に仕事が回っているのか。
一人当たりの負担はどう変わったのか。
忙しい時間帯に作業が集中していないか。
欠員が出たときにも、運用を維持できるのか。
そこを確認しなければ、結果は分からない。
たとえば、人員を一人減らしたとする。
予定どおりに作業が終わった日だけを見れば、問題はなかったように見えるかもしれない。
しかし、荷物が多い日も同じように対応できるのか。
誰かが休んだ日にはどうなるのか。
別の勤務帯に仕事が移っていないか。
そうした条件まで確認しなければ、一人減らしたことが適切だったのかは判断できない。
逆に、人員を増やした場合も同じだ。
増員したから改善した、と決めつけることはできない。
増員によって作業の集中が緩和されたのか。
必要な時間帯に人が配置されているのか。
増員しても、別の時間帯に新たな問題が生じていないか。
結果を見て、初めて評価できる。
つまり、人員配置は、人数だけで評価できるものではなかった。
人数と荷物量。
荷物が到着する時間帯。
実際に仕分けに従事する人数。
付随する業務。
そして、勤務帯をまたいだ仕事の流れ。
それらを合わせて確認する必要があった。
俺たちが積み上げてきたデータは、そのための材料だった。
ただし、過去のデータがあるからといって、将来の結果まで保証されるわけではない。
実績は、あくまでも実績だ。
新しい体制を組んだなら、その体制で何が起きたのかを記録する。
以前と比較する。
想定と違う結果が出たなら、その理由を調べる。
必要があれば、もう一度配置を見直す。
その繰り返しが必要だった。
ここで大切なのは、最初の判断を守り続けることではない。
判断した結果を確認し、必要なら判断そのものを修正できることだ。
最初に決めたことが、いつまでも正しいとは限らない。
だからこそ、判断の根拠と、その後の結果を残しておく必要がある。
そうすれば、うまくいかなかった場合にも、何が問題だったのかを検討できる。
誰かの責任を追及するためだけではない。
次に同じ判断をするとき、より適切な方法を選ぶためだ。
改善とは、一度正解を見つけて終わる仕事ではなかった。
現場の実態を確認し、判断し、実行し、その結果を検証する。
その循環を続ける仕事だった。
そして、その循環を成立させるためには、現場の実態を知る人間と、配置を決める人間が、同じ事実を共有している必要があった。
数字を集める側だけが分かっていても、運用は変わらない。
判断する側だけが考えていても、現場の実態から離れてしまう。
両者が同じ材料を見て、判断の根拠と結果を確認できること。
それが、改善を一時的な対応で終わらせないための条件だった。
俺は、そこまでを考えていた。
ただ、実際にその循環を回し続けるかどうかは、資料を作った人間が決めることではなかった。
仕組みを残すことはできる。だが、仕組みを動かし続けるかどうかまでは、残す側だけでは決められない。
そこに、現場から改善を進めることの限界があった。




