グリミーは終わらない
グリミーは、終わらない。
前の話で、俺はそう思った。
人間は、自分を正当化する。
自分の立場を守ろうとする。
自分の判断が間違っていたと思いたくない。
だから、都合のいい話を聞く。
そして、それを信じる。
最初は誰かの話だったものが、いつの間にか自分の考えになる。
それが、また別の誰かに伝わる。
そして、その誰かがまた信じる。
デマ。
思い込み。
決めつけ。
自己正当化。
それが、ぐるぐる回る。
俺は、それをグリミーと呼んでいた。
グリミーとは、悪い人間の名前じゃない。
誰でもなる。
俺だって、なる。
お前だって、なる。
たぶん、誰でもなる。
自分に都合のいい認識が、事実確認を飛び越えて定着していく。
それがグリミーだ。
だから、
グリミーは終わらない。
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所長が変わった。
現場の空気が変わるときっていうのは、だいたい人が変わったときだ。
机の配置が変わったわけでもない。
建物が新しくなったわけでもない。
荷物の量が突然変わったわけでもない。
それでも、空気は変わる。
「新しい所長になったから」
まあ、普通はそれだけの話なんだろう。
俺も最初はそう思っていた。
ところが。
こういうときに動く人間がいる。
組織というのは面白い。
人が変わると、
「じゃあ、今度はこれを言ってみよう」
という人間が出てくる。
元委員長だった。
この人は、組織のことをよく知っている。
長いこと会社にいる。
以前は集配側にいた。
その後、60歳を節目にして構内の仕事に入った。
そして、この営業所に来た。
それまでは主管支店である集約店にいた。
ここは家が近い。
それだけじゃない。
組合の事務所も、この営業所の二階にある。
つまり。
この場所とのつながりが強い。
そういう人間が、所長の交代を見た。
俺からすれば、
「ああ、動くな」
という感じだった。
別に何か証拠があったわけじゃない。
ただ、
人間ってそういうもんだからな。
新しい人が来る。
前の人との関係がリセットされる。
そうすると、
今まで通らなかった話を、
「今度なら通るんじゃないか」
と思う。
そして、話は静かに始まった。
いや。
気づかない間に、もう始まっていた。
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その頃からだった。
管理者の様子が変わっていった。
前は、最初からそういう人間だったわけじゃない。
少なくとも、俺にはそう見えていた。
ところが、人間は変わる。
いや。
変わったように見えるだけなのかもしれない。
誰かの話を聞く。
何度も聞く。
同じ話を聞く。
すると、
いつの間にか、
それが自分の判断になっていく。
「夜間なんか……」
そんな言葉が増えていく。
夜間なんか。
夜勤なんか。
夜は荷物が少ない。
夜は暇だ。
夜は一人でできる。
最初は一つの言葉だった。
それが、だんだん増えていく。
そして、いつの間にか、
その人自身の判断になっていく。
これがグリミーだ。
「夜間なんか、そんなに仕事ないだろ」
また始まった。
俺は、そう思った。
ただ、このときはまだ黙っていた。
言い返しても仕方がない。
現場にいる人間なら分かっている。
夜中に何が来るのか。
何時に荷物が来るのか。
どの便とどの便が重なるのか。
朝までに何を終わらせなきゃいけないのか。
それを毎日やっている。
だから、
「夜間なんか」
と言われても、
「ああ、そういう認識なのね」
くらいだった。
ところが。
問題は、認識だけでは終わらなかった。
人間は、自分の仕事を楽にしたい。
それ自体は悪いことじゃない。
俺だって楽なほうがいい。
できれば早く終わりたい。
できれば重い荷物は少ないほうがいい。
できれば応援なんか呼ばずに済ませたい。
できれば定時で帰りたい。
当たり前だ。
俺だって同じだ。
ただし。
自分の仕事を楽にするために、
別の時間帯へ仕事を押し出したら、
それは話が変わる。
夜勤側で調整すればいい。
夜勤で何とかすればいい。
夜勤は人数が少なくてもできる。
そんな話が、少しずつ出てきた。
俺は思った。
……ああ。
そっちに行くのか。
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やがて、
「夜勤って、一人でできるんじゃないの?」
という話になった。
俺は聞いた。
一人で作業できるか。
そりゃ、できる日もある。
荷物を一個触るだけなら、
一人でできる。
二個触るなら、
二人いる。
三個なら、
三人いる。
そんな単純な話じゃない。
夜勤ってのは、
毎日ある。
人間だから休む。
欠勤もある。
点呼もある。
荷物は、
「今日は一人しかいないんで、明日にします」
とは言ってくれない。
でも、
そんなことを説明しているうちに、
別の言葉が出てきた。
「4時からは嫌だ」
……。
なるほど。
そういうことか。
自分が4時から仕事をするのは嫌だ。
だったら、
その時間帯を誰かにやらせればいい。
誰に?
夜勤に。
俺は、そこで初めて、
少し嫌な感じがした。
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ある日。
話をしていた。
いつものように、
夜勤のことだった。
荷物のこと。
勤務のこと。
時間帯のこと。
俺は、自分の考えを話していた。
すると、
突然だった。
腕を掴まれた。
「……」
俺は一瞬、
何が起きたのか分からなかった。
腕だった。
手じゃない。
腕を、
掴まれていた。
強く。
俺は相手を見た。
「自分で何をしているのか分かってるのか」
そう言った。
腕を掴まれたまま、
俺は相手の動きを見ていた。
そして、
手首から捻じるように回転させ、
掴まれていた腕を解いた。
相手は、
まさか外されるとは思っていなかったのか、
一瞬、慌てた。
不意を突かれたような顔をしていた。
その直後だった。
両腕を、
肩から交互に大きく回し始めた。
俺は、それを冷静に見ていた。
巨漢だ。
この体重が乗ったものを、
もしまともに一発食らったら、
ヤバい。
頭の中で考えた。
急所を狙うか。
鼻か。
いや。
違う。
声で止める。
もう一度、
大きな声で言った。
「自分で何をしているのか分かってるのか!」
相手は、
何歩か後ろに引いた。
そして、逃げた。
……いや。
逃げたと思ったら、
ついてきた。
まずいことをしたと気づいたのか、
慌てているようにも見えた。
そこから、
また議論が続いた。
でも。
俺の頭の中には、
別のことが浮かんでいた。
――また始まった。
前にもあった。
グリミーは終わらない。
人間は、
自分を正当化する。
立場を守ろうとする。
都合のいい話を信じる。
そして、
その話を正しいと思い込んだ瞬間、
自分でも気づかないうちに、
誰かを傷つける側へ回る。
俺は、
その場でそう思っていた。
ただ。
前とは違った。
俺はもう、
その場の言い合いだけで終わらせるつもりはなかった。
なぜなら。
この頃には、
俺の頭の中に、
一つの考えが生まれていたからだ。
だったら、
記録するか。
人の話は変わる。
昨日と言っていたことが、
今日には変わる。
誰かから誰かへ伝われば、
もっと変わる。
でも。
何時に荷物が来たか。
何個来たか。
何トンあったか。
どの便だったか。
それは、
誰かの都合では変わらない。
俺は、
まだ何も分かっていなかった。
この先、
一年間も記録することになるなんて、
このときは知らなかった。
ただ一つだけ、
分かり始めていた。
言葉で戦うより、
紙に喋らせたほうが早い。
そこから、
一年間の話が始まった。




